6話 価値
「あれ、山本さん?」
公園のベンチで独り茫然としていると。
不意に背後から俺を呼ぶ声が飛んでくる。
「やっぱり山本さんだ」
「なんだ絵舞か。驚かすなよ」
振り返ればそこには、制服姿の見慣れた女子高生が。
俺だとわかると、彼女はにへらと柔らかな笑みを浮かべた。
「学校はどうした」
「もぉー、今日は午前中で終わりだって言ったじゃん」
「ああ、そういえばそうだったな」
偶然視界に入った公園の時計を見れば、時刻は昼の12時半を示していた。どうやら俺は随分と長い間、この日陰でも何でもないベンチに座り込んでいたらしい。
「それより、山本さんはここで何してるの?」
「何って、見ればわかるだろ。たそがれてんだよ」
「たそがれてる?」
もっと詳しく言うなら、人生に絶望している。
絵舞はなんのこっちゃと首を傾げたが、やがて俺の様相を見て何かを察したのか。それ以上何も訊かずに、流れるように俺のすぐ隣へ腰掛けた。
「帰らないの?」
「帰る場所がねぇ」
「またそんなこと言って、山本さんには私の家があるじゃん」
「それはあくまでお前の家だろ。俺が居ていい場所じゃない」
言い切ると、絵舞は足をぷらぷらとさせながら言った。
「何か嫌なことでもあった?」
「嫌なことってか、あれはもう理不尽だな」
「理不尽?」
俺の唯一の居場所を有無を言わさず奪ったんだ。
これが理不尽じゃなければ、一体何がそうだと言うのか。
「俺のホームが国家権力によって奪われた」
「え……それって」
「俺にはもう、この街にいる資格は無いらしい」
家族を失い、職を失い、家を失い、最終的にはホームレスとしての居場所まで奪われるなんて。俺の人生は、一体どれだけの理不尽に遭えば気が済むんだ。
「ダンボールも毛布も、何もかも持ってかれちまったよ」
「それは随分と乱暴だね……」
ホームレスとして生きることを決めた当初、この街には駅や公園など、もっと過ごすのに適した環境はいくらでもあった。
でもそこに住めば、誰かに迷惑をかけるのは避けられないからと、俺はあえて人気の無いあの橋の下を選んだ。
たとえホームレスになっても、人としての良心は忘れたくなかったから。だから俺は誰にも干渉することのない孤独な世界で、たった独り生きる事を決めた。
にもかかわらず学校にクレームが来てるからとか。あなたみたいな存在は迷惑だとか。幸せな生活を送れてる奴に限って、随分と勝手な事を言ってくれる。
そもそも誰にも干渉しなかった俺を、勝手に腫れ物扱いしたのは、お前ら一般人の方だろうが。そこまでガキが心配なら、俺に寝床の一つでも提供しろってんだ。
「まあ、そういうことだ。俺にはもう帰る場所がないんだよ」
とはいえ、俺が世間から嫌われる立場であることは十分に理解してる。今俺が抱いている怒りの全てが、自分に都合のいい解釈をしたワガママであることも。
「あの場所への立ち入りも禁止されちまったしな」
「そう、だったんだね」
俯いていた絵舞は、「あっ」と、急に顔を綻ばせる。
「それってつまり、ウチに住むしかないってこと?」
「アホか……どういう解釈をしたらそうなるんだよ」
「だってそうでしょ? 山本さん住む場所無くなっちゃったわけだし」
「だとしても、おっさんが女子高生と住むのは色々とまずいだろ」
「まずくないよ。私がいいって言ってるんだし」
「お前が許しても、世間が許してくれないんだよ」
最も俺には、世間での立場など既に無いに等しいが。
「とにかく、お前に世話になる気はねぇよ」
きっぱりと言い切って、俺は理由もなく立ち上がる。
そして独り言のように、背中の絵舞に向けて言った。
「俺は近々この街を出ようと思ってる」
「えっ……それってつまり引っ越すってこと?」
