3-3


 拠点に戻るなり、オレと澪は果物を切り分ける。その間、菖蒲はテントから出て何か呟いていた。

「あいつ、何してるんだ」

「さぁな」

 持っているナイフが果汁まみれになる。オレが手に取った熟れた果物は、黄色とも赤色とも言えない色で、非常に柔らかい。タネをほじくりだし、菖蒲の置いていった皿に盛る。澪は拳ほどの大きさのリンゴを懸命に切っていた。見ているだけでも、どれほど硬いのかが分かる。あれで殴られたらひとたまりもないだろう。

 他にも果物はあるが、それらよりも皿が気になる。ガラス製のようである。プルメリアはガラスを輸入する側ともあって、あまり見かけないし貴重と言えば貴重だ。こんなもの、一体どこで手に入れたのだろう。

「そういえばさ」

「うん?」

 話しを聞くために澪が手を止めた。

「エリス、言ってたよな。ガラスを作るって」

「あぁ……そういえば」

「初めはガラス細工が好きで、それ目当てかと思っていた。けど、実際は違ったんだ。エリスの部屋にガラス窓があるんだ。それも大きいやつ。そこから見える景色はいいもんだし、日の光がはいるからいいねって話した。だけど」

 オレは一旦口を閉ざし、果汁まみれのナイフを傍らに置いた。

「城下町の家は、全部木製なんだ。木製でも不便は無いけどさ、腐ると取り替えが面倒だし。でもガラスだと外も見える。日光も入る。ただ、固いものが当たれば割れちゃうけど……見た目はいいだろう。エリスは城下の人にも使ってもらいたくて、交渉を進めている」

「でも材料と作り手は? それらが無いとどうすることだって」

 そこまで考えていない。その点について弁解しかけると、第三者の口が挟まった。

「俺が教えてやってもいいが」

 何食わぬ顔で菖蒲が立っていた。靴を脱ぐなりコップを置く。透明な陽気の中には何も入っていない。

「一から作ると面倒だが、俺はこれを使う」

 彼はテントの隅っこにあるカバンから、数粒の砂が入った小瓶を見せてきた。砂は汚い灰色をしている。

「ガラスの材料をまとめた塊だ。これに細工すればガラスを作ることは可能。ま、この話はあんたの女王を助けての事になるが」

 さりげなくオレを見て、急に背を向けた。

 あんたの女王、と言われ何故だか顔が赤くなる。意味も分からず恥ずかしい気分になった。

「それより、アレイが着いたらしい。例の場所に。で、距離があるから転移魔法で移動する。ただアレイなりに準備をしているし、それまで時間つぶしだ」

 ドン、と彼が茶器を置いた。一体こんなものどこから出したのだろうか。もう考えるのは止めて、漂う香りに和むことにする。にしても、嗅いだことのある香りだ。

「言っておくが、これはプルメリアに居る仲間から取り寄せたんだ。盗んだもんじゃない」

 半ば投げやりながらも、菖蒲はカップに紅茶を注ぐ。少し乱暴であったが、程よい色合いと匂いに文句は無い。

「紅茶ばかり飲んでいるお前らには、お似合いだな」

 そう言いながらも菖蒲は紅茶を飲んだ。何の茶葉だろうか。まさか適当に調合した、なんてありそうだ。澪は不審げにカップを眺めている。まだ菖蒲、いや革命団に敵対心を持っている以上仕方が無い事だ

