第八話 悪夢/現実(?) 2
「……分かりました。ですが絶対に僕の言うことには従っていただきます。何があっても落ち着いて冷静に行動してください。それでも、本当にどうしようもない時は――僕を囮にしてでも迷わず逃げてくださって結構ですので」
ほんの少しだけ冗談めかせて悪戯っぽく笑い、名無しは告げた。しかしその言葉に乗せられた感情は
私は首肯する。
額に張られた札を剥がして、スカートのポケットに入れておく。先程よりも頭痛が増すが、背に腹は代えられない。今の状況で視界を塞ぐのは自殺行為なのだと、私も弁えている。
私と名無しは、雪男と、奴に先導される集団に紛れて道路を歩く。
思いのほか月が明るい。石や出っ張りに
それでも一応、と名無しは私に懐中電灯を渡してくれた。用意の良さに感心する。私達は互いに一本ずつ懐中電灯を持ち、スイッチは点けないまま月明りを頼りに歩いた。
この辺りは
これから悪夢の通りに事が運ぶのであれば、あの廃病院に向かうはず。
「……なにしてるんですか?」
「ビデオカメラで動画を撮ってます。どうやらあの怪異――雪男は映らないようですね」
名無しが掲げているビデオカメラの画面を、横から覗き込んでみる。
確かに、画面に映っているのは人間だけで雪男だけが綺麗に消失している。まるで手品みたいだ。いや、この場合は狐につままれた、といった方が正しいのかもしれない。
「どうして雪男はカメラに映らないんですか? やっぱり妖怪だからとか?」
「いえ、怪異である以上は必ず実態がある筈です。ビデオカメラ――というよりは電子機器かな――に映らないのはまた別のカラクリがあるんだと思いますよ。まあこればっかりは、詳しいことは専門家に聞いてみないことにはなんとも」
私が
……確か、彼は昼間に「所長は鬼だ」とかなんとか言っていたような気がする。その時は冗談か
雪男が実在するのだ、鬼が現実にいてもおどろ……きはするが、不思議ではない気もする。しかしそんな化け物が探偵事務所の所長とは、一体どういうことなのか。疑問は尽きない。だが、そんなことを訊いている場合でもないだろう。
今は見知らぬ鬼よりも、目の前の雪男をどうするか考えるべきだ。
……そういえば。
こうして落ち着いて雪男の姿を見るのは初めてかもしれない。
改めて雪男の姿を観察する。
体長は二メートルくらい。男性的なずんぐりとした逆三角形の体型で、しかしその一方で不思議と筋肉質であるようには見えない。むしろ着ぐるみの類に見えるのは相手が妖だという先入観のせいか。
体毛は淡いピンク色で、腕の先端は
何故か背中には
一番目を引くのは頭だ。
ぐるぐると渦を巻いた黒い巻貝のようなモノが首から生えている。アレが頭なのだと思しいが、どのようにして外界を知覚しているのかはてんで想像がつかない。虫の触角を思わせる器官が等間隔で外縁の辺りに生えているから、ソレで探っているのだろうか。
いや、相手は妖怪だ。人類の常識が当てはまる生き物でもないだろう。私は雪男に関する考察を切り上げた。
代わりに、周囲を取り巻く連中に視線を移す。
彼等の表情も足取りも、まるで夢遊病患者のように覚束ない。
「あの、名無し……さん。この人達はなんなんでしょう」
「恐らく、タチバナさんと同じ怪異の被害者です」
名無しと名乗る青年は、痛ましそうに眉を下げる。
「怪異へと変化した妖は、自らの領域に獲物を引きずり込んで取り殺します。獲物を定める基準――というか執着――は個体によって様々ですが、どんな怪異も最終的には近くの人間を手当たり次第に呼び寄せて殺すようになりますから。今回の事件も、きっとそういうケースなんだと思います」
名無しが推測を述べる。
場慣れしていそうな彼が言うのだ、きっと正しいのだと思う。しかしその一方で、何故か私はその推測は間違っているのだと確信していた。
もう一度、周囲の顔触れを
理解すると同時に、昼間に聞いた言葉が脳裏に浮かぶ。
―――失礼ながら、誰かの恨みを買ったことはありますか?
心臓が早鐘を打つ。全身から多量の汗が
引き返したい衝動に駆られる。
しかし、私のプライドが、ここで尻尾を巻いて逃げることを許さなかった。
私達は見慣れた道を歩いて。そして―――
―――遂に、あの廃病院に辿り着いてしまった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます