第十五話 酒呑霊能探偵事務所 2

 という訳で仕事である。

 これからお客さんを迎えに行きます。といっても外出する必要はなくて、件の依頼人――タチバナ・ユキオさんはこの天文台の仮眠室で目下お休み中らしい。なので叩き起こして来い、というのが雇用主からのオーダーだった。


 事務所から出て二階へ。


 まだこの建物がきちんと公共施設として運用されていた頃。案内板から察するに、外部の人間が立ち入れるのは一階までで、二階から上のフロアは職員用に使われていたと思しい。

 仮眠室もその内の一つで、扉にはそのままズバリ『仮眠室』と実に面白味のない事務的なプレートが打たれている。

 二階の隅にある扉を叩き、中の人に声を掛ける。


「失礼します。タチバナさん、起きていらっしゃいますか?」


 返事はなかった。

 ただ、どたどたと慌ただしい足音が響く。それからややあって、鍵の回る音がしてから、如何にも恐る恐るという風に扉が押し開けられた。


 僅かに空いた隙間から、血走った眼が覗く。


 僕と彼女の視線が合う。

 こちらがにこりと笑みを向けると、タチバナさんは「ひぃっ!」と悲鳴を上げ、扉を閉じてしまった。まるで死んだ筈の人間がうっかり蘇っているのを目撃してしまったかのような反応だ。


 なぜ……?


 などと当惑していると、少ししてからもう一度扉が開かれた。今度はこちらの姿を見ようともしない。直ぐにでも扉を閉め鍵を掛けられるように構えて、タチバナさんはおっかなびっくり声を発する。


「…………あの……名無し、さん?」

「はい。酒呑霊能探偵事務所の名無しと申します。はじめまして――ではないんですよね? えぇっと、お加減は如何ですか? 見たところ、一睡もしておられないように見えますが。大丈夫ですか?」


 相手を刺激しないよう努めて明るく、丁寧に語り掛ける。

 彼女の状態は先程の眼を見ただけで分かった。睡眠不足で眼球が充血し、目元には濃い隈が刻まれていた。まともな状態ではない。手負いの獣を相手取るつもりで対処するべきだ。

 ―――と、思っていたら。


「名無しさん……―――なんで生きてるんですか?」

「えっ? なんで僕死んだことになってるんです?」


 思わず首を傾げてしまう。

 意図の分からない質問に素で応答してしまった。


 しばしの沈黙。


 なんとなく気まずい空気が流れる。訳が分からず当惑していると、不意に、はああと疲れた溜息。扉越しにもタチバナさんの緊張が、風船みたいにしぼんだのが分かった。


「……いえ、すみません。酒呑さんから、貴方のことは色々と聞かされましたから。はい。信じられなかったけど、


 観念した風にひとりごちて、タチバナさんは扉を開けた。

 思った通り、彼女の姿は見るからに憔悴しょうすいしたものだった。

 今まで身形に気を使う余裕すらなかったのだろう。長い黒髪は艶を欠いてぼさぼさ、頬はこけ、目元は落ちくぼんでいる。着ている服も簡素な白いワンピースのみで飾り気がない。

 顔の造り自体は端整で、元々は美人だったことが窺える。しかし今は見る影もない有り様だ。よっぽど酷い目にったらしい。確か頭痛と悪夢の怪異に襲われているんだったか。いささか同情する。


