第一章 彼女達の作戦会議②

「……どうする、授業」

 思い出したように伊織が口を開いた時には午後の授業が始まってから随分経っていて、五人は順にボックスティッシュを回しながら小さく呻いた。教科書を中心に円陣を組んでいる状況で、自分の顔は見られないが友人達のひどい顔と同じくらい悲惨なことになっていることだけはよくわかる。こんな顔で授業中の教室に入ろうとは誰も思わなかった。

「……ウチ、午後は選択授業だから、もういいや」

 莉子が泣き笑いの表情を浮かべながらふんだんに引っ張り出したティッシュに顔うずめる。

「私たちも音楽だしいっかな」

 さくらと伊織が目を合わせながら頷いて、紬はくしゃくしゃに丸めたティッシュをゴミ箱に放り投げ、それが入らなかったのを見なかったことにした。後で入れたらいいや。

「私どうせ学校やめるからいいや」

「笑いづらいネタやめてくんない」

 笑いが広がる。由佳はどうする、と誰かが聞いて、目をじんわりと赤く染めた幼馴染は困ったように眉を下げた。

「私、授業サボるの初めてだよ」

「うっそでしょ」

「真面目ないい子なんですぅ。だからこういう時くらい、サボるのもアリよねぇ」

 意見はまとまった。五人は改めて教科書に目を落とす。

「とりあえず引っ越す前に、向こう行ってからの対策考えよ」

「なんかテストみたいじゃん」

「まあテストっちゃテストみたいなもんよ」

 由佳が「このあたり、」と教科書のマーカー部分を指さした。

「昔みたいに崇拝してくれなくなっちゃったから、怒って付き合いをやめちゃったってことは、妖精的にはちやほやしてほしいってことかなぁ」

「構ってちゃんじゃん」

「鎖国の仕方もすごい一方的だし、フランス革命に巻き込まれたくないっていうのもわかるけど、あからさまに人間より妖精が大事って感じだよねぇ」

 頷いた伊織が口を開く。

「『隣人』って言うけど、どっちかっつーと向こうからしたら『しもべ』だと思ってた感じ? それが思い通りにいかなくなって、キレたんかな」

「自己中の極み〜」

「文明的にはかなり遅れてる気がするねぇ、産業革命による機械化が原因で信仰されなくなったと思ってそう」

「わかる〜めっちゃ時代遅れっぽい。そこに引っ越しとか、タイムリープに近いんじゃん」

「何着てるんだろ、布巻きつけてるとか?」

「縄文時代かよ」

 全て憶測にすぎないが、それでも彼らが人を嫌い、文明が発展していくことをよく思っていなかったことはよくわかる。ただ書かれているのは当たり前だが人間と妖精の歴史のみにとどまっており、妖精界の現在の状況が書かれているわけではない。つまり、実務的ではない。

「ほかに何か、役に立ちそうなものないかな」

 さくらが考え込むように下唇を噛むのを、そっと伊織が親指で撫ぜてやめさせた。悩んだ時に唇を噛むのはさくらの癖で、無意識に繰り返してボロボロになってしまうのだ。そのまましばらく黙っているのを他の四人も静かに待っていたが、「あ」と顔をあげたさくらは素晴らしい案を思いついたとばかりに笑顔で立ち上がった。

「いいものがあるかも!」

「えっ、なに」

 思わず声をあげた紬に、ちょっと待っててと告げて部室を飛び出していく。それを伊織が「あたしも一緒にいくわ」と追う。静かな授業中の校舎に、二人の上履きがたてるちいさな鳴き声に似た音が響いて遠ざかっていくのを残された三人は聞いていた。

「なんだろ」

 特にすることもなく、由佳が差し出した綿棒で目の下にできたメイクの滲みを拭き取っていく。鏡を見ると思っていた以上にひどい顔をしていて、紬はうわぁと小さなうめき声をあげた。莉子に至っては入れていたコンタクトレンズを取っている。「目が無理。洗いたい」瞬きを繰り返してはぼろぼろと涙を落とすが、なかなか取れないマスカラの欠片に苦戦していた。頼まれてポーチの中にあるという目薬を捜索しながら——あまりにも物が多すぎて見つからない——紬は口を開いた。

「莉子はさ、家に妖精がいることについてどう思ってる?」

「んー」

 困ったような声が返ってきて、そこからしばらく間があった。目薬を見つけてキャップを外し、彷徨う掌に乗せる。

「ありがと。——ええと、ウチはほんとになんとも思ってないんよ。可愛いし、ほんとペットみたいな。櫛の子もウチの家が好きだからいてくれるし、だから多分、紬とは立場が違うんだとは思う。紬は好きで行くわけじゃないし、ホームで妖精と関わるっていうよりはアウェイなわけじゃん?」

「うん……」

「あ、でも、これは思うんだけど」

 莉子の真っ赤に充血した瞳が紬をまっすぐ捕らえた。

「多分、ウチら人間と妖精は友達にはなれないんじゃないかなって。なに考えてるかわかんないし、どちらかというと本能のままに生きてるから言葉は通じるのに気持ちは通じないし、一緒の家に住んでるけど、ウチらと生きてる世界は違うなって思う」

「そ……っか、」

 付喪神といわゆるフェアリーと呼ばれる妖精でも、同じように友達にはなれないのだろうか。言葉は通じるのに、気持ちが通じないというのはどういうことなのか、紬には想像がつかない。今までそのような相手と対話することもなかったのだ。

 人間嫌いで時代遅れ。それだけで友人となることが酷く難しいことのように感じられるのに、価値観も違うとなれば到底うまくやっていけるとは思えない。しかも引越し先には頼れる友人がいないどころか人間すらいないのだ。ため息が漏れた。と、微かに足音が聞こえたかと思うと引き戸が勢いよく開く。

「ただいま!」

 さすがに授業中ということもあって声は抑えているが、出て行った時よりもさらに明るくなったさくらが顔を覗かせて、背後から伊織が軽く手をあげる。

「どこ行ってたのぉ」

「ちょっと図書室行ってきてて」

 二人揃って両手にいっぱいの本を抱えている。軽く目配せして由佳に教科書を避けさせると、そこに本を下ろした。覗き込むと『シンデレラ』『ピーターパン』『白雪姫』といった古典絵本から、『ナルニア国シリーズ』や『ハリーポッター』など王道ファンタジーまで揃っていた。

「どゆこと?」

 怪訝そうな紬に、さくらはにっこりと笑いかけた。

「妖精のことは、おとぎ話に聞くのが一番だと思うんだよね。案外こういうところにヒントは隠されてると思うんだ」

「いや、さすがにそれはどうかな……こういうのってフィクションでしょ?」

「どうかなあ? 事実もたくさん混ざってると思うの。だからほら、おとぎ話読もっか」

 手に押しつけられた絵本を見下ろす。白雪姫を囲う七人のこびと達は個性たっぷりの表情をこちらに向けていて、これはドワーフだろうか? つまりまあ妖精であるということでいいのか? いやいやいやいや、と紬は声を絞り出した。

「私、おとぎ話は信じてないんだけど!」

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