第十一話 廃病院と恐怖の夜 3
―――ジジジジジジジジジジジジジジジジジジジジッ
誰かに呼ばれたような気がして、私は目を覚ました。
寒い。
まるで冷蔵庫の中のように、辺りは冷気に包まれていた。
目を開けてみるが何も見えない。周囲には闇が広がっている。しかし時折、何か機械的な光が端の方でチカチカと
首は動く。だが、手足は動かない。
座ってはいない。無理やりに立たされている。
感触はおぼろげで不鮮明だが――両脇にそれぞれ腕らしきものが差し込まれているようだ。ちょうど
役に立たない視覚と肉体の代わりに、嗅覚が異常を訴える。
ここは、どこ?
そう思った瞬間だった。ぱっと、白い光が視界に雪崩れ込む。私は咄嗟に目を
一泊遅れて、天井の明かりが着いたのだろうと推測する。
私は目を光に慣らしながら、ゆっくりと
見覚えのある景色が網膜に映り込む。そこがどこであるか理解した瞬間、私は思わず溜息を吐いた。
―――ここは、霊安室だ。
目の前には雪女がいる。その姿や有り様から感情は読み取れないが、なんとなく私を嘲笑っているのだろうと思った。
雪女から視線を逸らして両脇に目を向ける。
そこには見覚えのある女が二人いた。彼女達は、感情のない死んだ面持ちで虚空を眺めている。その横顔を観察して、私は確信した。
やはり、私はこいつらに見覚えがある。
私と――名無しが廃病院へ向かった際に見た顔だった。
「―――――っ!」
思い出した瞬間、焦燥とも恐怖ともつかない感情に捕らわれる。私達は廃病院に潜入し、妖に操られた他の犠牲者達と交戦し。そして雪男に――いったい、なにをされたんだろう?
名無しは、いま、どこにいるのだろう?
そう疑問に思った瞬間、後方で金属の軋む音が響いた。どうやら扉が開いたらしい。そしてずるずると、何かが引き摺られてくる音が耳に届いた。
ソレが真横に差し掛かった頃合いを見て、視線をそちらに向ける。
現れたのは雪男だった。
三体の雪男が縦列に並んで視界を横切る。それぞれの手には金具や拘束具のついた椅子と、工具と医療器具が乗せられたキャスター付きのワゴン。そして―――
―――名無しの頭を掴み、無造作に引き摺っていた。
一体なにをしていやがるのか、こいつらはッ!
「…………ッ!」
私は咄嗟に怒声を上げた――つもりだったが。どういう訳か言葉は形にならない。それどころか声すら出すことができていないようだった。どんなに努力を払っても、荒々しい呼気が喉を通り抜けるばかりで何一つ意味のあることが為せない。
拘束を解いて名無しを助けようと手足を動かす。だが私の意に反して、腕も足も一切動かなかった。
悔しい――なんて、悔しいのか!
