おっさん、女子高生をデートに誘う。~ついでに愛を語る~

 出会ってから二度目の週末を迎えた。

 不定期だった『消息不明』も週末は一緒にいると一方的に宣言し、それが初めて履行される。

 僕の休日は基本的に何もすることがない。することがない日の定番ルーティーンは好きな映画のDVDや、スポーツ中継などをだらだら観て、翌週の食料と食品を買い込むだけだ。彼女もいない四十代後半のおっさんは毎週こんな調子だから明るい過去も未来もない。だから何かをすると決めていなくても、誰かと過ごす休日は少なからず心が弾んだ。

 梨子はキッチンテーブルの椅子に座り、右足を座面に載せて立膝を立てている。ダブダブのTシャツははだけてブラジャーが覗く。短パンをはいている股間は中のショーツが確認できるほど広い隙間を作っている。

 下着は家から持ってきたか、購入したモノらしいが、羽織っているのは全部僕の持ち物。梨子がタンスの中から勝手に引っ張り出してきた。ユニクロで購入した女もののTシャツと、着心地の良さそうなラフなワンピースも着ようとはしない。部屋の中にいる自分の外見には全く無頓着のようだ。バター入りレーズンバターロールを相変わらず無造作に口にくわえ、少し飛び跳ねている寝ぐせのついた黒髪を右手でガシガシかいた。直後大きなあくびをしたせいで、バターロールはテーブルにある皿の上にポトリと落ちた。ここは完全に梨子の『自宅化』している。しかし呆れもするが微笑ましくも感じてしまう。

 やっぱり可愛い娘は得をする。

 その可愛い娘がせっかくそばにいるのだからデートの真似事をしたいと思った。永年追いかけている人気のプロ野球チームは、本拠地のドーム球場でデーゲーム。普通ならリアルタイムのテレビ観戦でお茶を濁すのだが、若い娘と外出するチャンスなんて滅多にないから、今は梨子案件が最優先。OKならば外出するし、ダメでも野球中継がある。

「なあ梨子、天気もいいし、どこかに出かけないか?」

 誘い文句は恋人というより親子の気分だった。

「え~、別に~、どうでもいいよ~」

 つれない返事が、僕を野球の放映時間を確認する行動に促した。

「そんなこと言わずに、映画でも観に行く?」

「え~、ボク、映画館キラ~イ」

 テレビの番組表は午後二時から。

 その時だった。

「そうだっ!ねえ実クン、ボク野球観に行きたい!」

 これは偶然か?梨子はテレビに背を向けていて、しかも画面の映像はキッチンテーブルからは角度的に確認しにくい。

「な、なんで急に?」

「だって実クン、巨陣ファンでしょ?」

 何で知ってるの?

「野球、観に行ったことあるの?」

「ううん、ない」

「野球は詳しい?」

「ぜんぜん」

「じゃあ、どうして?」

「ボクのママもパパも仕事が忙しくって、あまり一緒に外出したことがないの。ボクきょうだいいないから、家ではいつも独りぼっち」

 君が寂しそうな表情を見せた。

「だから人がたくさんいて、楽しそうなところが好き。みんなで何かをする。みんなで誰かを一生懸命応援してる。そんなワクワクする場所に行きたいなあって、ずっと思ってた。実クン、ボクを野球へ連れてって。楽しいコト、いっぱい教えて」

 Take me out to the ball gama.