「引っ越すなんて、そんな大層なことじゃないが。まあそういうことだ」
あの橋の下を追い出されてしまえば、この街に俺の居場所はもうどこにも無い。駅や公園に住むことも一瞬考えたが、やはり自分が生活することで、他人の生活を害するような存在にはなりたくなかった。
「だからお前と会うのも、今日限りで最後になると思う」
そう告げると、絵舞は今にも消えそうな声で言った。
「そんなの……急に言われても困るよ」
「なんでお前が困る必要がある。俺とお前は他人だろ?」
「例えそうでも、今日までたくさんお話したじゃん」
あまりにもか細い声に振り返れば。
絵舞は俯きながら、グッと唇に力を入れていた。
「山本さんが居ないと寂しいじゃん……」
その言葉、表情には、本心を揺さぶられる何かがあった。だがここで少しでも自分を甘やかそうものなら、いずれこの子に迷惑をかけることになるのは明白。
「何度も言うが、俺は社会の歯車から弾き出されたホームレスだ。職を失い、家も失い、橋の下に住むことすら許されない社会のゴミなんだよ」
心に確かなしこりを感じながらも、俺はただただ無心で自分を卑下した。
彼女の無条件な優しさに、決して甘えないように。
「一緒にいることでお前の迷惑になっちまうんだ。一緒に住むとか、随分と簡単に言ってくれるけどな、もう少しマシな奴の為にその優しさを使ったらどうなんだ」
「迷惑だなんて、私はそんなことこれっぽっちも思ってない」
「思ってなくても、結果的にそうなっちまうんだよ」
決めつけるような物言いで申し訳ないとは思う。
でもやっぱり俺は、この子のそばには居られない。
「だからもう、俺のことは忘れろ」
「そんな簡単に忘れられるはずないじゃん!」
「いいや、忘れられる」
思えば絵舞と一緒に居た時間は、本当に充実した日々だった。
孤独だったそれ以前とは比べものにならないほど、俺にとっては意味のある、掛け替えのない日常だったと、全てを失った今だからこそ思える。
そう。今だからこそ言えるんだ。
「俺はお前にとって何の価値にもなり得ない人間だからな」
この半月で、絵舞からは数えきれないほどの生きる希望を貰った。でも貰うばかりで、俺からこの子に返せたものは何一つとして無い。
そんな人間的な価値の無い存在は、今すぐにでも消えてしまった方がいい。彼女の迷惑になるくらいなら、ずっと孤独で居た方が百万倍マシだ。
「だからお前は家に帰って……って、何してるんだ?」
本心に擬した持論を解いてる最中。
絵舞は話そっちのけで、何やらケータイをいじり始めた。
「そんなに自分が価値の無い人間だと思うなら、見せてあげる」
「見せるって、何を……」
そして、YouTubeの画面を開き俺に向ける。
それは絵舞のとある動画のコメント欄のよう。
促されるまま、コメント一つ一つに目を通していくと。
「これって……」
「そう、山本さんが昨日編集してくれた動画のコメント欄だよ」
これは紛れもなく、俺が昨日編集した動画のページだ。
そこには今までのような卑猥なコメントではなく。動画についてちゃんと語られた、内容を称賛する肯定的なコメントばかりが並んでいた。
しかもそのほとんどが、俺が担当した編集について触れている。
「動画が観やすくなった、使われる具材がわかりやすくていい、この動画の編集担当マジナイス……って、おいおいマジかよ」
「視聴者のほとんどが、山本さんの編集に驚いたみたい。低評価だって、いつもの3分の1くらいしか付いてないし。これ全部山本さんが編集してくれたお陰だよ」
俺のお陰って。
そりゃ確かに俺の編集で動画の質は上がっただろうけど。
「だからって、これはいくら何でも過剰評価し過ぎだろ」
疑念に満ちた問いに、絵舞は首を横に振る。
「それだけじゃないよ」の一言と共に見せられたのは。
