夢のようなひととき。Part-2 プロ野球観戦 ~つかみ~
野球観戦当日。ナイトゲームではあるが、様々な事態(?)に備えて万全を期すため、僕は仕事を休んだ。そして早速君は僕を困らせる。セーラー服で東後ドームに行くと言い出した。先日買ったTシャツもラフなワンピースも君は拒否した。
「女子高生と野球観に行くの、良くない?」
いたずらっぽい目で僕を見た。
時々、地方の中学校や高校が修学旅行のコースにしていて、彼ら学生服の団体を見たことはある。しかしセーラー服が単身で観戦している場面に遭遇した記憶はない。その光景はまるで援助交際の延長で、仕方なく野球好きの男に連れて来られた少女のようだ。ネガティブに深読みし過ぎるのは僕の悪い癖だけど、気になったら止まらない。
「セーラー服じゃ凄く目立って、俺が怪しまれちゃうよ」
「また、『俺』って言った。実クンカッコイイ!」
言葉尻を茶化され、また話しをそらされた。
「ねえ、梨子が服従してる『実クン』の命令でもダメ?」
「ダメ!でもさあ、セーラー服と野球場に行きたいって思ったコトあるでしょ?」
「えっと……」
アダルトビデオにそんなシチュエーションあったかな?
「あっ、考えてるってことは実クンやってみたかんたんでょ?それで帰りにエロいコトするとか」
「そんなこと、ないよ」
「それじゃあ、セーラー服のボクと行こうよ。実クンがヤリたいって思うコト、何でもするって言ったでしょ!」
曖昧な言い訳は全く取り入ってもらえない。
また、上手く言いくるめられてしまった。こうなったら、東○女学館に通う娘を持つ、父親を演じるしかないと腹をくくった。
「だったら、僕たちは親子ということにしてくれないかな?梨子は学校帰り、僕は会社帰りで待ち合わせて来たっていう体で」
「実クンがボクのパパね、分かった。何だか面白そう」
「そのパパって呼ぶのはやめてね。ますます怪しまれちゃうから」
「は~い」
君はフフフと何かを企むような不敵な笑みを見せた。今までの『悪行』を考えると素直に従ってくれるとは到底思えなかったが、行くしかなかった。
球場に向かう夕方の東京メトロ南北線は、帰途に就く群衆とは逆方向のため、閑散としていた。しかしシートに二人分連なった空きがなかったので、三人掛けのシートの前のつり革に並んで掴まった。
左隣りの君はつり革を掴む右腕に身体を預け楽しそうに鼻歌を唄っている。人がまばらな車内は遠くからでも、立っているだけで輝きを放つ少女の存在に気づく。今時の学生なら(社会人もだな)ヘッドホンで音楽を聴いたりスマホでゲームをしたりして間を持たせるのに、君は何もしていない。僕の学生時代はウォークマンが全盛だったけど、社会人になってからは考え事が多くなり、大好きな音楽さえ耳障りに感じて程なくやめてしまった。
「音楽聴いたりしないの?」
「ボク、周りの音が聞こえなくなるのイヤなんだ」
その理由が気にはなったが、深掘りするよりも、やるべき任務を遂行するためすぐに話題を切り替えた。
この時まで、梨子に野球のレクチャーは一切しなかった。梨子が部屋にいて楽しいひとときは梨子に集中していたかった。君は夜中のスポーツニュースを観ている僕に教えて教えてと何度もせがんだが、あえて何もしなかった。いくら画面の映像で説明しても、球場で体感する臨場感は伝わらない。百聞は一見に如かずだと考えていたからだ。
「野球って何人でするか、知ってるよね?」
君の野球知識がどれほどなのかを確認したかった。それによって野球解説のレベルが決まるから重要な予習だ。
「九人でしょ」
先ずは胸を撫でおろす。
「ポジションとか、知ってる?」
「えっとねえ、フォワード、ミッドフィールダー、バックス……」
大きな瞳が空を見上げて言う。
「それはサッカー!」
「知ってる、冗談だよ。ピッチャー、キャッチャー、ファースト、セカンド、サードバックス、ゴールキーパー……」
君は指を折って、ボケを続けた。
「途中からサッカーになってるじゃん!」
突っ込む僕に君はケラケラ笑って返す。基本中の基本は大丈夫なようだ。
「ルールは?知ってること言ってごらん」
「ストライク三つでワン・アウトで、スリー・アウトでチェンジで、九回までで、打ったボールが外野スタンドに入ったら一点……」
全くの野球音痴でないことに安堵した。基礎の基礎からでは説明だけで終わってしまい試合を楽しむどころではない。
「ピッチャーは地面に潜る消える魔球が投げられて、内野と外野は球がポケットに入ったらアウトで……」
「それは野球盤!」
しかもそれは昔、僕の家にあった古いバージョン。
なぜそれを知っている?
