3話 YouTuber
ようやく下半身に安心感を覚え洗面所を出る。
すると台所には、夕飯の支度を進める絵舞の姿があった。ドライヤーを借りた礼も含めて、一度は声を掛けようと思ったのだが。
「ん」
とある違和感を前に、俺は咄嗟に口を噤んだ。というのも絵舞のすぐ側には、何用かもわからない、一台のビデオカメラが設置されていたのだ。
「何やってんだ、あいつ」
見たところ何かの撮影をしているようだが、それにしても絵舞の服の防御力が心なしか低い気もする。まだ暑いとは言え、寝る時そんな薄着だとお腹冷やすぞ?
「あ、山本さん。パンツ乾いた?」
「お、おう、何とかな」
「そっか。なら良かった」
気配を察したのか、絵舞は包丁を動かす手を止めてこちらを見た。別に悪いことをしていたわけではないが、こうも急に振り向かれるとドキッとする。
「夕飯、もう少しで出来るから待っててね」
そう言っては再び包丁を走らせる。設置されたカメラの訳を訊こうかとも思ったが、あいにくと俺が話しかけていいような雰囲気でもなかった。
一度スルーし、カーペットが敷かれた居間に座る。
そしてしばらく絵舞の料理風景を側から眺めていたが、何をしているのかは全く見当もつかず。逆に見れば見るほど、違和感になる部分が増してく一方だった。
ホームビデオか何かだろうか。
だとするなら度々見せる、その胸を強調するようなポーズは一体なんだ? そもそもなぜ料理している最中に胸を寄せる必要がある?
「てか、思ったよりあるんだな」
「ん、何か言った?」
「ああいや。何でもない。ただの独り言だ」
ついうっかり出たたわ言を聞かれ、俺は慌ててそれを誤魔化す。とはいえ絵舞のアレが想像以上に大きかったというのは、紛れもない事実であるが。
元々歳の割には発育がいいとは思っていたが、まさかあれほどとは。それに加えて性格も顔も良いから、学校ではさぞ男子にモテるんだろうな。
「ねぇ山本さん」
「んー」
「いつまで私の胸見てるつもり?」
「……はっ⁉︎」
ぼーっとしていたはずの意識が、その一言で一気に覚醒する。慌てて視点を正せば、視界の真ん中には細い目で俺を睨む絵舞が。
「見られてると集中できないんだけど」
「い、いや、別にお前の胸を見てたわけじゃ」
「その割には随分と熱い視線でこっち見てたよね」
この顔、この言い方からして……。
これはもしかしなくても怒ってる。
考え事をしていてついうっかりとはいえ、俺みたいなおっさんが、女子高生の胸をまじまじと見つめるのは流石にまずかった。
「絵舞、これは……」
どう弁解したらいいものか。
少ない脳みそを必死にフル回転させていると。
「ぷっ」
「えっ」
俺を睨んでいたはずの絵舞が唐突に破顔した。
そして大げさに手でアピールしては。
「冗談冗談!」
「じょ、冗談……?」
ケタケタと笑い、戯けたようにそう言った。
これには強張っていた肩の力が一気に抜ける。
「別に胸を見られたくらいで怒らないよー」
「そ、そうなのか……?」
「そうそう。男子なら自然と見ちゃうものだろうし」
俺はてっきりマジギレされているのかと思っていたが、それを言えるあたり、普段からそういう視線に晒されることがあるのだろうか。
「今晩御飯出来るから、もうちょっと待っててね」
何にせよ、本当に冗談のようでよかった。もしこれが原因で絵舞との関係が終わってしまえば、俺は間違いなく自分で自分をど突いていたからな。
「山本さんご飯大盛りにする?」
それにしてもこの子は、どれだけ寛大な心を持っているのか。おっさんに胸を見られて冗談で許せるとか、そんなJKが他にいるのか? いないだろ普通。
「山本さん?」
「あ、ああいや、普通盛りで頼む」
「はーい」
とにかく今日は出来るだけ早くお暇しよう。
邪な考えなどは一切無いが、やはり俺みたいなおっさんが、女子高生と同じ部屋にいつまでも居るべきではない。
ましてや一緒に住むなど以ての外だ。
「あ、俺も何か手伝うぞ」
