第一章 妖精と人間の歴史

 精霊や妖精は古来より人と共に生きてきた。

 人が今よりもっと自然に近く、目に見えないものを信じ物や植物に命が宿ると信じていた時代。妖精は人間の生活を助け、そしてそのお礼として対価を要求するのが習わしで、これを怠ると怒りに触れることになる。人々は妖精を身近な存在として認識していたものの、畏れの感情も持ち合わせながら、ある一定の距離を維持してお互い生活していた。

 家つきブラウニーに家を掃除してもらうお礼にミルクやパンを備える、抜けた歯を枕の下に隠しておくと、寝ている間にコインと交換されている。こういった風習は人々と妖精の関わりの中で生まれ、歌として後世に語り継がれた。妖精たちは人々にとって『親切な隣人』であった。

 この関係に変化が生まれたのはキリスト教や仏教が広まったことによる。人々は自然やそれに宿る魂を崇めることをやめ、人為的に作られた神に祈るようになった。

 その頃から妖精たちは人の世を敬遠するようになる。ある者は森にひきこもり、またある者は妖精界から出てくることがなくなった。人々の信仰が移り変わったことを許せない者たちが多かったためと考えられている。さらに十六世紀に宗教改革が起こり、信仰対象も多様化していく中で、彼ら『親切な隣人』はそれまでのように人間から崇拝されなくなったことに怒り、隣人であることをやめた。

 それから産業革命を経て、機械が発達し生活が便利になっていくことで人々は妖精のことを忘れ去っていった。そして科学が発達し始めた一七八九年七月一六日、妖精たちは人間との関わりを断つ。それまで既に数百年、人の世に現れることをしなかった彼等は、人間と付き合うメリットが特段無いという主張のもと、妖精の女王が国交断絶を言い渡す使者を出しそのまま鎖国へと踏み切った。ただ妖精にも地域差があり、アジア圏の一部ではこれ以降も目撃証言があるなど、自治区によって鎖国の度合いにも違いがあったのでは無いかと思われる。日本では大正時代の文献に付喪神や妖怪の目撃されたとの記載もある。

 使者を出した妖精の女王は、主にヨーロッパ圏(現在のコーンウォール自治区)の妖精を統治しており、鎖国の通達もこのエリアを主として出されていた。これはフランス革命勃発を受け、ヨーロッパに生息する妖精へなんらかの影響が出ることを恐れたことも要因の一つでは無いかと考えられている。

 その後百五十年近く続いた鎖国は、第二次世界大戦終戦後に突然終わりを告げた。妖精国からの大使が国連の中心部に突如現れ、国交の正常化を告げる。とはいえ世界的に科学技術も大幅に発達しており、人々は既に『目に見えないもの』を信じ、古来の習慣に基づいて妖精たちを迎えることは難しい状況であった。彼らはそれを受け入れたため、世界妖精機構(WFO)を急遽発足。文化や生息地域に合わせて大まかな自治区に分割し、各自治区に大使館を置くことで妖精国の同意を得た。妖精自治区からの大使館を人間側の世界に置くことに関しては、『時と場所さえ選べばどこからでも立ち入ることができるので不要である』との主張により却下されたという。

 現在は大使館大使が一人、ないしはその同居家族のみ妖精自治区に居住することとなっている。国交は正常化されたが人間と妖精の交流はほぼ無いに等しく、大使館も形式上存在していると言っても良い状態である。妖精達は自らを敬わなくなった人間達を嫌い、機械を操り科学を進化させる我々との交流を避けている。

 

 ——『世界史B 第七章・妖精と人間の歴史』

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