19話 常識

「今日はどうしちゃったんすか、ほんと」


「いやその、考え事をしててですね」


「だからって、ぼけっとし過ぎっすよ」


 返す言葉もない。

 あの打ち合わせの後、俺は予想通りディレクターに注意され、俺を引き抜くきっかけとなった加納さんは、比にならないくらいの大説教をかまされていた。


『お前が連れて来たんだからしっかりさせろ!』


 って、まるで子供の失態を肩代わりする親のようだったが。

 よくあんな説教を受けた後に、俺を呑みに誘う気になったもんだ。


「ヒヤヒヤしたっすよ。打ち合わせ中、ディレクターがずっと山本さんのこと睨んでるんすもん」


「いや本当、面目ない……」


 加納さんは険しい顔で豪快に発泡酒を呷った。

 ゴクゴクという喉が揺れる音に、心なしか力強さを感じた。


「まあでも、プロデューサーには褒められたんで」


「褒められた?」


「そうっす。提出してくれた映像のことで」


 言いながら、枝豆にかぶり付く。

 それを発泡酒で流し込んでから、声を低くして言った。


「『いい人材見つけたな。よくやった』だそうっすよ」


「へ、へぇ……」


「いやぁ〜、こりゃ私の昇進もそう遠くはないかもっすね!」


 帰り際、プロデューサーにも呼び出されていたのはそれだったのか。自分が直接褒められたわけではないとはいえ、裏でそういう話があったというのは素直に嬉しい。


「ってことで、結果プラスなんで結果オーライっす!」


「結果オーライ、なんすかね」


「そうっすよ! 結局のところプロデューサーが一番上なんで。あの人に気に入られさえすれば、ディレクターとかあんま関係ないっすから」


 そう言うと加納さんは、そのままの勢いで手を挙げた。

 近くの店員を呼んでは、おかわりの銀麦の大を注文する。


「それに私、ディレクターの安西さんあんまし好きじゃないんすよ」


「まあ、何となくそんな気はしてました」


「マジすか? もしかしてにじみ出てました私?」


「そりゃもう全面に」


 説教中にあんな不機嫌な顔する奴は中々いない。

 それがあったから、説教があれだけ長引いたまである。


「だってあの人、妬み癖? みたいなの凄いんすもん」


「妬み癖?」


「そうっす。なんか自分よりも高い評価を貰う人が嫌みたいで。今までもしょっちゅう成功した人に対して、ネチっこく嫌がらせしたりとかしてたんすよ」


 なるほど。

 だから俺は余計にあのおっさんの反感を買ったのか。

 いい歳して随分と個性的な性格してるもんだな。


「それでいて、デブでハゲじゃないすか」


「いや、見た目は関係ないでしょ」


「生理的に受け付けないんすよね」


 まあ若い女性からしたら、そう思ってしまうのは仕方のないことなのだろうけど。

それでも必死に生きてるおっさんに、そんな酷いこと言わないであげてくれ。


「まあでも、上司であることには違いないんで、何も文句言えないんすけどね」


「そういうもんすよ、会社なんてのは」


 なんて知った口を利いてはみたが。

 俺は仕事どころか家すらもない居候である。


「思い出しただけでも腹たってきたっす」


「あはは、まあ今は仕事のことは忘れて飲みましょ」


「そうっすね。飲まないとやってらんないっすよほんと」


 そう言うと加納さんは、一杯目の大ジョッキを一気に空にした。ちょうど届いたおかわりの発泡酒に、すぐさま跳びつく姿は相変わらずだった。

 



 


