第22話「元最強陰陽師、アスモデウスと対面する」

「その、アスモデウスっていうのはどんな怪物なの?」


 象ほどの大きさを誇る魔神アスモデウスに気が付かれないように、カナデは草木で身を隠しながら尋ねてきた。アスモデウスのことを知らなくても、その危険性は感じ取っているらしく警戒の色が濃い。


「さっき言った通り、アスモデウスっていうのは7つの大罪とか、ソロモン72の魔神とか、俺のいた世界で有名な魔神なんだ。有名なだけじゃなく、強さもかなりのものだ。とても勝てる相手じゃない」


「そんなに強いの?」


「ああ、俺の世界であった、魔術大戦の時に戦ったことがあったが、数十人の戦闘魔術師の精鋭が揃っていても、地獄に押し戻すのが精一杯だった。当然俺も魔力に満ちていて全力が出せる状態だったけど、死んでもおかしくはなかったぞ」


 あの時は世界魔術啓蒙団と激しい死闘を繰り広げたが、最終決戦以外で一番苦しかったのは何かと聞かれたなら、迷わずアスモデウスとの戦いだと答えるだろう。


 はっきり言って今アスモデウスに勝つ自信は全くないし、応援の軍勢が来たとしても結果は同じだろう。


 ここは引くべきだと本能が叫んでいる。


「下がるぞ」


 小声で退却を指示し、音を立てないようにゆっくり、こっそりと元来た道へ引き返した。


「ここまで来れば安心かニャ?」


 猫妖精ケットシーのダイキチが安堵と不安が入り混じったような疑問の声を漏らす。よくみるとダイキチの尻尾は毛が爆発していた。


「あれはやばすぎだろ。何か対処方法はないのか? アツヤ、どうなんだ? 君のいた世界に何か伝わっていないのか?」


 クロニコフがこの中で唯一アスモデウスの事を知っている俺に尋ねた。確かに対処方法を練らなければ、この先どの様な被害がまき散らされるか分かったものではない。


「そうだな。俺の世界に伝わる神話でこんな話がある」


 アスモデウスに関する知識を共有するため、聖書に書かれた話を皆に話し始める。


 聖書には「トビト記」というものがあるが、その中にアスモデウスに関する記述がある。


 この物語において、アスモデウスはサラという娘に憑りつき、サラが結婚するたびに初夜でその夫を殺害している。


 この事件は7回にわたって発生した。


 しかし、ある日サラの住む町にトビアとアザリアという若者が訪れた。そして、アザリアはトビアにサラとの結婚を促した。


 トビアは一人っ子の自分が殺されるわけにはいかないと拒否するが、魚の内臓を香炉に入れれば大丈夫だと教えられ、結婚を承諾する。


 そして、初夜の際に、アザリアの言う通りに魚の内臓を香炉で焚いたところ、アスモデウスは部屋から逃げ出した。


 更に、アザリアはその正体である4大天使ラファエルの姿を現し、逃走したアスモデウスを捕らえたという。


 なお、アスモデウスはサラには手を出していなかったようであり、紳士的な面もあるのかもしれない。


「結局、天界の高位の存在であっても、完全に滅ぼせないほど手ごわい相手ってことか」


 クロニコフが暗い顔をして呟いた。まあ、そういう事だ。魔術大戦の時に魔術協会の精鋭が総攻撃を仕掛けた時も、地獄に追い返すのが精一杯だったのは、アスモデウスがあまりにも強すぎたせいだ。


「でも、アツヤの話を聞くと、何かストーカーっぽくて気持ち悪いわね。女の子に憑りついて、その子に近づいて来る男を皆殺しにするなんて。そんなに好きなら告白でもすればいいのに」


 カナデさん、この状況でこの話を聞いてそういう感想が出てきますか。結構独特な感性ですね。


 確かに、その意見には同意しますが。


「アスモデウスがキモイのは置いておいて、ひとまず逃げて対策を考え……」


「誰がキモイと申したか?」


 急に圧倒的な魔力を放つ存在がすぐそばに現れた。


 その姿を確認するまでもない。これだけ圧倒的な存在はアスモデウスに決まっている。恐らく俺達の存在に気が付いて、魔力を抑えた状態で接近し、傍に近寄ってから魔力を解放してきたのだろう。


 これだけ接近されては最早考える時間はない。突然のアスモデウスの出現に硬直する一行をよそに、俺は即座に行動を開始した。


「ダイキチ! 使うぞ!」


 ダイキチの持っている頭陀袋に手を突っ込み、ダイキチが携帯食として持っていた魚の燻製を取り出し、即座にアスモデウスに向かって投げつける。


「むう? これは!」


 アスモデウスが顔をしかめる。聖書にしるされている通り、魚の臭いはアスモデウスの弱点のようだ。今投げつけたのは燻製でそれ程臭いはきつくないが、それでもある程度の効果はあったようだ。