「いいのいいの。山本さんは座ってて」
あれこれ考え込んでいるうちに、絵舞の手によって着々と夕飯の用意が進められていた。俺も何か手伝うべく立ち上がったが、あいにくと入る隙はなく。あっという間にテーブルの上は、美味しそうな料理たちで埋め尽くされる。
並んだのはホカホカのご飯に白菜の味噌汁。そしてもう一品はナスの肉味噌炒めだろうか。高校生でこれだけの料理ができるなんて、随分としっかりしてる。
「それじゃ食べよっか」
「お、おう」
この頃には絵舞も上着を羽織っていた。
彼女とはテーブル越しに向かい合って座る。
「いただきまーす」
「い、いただきます」
その声に釣られて、俺も慌てて手を合わせた。
そして一度は箸を手にしたのだが……どうも食べる気力が起きず、俺は箸を動かすことのないまま、目の前の料理たちをただ見据えていた。
「どうしたの? お腹空いてない?」
「ああいや、そういうわけじゃないんだが」
この妙な感覚を何と表現すればいいのか。
首を傾げる絵舞に、俺は頭を掻きながら言う。
「あまりにも豪華過ぎてな」
「そう? 別に普通だと思うけど」
きっとこれはホームレスと一般人の価値観の相違。
絵舞からしたら普通の食事でも、俺からすればこの料理はご馳走中のご馳走。これほど手の込んだ食事を前にするのは、覚えてる限りでも数年ぶりだった。
ホームレスになってからの食事は、コンビニで廃棄された弁当を貰うか、数週に一度の炊き出しに行くのが主で、誰かに手作りして貰うことはぼぼ無かった。
だからだろうか。
俺は今、確かな申し訳なさを感じてしまっていた。
「おかわりもたくさんあるから、遠慮せずに言ってね」
そんな俺の心を見透かすように、絵舞は朗らかな顔でそう言った。夕飯に釣られて来た身で何だが、本当に俺なんかがこれを頂いてしまっていいのだろうか。
「後で金とか取らないよな」
「取るわけないじゃん! 私を何だと思ってるの?」
冗談で言うと、絵舞は呆れ顔でため息を吐いた。
「お金も取らないし、毒も入れてません」
「いや……流石にそこまでは疑ってないが」
「ならつべこべ言わず食べる!」
「はい、すみません」
少し自己嫌悪が過ぎたか。
この歳で女子高生に怒られてしまった。
早く食べろとその険しい表情が語っている。
「それじゃいただきます」
「はい、召し上がれ」
観念して、俺は恐る恐るナスの炒め物に箸を伸ばした。小刻みに震える箸で、細めに切られたナスを何とか掴み、それを一口で口の中に頬張った。
「……ん、美味いっ!」
「ほんと⁉︎ よかった!」
飢えていた舌が、瞬く間に旨味の波に飲み込まれる。
この幸せ過ぎる感覚には、思わず遠慮を忘れ笑みが溢れた。
「こんな美味い料理初めて食ったぞ!」
「そんな、大げさだよー」
まるで雷にでも打たれたかのような衝撃が全身を巡る。
噛めば噛むほど滲み出てくるナス本来の旨味に、甘辛く味付けされた挽肉入りの餡。その双方が絶妙にマッチして、これにはもう白米をかき込む手が止まらない。
「ん、この白菜の味噌汁もめっちゃ美味いな」
「でしょ? 出汁もちゃんと取ってるからね!」
良い出汁でも使っているのだろうか。
当然だが、たまに飲むインスタントとは物のレベルが違う。
「凄いなお前、こんなのどこで習ったんだよ」
「えへへ〜、凄いでしょ〜」
褒めれば褒めるほど、絵舞の顔がだらしなく緩む。が、冗談抜きで彼女の作った料理は絶品で、衰えていたはずの俺の味覚をこれでもかと刺激した。
「喜んでもらえたようで何よりです」
見た目も可愛くて性格もいい、その上家庭的で料理まで出来てしまうなんて。いったいこの子は、どれだけ完璧なら気が済むんだ。
この様子なら、普段からコンビニなどに頼らず自炊しているのだろうな。でなければあんなに手際良く、これほど美味い料理を作れるはずがない。
「あ、そういえば」
「うん?」
一通り手をつけたところで、俺は一度箸を置いた。