 こうして彼女と飲みにくるのも今日で二回目。

 その酒豪っぷりにも、もう随分と目が慣れてきた。


 今日の店はテレビ局近くの均一料金の焼き鳥屋。

 銀麦の大ジョッキが298円で飲めるという理由からここにした。

 それと彼女いわく、ここのレバーが濃厚で美味いらしい。


「美味しいお酒が飲めれば、私はそれで十分なんすよね」


「でもそれ発泡酒っすよね。いいんですか生じゃなくて」


「そんな細かいこといいんすよ。どうせ味一緒っすから」


 ビールが好きという割には、その辺のこだわりは無いんだな。


「今日も奢るんで、好きなだけジャンジャン飲んじゃってください!」


「文句言ってた割には、随分と機嫌良さそうっすね」


「そりゃもう、それ以上に褒められちゃったんで!」


 あの説教が帳消しになる程褒められるって一体なんだ。

 思えば出演者である麻原さんにも、編集を褒めてもらったが。そんなにも提出した動画の質が良かったのだろうか。俺はいつも通りに編集しただけなんだが。


「そういえば、山本さんケータイ買ったんすね」


「ああ、まあ一応。無いと色々困りますし」


「じゃあラウィン交換しましょ、ラウィン」


 出たなラウィン。

 やはり今時の若者はみんなやっているのか。


「QR読み込むんで、ケータイ貸してください」


「は、はい」


 やり方を知らないので、俺は素直にケータイを渡した。

 こういうのは、慣れてる人に任せた方が手っ取り早い。


「ん、何か連絡着ましたよ」


「えっ」


「"えまぁ"って、誰すかこれ」


「……っ!!」


 加納さんは首を傾げ、ケータイの画面をこちらに向ける。

 すると画面の真ん中には『りょーかい!』というメッセージが。


「もう友だちいるんすね」


「え、ええまあ。仕事の連絡とかしますからね」


「ふーん」


 そういやさっき、絵舞に飲みに行く連絡をしてたんだった。

 よりにもよって、このタイミングで返信が来るのかよ。


「あっ! てことはこれ、エルマさんすか⁉︎」


「えっ……ああ、いや」


「でも仕事の連絡って言ったらそれしかないっすよね?」


 どうしたものか。

 それを言われると誤魔化しようがない。


「ま、まあ、そんなところです」


「いいっすね! 人気YouTuberのラウィン持ってて!」


「そ、そりゃあ、彼女の編集担当なんでね、ははっ」


 俺はそう言いつつ、酒を呷る。

 横目で彼女を見る限り、特に何かを疑っている様子はなかった。「いいなー、羨ましいなぁー」なんて言いながら、相変わらず手と口を忙しなく動かしてる。


「他に友だちは、いないんすね」


「あんまり見ないでくださいよ……」


「あ、すいません。つい気になっちゃって」


 俺が目を細めると、加納さんは愛想笑いで誤魔化した。


 もし絵舞とのトーク画面を見られでもしたら。

 そう思うと、彼女が俺のケータイを握っている間は気が気でならない。こんなに胃がキリキリするくらいなら、素直にケータイ渡すんじゃなかった。


「でもこれ、私が友だち二号ってことっすよね」


「まあ、そうですけど」


「マジっすか。あはは、何かウケるっすね」


 緩んだ笑みを浮かべる加納さん。

 俺はひとまずケータイを返してもらう。


「これで山本さんも友だちっと」


 仕事上の連絡先交換なら一向に構わない。

 でもなぜだろう。さっきまでは特に何も思わなかったのに、今になって連絡先を交換したことに酷く後悔している自分がいる。


「まさかとは思いますけど、仕事以外の連絡とかしてこないっすよね」


「え、普通にするっすけど」


 普通にするって。

 そんな『当たり前でしょ』みたいな顔で言われても困るんだが。


「勘弁してください」


「えぇ〜、なんでっすか。しましょうよラウィン」


「結構です」


「えぇ〜」


 そんな露骨に拗ねられても、無理なものは無理だ。

 ただでさえ一緒にいるとカロリー消費するというのに、仕事以外でもこの人に体力を使ってたら、俺はそのうちエネルギー不足で倒れちまう。


「使い方に慣れてないんで、またの機会に」


「も〜、仕方ないっすね。今日はラウィンの交換だけで見逃してあげます」


「そうしてください」


 鶏皮を一つ頬張っては、不満そうに咀嚼する加納さん。

 プライベートで誰かと連絡を取り合うのは、そんなにも重要なことなのだろうか。俺はテレビさえあればいい派なので、今時の若者の思考はさっぱり理解できない。


「あ、そういえば」


「ん」


 俺がレバーの串焼きに手を向かわせていた途中で。

 口の中を空にした加納さんは、思い立ったように言った。


「麻原さんいるじゃないですか」


「ああ、料理研究家の」


「山本さん、あの人のことどう思ったっすか?」


「どう、というのは」


「何と言うかこう、不気味な感じしません?」


 眉を顰めて尋ねる彼女に、俺は素直に頷いた。


「それは俺もちょっと思いましたね」


「そうっすよね。料理中の表情、あれ演技だと思ってたんすけど」


 確かに麻原さんには、普通とは言えない独特な雰囲気があった。


