ただ一人の騎士
両者の間を風が吹き荒れる。どちらも相容れない存在であるが故に、お互いに一歩も譲らず、引くつもりはない。先にしびれを切らすのは、一体どちらなのか。誰もが固唾を呑んで見守る中、最初に沈黙を破ったのは異国の男だった。
「大人しく引き下がっていれば、痛い思いをせずに済んだものを。哀れな奴だ。」
「―黙れ!」
その一言がリュシアンに火をつけた。刹那、彼は地面を蹴っていた。剣を構え瞬く間に男へ接近すると、間髪入れずに振りかざす。
「はあっ!」
「―っと。アレスの騎士は血気盛んだな。こちらの話に、少しも耳を傾けやしない」
しかしそんな彼の動きを見抜いていたように、男は懐から造作なく取り出した剣であっさりと受け流した。三日月のように湾曲した刃とリュシアンの剣が交差すると、カキンと金属同士のぶつかる音が耳を
「っ。……その剣。やはり、アル・シャンマールか。」
「そうだが。」
「この狼藉……ますます許すわけにはいかない!」
リュシアンは受け流された剣を構えると、渾身の力で叩き落そうと一直線に振り下ろした。が、今度は相手に避けられて虚しくも空ぶる。その剣先は、すんでのところで男の鼻先をかすめた。
「……俺はお前と剣を交えたいわけではない。話を聞け!」
「蛮族の話など、耳を貸すものか。 先に無礼を働いたのは、そちらのはずだが?」
男の発言に動揺するまでもなく、リュシアンの決意は固かった。蛮族アル・シャンマールであるなら、容赦しない。その信念を表すがごとく、目にも止まらない速さで次々と斬撃を繰り出す。
「……っ。非礼があったのは詫びよう。しかし、時間がないのだ。」
「なんだと?」
その攻撃を軽やかに、それでいて力強くはじき返す黒髪の男。両者の力は完全に拮抗していた。
「俺が用があるのはお前のあるじだ。」
「……っ!」
薄々察していた目的を、男はいともあっさりと口にした。シエナの存在を知っているような口ぶりに動揺したのか、わずかにリュシアンの剣が鈍る。その一瞬の隙をついて、今度は相手の剣が彼の肩口をかすめた。だが彼は目の前で空を裂く刃には微塵も怯まず、咄嗟に体勢を立て直す。すぐに距離を取ると、剣を握る指に力を込めた。
「……彼女は、お前のような蛮族に近づけていいお方ではない。恥を知れ!」
そうして、これ以上は何も口を開かせまいとするかのように、一心不乱に男へ斬りかかった。
「取り付く島もない、か。さて、どうしたものか……。」
お互いがお互いを斬ろうと剣をぶつけ合い、かと思えば間合いを取り、次の瞬間には剣を振りかざす。二人は一歩も引かないまま斬り合いを続けていた。その迫力に押されてか否か、周囲のアル・シャンマール人たちもただ冷静に戦いの行方を眺めているように見えた。
「ザイド様も物好きっすねえ。こんな奴放っておいて、さっさと目的を果たせばいいのに」
「あいつなりのやり方だよ。良いから、黙って見てな。」
「……へえ。なんか、めんどくさいっすね」
そんな外野の会話もいざ知らず、馬車の中ではシエナが震えながら耳をそばだてていた。二人が剣をかち合う音と、徐々に上がっていく荒い呼吸は、彼女のものなのか、それとも外のリュシアンのものなのかもわからなくなってくる。彼女は祈るような気持ちで、騎士の無事を願っていた。
「はあっ!」
「……ふんっ!」
リュシアンは一向に変わらない戦況に苛立ちを覚え始めたのか、交差する剣の向こう側へ吐き捨てるように言った。
「……早く失せろ。」
「なるほど。腕利きの騎士……か。確かに一人でも十分そうだ。」
「黙れ、蛮族がっ!」
そして再び間合いを取った後。両者の息が弾む。どちらが先に動くのか。僅かな動きにも互いに目を光らせ合っている。次の一手に全てを賭けるべく、双方は気力を高めつつ、じりじりと距離を詰めていた。剣先を向けたままの牽制が続く。と思うが早いか、次の瞬間リュシアンの方が一足早く地面を蹴り、忽ち跳躍した。男の頭上で振り上げられた剣が、陽の光を浴びてキラリと光る。
