8話 タピオカ
動画を編集している最中。
「そういえば山本さん、今日も床で寝るつもりなの?」
風呂上がりの濡れた髪のまま、ベッドに腰掛けケータイを触っていた絵舞は、脈略もなくそんな当たり前の質問を投げてきた。
「そりゃまあ、それ以外に寝る場所ないしな」
「身体痛くなったりしないの?」
「別に平気だぞ。絨毯も敷かれてることだし」
「でも絨毯だけじゃ、いつか身体痛めちゃうよ?」
そう言うと絵舞は、ベッドの端へと座り直した。
そして小首を傾げながら、すぐ隣をポンポンと数回叩く。
「何なら一緒のベッドで寝る?」
「アホか……んなことできるわけないだろ」
「私、山本さんなら別にいいけど」
「お前が良くても俺がダメなんだよ……」
呆れて言えば、絵舞は「照れちゃってー」なんて、戯けたように笑っていた。この間のパンツの時といい、どうしてこの子はこうもガードが緩いんだ。
「とにかく俺は床で寝る。毛布だけ一枚恵んでくれ」
「んー、山本さんがそれでいいならいいんだけど」
絵舞がベッドから立ち上がったの見て、俺は途中だった編集作業に戻った。カットが済んだ素材に、いつもの要領でテロップを入れていると。
「あっ、いいこと思いついた!」
クローゼットを漁っていた絵舞は、すぐ後ろで何かを閃いていた。
俺はあくまでPCの画面を見ながら、先手を取って言う。
「言っとくがお前とは寝ないからな」
「そうじゃなくて」
否定的な返しに、少しの疑いを持って振り返れば。
毛布を抱き抱えた絵舞は、にぱっと緩い笑みを浮かべた。
「明日休みだから一緒に布団買いに行こうよ!」
「一緒に布団を買いに行くだぁ?」
「うん!」
何を言い出すかと思えば。
俺たちが一緒に出かけるだって?
「いやいや、それはまずいだろうよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
そんな純粋な瞳でまじまじと見られても。
出来れば俺に訊く前に、察して欲しいのだが。
「山本さん、私と買い物行くのやだ?」
「嫌とかじゃないが、普通に考えて……なぁ」
小汚いおっさんと女子高生が並んで歩いててみろ。
間違いなく周辺の人間に援交か何かと勘違いされるぞ。
「髪もボサボサだし、ついでに切りに行こうよ」
「そりゃあまあ、いつかは切りたいけどさ」
「日用品だって何も無いでしょ? 服も新しいの買わないとだし」
「服は別にこれでも……よくはないか」
「でしょ? だから明日私と一緒に買いに行こう?」
「んん……」
確かに生活していく上で、このボサボサの髪はなんとかしたいし、揃えたいものもあるが。だからといって、絵舞と一緒に買い物に行くのは、いまいち気が乗らない。
寝床こそまともになったものの、俺の見た目は、未だに橋の下に住んでたあの頃のまま。こんな状態で人前に出れば、いらん注目を浴びるのは目に見えてる。
「明日って土曜だろ。そういう場所は人が多いんじゃねぇの」
「大丈夫大丈夫。八幡のモールならあんまり人いないから」
絵舞はよいしょと毛布を床に下ろし、続ける。
「それに山本さん、言うほど見た目変じゃないよ」
「なんだよ、気づいてたのかよ」
「まーね。山本さんのことだから、また余計な気を遣ってるんだろうなって」
「余計って……」
得意げな顔で、随分とど直球にモノを言ってくれる。
まあその通り、今回も余計な気ばかり張っているのだけど。
「いらん注目されても知らんからな」
「そんなわざわざ見る人なんかいないよ」