 口数は少なく、打ち合わせ中もただじっと資料を見つめていただけ。それどころか表情すらピクリとも動かない。あんな姿を見れば、そりゃ誰でも不可解に思う。


「表情変わらな過ぎて、一瞬ロボットかと思いましたもん」


「ロボットって……言わんとしてることはわかりますけど」


「あんな人オファーするとか、うちのディレクターはどうかしてるっすよ」


 そう呟いた加納さんは、大ジョッキを一気に半分ほど減らした。


「まあでも有名ですし。私は文句言える立場じゃないんすけど」


「最近はちょっと変わった個性を持ってた方が、有利だったりしますからね」


「そうっすよね。でも変わり過ぎててもなぁって思うんすよ、私は」


 目新しさがある反面、そういった不満や戸惑いも同時に生まれてしまうのが、現代の流行というものなのだろう。


 俺も絵舞の動画を初めて観たときは、かなり困惑させられた。


 今でこそ観慣れて何も思わなくなったが。それで言うと、麻原さんの人気に対する加納さんの疑問は、多分間違ってないと俺は思う。


「とにかく、ばんばん面白い映像作っちゃってくださいっす」


「そりゃまあ、仕事なので。最低限のノルマはこなしますよ」


「そんな小さな目標じゃなくて、ノルマ以上を目指しましょ」


 そう言うと加納さんは、したり顔で自分を指差した。


「なんたって私の昇進が掛かってるんすから」


「昇進って……」


「すごーく期待してるっすよ!」


 酒のせいか。

 普段以上に加納さんのノリがキツイ。


 そんな下心丸出しの期待をされましても。

 俺がどうこうしたところで、そう簡単に昇進しないと思いますよ。


「なんて、冗談です」


「冗談ね……」


「そんな簡単に昇進なんてしないっすよ、普通」


 軽くあしらうような言い方に、俺は顔をしかめた。

 だが加納さんはそれに臆することなく、朗らかな笑みで言った。


「まあ、無理ない程度によろしくっす」


「なんかだいぶハードル下がりましたけど」


「いいんすよ。頑張り過ぎると疲れちゃうっすからね」


 今のところ、仕事の両立に問題はない。

 故にいくらでも詰めることは出来るが。


「そうっすね。無理ない程度にやらせてもらいますよ」


 YouTubeの仕事、そしてテレビ局の仕事。

 その二つを通して、社会の一員に戻れるのならば。俺は無理ない程度の頑張りで、少しずつ社会への信頼を築き上げていきたいと、そう思う。






 * * *






「山本さんって、やっぱりしっかり者ですよね」


 前回と同様に散らかった卓上を片していると。

 横でじっと眺めていた加納さんが、感心したように呟いた。


「別にこれくらい普通でしょ」


「いやいや、全然普通じゃないっすよ」


 顔の前でぶんぶんと手を振り否定する。


「うちの飲み会でこんなことする人いないっすもん」


「そりゃまあ、集団よっては色々あるでしょうけど」


 お客様は神様である。

 そういう考えを持つ人も世の中にはいると思う。


 もちろんそれが悪いというわけではなくて。

 俺はどうせなら、店員が片付けやすいように皿を重ねたいと思うだけ。

 ただそれだけのことなのだ。


「俺は俺の普通をこなしてるだけですから」


「それを普通だと言えるところが凄いんすよ」


 とはいえ。

 賞賛されるのは悪い気はしない。


「昔からずっとこうなんすか?」


「まあ、母によくこの辺の教育されてたんで」


「そうなんすね。きっと良いお母さんだったんすね」


「ええ、自慢の母ですよ」


 ガキの頃こそ厳しい母さんだったけど。

 亡くなった今でも、その教えは俺の中でちゃんと生きてる。


「私も今度から真似させてもらってもいいすか」


「もちろん。その方が店側も助かるでしょうし」


 加納さんはらしくない真剣な面持ちでそう言った。

 そしてグイッと力強く拳を握る。


「それじゃ次の飲み会で実践するんで。山本さんは見ててくださいっす」


「次も行くこと確定なんですね……」


「もちろん。打ち合わせの日は飲み会の日っすもん」


 その認識はテレビマンとしてどうかと思うが。

 まあ彼女との飲み会自体は、別に俺も嫌いじゃない。


「山本さんって、なんかカッコいいっすよね」


「はっ?」


「何と言うか、自分の信念をちゃんと持ってるじゃないすか」


 急にカッコいいとか、何事かと思えば。

 なるほど。そういう意味でのカッコいいか。


「まあ、最低限の常識は携えてるつもりですよ」


「それを本音で言える人間って、私憧れるっす」


 うんうんと頷いた加納さんは、やがて緩い笑みを浮かべた。

 そしていつも通りの戯けたような口調で。


「誘ったら嫌でも飲みに付き合ってくれるし、もしかして最強っすか?」


「最強って。アニメのキャラじゃないんすから」


「じゃあカッコよくて良い人っすね!」


「んん……」


 褒められるのはもちろん嬉しい。嬉しいが。

 綺麗な女性に面と向かって言われると、どう反応していいのやら。







 * * *