何もできない自分が許せない。私は顔を歪めて歯を噛み締める。
私はただ、見ていることしかできなかった。
雪女の前に――私の目の前に見せつける位置に――椅子が置かれ、金具で固定される。それが終わると、ボディチェックするように念入りに探ってから名無しの上着を剥がし、適当に放り捨て、彼を椅子に座らせた。
一見した限りでは彼の体に外傷はない。
だが意識を失っているのか、力なく頭が垂れ下がっていた。
次に、名無しの体がベルトなどの拘束具で縛られていく。弛緩した首を起こされ、頭部も固定された。
あれでは目覚めたとしても身動き一つ取れないだろう。
どうやら、それで準備は完了したらしい。
名無しの背後に見える雪女が、強烈な悪意を発する。彼女が指揮者のように鉤爪のついた長い指を振り、雪男や私を拘束する女達に指示を出した。
二人の女はそれぞれでの両腕で私の顔を挟み込むと、親指で瞼を押さえて固定した。剥き出しにされた眼球が外気に触れ、乾く。決して閉ざすことを――目を逸らすことを許さないと告げるように、女達は私を押さえつけた。
次いで、雪男達が動き出す。
雪男はワゴンから医療用のメスを取り上げた。甲殻類じみた分厚い鋏で挟みしっかりと固定すると、傍らの名無しに向き直る。
強烈に嫌な予感がした。
メスが、名無しの側頭部に触れた。その刃先はすんなりと肉に沈み込む。一泊遅れて血が溢れ出した。
出血に構わず、雪男はメスを滑らせる。
髪が邪魔で上手くいかないのだろう。幾度か仕切り直しながら、雪男は名無しの頭を切り裂いた。赤黒い血が銀色の小さな刃を汚し、顔に、服に滴り落ちた。
ぐるりと一周したところで、雪男はメスを置く。
そしておもむろに名無しの頭の切れ込みに鋏の先端を突き刺すと。力任せに、頭皮を引き剥がしにかかった。
べりべりと嫌な音を立てて、頭の肉ごと皮がめくれていく。
ゆっくりと時間をかけて、雪男は丁寧に名無しの頭皮を頭蓋から剥がした。
名無しは目覚めない。
指は忙しなくうごめいているし、膝も貧乏揺すりのように小刻みに揺れているが、目は開いていなかった。……意識はないのだと、そう祈るしかない。
雪男はアルコールで名無しの頭を洗い流した。体液が流れ落ち、白い骨が露わになる。
彼はまだ生きている。生きているのに、頭蓋骨が見えている。その光景はとてもシュールだった。私は叫び出したい衝動に駆られた。あるいは爆笑したいような気もする。もう、訳が分からなかった。
だが、拷問はこれでは終わらないらしい。
……そう考えて、ふと気付く。
これは拷問なのだ。
―――ギュィィィイイイイイイイイイイイイイイイン
雪男が工具を持ち上げる。穿孔用のドリルが嫌な音を立てて回転した。
そういえば。
こんな感じのホラー映画を、むかし観たような気がする。いや、よく考えたら気のせいかもしれない。
雪男はドリルの先端を、名無しの肉と頭蓋骨の境に当てる。そしてスイッチを入れた。大きく螺旋状の溝が彫られたドリルが、白い骨を削る。ある程度の長さに達したところで、雪男はドリルを止めて引き抜いた。
こぽり、と。
穴から黒い血が零れ出る。
同じ要領で雪男は名無しの頭に穴を開けた。等間隔に八つほどの穴が開く。穴が一つ空く度に名無しの体は
雪男はドリルを置いた。
これで終わりか――といえば、当然そんなことはなく。雪男は次に使う工具を持ち上げた。
電動の丸い回転ノコギリだ。
雪男がノコギリのエンジンを起動させる。先程のドリルと同じく、ノコギリが嫌な擦過音を立てて回転した。
高速で回る刃が、名無しの頭蓋に迫る。
刃は呆気なく骨を切り裂いた。
雪男は深く切り過ぎぬよう、慎重にノコギリを移動させる。その体勢のまま、名無しの周りをぐるりと一周した。
エンジンを停め、工具をワゴンに戻す。
そして両腕の鋏で挟み込むように名無しの頭蓋骨を持つと、ゆっくりとソレを持ち上げた。
なかには――ぴんくいろの――やわらかい――■■■■が―――――
「いやぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああ!」
その瞬間、声が爆発した。
「あああ、あああああああっ、ああ、あああああああああああああああああああ」
動けないだのなんだの言っている場合ではなかった。私はがむしゃらに手足を動かす。すると拘束が解けた。視界から■が消える。それと同時に、私は駆け出した。この場にはいられない。こんな所にはもう一秒だっていられない。
一目散に出口へ向かう。その途中で何かに足を取られた。
どうやら名無しの上着を踏んで滑ったらしい。舌打ちしようとしたところで思い直し、私は上着を拾い上げる。そして短くない距離を走り、半ば体当たりする勢いで出口に張り付いた。
火事場の馬鹿力という奴だろう。重い扉を難なく開ける。
私はそのまま廃病院の中を駆けた。明かりがないせいで何度か壁にぶつかるが、足は止められない。霊安室から階段までの道順を必死で思い出しながら、私は廃墟の中を走った。
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