「悪かったな、紅茶ばかり飲んでいて」

 思い切ってカップに口を付けた。同時に澪も飲む。

 熱い。それが第一印象で、口内に入ってきた茶自体に味はない。そう思うほど薄味。よく言えば甘味料を加えていない紅茶。後味はほんのり渋みがあった。

「……味が無い」

 もしやと考え、切り分けた果物を手に取り一口いただく。それから紅茶を飲んでみる。そうすれば味と相まって良くなる……

「はっきり言おう。微妙だ」

 わけなかった。あと一味足りない。実におしい。

「飲めるだけでも感謝しやがれ」

 でも、案外悪くない。カップが空になると菖蒲は見計らっておかわりを入れる。

「食べていいか、これ」

 澪が指したのは地中鮫の切り身。菖蒲が捌いたもので、けっこう綺麗に仕上がっている。でも、魚と縁遠い身としては切り身なんてゲテモノ同然だ。

 彼は頷いて、綺麗な木の棒を差し出す。棒は二つあって、両方とも細い。

 それを受け取った澪は、器用に持って切り身を摘まんだ。

「……お前は、どこの?」

 その様子を見た菖蒲が口を開いた。

「随分昔の記憶なんて、忘れた」

「そうか」

 一瞬、何の事だか分からなかった。が、二人の生い立ちを考えればわかる。

 彼らの母国のことだろう。そして、澪の持っている棒は、その国であった物に違いない。彼は滅多に母国について話さない。何か事情があるだろうし、オレからは聞かない。

「リオンは……いいか」

「気にするな、二人で食べろ」

「よし。じゃあこれは一っきれもやらないからな」

「……意地汚い黒百合め」

 本当に意地汚い、とは思っていない。菖蒲も冗談交じりで言ったつもりであろう。

「それで、だ。少し聞きたいことがある」

 切り身を二つ食べて、菖蒲は少しためらったように話を切りだした。彼なりに何かを決心したらしい。まじまじとオレを見て、澪を見た。

「二人が、いや、白薔薇であるから聞きたい。女王エリスは、何者だ?」

 間が空いて、何から言うべきか迷った。

 エリスはエリス。プルメリアの女王。それ以外何だと言うのだ。

「言いかたが悪かった。昔の事を聞きたい」

「昔の、か」

 おかわりの紅茶を一口飲んで、澪が呟いた。昔のと言われたって、彼は詳しく知らない。

「オレが話す」

 仮にも幼馴染、のようなものであるし、ずっと傍に居た自分なら話せるだろう。

 とりあえず、生い立ちは不明。でも前女王のカトレア后の娘であり、幼いながら皆を勇気づけていたことを説明する。その後、大人たちの力を借りて生き残った人たちが住める場所を確保。城の跡から食料を見つけ、どうにか明日を乗り越えてゆき、近くで被害を受けた人を向けいれた。

「そのときだよな。澪と会ったのは」

「こっちもこっちで大変なところを助けられた。あのとき、女王が受け入れをしてくれなかったら、死んでいたよ」

 菖蒲は何か呟きつつ聞いていた。

 人が増えたことにより、復興へ着実に進んで行った。

 亡くなった人たちの埋葬も同時並行し、水源の確保、食物の入手をやった。仕方のないことだけど争いもあり、どうにかしてそれを止めていた。

 けれど一日が過ぎると、必ずいい収穫はあった。

「それの繰り返しで、復興したのか」

「ああ。エリスは凄かったよ……今のオレにも分からないけど、建築がどうこうやってのけてさ。その時は……十四歳ぐらいだったかな」

 思えばあのふるまいは年相応と言えなかった。いや、それだけ教養があったのだろう。当時の自分が知っている事に出来る事なんて、剣の使い方、ちょっとした料理、魔物から逃げる術、読み書きと計算、それと……いや、それしかない。

