戦乱の行方

 騒がしい程の耳鳴りがする。シエナは助けを呼ぼうにも、口内はカラカラに渇き、喉の奥がヒューヒューと鳴るだけで、声が出ない。彼女はいつしか、眼前で繰り広げられている戦闘に釘付けになっていた。頭では早く逃げた方がいいとわかっていても、身体は自分のものではなくなったように、言うことを聞いてくれない。


 ちょうどその時、どこからか騒ぎを聞き付けたのか、シエナの元へ慌ただしく駆け寄ってくる者があった。


「おひいさん……っ?!  なんだってこんなところに! 大丈夫かい?」


 見ると、赤毛の女―アイシャが彼女を助け起こそうと、褐色の手を差し出していた。王女はどうにかして状況を説明しようと試みたが、動揺のあまり舌はもつれて上手く口が回らなかった。


「……あっ!  あっ……騎士団長が、わ、私を殺そうと……リュシアンはそれを止めて……な、なんで? ど、どうして私を?」


 それでも言わんとすることはわかったのか、アイシャは目を疑いながらも彼らとシエナとを交互に見比べた。


「おひいさん、落ち着きな。あの男……アレスの騎士だろ。もう一人はあんたの護衛騎士だね。なんだっておひいさんを―」

「わからないわ。でもこれは陛下の―お父様の意向だって。なんで?  私は……娘なのに。」


 すっかり憔悴しきっている王女の元に、もう一人の人物が近づいてきた。戦場でも洗練された佇まいを崩さないその男は、すぐ側の騎士たちを一瞥すると、呆れたように肩を竦めた。


「なんだ、これは。仲間割れか?」

「ザイド! あっちの男が、おひいさんを殺そうとしたんだよ。」


 シエナが顔を上げると、そこには悠然と腕を組むザイドの姿があった。彼は目前の光景に暫し呆気に取られていたが、すぐに状況を理解したのか、三日月のような刀剣を二本、鞘から引き抜くと両手に携えた。


「話は後だ。アイシャ、姫君を頼む。」

「わかった、任せな。おひいさん、立てるかい?」

「で、でも……リュシアンは!」


 そうしている間にも、兄弟は緊迫した戦いを続けていた。アルヴィンの凄まじい猛攻を防ぎながら、リュシアンは息を弾ませている。彼は剣と一体化したような心地で我を忘れ、死に物狂いで猛追していた。


「くっ……。まだまだ!」

「どうした。もう終わりか?」

「さすがにお強い。」

「ふん。貴様は護衛騎士なんぞにうつつを抜かす間に、腕がなまったようだな。」


 両者はザイドたちが来たことにも気づいていないのか、一向に斬り合いをやめようとしない。ザッと土を踏み込む音に、額に滲んだ汗が散り、闇夜に輝く剣が幾度もぶつかり合う。鬼気迫る斬撃の応酬は延々と続くかのようだ。

