小悪魔との暮らし。
僕の気持ちを弄ぶように、君は時々帰って来なかった。そしていつでも何食わぬ顔で戻って来る。理由は全て事後報告だった。
離れている間、梨子とは全く連絡が取れない。帰宅が遅い時に連絡したいから携帯番号を教えて欲しいと説得を試みるも、鍵を持ってるから大丈夫と君はやんわり断わった。きっとおっさんと関りのある履歴を友達に見られるのが嫌だったに違いない。会えない時間僕の不安は大いに募る。ところがそんな心配をよそに、まるで何処かで僕の行動を観察していたのかのように、再会のすれ違いはなかった。
姿を見せない理由の多くはやはり家に戻っていること。華奈子に料理の手解きを受けに家に帰ってたと君は言った。ずっと家を出たままよりは母親の心配が減るし僕も安心する。
そして、定時で退社出来た夜は必ず夕食を作って待っていた。
初めてハムエッグを作ってくれた朝、食材を購入する為のお金を渡し、好き嫌いは告げずに自由に作らせてみた。セーラー服の上にエプロンを着けて迎える姿に純粋に感動したし、エロの観点からも胸の鼓動が高鳴った。それも僕の心を惑わせる君の狙いなのだろうか。
初めてキッチンに立った夜、君はナスと豚バラ肉をキムチで炒め、この部屋では滅多に使わない大皿に盛り付けた。初心者にしては手が込んでいるボリューム感に僕は度肝を抜かれた。ナスとキムチは僕の好物でもある。どこで情報を得たのかリサーチにも抜かりがない。お陰でいつになく食が進んだ。とてもにわか仕込みとは思えない出来栄えだった。とは言え、若い味覚は濃厚をよしとする傾向にある。
だから先ずはアメを与えた。
『美味しかったよ』
その後で注文(ムチ)を出した。
『でも、もう少し味が薄いとおじさんは嬉しいな』
君は素直に聞き入れてくれた。
君の作るメニューは肉系が多かった。しゃぶしゃぶ用の豚ロース肉をオクラで巻いた照り焼きや、ナスと豚肉の切り落としをカレー粉で炒めたり料理など、自分と交える激戦に備えるためのスタミナ作りのようで、あからさまな企てに、頬が緩んでしまう。まるで子作りに励む新婚夫婦のようだ。
料理に余裕が出てくると、僕が玄関ドアを開けるなり、君は三つ指をついてこう囁く。
「おかえりなさい。ご飯が先?お風呂?それともボク?」
まるで夫婦ごっこだった。ごっこでも素直に楽しいと感じた。僕もごっこに乗ってしまった。派遣仕事は正社員より気楽とは言え、固い仕事の長時間労働は心も身体も疲れが出る。そんな様子を察知して、最初に覚えた僕の弱点、突然の本気(マジ)キスも時々敢行する。家に帰ると部屋に明かりが灯っている。その中にはいつでも僕を楽しませようとする君が待っている。そう考えるだけで一日の苦労が吹っ飛ぶ。
しかし日を置かずにテーブルに並ぶスタミナ系の料理は内臓が余り強くないと自負する自分としては負担と不安が大きくなる。時折麺類を入れて欲しいと要望すると、君はハムやもやし、きゅうり等野菜が数多くトッピングされた冷やし中華を作ってくれた。料理を作る君もいつでも一生懸命だった。人は全力で突っ走り過ぎると長続きしない。脳梗塞で倒れた父の最期の言葉は『無理するな』だった。だから僕は梨子に言った。
「気が乗らない日があったら、作らなくてもいい。そんな日は弁当でもレトルトでも僕は大丈夫」
刹那の快楽もいいけれど、楽しいと感じる時間は出来る限り長く続いて欲しいと願う。
残業で帰りが遅くなった日は、君は帰って来ない。でもその夜はいつの間にかベッドに潜り込んでいて二人で朝を迎える。君の香りは最初の時と変わらず間違いなく爽やかな朝を運んでくれる。しかし胸を撫で下ろす心の動きを表情で察知して、いたずらな君は僕に平穏な一日を与えてはくれない。
「ボク、昨日はたかクンのところに泊まってセックスしたよ」
僕の気持ちを試すように、平然と言ってのける。
「ふ~ん、それでどうだったの?」
僕は負けじと平静を装い、君に訊ねる。
「すごく良かったよ。だってたかクンてテクニシャンだもん」
「梨子はたか君のこと好きなの?」
「う~ん、まだ分からない。でも昔さあ、何かのテレビで誰かが女の人のアソコが相性のいい男の人の形を記憶するって話してたの、知らない?」
どうして「ホンマ○っか!?TVのそんな大昔のエピソード知ってるの?
