18話 死神

「それでは打ち合わせを始めさせてもらいまーす」


 加納さんの声で、俺は今一度姿勢を正した。

 以前とは違い、今日の会議室には6人もの大人が、番組の打ち合わせのために集まっている。より仕事らしさが増したこの状況に、俺の背筋は必然と伸びた。


「全員での打ち合わせは初回ということで、まずは顔合わせからっすね。私の方から順に紹介させてもらうんで、何か一言あればその時によろしくでーす」


 進行役の加納さんは、手元の資料をペラペラっとめくった。

 そしてプロデューサーから順に、簡単な紹介がされていくわけだが、見れば俺と加納さん以外の4名は、スーツではなく私服姿で打ち合わせに臨んでいた。


 一般企業とは違い、その辺りの決まりは緩いのだろうか。

 それにしてもプロデューサーは、額にサングラス乗っけてるし。ディレクターに関しては、くちゃくちゃとガムを噛んでるし。少し自由過ぎる気もする。


「ええっと次は、山本さんっすね」


 そんなことを考えている間に。

 順番が巡って次は俺の紹介のようだ。


「ディレクターの安西さんがスケジュール的に厳しいということで、今回は外部委託した山本さんに、映像の編集に関しては、おねがいすることになってるっす」


 そこまで言った加納さんは、俺に視線を送ってきた。

「早く立って挨拶しろ」とでも言いたげな視線だ。

 俺はすぐさま立ち上がって、全体に向けて軽く頭を下げる。


「や、山本です。よろしくどうぞ」


「もうすでに初回の素材を編集した映像は、送っていただいてるんで、ご覧になった方もいると思うっすけど、技術は一流なのでそこら辺は大丈夫っす。多分」


 多分って。

 どんな紹介をされるのかと思えば。プロデューサーやディレクターがいる前で、よくそんな適当なこと言えるなこの人。怖いもの知らずかよ。


「ええー、次はー」


 そう言いながらペラペラと資料をめくる加納さん。

 あとは一番大事な料理研究家さんの紹介のはずだが。


「ええー……っと、確かこの辺に」


 この感じからして。

 さては出演者の名前ど忘れしたな。


「あ、あったあった」


 声に出てる。

 忘れるくらいなら、同じ場所に記載しておけばいいものを。

 多分そういうところが適当なんだよな、この人って。


「料理研究家の麻原あさはら先生っす」


 紹介と同時に立ち上がった黒一色に身を包む女性。

 色白で背はスラッと高く、長い黒髪には色艶がある。

 画面越しに見て知ってはいたが、実物はより綺麗に映った。


「麻原です。よろしく」


「先生には週に一度、撮影のため局に来てもらうことになるっす」


 軽くお辞儀をして、女性はすぐに腰を下ろした。

 何てことない動作すら画になるのは、流石テレビ出演者。

 この美貌で48歳だというのだから、驚きしかない。


「皆さんご存知だと思うので、細かい紹介は省かせてもらうっすけど——」


 俺はこの仕事を受けるまで全く知らなかったのだが、加納さんから訊いた話によれば、この人は今テレビなどでも話題沸騰中の、凄腕料理研究家らしい。


 年齢こそ若くは無いものの、それを感じさせないほどの美しい形。料理の腕はもちろんのこと、彼女が”凄腕”と言われる所以は、その独特な料理風景にこそある。


 俺もすでに編集して知っているが、この麻原さんという人物。4分クッキングなどの料理研究家とは違い、調理作業中、一切表情を変えないのだ。


 それどころか生気の感じられない冷たい表情で、ひたすらに目の前の食材を切り刻んでいく。そのあまりにも異様な光景から、巷では『調理場の暗殺者』なんて呼ばれているらしいが、実際に対面してその意味が少しだけわかった気がする。


