10話 体重

「うわぁっ!!」


 居間でテレビを観ていたところ、突然洗面所の方から奇声が上がった。


 何かと思いそちらを見れば、風呂上がりであろう絵舞が、濡れた髪のままとぼとぼと重い足取りで居間に戻ってくる。


「急に大声出してどうしたんだよ」


「山本さーん……どうしよぉぉ……」


 何やら随分と青ざめたような表情をしていた。

 声も酷く震えているようだし、これはまさか。


「な、何かあったのか」


「もう最悪だよぉぉ」


「最悪って……」


 この口ぶりだと、やはり奴が出たのだろうか。

 だとすれば俺に泣きつかれてもどうしようもないが。


「と、とにかく何か遠距離で戦える物を」


「体重1キロ増えちゃったぁぁぁぁ!!」


 …………はっ?


「お前、今なんて」


「だから体重が1キロ増えちゃったんだよぉぉ」


 予想とは全く違う発言に、身体の力が一気に抜ける。

 Gが出たのかと思えば、体重が増えただあ?


「何だよ、そんなことかよ。驚かせんな」


「そんなことじゃないよ! 1キロだよ1キロ!」


「んなの誤差みたいなもんだろ」


「もう! 山本さんはなーんにもわかってない!」


 そんな露骨に機嫌を損ねられましても。

 おっさんがJKを理解できないのは当たり前だろう。


「せっかく気をつけてたのに台無しだよぉぉ」


「んなこと言うけど、見た目じゃ何もわからんぞ」


「見た目じゃわからなくても、実際には1キロ増えてるの!」


 ぶつぶつ言いながら、お腹周りを入念に確認する絵舞。

 どうやらこの様子だと、相当体型に気を遣ってるっぽいな。


「そこまで気にするなら、もう一回体重計乗ってきたらいいだろ」


「10回確認してこれだからショックなんじゃん」


「10回も確認したのかよ……」


 1キロでここまで大ごととは。

 JKってのも随分と大変な生き物なんだな。


「若いうちはふくよかなくらいがちょうどいいんだよ」


「ちょうど良くないよ! あと私はふくよかじゃない!」


「あ、はい」


 ぽろっと出た一言でめっちゃ睨まれた。

 だが実際のところ絵舞は細身で、それでいて女性らしい部分はちゃんと女性らしいので、少しくらい体重が増えても特に問題はないと思うが。

 