突然立ち上がり、両腕を背中に回した君は、おどけてミュージカルの主人公のように身体を振って唄い出した。

 単純な男だと笑わないで欲しい。目の前でふざけながらも楽しそうに踊る君を見て僕は胸が熱くなっていた。出会ってから今まで見ていた目の前の少女は、世話が焼ける赤の他人の娘で、時には恋愛対象や、単なる性の対象のような目で見ていた。だけれど、突然それとは違う感情が、この瞬間心の中を覆った。僕は子どもが大好きだけど、子どもを持つ機会に恵まれなかった。懐いてくれる物好きな彼らには一生懸命付き合った。ウケると同じことを何度もさせる、小さいのに生命力一杯の魂を相手するのは確かに疲れるけど、ずっと笑顔でいてくれるとそれだけで心の中は充足感に満ちあふれた。お願いされれば何でもしてあげたいと、いつも素直な気持ちを受け留めていた。その感情にとても似ていると思った。

 君を見つめる僕に、下半身を騒がせる理由は見当たらなかった。それと同時に長い間心の奥底に秘めていたある願望も蘇った。

 結婚して奥さんと、そしてまだじっと座っていられないくらい小さな我が子を連れ家族全員でドーム球場に足を運ぶことが夢だった。だが、過去にデートで野球観戦の経験は一度もない。それには理由がある。野球に全く興味のない異性をムリヤリ連れて行ったとしても、感情の温度差で楽しいひとときには決してならないし、野球ファンに引き摺り込もうとする熱意を必死に見せたとしても、逆に引かれてしまうだけで結局残るは虚しさだけだと諦めていたからだ。理想は出会った相手が野球好きであれば問題ないのだが、この歳になってその条件を満たす相手を見つけるのは合コンをやりまくるか、結婚相談所でマッチングしてもらうより他はない。そんな努力をするには、今からでは時間が足りないし、そこに回せるお金もない。モチベーションも上がらない。だから現世での実現は諦め、もしも来世が存在するなら、その日が来るまで楽しみにとっておこうと封印していたのだ。


 今、色々な思いが交差する。


「ねえ、実クン何泣いてるの?」

 僕は涙があふれていることに気付かなかった。

「な、何でもないよ」

「ねえ、ダメかな?」

 君は珍しく心配そうに顔を覗き込んだ。

「ダメじゃないよ。実はチケットあるんだ」

 えーほんとに?行きたい行きたいと君はその場で小刻みに飛び上がった。その表情に笑顔があふれた。何度見ても心が震える。

東後ドームの巨陣戦には毎年十度足を運んでいる。シーズン通しての年間シートは一席何十万円もするので、さすがに購入は無理だが、それとは別に全主催試合の中から十試合をチョイスした簡易な「シーズンシートセット10」という商品を販売している。数万円で購入でき、六つあるコースから好きな日程を選んで申し込むと、十試合分全てのチケットがシーズン開幕前に自宅に届くシステムだ。

 残念ながら前回の観戦が一昨日の夜だったので、ちょっと待ってと届いているチケットの日程を確認すると、次の試合は二週間後の金曜日だと判明した。それでいいかと訊ねたら、うんうんうんと三度うなずき、もう一度飛び上がった。

 観戦するのはいつも二階席。二席購入してあるので、大抵は同じく巨陣好きの叔父を誘って足を運んでいる。より近くで観たいという願望は大きいが、一階席は十試合分でも値が張るという理由で二階席を選択している。一〇〇%希望を叶えられない経済的な無念さもあるが、バッターやピッチャーに集中しがちな視線が試合状況によって、或いはバッターの癖や調子によって一球一球変わる守備体型を俯瞰のような距離で一望できる二階スタンドの感覚が、今はとても気に入っている。それに最初から二階席目当てで購入すると楽に席を確保できるメリットもあるのだ。

 ここ数年、彼女も作らずドーム通いを続けているので初心な少年のような高揚感を抱くことは無くなった。球場では日頃のうっ憤を吐き出すため、普段はしない弾け方をするので、楽しみにしながらも静かにその日を待つのが最近の習慣になってはいたのだが。

 梨子は東後ドーム行きが決まると大はしゃぎしていた。はやく再来週の金曜日にならないかなあと一日一〇〇回くらいオウムのように繰り返していた。

 かと言って、野球観戦を心待ちにしているだけでもない。その間、梨子が楽しいと感じるはことは一つたりともおろそかにせず、あることの為に他の欲求を犠牲にするという概念が全くなかった。すぐ出来る楽しみは決して後回しにしない。中途半端で満足しない、妥協のない性格なのだ。