でもまあ。
そこまで察してくれているのなら断る理由もない。
生活必需品を買いに出かけたいのは事実だからな。
「あまり人がいないなら、まあ、行くか」
「やった! それじゃ明日の予定は二人で一緒にお買い物ね!」
俺が頷くと、絵舞はぴょんと飛び跳ね、わかりやすく表情を綻ばせた。
たかが買い物に行くだけで、どうしてここまで喜べるのか。
絵舞ぐらいの歳なら、大人との買い物は嫌いそうなものだが。
「それじゃ明日は9時に出発ね!」
「楽しみなのはいいが、いい加減髪乾かさないと風邪ひくぞ」
「あっ、忘れてた!」
指摘すると、ステップを踏みながら洗面所に向かった絵舞。
その無邪気な後ろ姿は、素直さで溢れていて妙に微笑ましい。
「本当、変わった子だな」
消え行く背中を見送って、俺は再度編集に戻った。
* * *
「髪、結構短くしたんだね」
「ああ、これから頻繁に切らなくてもいいようにな」
ショッピングモールに着いてすぐ。
俺はまず、施設内にあった千円カットで髪を切った。
あれだけの毛量だったので、まあまあの時間が掛かってしまったが、おかげで不潔さは半減したため、先ほどよりかは絵舞の隣を歩きやすくなった気がする。
「そういえば、髭は剃ってもらえないんだね」
「まあ千円カットだしな。髪切れるだけでも上々だろ」
それに俺は元々髭が薄い方なので、長い間剃らなくてもボーボーになることはまずない。だがその分髪の毛量が多いから、自分で切っていた頃は本当に苦労していた。
「どうせなら電気屋さんで髭剃りも買って帰る?」
「いやいいよ。髭ならコンビニの適当なのでも剃れるし」
「でもそれだと毎朝剃るの大変なんじゃない?」
「そりゃあ、電動よりかは大変だろうけど」
そんな毎日剃るわけでもないだろうし。
俺的にはコンビニの髭剃りで十分なのだが。
「ちょうどあそこにオジマ電気あるし、いい髭剃り探しに行こ」
「探しにって、布団は?」
「布団はそのあとー」
そう言うと絵舞は、スタスタと足早に行ってしまった。
危うく見失いそうになり、俺は急いでその後を追う。
「山本さん早くー」
「あんまり急ぐと危ないぞ」
「大丈夫だよー」
人の波を縫うようにして進み。
やがて絵舞はひょいひょいと、店先で俺を手招きする。
買い物に来てテンションが上がってるのだろうか。
俺の視界に居る彼女の姿は、まるで小さな子供のように無邪気だった。
「世間知らずのおっさんを置いてくなよ」
「すぐそこだったしいいじゃん。それより早く髭剃り探そっ」
やれやれとため息を吐いているその隙に。
絵舞は早速髭剃りを探して電気屋の中へ。
俺も遅れてその後を追った。
そこで俺たちは、値引きされていた5千円ほどの電動髭剃りを購入し。続いて当初の目的であった布団を探しに、大手家具店へと向かった。
そこでこれまた値引きされていた布団を購入して、宅配サービスで今日の17時に届くように注文。その隣にあったフニクロで、部屋着や外出着を一式新調した。
一通り施設内を回り終えたところで、休憩がてらにカフェに入った。まだ二時間ほどしか歩いていないはずだが、久しぶりの外出のせいか、随分と疲れた感じがした。
「私はタピオカ抹茶ラテにしよ。山本さん何にする?」
「え、えーっと……じゃあ俺も同じので」
「おっけい。そしたら私が買うから、山本さん先に座って待ってて」
言われるがまま、俺は列から外れ客席の方に向かう。
唐突に訊かれたからつい適当に答えてしまったが。
……俺は今、一体何を注文した?