 一瞬でも触れたら、手が凍ってしまいそうな白い肌。

 そして、どこか遠くを見据えるような冷たく鋭い視線。

 不思議なオーラを纏う彼女は、まさに暗殺者の風格だった。


 麻原さんは普段、地方を中心に活動している料理研究家のようで、その話題性に目をつけたプロデューサーが、わざわざこの番組のためだけに、出演をオファーしたのだとか。


 俺はそんな大物が出演する番組の編集を任されるわけだから、当然襲いかかってくる責任や重圧は、普段担当しているYouTubeの比じゃない。


「紹介が終わったところで、今後の予定の確認に移りまーす」


 とはいえ、正直に言わせてもらうならば。

 この仕事自体は、懸念していたほど大変な作業じゃない。

 俺は初回用の編集で、何となくだがそれを察している。


「山本さーん。ぼーっとしてないで資料開いてくださーい」


「あ、ああ、すいません……」


 あれこれ考え込んでたら、進行役の加納さんに催促された。

 そういえばこの間も、絵舞にケータイで注意されたことがあった。どうやら俺は、何かに集中すると周りが見えなくなるたちらしい。


 俺は慌てて資料を開き、読み上げられた部分を目で追った。ずらずらっと並んだ文字列のせいか、読めば読むほど目がチカチカしてくる。


 仕事自体は大変じゃないとはいえ、こういう打ち合わせがあるのは、若干酷ではある。まあそれを差し引いても、テレビの仕事は楽と言えてしまうのだが。


 昔やってた広告の仕事に近いからだろうか。

 変則的な意図を元に動画が作られるYouTubeよりも、よっぽど平凡でやりやすい。その上胸の谷間もお尻もブラ紐も見えないので、理性を害される心配もない。


 これで決して低くはない報酬を貰えるのだから。

 無収入の俺からすれば、これほどまでに美味い稼ぎ元はないな。






「……な、何か」


「いいえ、何も」


 文字に疲れてふと顔を上げれば。

 偶然か、こちらを見る麻原さんと目が合った。

 彼女は何を言うわけでもなく、ただじっと俺の顔を見据えてる。


 まるで創り物のような目だと思った。

 このままだと危うく吸い込まれてしまうんじゃないか。そう思ってしまうほどに彼女の黒目は透き通っていて、夜の闇のように深い。


「山本さん、と言ったかしら」


「は、はい」


「あなたの編集、見事だったわ」


「えっ」


 それだけ言うと、麻原さんの視線は資料へ。

 言葉を待たずに視線を避けた彼女に、俺は遅れて言う。


「そ、それはどうも」


「…………」


 しかし、反応は無い。

 あれで会話が終わりということだろうか。

 やはりこの人の様相は少しばかり不気味だ。


 人としての温もりを感じないというか。こうして近くに座っているだけでも、まるで違う世界にでもいるかのような、背筋がゾクッと冷え立つ妙な感覚を覚える。

 

 服装も黒一色なことから、”暗殺者”というよりは”死神”。これほどまでに感情を読み取らせてもらえない人に出会ったのは、生まれて此の方初めてだ。








「山本さーん、訊いてるっすかー」


 その声でふと我に帰る。

 周りを見れば、俺を睨むような視線が1、2、3、4。


「何がウケると思うかって、訊いたんすけど」


「う、ウケる……?」


「そうっす」


 どうやら雰囲気的に俺が答える番のようだが。

 ウケるって、一体何だ? お笑いか何かか?


「もー、絶対話訊いてなかったっすよねー」


「あの、えっと……すんません」


「打ち合わせ中は、ぼけっとしないでくださいよー」


 今回ばかりはぐうの音も出ない。

 まさか二度も注意されることになるとは。

 俺としたことが……。


「共有事項もあるんで、ちゃんと訊いといてもらわないと」


「はい、すみませんでした……」


 俺は全方向にペコペコと何度も頭を下げた。


 その際プロデューサーには、笑って許してもらえたが、どうやらディレクターにだけは、俺の誠意が伝わりきらなかったらしく。打ち合わせが終わるまで、俺はディレクターから、親の仇を見るような目で睨まれ続ける羽目になったのだった。

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