慣れない生活②
学校への道を説明してくれたエミリアは、紬の表情を見てすぐに諦めたようだった。
「見た目若そうな妖精についていけば、着きますから。あと、これでも持っていってください」
それだけ告げて鞄とカップを押し付け、見上げるほど大きな扉から押し出す。見た目の華奢さに反して力は強く、紬がちょっと抵抗したくらいではびくともしなかった。よく磨かれた床の滑りが良かったのも原因の一つかもしれない。
「ちょ、ちょっと! わかるわけないじゃん!」
抗議の声は閉められた扉に阻まれ届かなくて、それがまた腹立たしくて思いつくかぎりの悪態をついて思いきり白い柱を蹴りつけた。少し黒ずんだだけで輝くばかりの白さはほぼ損なわれず更に苛立つ。どうせこれもエミリアが午前中のうちに磨いてすっかり綺麗にしてしまうに違いない。海外留学でもこれほど早く放り出されることもないんじゃない? ここの生活は海外生活よりよほど過ごしづらいっていうのに。
道を調べようと鞄からスマホを取り出して地図アプリを起動しようとして——通信エラーが出て「もう!」と地団駄を踏んだ。これまでの経験、知識、手持ちのアイテムなにもかもが役に立たない。そもそも若そうな妖精の見分けがつかないのだ。昨日の無印ダンスパーティーで踊っている妖精の区別もできなかったというのに!
「はーっ、最悪」
特大級のため息を吐き出しながら門の方へと歩き出す。広がる青空も、そこにぽっかり浮かんでいる雲も、たったひとつしかない太陽も地球のそれと何も変わらなくて妙な気分になる。朝練に行くために住んでいた家の玄関を飛び出した時に感じた、春先のやわらかな空気と同じ香りがする。地球となんら変わらないわ、と思ってから、ここが別に別の惑星ではないことを思い出した。そりゃ太陽だってひとつだ。門を掴んでぐっと体重をかけると、思った以上にすんなり門がひらいてたたらを踏んだ。そういえば昨夜も、俊一が開ける際に力をこめている様子がなかった。鉄のように見えるけれど、本当は違うのかもしれない。
「……ほんっと、訳わかんない」
目に見えるものはこれといって変わりないのに、なにかが違っている。間違い探しみたいな世界だ。重そうなのに軽い。見慣れた草が橋になる。もしかしたら、軽そうなものが案外重いこともあるのかもしれない。持たされたカップを見下ろすと中にはなみなみと牛乳が入っている。
「てか、持っていくならコーヒーがよかったな」
学校に自動販売機があるとも思えないし。そもそも水筒じゃなくてマグカップである。学校に牛乳を持っていくのも常識の範疇をこえているが、せめて持たせるならこぼれないようにボトルにするとか、他にやりようがあるだろう。そもそもなんでマグカップ? 妖精界だとコップに入れた飲み物も、こぼれず持ち運べるのだろうか。なんだかよく分からない不思議なチカラで。いやいやそんなわけないだろ。
「嫌がらせ……?」
そんなことある? と首を傾げた紬はふと視線を感じて顔を上げた。門のすぐ隣の茂みがかすかに揺れて、くすくすと笑い声のようなものが聞こえる。なんだろう、と一瞬考えたけれど、声が聞こえる時点で人間である可能性は限りなく低いことに思い至る。妖精と動物しかいないのだ。喋る動物がいる可能性もあるけれど。
「だれ?」
問いかけると揺れがぴたりと止まる。ミルクを持っている姿がそんなに可笑しいだろうか。
——ミルクでも持って門の前で待っていたら誰かしらが寄ってくるでしょう。
フヌイユの声をふと思い出した。手に持っているマグカップと、誰かの声。小さななにか。人間の食べ物が魅力的だという妖精の習性。
「ほしいってこと?」
葉がやや大きめに揺れる。これは肯定を意味するのだろうか。ええい、どうせ学校への行き方もわからないのだからやってみるしかない。紬は鮮やかな赤い花を咲かせるツツジの根本、やわらかな土のうえにマグカップをそっと置いた。
「ええと……よき隣人さん、ミルクを差し上げます」
「やったあ!」
フヌイユに言わされた言葉を思い出しながら唱える。その途端、嬉しそうな声とともにぴょんと小人が飛び出してきたのだった。
南風野紬はおとぎ話を信じない 久慈川栞 @kujigawa_w
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