そしてずっと視界に入っていたビデオカメラを指差す。
「あれって本物のビデオカメラだよな」
「ああ、うん。最近買ったばかりなんだー」
料理は美味い。作っている時の手際もよかった。だがあの異質な料理風景にだけは、どうしても疑問を感じざるを得なかった。
「料理中、何か撮影してたっぽいが」
「ああー」
「随分とカメラ意識してたよな、お前」
料理風景をカメラに収めるだけならまだわかる。が、それにしても絵舞はカメラを意識し過ぎな上、料理には全く関係ないはずの胸やお尻まで強調していた。
「ホームビデオか何かか?」
「うーん。それとはまた少し違うんだけど」
曖昧に答えるからして、あまり訊かれたくない質問だったのだろうか。何にせよ、この謎を解明しなければ、絵舞の胸をまじまじと見つめて疑われた意味がない。
急かしたくなる気持ちをぐっと堪え、俺は黙って答えが来るのを待った。するとようやく踏ん切りがついたのか、絵舞の険しかった表情が一気に綻む。
「まっ、山本さんにならいっか」
何かに吹っ切れたかのようにそう呟いた絵舞。テーブルに置かれていたケータイを手に取ると、凄い速さで指を動かし、開いた画面を俺に見せる。
「ん、何だこれ」
「何って、YouTubeだけど、知らない?」
「ゆ、ゆーちゅーぶ?」
「うん」
折り返せば、意外そうな顔で絵舞は頷いた。が、あいにくとホームレスの俺には、『ゆーちゅーぶ?』たるものの詳細がいまいちよくわかっていない。
「単語自体は聞いたことある気もするが、どういうものかまでは」
「そっか。なら知られても何の問題も無さそうだね」
安心したように言うと、絵舞は画面を更にタップする。
すると若干のロードとCMを挟み、とある動画が流れ始めた。
観たところ、これは料理動画のよう。
だが、明らかに普通の料理動画とは違う。
「何だよこれ」
「いいから観て」
言われるがまま視聴してはいるが、正直どんな反応をしていいものか。顔が映らないアングルで、スタイルの良い女性が料理をしているところはまだいい。
だがなぜか女性の服の防御力はほぼ皆無で、谷間が見えてしまっていたりだとか、事あるごとに胸やお尻を強調したりだとか、それはもうエロかった。
一体この人は、料理中に何をしているというのか。
一応具材などの説明をテロップで入れているようだが、こんな色気MAXの女性が画面内に居れば、視聴者はそれどころじゃなく彼女を見るに決まってる。
「ん、待てよ、この動き……」
そんな異質とも言える動画をしばらく眺めていると、何やら記憶の奥底から、そこはかとない既視感のようなものが、浮上して来るような気がした。
包丁を扱う時の妙にお尻を突き出すこの感じ。具材を混ぜる時の執拗に揺れるこの豊満な胸。そして時折カメラに向ける、訳のわからないがとにかくエロいポーズ。
この一度目にしたことがあるような風景は、もしや……。
「これ私」
「えっ……」
意識の外から耳を弄るような声が響いた。
それに感化されるようにして慌てて画面から視点を外せば、そこには今の動画と同じ、いやそれ以上の迫力を内に秘めた、何とも豊満な二つの果実が。
「実は私、YouTuberなんだよね」
「ゆーちゅーばー……?」
そう告白した彼女は、上着を脱ぎ捨て立ち上がった。
そして困惑一色の俺に向けて、とあるポーズをとる。
「どう? 動画の私と実物の私、どっちが興奮する?」
はち切れんばかりに胸を張り。
薄っすらと下着が浮き出るくらいにお尻を突き出す。
卑猥に溢れたこのどエロいポーズは——。
「お前だったのかっ!!」
こうして俺は、ホームレスを訪ねて来る物好きな女子高生の正体を知った。
その正体とは——動画投稿サイト『YouTube』にて、チャンネル登録者15万人を誇る人気料理系YouTuber——その名も『エルマ』だったのだ。
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