「そんなことあり得ないよ。たか君のモノが梨子のアソコにフィットしてるっていうの?」
僕は確証のない否定をした。
「たかクンとすると、イイ感じでイクけど、それがそうなのかはわかんない。でも誰かさんがもっとセックス上手にならないと、寝返っちゃうかも知れないね」
僕の顔を覗き込んで上目遣いで微笑むと、君は股間を指で弾いた。
「じゃあ、その誰かさんのためにセックス鍛えてくれない?」
「これから~?・・・でもイイよ」
僕たちは朝食もそこそこにセックスを始める。梨子に感化された身体はいつの間にか順応して準備をしていた。
そうやって君はいつでもおっさんを挑発した。このたわむれがもう少し続けば習慣と言えるかも知れない。夕食を作った日もそうだ。食欲が満たされれば自然と性欲へ流れる。
君がいない夜の寂しさは次第に消えていった。過去の快楽を反すうして未来の欲望を満たした経験はないけれど、独りの夜でも今は喪失を恐れることなく楽しい夢を見て眠れた。
ある晩の夕食、梨子はこんな事を話した。
「同じクラスの美紅って子がさあ、妊娠しちゃったって、生理が二か月来ないって静かに大騒ぎになったの」
「へえ、梨子が通う高校は東○女学館てお嬢様学校だろ?そんな処に梨子みたいなイケイケの子がいるだけでも珍しいのに、まだ他にもいたんだ」
「それがボクみたいじゃなくて、けっこうカワイイんだけど、クラスの中でも余り目立たない大人しい子なの。それでも実は大学生の彼氏がいて、お腹の中の赤ちゃん、そいつの子だって言ったの」
美紅も大学生もセックスの正しい知識が全くなくて、ただ好きというだけで、避妊もせずに行為に及んだという。
「それで美紅ちゃんはどうしたの?産みたいとか言わなかったの?」
「そう言って泣いてた。でもね、友達の一人が美紅にこう言ったの。『一時の感情で決めちゃうと、私たちはまだ子どもだから両親をはじめたくさんの大人たちを巻き込んで、苦労や迷惑をかけることになる。確かにせっかく宿った子の命をムリヤリ奪うのはかわいそうなこと。でも冷たいようだけど、親が責任を負えないのなら生まれて来ない方がいい。多くの人に祝福されない赤ちゃんは、親のせいでずっと不幸を背負わされてしまう。美紅には我が子を死なせたっていう心と身体に大きな傷が残るかも知れないけれど、その分大人になった美紅は人の心の痛みが分かる、思いやりのある人になれるんじゃないかな』って」
「それで?」
「美紅は思い留まった。友達五人で美紅の情報が先生や他のクラスに漏れないようにしてみんなでお金出し合って、病院に行く費用を作った。中絶手術はまだできるっていうからあとみんなでその大学生にも会いに行って問い詰めた。大学生は金持ちのボンボンで妊娠したコトに狼狽えてた。美紅と将来一緒になる積りもないし、つい出来心だったとボクたちの前で泣き出した。だったら誠意を見せて追い込んで、中絶の同意書のハンコと、お金も出してもらったんだ」
「へえ、凄いね。それで美紅ちゃんは無事中絶できたの?」
「うん、全部上手くいった。他の誰にも漏れなかったし、大学生には口止めした。まあ、口止めしなくても将来こんなコトが親や会社にバレたら出世に影響するかも知れないしね」
「それにしても、今時の女子高生の行動力は大したもんだ。それに美紅ちゃんに諭した友達、高校生とは思えない達観ぶりだね。一体何者で何て名前の娘?」
「及川梨子ちゃんて子」
「及川……梨子って……」
「そう、ボク」
君はそっぽを向いて平然と口にした。僕は君を見つめたまま黙った。大いに驚いたが、梨子ならあり得ると、思い直し、納得した。
薄々感じてはいたが、ただの女子高生ではない。
しかし、なぜそんな話を聞かせてくれたのかは謎だ。
「ところで、梨子はどうなの?僕との時はぜんぜん避妊してないけど?」
口にしながら急に大きな不安が襲う。
「ボクは大丈夫。セックスのコト、ちゃんと勉強してるし、避妊はしてないけど、コンドームはイヤだから、自己管理はきちんとしてる。排卵日だって判るから、その日の前後三日間はヤラないよ。ここにいないのは危険日だからって理由もあるんだ」
「でも、ここにいても、ヤラなきゃいいんじゃないの?」
「それはダメ」
「どうして?」
「だって実クンといるとセックスしたくなっちゃうんだもん」
「それは俺が好きだから、欲情しちゃうっていう意味?」
「う~んとそれは違う。実クンのモノが大きいから惹かれちゃう、のかな。下手なんだけどね」
君はシタくなる真意を冗談ではぐらかした。でも僕が示した感情の部分と、梨子の返した物質的な冗談もあながち外れてはいない気がした。会話の主旨がずれてしまったが、避妊に関しては梨子の言葉を信用するしかない。
「勉強って言えば、梨子、この部屋では全然勉強しないよね。大丈夫なの?」
「大丈夫。セックスのコトと同じくらい学校の勉強もしてる」
その二つって同列で比べられるモノかな?
「ボク、頭がいいから授業時間だけで、完結しちゃうんだ。それにもっと先も勉強してるし」
「もっと先って?」
「ボク、医学部目指してるの。だからそのための勉強」
「へえ、凄いね将来は女医さんか」
「でも、ボクが目指すのは研究医。人を診るんじゃなくて、研究者のほう」
「それはどうして?」
「ボクの親戚に完治する薬がない難病の人がいてさ。その人、すごく仲良かったのに病気になっちゃって……。だから難病が治る薬を開発して役に立ちたいなあって。もちろん他の病気の薬も開発もしたいんだ」
意外なほどまっすぐで誠実な志に、尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
梨子が違う人に見えた。
違う君にも、僕の心は奪われた。
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