 そして、いよいよ渾身の攻撃を仕掛けようと、それぞれが一歩踏み込んだ瞬間。何者かがその間に入り、今にも交わろうとする剣を弾いた。


「―おい。仲間割れならよそでやってくれるか。迷惑だ。」


 二人は突如入り込んできた見慣れぬ剣に、動きを止めた。それからその持ち主に視線を移すと、同時に吃驚する。


「貴様は……?」

「お前は、確か―」


 思わぬ邪魔が入ったことで、双方の注意はザイドへと逸れた。争いを諌めた彼は、まずは見覚えのある護衛騎士に向かって泰然と口を開いた。


「案ずるな、騎士。いや、リュシアンと言ったか。姫君の身はこちらで預かろう。」


 もとよりこの戦いはシエナを巡ってのこと。どちらかが倒れるまで剣を交えるのものと決め込んでいただけに、リュシアンはその申し出に面食らった。


「なっ……! 何を勝手なことを。」


 一方のアルヴィンは、異国の男の言うことなど少しも耳に入らない様子で、弟を諭そうと威圧した。


「リュシアン、蛮族の言うことだ。気にするな」


 だが、今やあるじを危険に晒した兄は、リュシアンからの信用を大きく失っていた。彼は即座に逡巡する。何があるじにとって、最善なのかを。


「その男は姫君を殺そうとした。お前が今ここで彼女を引き受けたところで、そいつから守れるのか?」

「……。」


 薄々勘づいていたことを改めてザイドに口にされると、板挟みの騎士は忸怩たる思いで葛藤した。

 一方のアルヴィンは、言葉巧みに弟を惑わそうとすることに苛立ちを覚えたのか、異国の男へとその剣先を向けた。


「……貴様が蛮族の首領か?  どうやら、早く死にたいようだな。」

「なるほど、お前があの者たちのかしらか。自国の兵すら制御出来ないとは、哀れなものだな。して、こんなところで呑気に争っていていいのか? あちらを見てみろ。皆、戦どころではないようだが?」

「……なんだと?」


 ザイドが指し示した庭園の入口には、なぜか隊からはぐれた騎士たちが十人程度いた。皆、どこか様子がおかしく、ふらふらと覚束無い足取りである。それどころか、彼らは甚だしく見当違いな方へ剣を向け、仲間に向かって切りかかろうとする者もあった。


「―っ! なんだ、あれは!」

「……まるで盲目にでもなったようだ。敵味方の区別もついていないのか……?」


 異変を察した二人が狼狽するのを見て、ザイドはしてやったりと唇の端を歪めて微笑した。


「ようやく効いてきたか。混乱毒は体内を回るまで時間がかかるからな。あいつら、仲間内で殺し合いを始めたぞ。他の奴らは今頃どうなっていることか。……よもや、お前たちも毒に侵されているのではあるまいな?」

「なんだと。小癪な真似を!」


 リュシアンはすぐにでも切りかかろうと迫ったが、兄の方は意外にも冷静に彼を諌めた。


「一度撤退するぞ。来い、リュシアン!」

「お待ちください。俺は姫様をっ!」

「これ以上、無駄な討ち死にを増やす気か。早く引き上げるぞ。」

「そんな! それでは……姫様がっ」


 シエナはアイシャに肩を借りて、よろよろと彼らから遠ざかろうとしていたところだった。今リュシアンが駆け出したところで、きっとこの場にいる全員が彼を止めにかかるのだろう。すぐ目の前にいるのに助けられないもどかしさに、騎士は胸が張り裂けそうだった。


「あんたたちはこの子を殺そうとしたんだ。渡すわけないだろう。行くよ、おひいさん。」


 赤毛の女の最もな言い分に、二の句が継げなくなる。王女は呆然と立ち尽くすリュシアンを見つめたまま、なんと声をかけるべきか迷った。仮にこのまま戻ったところで、また騎士団長に殺されるかもしれない。そう思うと、彼女は自らの護衛騎士をまともに見ることが出来なくなり、顔を背けた。


「……リュシアン、ごめんなさい。私のことは、いいから。」

「姫様!」


 その叫びも虚しく、虚空にこだまするだけであった。

 アルヴィンは苦々しげに剣を下ろすと、暫く異国の男を睨みつけていたが、やがて吐き捨てるように言い残した。


「まあ、よい。これは挨拶がわりだからな。次までには……首を洗って待っていろ、蛮族も。」


 そして、彼らは足早に駆け出していく。リュシアンは後ろ髪引かれるように何度もあるじの方を振り返っていたが、ほどなくして騎士たちを連れて退却を始めた。


(どうして……私が殺されなければならないの?  なぜ、お父様が私を……?)


 その答えを知りたいはずなのに、知ることが怖い。

 シエナは彼らを見送りながらも、心は千々に乱れ、頭の中はぐちゃぐちゃでどうにかなりそうだった。



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