 もちろんその中に僕との関わりも含まれている。一緒にいる夜は風呂に入り、セックスも欠かさなかった。僕にとっての楽しい出来事は断続的にやって来るのが理想的だ。思い切り羽目を外すと決めている野球観戦当日は大量のビール摂取が必要不可欠だから、それまでは体力の温存で問題なかった。しかしそれでは梨子が納得しない。この環境は『うれしい悲鳴』と言えるかも知れないが、僕にとっては『うれしい』より『悲鳴』のウエイトの方が大きい日々だった。セックスが望めばほぼ毎日できる環境なんて、今まで想像すらできなかったからなおさらだ。いくら何でもとても体力がもたないと思った。

 継続している消息不明の日は、僕は関われない梨子だけが知る楽しいこと。その日はピクニックのような毎日の生活から解放される唯一の安息日になった。こんな贅沢な悩みを嘆く時が来るなんて、自分の生活じゃないみたいで不思議だった。

 そんな思いあがった心の内を見透かすように、君は僕を落ち着かせてはくれない。ママの料理の手解きを受けた後、けんクンとセックスしてきたと、まるで当てつけのように笑顔で話した。けんクンも大好きで、けんクンもボクのコトが大好きだって言ってくれるから服従して何でもしたあげるのと、楽しそうに報告する。

 一体僕は梨子の何?

「それでけん君には何をしてあげてるの?」

 僕は不貞腐れて訊ねる。

「けんクン、お尻の穴でシタイってお願いするから、ちょっと痛いけど、入れさせてあげてる」

「お尻の穴?」

「そう、お尻の穴。アナルセックスって言うの?アダルトビデオで観て、やってみたいって思ったんだって」

 こんな美少女のお尻を使うなんて・・・。

 僕は少し感情的になった。

「ねえ、梨子はさあ、男が君に命令して喜ぶことを全部すれば、そいつが君を本当に好きになってくれると思ってるの?」

「うん、思ってるよ」

「確かに、男にすれば何でもしてくれる彼女は嬉しいけどさ、それはちょっと違う気がする」

「どう違うの?」

「男って単純でさ、言うこと何でも聞いてくれると、相手を『都合のいい女』って思うようになっちゃうし、ストレスなくヤレると今度は段々飽きてきちゃうんだよね。女の人もただ相手に嫌われないためにヤリ続けて、自分が愛されているかどうかも分からないのにそれだけで満足しちゃう。仮にそれで一緒にいられても、二人の間には全く愛情が存在しない不毛な世界が広がると思うんだよね」

「そうなのかなあ・・・」

「本当に好きな者同志っていうのはさ、相手がそばにいてくれるだけで幸せだと思うんだよ。手と手が触れ合うだけで、天国に行けると思うんだよ」

「そうなのかなあ・・・」

「それはセックスがいいとかだけじゃないんだよ。きっと思いやりが大事なんじゃないかな」

 恋人もいない、結婚もしていない自分がなぜか『愛』を語っている……。君にとって僕が本命ならアナルセックスなんてするなと叱ってやりたい。

「ボクね、人を好きになるってよく分からないの。だから実クンのことだって、自分でも本当はどうなのかよく分からないんだ」

 梨子はうつむき、首を左右に振った。

「よく分からない人と、よくセックスできるね」

「うん、セックスは挨拶代わり。ボクに気がある男とは一度ヤるけど、下手だったり性格が合わなかったらそれっきり。でも実クンとは今までした中で一番合ってる気がする。まだ下手くそだけどね。でもそれが『好き』ってことなのか、ボクにもまだ分からない」

「梨子に説教じみたこと言ったけど、正直僕も良く分からないよ。好きになることの定義なんてないし、考え方は人それぞれだからね」

「そうかもね。実クン、ちょっと前までドーテーだったのに愛を語っちゃったね」


「だから童貞じゃないって!」

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