「そう言えば、山本さんって凄く細いよね」


「俺か? まあ最近までろくな飯食ってなかったからな」


「体重はどれぐらいなの?」


「さあな。もう長いこと測ってないからどれくらいかは」


 言えば絵舞は思い立ったような顔をして洗面所へ。

 戻ってきた彼女の手には、体重計が抱えられていた。


「測ってみてよ」


「おいおい、いきなりだな」


「だって気になるじゃん」


「気になるったって」


 じーっと、目で圧をかけられる。


「はぁ……はいはい乗りますよ」


 その圧に負け、仕方なく床に置かれた体重計に乗った。

 両足を触れて間も無く、液晶には『54.7』と表記された。


「痩せ過ぎでしょ!」


「いやいや、これでもだいぶマシになった方だぞ」


「だとしても男性で54キロはやばいよ!」


 随分と驚いているようだが、これでも最近は三食しっかり食べたり、深夜に絵舞と一緒にカップ麺を食べたりなど、一般人らしい生活をさせてもらってる。


 腹回りだって、ホームレスの頃と比べたら見違えるほどに肉が付いたし。見た目でもわかるくらいには、一般的な体型に近いたはずなのだが。


「いいなー山本さんは」


「なんだよ」


「食べても全然太らないじゃん」


「好きで痩せてる訳じゃないわ」


 それを言うあたり、絵舞の目に映る俺は、何一つ変わっちゃいないのだろう。


 やはり自分から見た自分と、他人から見た自分は違うのか。体重が増えて大騒ぎするくらいなら、俺がその増えた分の体重をもらってやりたいくらいだよ。


「山本さんって背も高いよね」


「まあ、平均ちょい上ぐらいか」


 感傷に浸っていると。

 急に絵舞は距離を詰めてきた。


「お、おい……いきなりなんだよ」


「いいからじっとしてて」


 そして何を思ったのか、俺の胸にピタリと背中を引っ付ける。まるで身体測定のように背筋をピンと張った彼女の頭のてっぺんが、ちょうど俺の顎に触れた。


「おお、ぴったりだね」


「本当になんだよこれ……」


「山本さん背高いから、ついこうしたくなっちゃって」


「意味がわからん……」


 一体今の行動に何の意味があったのか。

 絵舞は楽しんでいるだけだからいいのだろうが、男の俺からしたらいい迷惑だ。この子は色々と発育がいいので、あまり密着されるのは精神的にもよくない。


「身長は何センチ?」


「最後に測った時は確か、176だったかな」


「じゃあちょうど20センチ差だ!」


 答えれば、なぜか嬉しそうに顔を綻ばせる絵舞。


「歳は12歳差でしょー、身長は20センチ差でー、体重は……」


 指折り数えていたかと思えば、急に顔を真っ赤にする。

 そして慌てて俺に背を向けては。


「さぁ! もう遅いし寝ようかー!」


「なんだよ、体重は比べないのかよ」


「う、うるさい! いいから寝るよ!」


「へいへい」


 必死に話を誤魔化すその背中に、俺は苦笑いした。







 * * *






 久しぶりに外に出ていた。

 絵舞は今、学校に行っていて家にはいない。


 これまでは基本的に絵舞が外出している間は、家の中で過ごすようにしていたのだが。あの部屋に暮らし始めて2週間が過ぎ、流石に編集をしているだけでは退屈を誤魔化せなくなってきていた。


 故に今朝、絵舞に外出していいか訊いたところ。


『全然いいよー。はい、鍵』


 と、二つ返事でOKをもらい。

 気分転換に外を散歩することにした。


 アパートを出てから20ほど経ったか。

 今俺は元々マイホームがあった橋の当たりまで来ていた。


 かれこれ一年ほど住んだこの場所も、今となっては懐かしさを覚えてしまう旧宅。立ち入りを禁止されてる身ではあるが、ちょっとばかり立ち寄っていくか。


「……ん」


 河原に下るための階段に向かうと、とある人物が視界に入った。それはスーツ姿の女性で、妙に情熱的な視線を橋の下の方へと向けていた。


「こんちはっす」


 なんて思ってたら。

 不意に目が合って声をかけられちまった。


「今日は良い天気っすねー。散歩っすか?」


「ええ、まあ」


「良いっすよねー散歩。私も仕事じゃなきゃリラックスできるんすけどねー」


 しかもかなりガツガツ来る人のようだ。

 こりゃ随分とめんどくさい人に絡まれちまった。


「それじゃあ、俺は行くんで」


「ちょちょちょ、待ってくださいよー」


 隙をついて通り過ぎようとしたがダメ。

 後ろからガバッと腕を掴まれてしまった。


「ちょっと質問したいんすけどいいっすか?」


「質問?」


「そうっす。ここに住んでるホームレスのことで」


 ほ、ホームレス……?

 その単語を訊いた瞬間、額にじんわりと冷や汗が浮かぶ。


「実は私テレビ局の人間なんですけど、今度うちでホームレスの特番作ろうって話になっちゃって」


「はあ……」


「それで今日はここに住むホームレスに取材がしたくて来たんすけど」


 そう言うと女性は、きょろきょろと橋の方を見渡す。

 そしてわかりやすい困り顔で。


「ホームレス、どっか行っちゃった感じすかね?」


 俺にとっては耳が痛いそんな一言を吐いた。


「噂にあった橋の下も確認したんすけど、全然居そうな気配がないんすよね」


「そ、それは残念でしたね」


「ほんとっすよ。せっかく電車まで乗って来たのに」


 残念がっているその姿に、俺からかける言葉はない。なぜならあなたが探してるホームレスというのは、目の前にいるこの俺なのだから。


「子供たちの中では『橋下の仙人』って大人気だったんすけどねー」


「橋下の仙人……?」


「そうっすよー。どうやらいつも昼寝してたみたいで」


「へ、へぇ……」


「その姿が瞑想してるみたいで面白いって、みんな口を揃えて教えてくれたっす」


 あのガキ供、俺を指差して笑い者にしてたかと思えば、そんな妙なあだ名まで付けてやがったのか。そりゃ入れ替わり立ち替わりで色んなガキが見に来るもんだ。


「俺は見せ物じゃねんだぞって」


「ん? 何か言ったっすか?」


「い、いえ何も」


 とにかく、俺がそのホームレスだと自白するのは止そう。

 軽い気持ちで言おうものなら、もっと面倒なことになりそうだ。


「お兄さんはこの辺りに住んでるんすか?」


「ええ、まあ」


「ならこの辺で面白いホームレス見つけたら連絡くださいっす」


 そう言って、女性は名刺を渡して来た。

 見れば『XXテレビ広報部 加納真紀かのうまき』と書かれている。


「それじゃ私はこれでー」


 要件を言うだけ言って、スタスタと去って行く加納という女性。


 去り際に「あ〜、いい休憩になった〜」なんて大声で溢しているあたり、おそらく普段は上司に叱られるタイプの人なんだろう。


 とはいえ、あの人もメディアはメディア。

 名刺をもらった身で何だが、口が裂けても情報を流すつもりはない。


「これからは大人しく編集しよ……」


 もしテレビ局に俺の素性がバレたら。

 考えただけでも背筋がゾッとする。そんな散歩だった。

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