「変わったヤツだな。十四で建築方法も知っているとは」

 少し舐めたような、探っているような言い方だ。

「まぁいい。とにかくそこら辺の子供よりずっと頭のいいってことか」

 納得したのか、息を吐く。菖蒲の言うとおりエリスは頭が良かった。だがまだ何か言いたげでいる。

「何か言いたいなら、言え」

 澪の言葉を聞いて、菖蒲は深呼吸をする。

「もしお前らが女王に使えていなかったら……勧誘をしていたかもしれない」

「か、勧誘……!?」

「俺は魔女の災厄で一人になった子供を集めている」

 少しして、澪が口を開ける。

「つまり、その子の復讐を手伝っているのか?」

 それを兼ねて、自分に呪いをかけた魔女を探しているのだろう。

 もし、もしもあの状況下で出会ったのがエリスではなく菖蒲だったら。

 オレはどうしていただろう。彼について行って、復興でにぎわうプルメリアを眺めていたのかもしれない。今の革命団になって、大好きな国で大暴れ。想像がつかない。

「もういいだろう。時間だ」

 並べてあった食べ物はもう平らげてしまったし、紅茶はもう無いらしい。

 先に外に行け、と言われオレは澪とテントを出る。ジワリと日の光が射してくる。暑くは無いのが不思議である。

「すっかり汚れちまったな」

「……本当だ。って、澪も土とか砂とか付いてるぞ」

 言われて気づいたが、制服の端が酷く汚れていた。ほぼ一日中着ているので仕方がないことだ。どこでついたのか黒ずみまである。帰ったら洗ってもらわなければ。

「準備は良いか?」

 テントから菖蒲が出てくる。さっきまで浸かった茶器等は返したのだろう。

「今日中に終わらせる覚悟でいる。お前たちもそれでいいな?」

 異論はない。オレと澪が頷くと、菖蒲がこっちに歩み寄り地面に手をかざした。そのときに何かをばらまく。

「なんだこれ」

「触るなよ。手が爛れても知らんからな」

 よく見ると石の欠片だった。紫色をして、どれも歪な形をしている。触ったら爛れる、と菖蒲は言った。だけど彼は素手でそれを持って、落とした。

 見覚えのある物だ。マドニアで出していたあの石だろうか。

「お前は平気なのか?」

 澪が怪しそうに聞くと「俺は平気だ」と返ってきた。

 次に明るい水色の粒が撒かれる。オレらを囲うように落とされてゆく。

 撒き終えると菖蒲は背中にる大剣を取った。よく見れば、柄に研磨された石が嵌められている。石は真っ黒だ。それを見た時、背筋がヒヤリとしたのだが……気のせいだろう。

「石は、長い時を経て形作られる。もちろんこれはただの石っころじゃない」

 菖蒲が剣を地面に突き刺した。その瞬間、周りから光が溢れた。

「人の念が詰まった、おぞましい物質だ」

 脳を裂くような耳鳴りがした。菖蒲が何か言った気がする。

 瞬間、目の前が色とりどりに瞬いて、身体がひっくり返りそうになる。

 いやひっくり返った。でも体に痛みは無い。

 グルングルンと全身がめちゃくちゃに回される感覚がして、胃が飛び出そうになり口を押えた。でもそんなことは無く、出てきたのは涙だった。口の奥にスプーンを突っ込まれるような気持ち悪い感じがする。吐きたくなった。

 次いで体の中がかき乱されるような不快感がする。手足の指先がチリリと痛んだ。耳の奥に水が入ったときの違和感が生じ、耳鳴りが響く。

 そもそも自分がどこにいるのか分からない。経っているのか、浮いているのか。あーこのまま死ぬんじゃないの、と思った矢先に不快感という不快感はあっという間に無くなった。

 ストン、と地に足が着く。目のチカチカも無い。視界が開けるとそこは――

 見慣れない場所だった。

 荒野もテントも何処にも無い。平野だ。

「さすがに三人同時は……キツイな」

 オレと同様に蹲る澪を介抱し、前を向く。菖蒲は剣にしがみついていた。

 まだ頭がくらくらする。移動魔法はこんなにも酷いものなのか。こんな思いをしてまで使いたいとは思わない。

「……大丈夫じゃなさそうね。菖蒲、使う鉱石の量少なかったんじゃないの?」

 前からそこにいましたけど、という顔でアレイが苦笑いする。彼女の着ているブラウスは所々黒い飛沫が付着して、上着は傷だらけだ。

 どうやらアレイの言う例の場所にちゃんと着けたようだ。安心のあまり、身体から力が抜ける。

「……かもな」

 頭をふるい菖蒲が立ち上がる。顔は青白い。今にも倒れそうだ。

「澪、平気か?」

「ま、なんとか……リオンは?」

「脱力感が酷い」

「奇遇だな。オレもだ」

 敵の本拠地前に来たのにも関わらず、既にこの状態になるなんて思わなかった。

 でも、と深呼吸をする。落ちつけば症状は和らぐはず。

「ところでここは?」

「あの拠点からずっと遠い所」

 衣服のゴミを落としながらアレイが答える。その顔に笑みは無かった。彼女も疲れているようだ。そして、オレらの後ろを指す。そちらの方を向いてみた。

「なんだ……ここ」

「凄いよね、まさかこんなところにあるなんて思わなかったよ」

 振り向いたそこには渓谷が続いていた。さらに得体の知れない魔物の死骸が転がっている。全てアレイが倒したのだろう。……末恐ろしい女だ。

「魔物が飛び出て来たんだ。まぁ一匹残らず倒しちゃったけどね」

 彼女は得意げに微笑んだ。

「で。本題はこっち」

 くるりと回れば、歪な薄灰色の塔が目に入る。窓もなければ入り口もない。天辺をねじったのか、途中からぐにゃりと捻られている。一瞬だけ、その塔は柔らかい素材なのかと思った。そうでなければ塔が捻じれることなんて無い。