 その隙を見逃さずに次の行動に移る。今度は自分の懐から札を取り出して高く掲げた。


「来たれ勇猛なる戦神! 十二天将が1柱、騰虵とうしゃ! もとい、座天使ソロネ!」


 俺が使用したのは、十二天将という安倍晴明が行使した高位の式神を召喚する札である。本来は騰虵という羽の生えた炎に包まれた蛇が呼び出される。


 しかし、十二天将はこの世界はサポート適用外だそうで、別の存在が召喚される。


 騰虵の代わりに召喚されるのはソロネである。辺りが明るくなり、天から炎の車輪に乗った天使が舞い降りてきた。


 本来天使を召喚するには、彼らの神への信仰心が必要なのだが、別系統の魔術師である俺にはそんなものは持ち合わせていない。


 しかし、陰陽道で召喚される十二天将と天使の協定により、十二天将が赴くことが出来ない世界で代わりに召喚されてくれるのだ。


 ただし、代わりに戦ってくれることはない。この世界は十二天将のサポート外だと告知しに来てくれるだけだ。


 では、何故戦ってくれない天使を呼び出したのかというと、これには訳がある。


「またあなたですか? ですから、この世界には十二天将さんは来れないから、呼び出すだけ無駄ですよ。もしも力を貸してほしければ洗礼を…… 貴様! アスモデウス!」


 予想通りアスモデウスに気が付いたソロネは敵愾心をマックスにした。


 当然のことながら、天使と悪魔はお互いに敵対関係にあり、顔を合わせると基本的に殺し合いが始まってしまう。


 魔術大戦の時にも、天使を召喚する魔術師と悪魔を召喚する魔術師は、同じ場所で戦わないように配置が考慮されていたものだ。そうしなければ例え魔術師同士が魔術協会に所属する味方であっても、術師の指示を無視をして天使と悪魔が争いを始めてしまうのだ。


 さて、今俺はアスモデウスに弱点となる魚と、天敵である天使を呼び出して対抗した。これは聖書にあるアスモデウス退治の伝説をなぞったのである。


 即座にこの様な対処方法を編み出した俺の機転を、誰か褒めて欲しいものだ。


「ふん! ソロネごとき」


「グワーッ!」


 ……残念ながら折角召喚したソロネは、アスモデウスの持つ槍の一撃で消滅した。恐らく天に還ったのであろう。天使や悪魔はそう簡単に完全消滅はしないものだ。


「やっぱりダメだったか」


「その通りだ。確かお主、九頭刃くずのはアツヤと言ったな。まさかこんな世界で会うとは思わなかったぞ」


「あなたの様な強大な魔神に覚えて貰っていて、光栄ですよ」


 内心アスモデウスの放つ圧倒的な魔力に気圧されながらも、なるべく堂々と対応をする。


「この数百年の中では一番粘った魔術師であったからな。して、お主。やっぱりとはどういう事かな? 先ほどの攻撃は効果が無いと分かっていたという事か?」


「その通りです。アスモデウスよ。魚の燻製では香炉に魚の内臓を入れた時ほど臭いはきつくありませんし、四大天使のラファエルでさえ、あなたを捕獲するのがやっと。どうしてソロネごときに勝てましょうか」


 ちなみにアスモデウスは堕天する前、天使だった時の階級はソロネよりも上の智天使ケルビムだったとの説がある。ここからもソロネが単体で勝つのは難しかったと判断できる。


「では、何故無駄だと分かってあのような攻撃をしたのだ?」


「さて、何故かと問われましても自分にも分かりかねますが、強いて言うなれば例え敵わぬともただでやられるわけにもいかないという、魔術師としての意地ですかね」


「ほう? 意地とな」


「そうですね。後は、以前戦った時よりもあなたの体は小さく、魔力も大きくありませんので、もしかしたら行けるかとも思いましたが……まあ結果はこの通りですね」


 この言葉は本当だ。元の世界で戦った時は鯨のごとき大きさで、もっと強大な魔力を放っていた。単に抑えているだけの可能性もあるが、そうではないと直感している。


「ふむふむ。しかし、お前もかなり弱体化しておるな。何だその情けない魔力は。どうやらこの世界の魔術法則が体質に合わなかったようだな。この世界で暮らしていけばその内体質が合ってくるだろうが、吾輩の予想では1年はかかるだろうな」


 これは良いことを聞いた。今は魔力が自然回復しないので苦労をしているのだが、1年もすればよくなるというのだ。


 もっとも、1年後では遅すぎるのだが。


「ところで、あなたもかなり弱体化して召喚されたようですね。未熟な魔術師に召喚されてしまったようで。しかも中途半端に拘束されてしまっているようですね。どうです? この状況を変えたくありませんか?」


 これは賭けだった。これまでアスモデウスに対して臆することなく、堂々とした態度で話していたのは自暴自棄になったのでも、度胸がある為でもない。


 アスモデウスはその恐ろしい姿にも恐れることはなく、堂々とした態度で、敬意を払う者を好む性格をしている。そのため俺は、先ほどから堂々と丁寧に対応していたのだ。


 もしもこの対応が失敗したならば、俺達はお終いである。これは勝率が分からない賭けなので、本当は逃げてしまいたかったのだが、残念ながら逃げられる状況にはない。


 心の中でこの賭けが成功することを強く願った。ここまで他力本願になるのは初めてかもしれない。


「良いだろう。言ってみるが良い」


 賭けに勝ったことを、表情に出さず心の底で快哉を叫んだ。

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