「はああああああああ!」
「―ぐっ!」
重い一振り。息を上げながらも涼しい顔をしていた男が、初めて苦し気な表情になった。それを見て勝機を見出したのか、リュシアンは脅すように詰め寄った。
「……受け止めたか。だが、次で終わりだ。」
誰もが男の危機を予感したその直後。どうしたことか、男は唐突に剣を納めた。
「―もうよさないか。時間の無駄だ。」
騎士は面食らって動きを止めた。力なく剣を振りかざしたまま、信じられないといった様子で目前の敵を凝視する。
「……どういうことだ。俺を愚弄するつもりか?」
一方的に戦いを放棄されるのは騎士、いや戦士としても有るまじき行為だ。リュシアンが当惑するのも当然である。しかしながら、男は何処吹く風といった様子で背後に佇む仲間たちを示した。
「生憎、こちらは俺だけではないんでな。勝負は分かりきっているだろう。」
「……早く武器を取れ。丸腰の相手は斬れない。」
「結構だ。どのみちお前は勝てない。どう足掻いても、な。」
低く脅すような語気も男には通用しない。それどころか既に勝ったような余裕を見せているのが、ますますリュシアンの癇に障った。彼は静かに問うた。
「戦わないつもりか?」
「そもそもこれは戦いですらない。……お前は、あいつらが大人しく見守ってくれている、とでも思っているのか?」
「……何だと?」
すると、先ほどの気だるげな男がぽん、と玉のようなものを地面に強く叩き付けた。リュシアンの足元で転がったそれは、立ち所に煙が噴出させ、あっという間に広がって辺りを覆い尽くしていく。はっと気付いた時には既に手遅れであった。騎士の目鼻に入っていく煙は、すぐさま刺すような痛みと息苦しさを催し、前後不覚に陥らせる。
「なんだ、これは。げほげほっ……くそっ、小癪な真似を!」
馬車の中からはらはらと行方を見守っていたシエナも、突如真っ白になった視界に、何が何だかわからず気が動転していた。
「リュシアン、どうなっているの?! 無茶はよして。早く戻ってきて!」
「俺のことよりも、姫様! ここは危険ですから、早くお逃げ下さい!」
「なんですって?」
しかしその叫びもむなしく、知らぬ間に男の手によって馬車の扉が開かれていた。そうしてシエナの目の前に現れたのは、初めて目にする異国の者。
「―ひっ!」
驚愕と恐れ。彼女は呼吸を忘れて男に釘付けになっていた。獣のようなしなやかな野性味とどこか気品が漂う男から、なぜか目が離せない。妙に胸が苦しいのは、初めて見る珍しい風貌のせいか、それとも自らが絶体絶命の危機に瀕しているせいか。
「白金の髪に碧眼……間違いない。お前がアレスの王女だな?」
「……無礼者。さわらないで頂戴!」
それでも気丈なシエナは男から逃れようと身をよじらせたが、あいにく馬車の中では逃げ場などなかった。リュシアンは痛みのあまり目を開けているのもやっとだったが、ようやく煙の中から馬車の影を見付けると、声を荒げた。
「そのお方に触れるな!」
「安心しろ、騎士。彼女を傷付けるようなことはしない。ただ、我が国へ来てもらうだけだ。」
「何を……言っているの?」
彼女は狼狽したまま男を見上げた。そんなあるじを正気に戻そうと、騎士は必死の形相で男の後方から語り掛ける。
「姫様! そいつの言うことに耳を貸してはなりません。今、そちらへ―」
「一歩でも動いてみろ。今度はお前の首が飛ぶぞ。」
「……っ?!」
シエナははっとしてリュシアンの方へ目を向けた。いつのまにか、男の仲間たちが騎士を取り囲んでいる。その全員が彼に向けて、あの湾曲した剣の先を突きつけていた。
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