 ……それにしても僕のことはシュテンから聞かされてる、か。


 どんなことを聞かされたのか具体的な内容が気になるけれど、それは一旦横に置いておいて。今は真面目に仕事の話をしよう。


「所長がお呼びですのでお迎えにあがりました。ご依頼の件に関してお話があるそうです。事務所までご足労願えますでしょうか」

「……はい」


 タチバナさんが頷いたのを確認してからきびすを返し、一階の事務所へ向かう。


 観音開きの大扉を開けると、慣れた冷気に迎えられた。


「依頼人をお連れしました」

「おおきに、名無し君」


 ソファーに座ったシュテンが労う。しかし目線はこっちを向いていない。何かの資料と思しい紙束に目を通している。


「さて」


 もう用は済んだのか。

 シュテンは手の中の資料を無造作にテーブルの上へと放った。


「―――それ、は」


 不意に、タチバナさんが呟いた。

 振り返ってみると、彼女は顔を引きらせ、目を見開いて硬直している。机上の資料を凝視しているようだ。

 視線を探り、彼女が見ている資料に見当をつける。

 紙面には写真が印刷されていた。制服を着た三十人ほどの少年・少女達が、綺麗に並んで写っている。手には卒業証書を入れる筒状の容れ物アレ。どうやら何処かの学校の卒業アルバムからコピーしてきたもののようだ。


「ん? あれ、ここに写ってるのってタチバナさんですか?」

「正解。なんや、珍しく目敏いやないの。鈍感な名無し君にしては冴えてはるね。どないしはったん? 明日は槍でも降るんやないの? ふふ、くわばらくわばら」


 うるさいな。

 しかし事実なので反論はできない。ふん、どうせ僕の目星と聞き耳技能の成功率は初期値ですよだ。


「ま、冗談はさて置いて。御明察の通り、それは一昨年に赤牟アーカム第二高等学校の卒業式で撮影された、雪緒君のクラスの集合写真なんよ。で、こっちがそのぇ簿」


 差し出された二枚の資料を受け取り、目を通す。


 一枚目は卒業生の生徒名簿だ。全部で三十二人分。その中にしっかりタチバナさんの名前が載っている。

 二枚目は……こっちも生徒名簿だ。人数は……あれ、三十三人。一人多い――いや、減ったのか。


「事故かなにかあったんですかね」

「ふふ。事故――と云えば、事故やろうねぇ」


 にやりとした、三日月みたいな嫌な笑み。

 明らかに含みを持たせた言い方だ。ただの事故ではないということだろうか。……何にせよ、タチバナさんのクラスでひとり死人が出ていることは間違いないらしい。


 名前は――カジ幸雄ユキオ


 ユキオ。

 タチバナさんの名前と同じ音だ。でも字面は随分と男らしい。男の名前だからまあ、当然といえば当然なんだけれど。


「梶幸雄君。赤牟アーカム新都アップタウンにある廃病院の屋上から転落し、同市の病院に入院。それから寝たきりの有り様よ。……これは事故なんかねぇ。それとも自殺? あるいは誰かに突き落とされたんやろか? ねぇ、名無し君。どれが正解やと思う?」


 シュテンから尋ねられたので、少しだけ考えてみる。


 難しい問題ではある。


 不注意による転落なら、事故。

 自分から故意に飛び降りたなら、自殺。

 そして――悪意ある何者かによって突き落とされたのであれば、他殺。


 ―――というのがまあ、一般的な分類だ。でもその辺りを正確に判断するには、先程の情報だけでは材料が足りない。


「そんなの状況によって変わりますし。現場に遺書とかあったんですか? もしくは誰かと争った形跡があったとか」

「家族宛ての遺書と思しき内容の手紙なら残っとったらしいやね。流石は鳴子君、文面まできっちり調べとる。筆跡も幸雄君のものと一致したそうよ」

「じゃあ自殺でしょう」

「早合点はいかんて、名無し君。? ?」

「…………」


 そんな風にシュテンはタチバナさんに尋ねる。しかしこいつは彼女に一瞥もくれてやらない。今の発言で彼女がどんな反応をしようが興味はない――言外にそう告げているようだった。

 シュテンはテーブルに散らばった資料の一枚を指先で摘まみ、こちらに向けて投げてくる。

 危なげなくキャッチ。

 資料に書かれているのはワープロか何かで作成された文章のようだ。恐らく件の遺書を読んだナルコちゃんが丸暗記したものを打ち出したものだろう。


 内容は……先立つ不孝をお許しください的な、両親への謝罪。

 あとは「まともな人間じゃなくてごめんなさい」、「生まれてきてごめんなさい」みたいな、悲観的な文面が殴り書きされている。なんとなく女性的な印象の、丁寧な文体だった。


「これも鳴子君の調査で分かったことなんやけどね。幸雄君、どうやら学校でいじめに遭っとったらしいんよ。―――で。その辺りについて、お話をお聞かせ願えるやろか、雪緒君?」


 修羅場の予感!