 塔は見る限りの推測だが石積み。しかし、捩じっていたら崩れてしまう。いやそもそも捩じってある時点でおかしい。もしかしたらそう見えるよう建てられただけかもしれない。でも一体誰が、何のために。こんな僻地だぞ。見せるならば人目に付くところに建てるだろうし。

 ……考えるだけで頭が痛くなる。次いで目も回ってきた。その他にあるものといえば生い茂る木々。ただ、それらに影は無い。もしやと思って自分の陰があるか確認する。ちゃんとあった。影が無いのは木々だけである。

 一言で現せば、奇妙、だ。

「気味悪いよね。でね、ここから竜が出入りしたの見たんだ……って、聞いてる?」

「……すまない。あまりにも不気味で趣味が悪く、度肝を抜かれた。」

 気を取り戻した菖蒲は考え事を始める。

「入り口はどこだ?」

 言われてみればそれらしいものは無い。そもそも塔自体に出入りする箇所は見当たらないのだ。すると、アレイが銃を構えた。

「無いなら作るまで」

 ズドッという鈍い音がした。

 案の定、菖蒲の手刀もとい制裁をくだしていた。やられたアレイは一鳴きして蹲る。

「無容易にそんなことしたら、後々面倒だぞ」

 更に澪が釘を刺したため、アレイがうぐぐと呻いた。

 確かに、変な仕掛けがあったら一大事だ。そもそも壊して入るなんて最終手段だろう。

 恐る恐る壁面を叩いてみた。石壁を叩いた時の、コンコンという音がする。しかし、固いという感覚は無かった。表面を撫でてみるも指には何もつかない。普通の石壁なら何かしら砂の粒とかつくのに。

「この塔は実在する。それは確かだ」

 蹴りをいれてみたって何も変化は起きない。

 けれどここで立ち止まっていられない。ここにエリスがいるかもしれないんだ。

 この塔のどこかに。きっと。

「どうして……!」

 不意に、エリスを護れなかった悔やみが湧く。オレがしっかり護衛出来ていればこんな事にならなかった。そんな自分が妬ましい。

「おいリオン、落ち着け」

 肩を引かれ、自分がそうとう焦っていると気づいた。無意識に塔を蹴っていて、靴が少しひしゃげている。エリスが素敵と言ってくれた、白いブーツ。彼女がオレのためにつけてくれた白い薔薇の刺繍は、無事であった。

「焦るのは良く。分かる。だけど……」

 やるせない。その一言に尽きる。アレイはどうしたらいいのか、と菖蒲をみる。彼は首を横に振った。

「そういえば、黒百合。……や、菖蒲じゃない。そっちの」

 澪がアレイを指す。彼女は「自分ですか?」と首を傾げる。

「竜はどこから出たんだ?」

「ええっと……どこだっけ。上ってこと以外分からない」

「でも、どこも塞がれている」

「……あぁ!」

 急にアレイが声をあげた。何かに気付いたらしい。

「壁を抜けた!」

「さすがにそれは無い。おかしい」

「……リオンの言うとおりだ」

「なによー! 本当に見たんだから!」

 巨体だろう竜が石壁を突き抜ける。バカな話だ。

「いや。ある」

 腕を組んだ菖蒲が、引きつっている笑みを浮かべる。

「壁を抜けるように見せかけた魔法、だったら?」

 不意に、影が落ちた。周囲が少し暗くなる。太陽が雲に隠れたのだろう。だが空は雲一つない青空だったはず。

 恐る恐る上を見上げる。

「本当の本当だとはな……」

 馬鹿でかい翼をはためかせる竜がいた。奴は、塔からぬるぬると這い出てくる。上半身しか出していないが、結構な大きさと分かる。

 自然と口元が引きつる。

 最後に菖蒲を見る。彼はやれやれとも言えないような、好奇心旺盛な子供の顔のような、悪魔のような笑みを浮かべている。

 瞬間、天から奇声がほとばしる。竜のおたけびだ。グギャアアアと声をあげ、奴が落ちてくる。ちょうどオレらの前、五メートル先あたりだ。爆風と共に砂が舞い上がる。顔を腕で庇いつつ、空いている片手で剣を抜いた。