「はいこれ」
「お、おう。サンキュ」
数分後。
やって来た絵舞に渡されたのは、どうやら飲み物のようだった。
だがあいにくと、俺はこの飲み物を知らない。
抹茶味のラテというのは何となくわかるが、それにしてもこのふよふよと浮いている謎の黒い粒は何だ? 一瞬黒豆かと思ったが、そんなはずもないだろうし。
「これ、本当に飲み物か?」
「え、もしかして山本さんタピオカ知らないの⁉︎」
「た、タピオカ……?」
ぽかんとして首を傾げると。
絵舞は得意げに、ストローでぐるぐると中身をかき混ぜて見せた。
「こうやって混ぜて飲むんだよ」
「なるほど、だからこんだけストローが太いのか」
こういった飲み物は初めてなので、実に興味深い。
一昔前はカフェといえば、ブレンドコーヒー一択だったのだが、どうやら時代というものは、知らぬ間にどんどん進んでしまうらしいな。
「そういえば、荷物全部持ってもらっちゃってごめんね」
「いやいいよ。そもそもこれ全部俺のためにって買ってくれたやつだし」
そんな話をしながら、絵舞は謎の飲み物を一口。
何か言うのかと眺めていたが、彼女の表情はピクリとも動かない。
「どうしたの? 飲まないの?」
「ああいや、今飲もうと思ってた」
もしやあまり美味しくなかったのだろうか。
言われて俺も一口飲めば、口の中が何とも言えない情報で溢れる。
抹茶味のラテと一緒に口に入った黒い粒。
おそらくこれがタピオカ? だと思うのだが。
何と言うか。
まるで味のしないグミのようだった。
今時の若者はこんなよくわからないものを好んで飲んでいるのか。
あいにくとおじさんの舌には、理解できない味だった。
「タピオカって、何だか凄く微妙だよね」
「えっ」
絵舞から出た耳を疑う一言に、俺は飲む手を止める。
見れば絵舞の飲み物は、先ほどから全然減っていない。
「好きで買ったんじゃないのかよ」
「ううん。最近学校でも流行ってるみたいだからさ、一度飲んでみたかっただけ」
そう言うと絵舞は、どこか遠い目をした。
そして、まるで見えない何かに語りかけるように。
「ほんと、全然わかんないや」
諦めたような笑みで、独りぼやいた。
「これの何が良いんだろうね」
「んなこと俺に訊かれてもな」
「山本さんはどう? タピオカおいし?」
「んん、何と言うか。時代の流れを感じる一品だなこれは」
「ええ、何それ。どんなコメントだし」
答えれば、ケタケタと年相応に笑う。
その笑顔の背景には、先ほどまでの違和感はもう無い。
「でもさ、美味しくはないよねタピオカ」
「お前……店員がいる前で正直過ぎんだろ」
「大丈夫大丈夫。どうせ訊こえてないから」
絵舞はそう言って、試すような顔でもう一口。
だがやはり、飲んだ後の表情はパッとしなかった。
「それに多分、大体の人はそう思ってるんじゃないかな」
「タピオカがまず……あんまり美味しくないってか?」
「そうそう」
「でもそれだと学校で流行ることもないだろうよ」
「まあ、それもそうかもだけど」
すると絵舞は、意味もなく中身をストローでかき混ぜる。
「きっとみんな美味しさよりも、流行を作りたいだけなんだよ」
「流行を作る?」
「うん。流行する何かを作り上げて、それを誰かと共有して、他の人との繋がりを壊さないようにーって、みんな自分の居場所を必死に守ろうとしてる」
真剣な声音で、絵舞は続ける。
「タピオカって名前も可愛いし、イ◯スタ映えもするから、今の若い人たちからしたら、流行にしやすかったんじゃないかなって思うよ」
「そういうもんかね」
「そういうもんだよ」
すすーっと、絵舞の口の中に吸い込まれていくタピオカを目で追う。どこか冷めたようにも思える彼女の言葉には、なぜだか強い現実味を感じてしまった。
それは現役の女子高生の言葉だからか。
それとも全く別の理由からの感覚か。
何にせよ、世間の在り方を一歩身を引いて見ているかのような彼女の姿勢には、少しばかり違和感を感じてしまうのは確かだった。
この子には、流行を素直に受け止められない理由があるのか。
だとすればそれを話題に出さないのは、俺がまだ信用に値しない人間だからか。もしくはこの子が昔の俺に似て、全てを抱え込んでしまうタイプだからか。
「これ飲み終わったら帰ろっか」
それに先ほど見せたあの諦めたような笑みの正体は。
俺みたいな一度地に落ちたおっさんならまだしも、未来ある女子高生が何の理由も無しにあんな顔をするとは思えない。
「山本さん?」
「ああ、すまん。ちょっと待ってくれ、今飲み干すから」
慌ててストローに口を付ける。
絵舞には「急がなくていいよ」と言われたが、連れが飲み終わっている手前、俺のせいで長々と待たせるわけにもいかない。
ずずっと、一気に容器の中を空にする。
その際残っていたタピオカを一気にまとめて味わったが。
「やっぱりこれ、微妙かもな」
「だから言ったじゃん」
やはりその感想は味のしないグミ。
これしかピンと来る例えが思いつかなかった。
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