17話 ケータイ

「山本さんってケータイ持ってないんだよね」


 夕飯の焼き鮭をつつきながら、絵舞は思い立ったように言った。


「無いと不便じゃないの?」


「そりゃ不便だけど」


「なら早めに買った方がいいんじゃない?」


 簡単に言ってくれるが、俺には携帯を買えない事情がある。

 思えばつい先日も、加納さんに連絡先を訊かれて困ったことがあった。これから社会と関わりを持つ上で、携帯電話は確かに必要不可欠な道具ではあるが。


「多分俺一人じゃ契約出来ないだろ」


「どうして? 身分証は? 銀行口座は?」


「んなもんホームレスになった時に消滅した」


「再発行は出来ないの?」


「出来なくはないだろうが、どっちにしろ金が無い」


 あいにくと俺には、契約に必要な書類等の持ち合わせがない上に、元ホームレスなのでまとまったお金が一切無い。


 この先の稼ぎ元となるであろうテレビ局の仕事だって、受けると決めただけでまだ始まってすらいないし、これでは携帯など、到底買えるはずもなかった。


「携帯代くらいなら、私出すけど」


「いやいいよ。そこまでの迷惑は掛けれん」


「迷惑じゃないよ。山本さんにはいつも編集頑張ってもらってるし、そのお礼」


「お礼なら現状で十分過ぎるほど貰ってる。それに第一ケータイがあったところで、俺には使いこなせる自信がない」


「その辺は私が教えてあげるから大丈夫だよ」


 味噌汁をずずっと啜り、キリッとした顔で絵舞は続ける。


「それにケータイがあれば、凄く便利なんだよ。わからないことがあったら、何でもすぐに調べられるし。この間みたいに外食するのに夕飯作っちゃう心配もないし」


「うっ……」


 それをここで言うのは、少しズルくはないか。

 確かにケータイさえあれば、あの事故は起こらずに済んだだろうが。


「私のためにと思って、ね、契約してみよう?」


「んん……」


 そう言われると、『要らない』とは一口では言えなかった。

 しかしケータイを契約する時って、相当めんどくさい手続きが必要だった気もするが。果たして元ホームレスの俺なんぞに、契約することは出来るのだろうか——。








「ね、やっぱりあった方がいいでしょ?」


 思いのほかすんなり契約出来た。

 身分証の再発行と、銀行口座の立ち上げには少しばかり手間を取られたが。それさえ済めば、あとは絵舞からお金を貰って、自分名義で契約するだけだった。


「それじゃ山本さん、ラウィン交換しよ」


「ら、らうぃん?」


「メッセージアプリだよ。この青いアイコンタップして、ダウンロードするの」


 メッセージアプリ? ダウンロード?

 絵舞の言葉には横文字が多過ぎて、アナログ脳の俺は理解に困る。


「こ、これでいいのか?」


「そうそう。あとはIDの設定して——」


 絵舞に導かれるがまま、俺はラウィンとやらの設定をおこなった。

 名前は……まあ、アルファベットで『YAMAMOTO』でいいだろう。

 その他設定は後からでも出来るっぽいので、ひとまずは後回しにする。


「今友だち申請送ったから、トーク画面確認してみて」


「もしかして、この"えまぁ"ってやつか?」


「そうそう! あとは上の追加ボタンで追加すればOK」


 ボタンを押せば、ピロン! という甲高い音が鳴った。やがて『友だち』の欄に"えまぁ"の名前と、プロフィールであろう何かの写真が表示された。


 この写真は、どこかの街のようだが。

 こんな緑に囲まれた風景はこの辺りにはないはず。

 だとすると、おそらくは絵舞の地元の写真だと思う。


「おー、山本さんの友だち私だけだね」


 絵舞が上から画面を覗き込んでくる。


「そりゃ、今登録したばかりだしな」


「それもそっか」


 すると何を思ったのか。

 思い立ったような顔して、自分のケータイをいじりだした。

 ピロン! という音と共に、俺に一通のメッセージが送られてくる。


「……ん」


 何だろう、このよくわからない絵は。

 人かも動物かもわからない変な生き物がグーサインを出していて、その背景には『よろしくね!』という太文字が。


『どう? ちゃんと使いこなせそ?』


 続けてテキストでメッセージが送られてきた。

 見れば絵舞は、すぐ目の前でケータイに集中してる。


 この距離なら口で話せばいいと思うのだが。

 まあ練習がてら、少し付き合ってやるか。


『不安しかない』


『笑笑 そのうち慣れるからダイジョブだよ笑』


 何だこの『笑』は。

 二つ重ねやがって。

 一瞬笑点かと思ったぞ。


『元ホームレスをナメるな』


『そんなこと言って、もう操作バッチリじゃん!笑』


『文字打って送るくらい俺にも出来るわ』


『それが出来れば十分だ!笑』


『馬鹿にしてるだろお前』


『してないよ〜笑』


 こいつ。

 ずっと笑ってやがる。


 にしても、思っていた以上にこのラウィンという機能は楽だ。

 昔は誰かに連絡したい時は、いちいちメールでやりとりするしかなかったが、これを使えば必要最低限の操作で、相手に自分の情報を伝えることができる。


 しかも毎度送信の度に付くこの『既読』という文字。おそらくだがこれは、相手が自分のメッセージを読んだことを知らせる、サインみたいなものなのだろう。


 これがあればメールとは違い、相手が内容を確認したかどうかの不安も無い。正直ケータイなんてと甘くみていたが、まさかここまで現代の技術が進歩していたとは。






『山本さん前見て』


「ん」


 そう送られてきたのでふと顔を上げると。


「うわっ……な、なんだよ」


「ふふっ、びっくりしたでしょ」


「そりゃお前、いきなり顔近づけられたらな」


 視界の真ん中で、肩を揺らし笑う絵舞。

 いつの間にこんなに接近されていたんだ。

 ケータイに夢中になっていて全然気がつかなかった。


「山本さん、今笑ってたよ?」


「は……笑ってたって、いつ」


「今だよ。ケータイに夢中になってた時」


「んなアホな……」


 否定したかったが、ケータイを操作していた時の記憶が曖昧だ。

 俺は今絵舞とやりとりしていた時、どんな顔をしてたっけ……?


「電車とかでそれやっちゃうと、不審者扱いされちゃうから気をつけてね」


「ふ、不審者……?」


「そうそう。女子高生に白い目で見られたくはないでしょ?」


「そりゃあ……出来ればな」


「なら没頭し過ぎないように注意しないと」


 言われてみると確かに俺は今、このケータイという道具にのめり込んでいた。


 俺はあくまで普通に捜査していたつもりなのだが、無意識のうちに笑っていたというのなら、やはり俺はケータイを持つべきではないのでは?


「こんなんで俺、捕まりたくないんだけど」


「そのくらいで捕まらないって。ただちょっと『キモッ』ってなるだけ」


「いや、十分嫌だろうよそれ……」


 家以外でケータイを使う時は注意しよう。

 そう心得た俺であった。

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