口を開けて呆気にとられる僕に、口元は薄い笑みをたたえ、したり顔で見つめ返す。
「分かった、分かった。知ってる球団とか、選手は?」
「知ってる球団は実クンが好きな巨陣だけ。あと選手とかはぜんぜん知らない」
「どうなったら盛り上がるか分かる?」
「ヒット打った時とか、点が入った時とか、ホームランを打った時とか、味方のピッチャーが三振を取った時」
「試合が始まったら、選手の情報とか、試合の流れとか、色々教えてあげるよ」
「うん、分かった。すごく楽しみ」
君は肩をすくめて顔をクチャクチャにする。その表情に華奈子の面影を見つけ、息を呑んだ。崩した笑顔も僕を虜にする。
また君は鼻歌を唄い出した。何の曲だか、僕には聴き取れなかった。
「何唄ってるの?」
「ナイショ!」
君はそっぽを向いて答えた。
後楽園駅を降り、地上へ出る為エスカレーターに乗る。割りと後発の路線でホームは、地下深くにあるから総延長の記録は上位にランクされているだろう。故に降りるまでかなりの時間を要する。ただでさえ目立つのに梨子のスカート丈は基準よりも短いから覗き対策で僕はすぐ後ろに立った。見られたって平気だよ減るもんじゃないしと君は全く意に介さない様子で、誰かを挑発するようにわざと腰を振ってプリーツスカートを揺らす。とはいえ、他人を下手に楽しませて勘違いされたら、とんでもない性犯罪に発展し兼ねない。僕のネガティブな深読みはこんな場所でも遺憾なく発揮された。
改札を抜けると、正面にある券売機に向かい帰りの切符を買う。君がどうしてと訊ねたから野球帰りの客がわんさか押し寄せて時間がかかるから、着いたらすぐのすいている時間に買うんだと説明した。今は他の交通機関とも連携してキャッシュレスで電車を利用する方法は色々存在するけれど、新しいシステムに合わせ、何事もなく改札を通過してしまうと、普段とは違う特別な場所を訪れた記憶が希薄になってしまうと感じていた。だからそれを嫌って昔通りの習慣を続けている。君はそんな些細なことでもそっかーとおおげさに納得していた。周りの視線が恥ずかしいけど、いちいち無邪気に感心する素直な少女を、僕は優しく受け入れられた。
しかし後にこの場面を深読みした時、ただ単に微笑ましい光景を見せられただけではないのだと気づかされた。僕がなぜその行為を続けてきたのか、経緯、理由を再認識させ、将来の価値観を改めて考えるための、記憶の分岐点を作ってくれたのだと考えた。
入口ゲートに向かって歩いて行くと、ドームの柱に貼り付いている看板選手の大きなパネルを発見する。君はすかさず一人一人の名前を質問した。これはエースピッチャー須賀野友幸、若き大砲岡元一真、ベテラン名選手阿倍虎之介、今夜の対戦チーム紘島から移籍してきた優勝請負人円佳宏そして僕がイチ押し、チームで一番頼りになるキャプテン坂元隼人。プロ選手を夢見る野球少年のようなキラキラした目で君は説明を聞いている。スポンジが水を勢いよく吸い込むように、生き生きとした表情で知識を吸収しようとする姿に刺激され、アノ瞬間とは違う心地よい昂りが心の中に押し寄せた。
二階席に入場する為のゲートまでの長い階段を見上げると、汪ゲートと書かれたプレートが目に付く。汪定治選手の一本足打法を型取っている。
「ねえ実クン、ここなんでオーゲートっていうの?」
「汪定治っていう、君が生まれるずっと昔巨陣で活躍していた偉大なホームランバッターがいて、通算八六八本のホームランを打った。アメリカ人の中には球場の大きさが違うからこの本数を単純には認めないっていう人もいるけど、メジャーリーグでもまだ記録が破られていない。だから現役を退いて何十年も経つのに、今でもメジャーリーガーに一目置かれている偉大なバッターさ。汪さんの功績を称えて、巨陣の背番号1は永久欠番になった」
「永久欠番て何?」
「汪さんの成績、功績が凄すぎて巨陣ではもう誰も背番号1番を着けることができないってこと」
「へえ、オーさんてすごいね」
「それで、東後ドームの1番ゲートは背番号1にちなんで汪ゲートって呼ばれてるんだ」
野球小僧なら誰でも知ってる定番知識だが聞く姿勢が素晴らしく、優等生的で純粋な反応に、説明する僕も頬が緩む。
「永島ゲートっていうのもあってね、汪さんと同じ時代、ОN砲として一緒に大活躍したこれも偉大なバッター永島繁雄を称えて、彼の背番号3の3番ゲートをそう呼ぶようになったんだ」
「その人も永久欠番?」
「もちろん、それに二人とも国民栄誉賞をもらってる」
君は素直にすごいすごいと飛び跳ねた。
笑顔で訊ねる優等生に先生役も大いに楽しいと感じた。
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