業務記録 記録者:酒呑あとら

 現場に到着した伊織イオリ筍介シュンスケは、その場で盛大に嘔吐した。


「今回は別に吐くほどグロくねぇだろ」

「いや……脳が缶詰にされてんですよ!? 普通にめっちゃホラーじゃないッスか! それにこっちの死体……割れた頭から見える……なんスかこのスポンジみたいなの……。これが、なんか、めちゃくちゃ気持ちわる―――」


 二度目の嘔吐。胃液の酸っぱい臭いが辺りに充満する。

 志渡シド郁彦フミヒコは能面じみた無表情のまま煙草に火を着けると、深く紫煙を吸い込んだ。えた悪臭に辟易していた肺と嗅覚が甘く痺れる。その感覚をたっぷりと堪能してから、郁彦は改めて目の前の光景を観察した。


 倒れた三十一人の遺体。


 その脳味噌は取り出されて缶詰にされている。そして遺体の方は頭蓋が割れ、中から黒い茸のようなものが生えていた。

 実にホラーである。

 郁彦は眉一つ動かさないまま吸いかけの煙草を床に落とすと、革靴の爪先でもみ消した。そして懐からスキットルを取り出し、中のウォッカを一気に呷る。


「既に化け物はぶっ殺された後だ。まともな仏さんじゃねぇからな、全部俺達『公安零課』が始末をつけなきゃならねぇ。毎回吐いてちゃ身が持たねぇぞ」

「……俺、絶対、異動願だします」

「好きにしろ。受理されるか、最低でも死ぬまではきっちり働いて貰うがな。ほら、働け働け。まずはここの電気系統を調べるぞ」

「ういっす……」


 胃液と共に溜息を飲み下して、筍介は立ち上がった。


 * * *


 事件を解決した後、酒呑あとらは事務所に戻っていた。


 ソファーに腰掛け、盃に注いだ酒を呷る。

 桜の木の枝は青々と茂り、偽物の夜空に映えていた。景色を楽しみつつ、酒に舌鼓を打つ。まさに至福の一時である。


「そういえば、今回の依頼には色々と奇妙なことがありはったねぇ」


 盃を傾けながら独り、しみじみと呟く。

 ミ=ゴは高い科学技術を持ち、生き物の脳を抜き取り保存する力を持つ。これは事実だ。しかしあの場には、明らかに怪異とは異なる外部の人間の手が加えられていた。

 用意された機材の一部。そして霊安室に増設された冷房と、そこに供給されていた電力。規模を考えるなら、個人ではなく組織の仕業と考えるべきだろう。

 そもそも――馴染みのない者には分からないかもしれないが、あの広い施設は


 そして――植物状態であった梶幸雄の目を開かせ、怪異へと変えた何者か。


「ふふ、愉快愉快。現世は楽しいことで溢れとるわ」


 くつくつと、クモが嗤う。


 今の酒呑あとらは珍しく上機嫌だった。労働の後ということもあって、実に酒が美味い。

 名無しにも一緒に酒を楽しまないかと声を掛けたが、未成年であることを理由に逃げられた。今は仮眠室で寝ている。一時的に依頼人に貸し与えていたが、あそこは元々、彼が寝起きしている部屋だ。


「あの子には自分に関する記憶はあらへん筈なんやけどなぁ。変なことだけ覚えとるんやから、もう。詰まらんなぁ。もっと叔父の郁彦君を見習やぁええのに。……まあ、ええわ。今日のところは、これがあるさかいねぇ。ふふふふふ……」


 怪しく笑うクモ。それは人食いの笑みだ。


 酒呑の足元には、缶詰が一つ落ちている。


 ネームプレートに名前は無い。だがそれこそが、ソレが誰の■であるかを如実に表している。

 八月九日の深夜――あの日、廃病院で立花雪緒を拾ったのはただの


 本命はこちらだ。


 酒呑は缶詰の蓋を開けると、中の■を取り出した。

 ソレに愛おし気に口付けをして、食む。褪せたピンク色の■が徐々に体積を減らしていく。そして――遂にその■は、人知れずこの世から完全に消え去った。




 雪女 Mi-go 了

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酒呑あとらの怪異事件簿 瑞雨ねるね @unknown996

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