第十四話 酒吞霊能探偵事務所 1

 しゃりしゃりとカキ氷に舌鼓を打つシュテンが、不意にこちらへ水を向ける。


「―――それ、で? さっきは随分とうなされてはったみたいやけど、どないな夢見てはったん?」

「うわ、やめて下さいよ折角忘れてたのに。思い出しちゃうじゃないですか」


 思わず身震いする。


 しかし言葉とは裏腹に、具体的な内容は全く思い出せなかった。パブロフの犬みたいに身体が勝手に反応している状態で、実際に記憶に残っているのは漠然とした恐怖心だけである。これでは答えようにも答えようがない。

 もっとも、仮に覚えていたとして、こいつを喜ばせるために悪夢を語り聞かせるなんて死んでもごめんだが。


 ……そんなこちらの心情を理解しているのだろう。

 シュテンは鼠を見付けた猫みたいに目を細めて、ニヤニヤと笑う。


「あら、まあ。そないなこと言われると余計に気になるわぁ。こうしている今もボクの耳に残っとるからねぇ、君の悲鳴が。それにあの寝顔。脳味噌をくり抜かれたハムスターみたいな顔で……あーぁ、思い出しただけでにやけてまうわ。しばらくは酒の肴に困らへんわぁ」


 なんて、悪趣味全開なことを宣う雇用主。

 いつかハラスメントで訴えてやりたいぜ。


 こいつは霊能探偵の所長なんてしているだけあって、ホラーとかサスペンスとかが大好きな生き物だ。

 しかし奴は根っからの出不精、ものぐさの面倒くさがり、キング・オブ・引きこもりである。そんな訳で、娯楽に飢えたシュテンが食指を伸ばした場合、その矛先は大抵僕に向くことになる。何故なら僕もまた、出不精の引きこもりだからです。

 いやだって、用事もないのに外に出たっていいことないし。

 それに僕の場合、仕事熱心な警察官=サンに職務質問されたらその時点で一発アウトだからね! 二十世紀末の日本はまだまだ社会的弱者に厳しいのです!


「……ほんと趣味悪いですよね、シュテン所長は。そもそもなんなんですかその例え。見たことあるんですか?」

「うぅーん……言っておいてなんやけど、別にハムスターがどうかは知らへんねぇ。でもまぁ、人間ならぎょーぅさん見たよ。こう、脳髄を肴にして、髑髏しゃれこうべに酒を注いでね、乾杯するんよ。懐かしいわぁ」


 当時を思い出しているのか、シュテンは妖しく舌舐めずりする。

 色素の薄い唇の表面を小さな舌が這う様は、酷く艶やかに眼に映った。


 というか髑髏ドクロの盃で乾杯ってそれ、確か織田オダ信長ノブナガの逸話じゃなかったっけ? まあいいや。


 ―――さて、ここで改めて紹介しよう。


 我等が雇用主、酒呑霊能探偵事務所所長――酒呑あとら。


 またの名を酒呑童子。


 其は日本三大妖怪の一角として悪名高い、大江山の大首領。

 泣く子も黙る大妖怪。京の都を地獄に変えた悪鬼羅刹の化身。しかしその手の物語の常として、最後にはミナモトノ頼光ヨリミツとその愉快な仲間達によって退治されたと言い伝えられている――正真正銘、本物の鬼だ。

 ……余談だが。一説によれば、あの八岐大蛇の子供であるとか。

 あとはこじつけ臭いけど、『酒呑』は『捨て』が転じたものであり、その正体は何万何億という捨てられた赤子達の怨念が妖に化生したものだって説もあるらしい。


 まあ兎に角――そんな大物が、何故こんな所で霊能探偵なんてやっているのか?


 答えは謎である。

 いやはや、世の中には不思議なことがあるものだなぁ。


「ま、昔の話はええわ。そないなことより、少しは実りある話をしよか。そろそろ仕事の方にも手を付けなあかん頃やし、それにお腹も空きはったしねぇ」

「仕事? なんかありましたっけ?」


 首を傾げ、懐に手を入れる。

 愛用のメモ帳を取り出してページをめくると――あった。見知らぬ文字列。しかしどう見ても僕が書いた字だコレ。

 日付は八月九日。タチバナ・ユキオさんの依頼を受領、とある。


 まいったな、全く覚えがない。

 というか、八月九日って今日じゃなかったっけ?


 更なる疑問が湧いてしまった。しかし驚きは少ない。もうこういうのには慣れっこなのだ。僕は淀みない動作で携帯電話を取り出し、電源を入れる。表示された日付は八月十一日だった。

 昨日は八日だった筈。なのに今日は十一日らしい。不思議だね。


「また記憶が飛んどるんやろ?」

「正解です。なんか仕事してたのは間違いないっぽいんですけど……」

「君は優秀で頑張り屋やからねぇ。そういうこともあるやろ。気にせんでもええよ」


 しゃりしゃり。

 適当なことを言いつつ、シュテンはカキ氷を頬張る。既に大部分が胃の腑に消えていて、残っているのは僅かな氷の残りかすと碧いシロップのみだ。

 シュテンは腰に提げた瑠璃細工の瓢箪を持ち上げ、栓を抜く。

 ガラス製の容器に酒が注がれた。シロップと酒精が混ざり、独特の臭いを発する。

 両手でそっと器を持ち上げて口を付けると、上品に、けれど豪快に中身を呷った。喉を鳴らし、甘い汁を嚥下えんげする。その表情はまさに至福といった様子だ。


「ぷはぁ、ごちそうさまでした。―――……さて。いつも君や鳴子ナルコ君に任せっぱなしっちゅうのも座りが悪いし、偶にはボクも一肌脱いだるとしまひょか」


 口元を拭い、シュテンがにやりと笑う。三日月みたいな、綺麗だけど不気味な笑みだ。


「……あの。それってどういうことです? というか、なにをする気です?」


 どうしてかな、なんか嫌な予感がする。


 しかし僕自身に何か害がある、のかといえばそういう訳じゃない。

 たとえるなら、蜘蛛の巣に引っかかった蝶を見てしまったみたいな、ばつの悪い気持ちだ。「悲しいけどこれから蜘蛛さんに食べられちゃう運命なのね!」みたいな感じの。でもそれこそが自然なのだから仕方ない。世界って残酷だよね!

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