第一章 今後の話をしようか①
授業をサボるのは午後の一限だけにとどめると必然的に話し足りず、放課後をカフェで過ごすとあっという間に夜がやってくる。帰りたくないという紬の主張は、優しいが甘くはない友人達の「ちゃんと話を聞いてこい」の一言で却下され、渋々帰路につくことになってしまった。
「詳しく聞かないと、それこそ不安ばっかりになっちゃうよぉ」
というのは由佳の言だが、正論と思われるそれよりも言外の主張があからさまに見え隠れしている。要するに、「面白そうだからネタ仕入れてこい」ということだ。紬はマフラーに顔を埋めた。薄情な奴らだ、と思うが友人達の立場になった時に自分がどんな反応をするかと問われると、間違いなく同じことを言うだろうと思うと何もいえない。そりゃあそうだ、所詮は対岸の火事。吐く息が白く夜闇に浮かんでは消える。
「ただいま」
玄関に俊一の革靴があるのを確認すると、大きめの靄が口から吐き出された。暖房がきいた家とのはざまで、それはあっという間に姿を消した。リビングに顔を出すと既に夕飯を済ませた俊一が妻である裕子とダイニングテーブルで晩酌をしていて、紬の顔をちらと見て眉を八の字に下げる。昨日の一件で気まずいと思っているのはお互い様らしいことに気がついて、なんとなく安堵してしまう。
「おかえり、紬」
「うん」
曖昧な返事をして、二階の自室にあがるか一瞬悩んで結局同じ机についた。いくら避けたところで、既にリミットは設定されているのだ。それなら早いうちに話を済ませておいたほうが、今後のことを考えるとよほど良い。
「……昨日の話なんだけど」
「うん」
「ちゃんと聞かせてほしい」
俊一の目を見る。色素の薄い、紬と同じいろの瞳が視線を返した。飲みかけのビールを飲み干して「それじゃあ、」と覚悟したように口を開いた。
「今後の話をしようか」
紬は小さく頷いた。
「まず引っ越し予定日は、パパの配属される二十三日だ。場所は長野県だから、朝早くから移動するよ。引っ越しの日はずらせないから、絶対に寝坊とか忘れ物とかしないようにして」
「なんで二十三日固定なの?」
「春分の日だろう? 秋分の日もなんだけど、昼と夜がちょうど半分の日は妖精の国との境目が薄くなるんだ。だからこの日に引っ越す。詳しい場所はいえないし、パパも知らされていないから極秘なんだと思う。とにかく向こうの要求に合わせたらそうなった」
なるほど。引っ越し日が早急な理由が腑に落ちて、紬は裕子の差し出したアイスをにぎりこんだ。これを逃すと半年先まで引っ越しができないということになるとさすがに都合が悪いのだろう。そこまで納得して、聞き逃せない部分に思い至った。
「ちょっと待って。……ってことは、こっちに戻るのも半年に一回しか無理ってこと?」
「……わからない。一度繋がりができれば戻って来れるかもしれない。ただ、妖精の世界とこちらは時間の流れも違う。浦島太郎を知ってるだろう?」
「う、ん」
「向こうで半日過ごしただけで、人間界では数十年経っていることだってあるし、その逆だってありえる。だから、戻ってくる時には気をつけないといけないんだ。そんなに簡単に戻れないかもしれないから、そのつもりでいて欲しい」
「そん、な」
「ただ向こうから戻るときに時間の指定ができないと仕事にならないしな……行ってみないと分からないことが多いと思う。わからないことだらけでごめんな、紬も不安だよな」
謝られるとどうしていいかわからない。おそらく人間がほぼいない場所で仕事をする父親も不安なのだろうと思うと非難するにもできなくて、唇を噛んだ。反抗したところで何も変わらないのだ。
「あとは向こうの食べ物は口にしないこと。こちらに帰れなくなってしまうからね、戻りたい気持ちがあるうちは差し出されても食べたらだめだよ」
「うん、本で読んだ」
「そうか。自分で調べたんだね」
「——友達が」
「そっか」
つくづくいい友人を持ったのだと実感する。父親から得られる情報は、昼に由佳たちと探し出したものとさほど変わらない。今わかることをほとんど全て見つけ出してくれたのだ、あの短時間で。
「食べ物は定期的にこちらから支給される。電気はないから、保存方法はよくわかってないけど、多分特殊な方法を使っているんだと思う」
「特殊なって?」
「魔法とか」
嘘でしょ? と声を上げたいのを堪えて紬はその代わり口にアイスを含んだ。ひんやりとした甘さが広がって、少しだけ頭が冴える感覚。
「待って電気ないの?」
「電気もないしガスもないよ」
「ねえパパ……向こうってスマホ使えるの?」
俊一の表情を見て全てを悟った紬は、今度こそ「うそでしょ」とこぼれ落ちた言葉を止めることができなかった。
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