「こっちが山本さんが編集してくれた昨日の動画の再生数。それでこれが私が編集した、その一つ前にあげた動画の再生数」
「15万……⁉︎ この動画もう15万再生もされてるのか⁉︎」
「そう。たった1日でこれだけの人がこの動画を観てくれてるんだよ」
絵舞が編集したであろう2日前の動画は4万再生。
比べて昨日投稿したばかりの動画が既に15万再生越え。
これには驚いて言葉も出ない。
「山本さんの編集には、これだけ多くの人の心を動かす力があるの。だから俺は無価値だーとか、ゴミだーとか、そんな風に自分を悪く言うのはもうやめにしよ」
神妙な面持ちから出た絵舞の言葉は、理不尽に押しつぶされるばかりで、ヤケクソに放たれた俺の言葉とは訳が違った。
絵舞は今、本音で俺を評価してくれてる。
絵舞だけでなく、この動画のコメント欄も。
「でも、どうしてこれを俺に」
「どうしてって」
すると絵舞は、俺に疑うような目を向ける。
「だって山本さん、これくらいしないと本当にいなくなっちゃうでしょ?」
「そ、そりゃまあ……この街にはもう俺の居ていい場所は無いからな」
「そう、それ!」
絵舞は唐突にベンチから立ち上がる。
そして力強く俺を指差しては。
「どうして私の家があるのにそんなこと言うの?」
「いやいや、だからそれはお前の迷惑に……」
「迷惑とか、そんなの誰が決めたわけ⁉︎ そもそも私は絵舞じゃなく、YouTuberのエルマとして、山本さんに動画の編集をお願いしてるんだけど⁉︎」
「そうは言ってもだな……俺はおっさんで、お前はまだ女子高生なんだぞ? 何というかこう、世間的にまずいだろうよ」
「世間なんて、今更知ったこっちゃないよ!」
声高らかに言い放ち。
絵舞は不意に俺の手を取った。
「自分に価値のある人と一緒にいて咎められる世間なら、私はそんなものに認められなくたって構わない。私は何があろうと、山本さんと一緒に居る未来を選ぶから」
「……絵舞」
その目は真剣で、思わず吸い込まれてしまいそうなほど透き通っていた。これほど真っ直ぐに、そして力強く、俺を見てくれた人が過去にいただろうか。
決意しかけていた俺の心が、グラグラと揺れる。
「いいのかよ。俺がいると洗濯物が増えるぞ」
「うん。私洗濯好きだから任せてよ」
「飯だって、二人分じゃなきゃ困るからな」
「私はエルマだよ? 一人分が二人分になるくらいなんてことないよ」
絵舞の想いに触れて確信した。
俺がもし、この先の人生で人間らしい生き方が出来るのだとしたら。人としての輝きを取り戻せる場所があるとするなら。それはきっとこの子の隣なのだろうと。
法を犯すとか、世間的によくないとか。彼女の側に居ることで、色々考えてしまう部分は確かにあった。
でもこんな俺をここまで必要としてくれた。価値を見出してくれた。そんな彼女の想いに報いることこそが、俺が出来る唯一の恩返しなのではなかろうか。
「……はぁ、お前には敵わないな」
俺はやれやれと頭を掻いた。
「随分と物好きな女子高生がいたもんだよ」
「そんなこと言って。ほんとはこうなること望んでたくせに」
「ははっ、ちげぇねぇ」
物好きで、お人好しで、まるで太陽のように笑うこの子の側に居る。それこそが俺が俺である唯一の存在意義であり、やがて自分の価値を証明する希望になる。
「もう一度人生をやり直せるその時まで。お前の側に置いてくれ」
「うん、喜んで」
こうして始まった29歳ホームレスと女子高生の共同生活。
それがいつまで続くのかはわからないけど。
俺は絵舞の動画編集者として、精一杯生を全うすると、そう誓った。
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