11話 傷
「なあ絵舞」
「んんー」
「どこか具合でも悪いのか」
「どうしてー」
「いや、何となくだが」
布団を敷きながら訊けば、絵舞は魂の抜けたような返事をした。ベッドに仰向けに寝転がりながら、ぼーっとした顔でケータイの画面を眺めている。
「今日のお前、何か暗い気がしてさ」
「ええー、全然いつも通りだよー」
「んなこと言って、今だって俺の話ちゃんと訊こえてないだろ」
指摘すれば、絵舞はハッとして肩をビクつかせた。
すると両手で支えていたケータイが、彼女の顔めがけて落下する。
「いてっ……!!」
「おいおい、何やってんだ」
「ご、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
「ちょっとどころじゃねぇよ。魂抜けてたぞお前」
あはは……と引きつった笑みを浮かべる絵舞。
ようやくまともな返事が来たが、それでもやはり表情はぱっとしない。
快活な彼女には似合わない、ひたすらに何かを考えこんでいるような、そんな顔。学校から帰って来てからというもの、絵舞はずっとこの調子だった。
「珍しいな。お前が浮かない顔すんの」
「そ、そうかな。時々してると思うけど」
「だとしても、ここまでわかりやすいのは初めてだよ」
人間ならば誰しもぼーっと何かを考え込む瞬間はある。
絵舞だってそれは例外ではないだろうが、それでもこの子の場合、他人に見えないところで人知れず考え込むことが多いタイプだと思う。
実際に俺は笑顔以外の彼女をよく知らない。
でも今日は撮影している時も。夕飯を食べている時も。俺の編集を待ってくれている時も。どこか遠くを見るような目で、何かを悲観しているようだった。
「悩みでもあったりするんじゃないのか」
「うーん。まあ無いことはないけど」
朝は普通だったから、おそらく何かあったとすれば学校だろう。でもこの様子だと、あまり他人には話したくなさそうな感じだな。
「俺なんかでよければいつでも相談乗るぞ」
「ありがとう。でもほんと何でもないから」
「そうか」
何でもない。
口では平気そうに言うものの、やはりその表情には、誤魔化しきれない違和感があった。
だがこの子が話したくないものを、無理に引き出そうとするのはお節介が過ぎる。
「まあ高校生だし、若いうち悩めるだけ悩んどけ」
微笑み混じりにそう言って、俺は布団に寝転ぶ。
間も無くして電気が消され、俺はすぐに目を瞑った。
カチッ、カチッ……。
っと、時計の音だけが微かに響いている。
そんな最中。
「ねぇ山本さん」
「ん」
「一つ訊いてもいい?」
「なんだ」
静寂の中に、絵舞の声が響いた。
「”人を好きになる”ってさ、一体何なのかな」
「人を好きになる?」
「うん」
突発的な質問に俺は暗闇の中で眉を寄せた。
これが絵舞に浮かない顔をさせていた原因なのか。
だとすれば、すんなりと答えてやりたいところだが。
「人を好きになるねぇ」
あいにくと俺には、人を好きになった経験などなかった。
ちょうど絵舞ぐらいの歳の時に、親父が夜逃げしたあの日から。俺の人生には”必死”という二文字しか存在せず、誰かに愛を注ぐような暇は全くなかった。
「もしかして、恋をしたから悩んでた……わけでもなさそうだな」
「うん。私今までに誰かを好きになったこととか一度もないから」
となると、その逆か。
「だからなのかな。私ね、自分に向けられる好意にどう接していいかわからなくて。わからないから答えも出せないし、知らぬ間に相手を傷つけちゃう時があるの」
「そりゃ生きてりゃ、好き嫌い関係なく誰かを傷つけることくらいあるだろ」
「例えそうだとしても、私は目の前で誰かが傷ついている姿を見たくはないんだよね」
絵舞のその気持ちは確かにわかる。
だが俺たちは感情のある人間だ。人として生まれてしまった以上、誰かを傷つけてしまう痛みとは、一生向き合って行かなければならないのだと思う。
「人を好きになることって、何でこんなにも誰かを傷つけるんだろう。ほんとは凄く特別で幸せな気持ちのはずなのに、その気持ちの裏では必ず誰かが傷ついてる」
暗い天井を見上げながら、俺は絵舞の言葉を静かに訊く。
「自分や他の誰かが傷つくくらいなら、人を好きになるのなんて辞めたらいいのに——って、そう思うけど。でも私のその気持ちって多分間違ってるんだよね」
いや、きっと間違ってはいない。間違ってはいないが……おそらく世間からすれば、絵舞のその考えや想いは、間違いとされてしまう。ただそれだけのことなのだ。
自分が誰かを好きになることで、他の誰かが傷ついてしまったら。なんて、普通絵舞くらいの歳で、そんなことを気にして生きている人間はまずいない。
「ねぇ山本さん。山本さんはそれでも人を好きになりたい?」
それだけこの子は他人に臆病で、凄く繊細な子なのだろう。裏を返せば優しいとも言えるが。いずれにしろ、そのことで悩んでいるのには違いなさそうだ。
「そうだな。俺は一度くらい誰かを本気で好きになるのもいいかなって思うけどな」
「その結果、誰かが傷ついちゃったとしても?」
「例えそうなったとしても、一緒に居たい、それでもいいんだ、って思えるような相手なら、俺はその痛みを受け入れてもいいと思うよ」
なんて口では言ったが、根拠はないわけで。実際に目の前で誰かが傷つくところを目の当たりにすれば、俺だってビビっちまう可能性は大いにありえる。
それに。
「そんな相手なかなか現れないだろうけどさ」
「そうだよね。恋愛って難しいからね」
誰かを傷つけても一緒に居たいと思う相手とは、一体どれほど好きな相手なのか。それこそ運命の相手というやつなのか。
よく知らないが、俺には縁の無い話には違いない。
「ごめんね。急に変な話しちゃって」
「いやいいさ。むしろ気の利くアドバイスが出来なくてすまん」
「ううん。凄く気が楽になったよ、ありがとね」
そう言うと、布団の中で身じろぎした絵舞。
俺に背を向けた彼女の様相は、妙に切なく感じられた。
もう一言、何か声をかけようか。
そう思ったが、俺は何も言わず静かに瞼を閉じたのだった。
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