「何かいいことでもあった?」


「ん、なんで」


「何となくだけど、今日の山本さん機嫌良さそうだから」


 家に帰ってから間も無く。

 居間でテレビを観ていると、絵舞は言った。


「別に無かったけど」


「ほんとにー?」


「ほ、本当だって」


 疑り深い顔で、何やら俺に詰め寄ってくる。

 胸元が緩いシャツで四つん這いになっているから、胸の谷間が丸見えだ。


「今日も飲んできたんだよね?」


「まあ、ちょっとだけな」


「前もお仕事の後、飲み会してたよね」


「そりゃ仕事ってなれば、付き合いの一つや二つある」


 なんて口では言ったものの。

 この間も今日も、相手は同じく加納さんなんですけどね。


「もしかして、次お仕事で出かけた時も飲んでくるの?」


「さあな。もし誘われたらそうなるかもな」


「ふーん」


 答えると、絵舞は不満そうに鼻を鳴らした。


「山本さん、私の料理食べたくないんだー」


「別にそんなこと言ってないだろ」


「だって、毎回飲み行くっていうから」


「もし誘われたらの話だ。それに出かけるのは週に一回だけだしな」


 妙に食い下がった物言いの絵舞。

 俺はやれやれと頭を掻いて続ける。


「お前の料理ならほぼ毎日食ってるだろ」


「でも飲みに行った日は食べてくれないよ?」


「そりゃ胃袋には限界があるからな……って」


 ブーブーっと。

 テーブルの上に置いていたケータイが震えた。


「女でしょ!」


「い、いや……多分テレビ局の人だよ」


 鋭く睨む絵舞をなだめて、俺はケータイを手に取る。

 画面を立ち上げれば、そこには予想通りの名前が。


『今日はお疲れ様っす! ついうっかりラウィン送っちゃいました!笑』


 ……って、あの野郎。

 仕事以外の連絡してくんなって言ったのに。


「やっぱり女の人じゃん!」


「うわっ……!! ちょ、勝手に画面見んなよ」


 気づけば絵舞の顔が、俺のすぐ横に。

 相手が女性ってバレたら厄介そうだから隠してたのに。


「誰よこの女! 私知らない!」


「だ、だからテレビ局の人だってば」


「ってことは、今日この人と飲みに行ったんだ!」


 加納さんからの連絡は正味めんどくさい。

 が、なぜか今日の絵舞の絡みはもっとめんどくさかった。


「山本さん浮気してる!」


「浮気って……そもそも俺とお前は付き合ってないだろうが」


 まるで彼氏を束縛する重たい系の彼女のようだ。いつものならこんなダル絡みはしてこないはずなのだが、一体今日はどうしちまったというんだ。


「あのな絵舞。何か勘違いしてるかもしれないが、俺は別に下心があってこの人と飲みに行ってるわけじゃなくてだな……って、おい」


 今さっきまで不機嫌そうだったはずの絵舞。

 その唇が、見るからに不自然にプルプルと震えている。


「お前まさか、またやったのか」


「な、何がぁ?」


「何がじゃねぇ。堪えきれてねぇんだよ、笑いがよ」


 やがて後腐れもなく思いっきり吹き出した。

 腹を抱えて笑う絵舞に、俺は細い視線をぶつける。


「ごめんごめん。ついチャンスと思っちゃって」


「チャンスって何だよチャンスって」


「山本さん嘘つくの下手だから。ちょっと意地悪しよって」


「お前なぁ……」


 呆れて怒る気にもならない。

 思えばいつだかも、絵舞にこの手のイタズラをされたことがあった。その時は俺に非があったから仕方なかったが、今回のはあまりにもパワープレイが過ぎる。


「てか嘘って何だよ。俺は嘘なんてついちゃいねぇぞ」


「だってさっき『良いことあった?』って訊いたら『無い』って」


「それのどこが嘘なんだよ」


 俺には嘘をついた自覚など一切無いが。


「嘘だよ。だって今日の山本さん、顔が凄く活き活きしてるもん」


「顔?」


「そう。何か良いことあったって、その顔見たらバレバレだよ」


 そう言うと絵舞は、けらけらと可笑しそうに笑った。

 思い返せば確かに、良いことがなかったわけでも無いが。


「そんなに俺、活き活きした顔してたか?」


「それはもう、疑いようがないほどに」


「マジか」


 どうやら俺は、感情が顔に出やすいタイプらしい。

 これでは何を隠そうが、絵舞にはお見通しということか。


「今日あった良いことは、そのラウィンの人と関係あるの?」


「ま、まあ、無いと言えば嘘になるけど」


「そっか。てことはつまり、山本さんはお仕事上手くやれてるってことだ」


「上手くやれてるかは知らないが、ぼちぼちな」


 俺が言うと、絵舞はニマッと柔らかい笑みを浮かべた。

 と思ったらすぐに目尻をわかりやすく下げて。


「でもこれで山本さんのケータイは、私専用じゃなくなっちゃったね」


「そりゃ、本来ケータイってそういうもんだからな」


「確かに、それもそっか」


 あははっと、くたびれた様に笑う。

 絵舞のその表情の裏には、目に映らない何かがあるような。

 そんな妙な違和感を感じた。

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