 今度こそ明確に声を掛けたが、相変わらずシュテンはタチバナさんに目を向けない。心底どうでもよさそうだ。こいつは暢気に盃に酒を注いで呷っている。


「―――さっき、事故か自殺か他殺かみたいなことを言ってましたけど。貴方、私が殺したって言いたいんですか?」

「―――? あんね、君がどんなをしてるかは知らへんけど、ボクには君を非難する気は毛頭あらへんのよ。関心があるのはあくまでやからねぇ。面倒な勘違いはやめてくれはる?」


 ―――ギリリッ


 砕けそうなくらい強く歯を噛み締める音が聞こえた。

 タチバナさんは親の仇でも見るような険しい形相でシュテンをめ付けている。しかし当の本人は素知らぬ顔で酒を吞んでいる。まさに暖簾に腕押しだ。

 どうやら二人の相性は最悪のようだ。

 このままでは更にワンランク上の修羅場になりかねないので、こちらから水を差すことにする。阿吽の呼吸とも言う。怖い刑事と優しい刑事、みたいな。


「……申し訳ありません。所長がとんだご無礼を。ですがどうか、お話ししていただけないでしょうか」


 伏してお願い申し上げる。


「タチバナさん。貴方は、誰かの――いえ、。そしてそれが貴方を苛む怪異の原因となって―――――」


「―――――違う!!」


 地団太を踏む子供のように、タチバナさんは絶叫した。


「違う! 違う違う違うッ! 違いますよ! あれは雪女です! 雪女なんですよ!? 雪男じゃないんですッ! だからアレがアイツの訳がない! ありえない! そうよ、ッ! この私があんな屑に苦しめられるなんて、そんなことある筈がないものッ!」


 それは否定しているようでいて、実質的な肯定だった。

 これで確定した。カジ・ユキオ氏は、いじめの被害に遭っていた。そしてそれを苦に自殺した。廃病院の屋上から飛び降りた。否――。人々の悪意という見えない手に背中を押されて。


 それは自殺なのか。他殺なのか。


 僕には分からない。

 割とどうでもいい。


「ハッ! いいわよ! そんなに聞きたいなら話してやるわよ、あのいけ好かない醜男ぶおとこについてたっぷりとね―――」


 そして始まるタチバナさん劇場。

 一応、耳には入れておく。でもあまり愉快なお話ではないので、八割はスルー。代わりにテーブルの上の、カジ・ユキオ氏に関する資料を拾って目を通します。


 幼い頃から心療内科を受診。

 食欲が制御できず肥満気味。


 自殺未遂の結果、意識不明の重体。一昨年から長期に渡り入院。完全な植物状態で目覚める様子はなし。―――しかし、今から二か月ほど前に失踪している。


「シュテン、これ―――」


 タチバナさん劇場に水を差すといけないので、こそこそっとシュテンに耳打ち。


「ふふ、正解。ボクも同じ結論に達したよ。せやけど確証があらへんのが困り物やね。あくまで推測の域を出ぇへんのやから、まだ喋ったらいかんよ? お楽しみは後に取っておかんとねぇ」


 楽し気に鈴を転がす音色。

 そういう訳で僕達は引き続きタチバナさん劇場を拝聴。彼女も色々溜まっていたのだろう、こっちの不審な様子も気にせずにギアを上げてヒートアップしている。これぞまさにマシンガントーク。愚痴と罵倒の雨霰。それが永遠と思えるほど延々と続き、続きに続いて、そして―――


 ―――夜が、来た。

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