「この!」

 急に、視界が晴れた。風が吹き荒れる。発生元はアレイだった。彼女の周りには魔法陣、のようなものが数個浮かんでいる。

「菖蒲!」

 言われる前より早く菖蒲が飛び出す。オレも行こうとしたが誰かに止められる。

「アンタは残ってて。代わり茶髪、菖蒲の援護して!」

 アレイがオレの腕を掴んでいた。指名された澪は一瞬ためらうも、すぐに刀身の長い剣を持ちつつ走りこむ。

「周り込むよ!」

 彼女は言い切るなり駆けだした。前後から襲うと言うのか。反論も異論もなくついて行く。

「まさかだと思うが、倒し方、知ってるのか!?」

「まーね!」

 それについて聞こうと思ったが、結局暇は無く、竜の後ろをとった。その際に気味わるい塔の全貌が、目に入る。塔の真上。そこに人影が見えた。

 が、眺めている暇は無い。モルス隊長の腕十本分もありそうな尾が、オレめがけ叩き下ろされる。慌てて横に飛んで体制を整えた。一緒にいたはずのアレイは、なんと竜の身体に乗っていた。つい、こんなときに何をしている、と呆れた。違和感を覚えたのか竜は地震の翼をバタつかせだす。

「わひゃあーっ」

 悲鳴を上げるアレイは楽しそうにも見えた。幸いなことか竜はアレイの存在に気付いていない。

「もういいよー! 援護の為に呼んだけど要らなかったー! ごめんねぇーっ」

 ブン回されつつアレイが手を振った。元気そうでなにより、と思うも頭を振るう。

「おい大丈夫か!? 落ちるぞ!」

「はっはっは! あたしに任せなさーい!」

 ……あんな彼女に任せていいのだろうか。不安に思うも、アレイを信じよう。

 竜は四足歩行で、鱗は暗い青緑色だ。どれもギラギラと輝いて、試に剣で叩いても効果はなかった。それほどまでにコイツは固い。

 時折降ろされる尾を避けながら、前を目指そうとする。あっちの方は苦戦しているはずだ。けどどうやって行こう。左右は菖蒲の放っている火の玉に当たりかねない。じゃあ、と立ち止まる。

「腹の、下……」

 進むべき道はそこしかない。幸いにも腹の下はオレでも潜れそうである。

 脱兎の如く下をくぐる。最悪なのは、ここで竜が圧し掛かってくることだ。そうならないのを祈りつつ、前を目指す。竜の腹部は鱗に覆われていない。のっぺりとした肌色が確認できた。いわゆる蛇腹である。ここを斬れば、と考えた。しかし内情やら血まみれになるのは御免である。

 走り抜けると、まず出迎えたのは轟音だった。振り向くと、竜は口を開けている。生臭さが鼻を刺激する。りゅの校内には、地中鮫の歯よりも鋭い牙が数本あった。あんなのに刺されたら一たまりもない。

「アレイが何とかするまで時間稼ぎをする」

 菖蒲が何かを企んでいる顔で呟く。

 そのアレイは、暴れる竜にしがみついていた。今は体に乗っかっている。

「で、何をすればいいんだ」

 聞いたのだが、菖蒲は知らん顔をする。落ち着いたのか竜はこちらを睨んできた。鼻の穴がふすふすと開いては閉じている。オレならあの穴に入れそうだ。入りたくは無いけれど。

 竜の目はくすんだ黄色をして、ジッとこちらを睨んでいる。まるでオレらを品定めしているようだ。

 その顔面に向けて菖蒲が手を伸ばした。

「二人は左右に飛べ」

 言われるがまま澪が動いたので、すかさずオレも跳躍する。その時、菖蒲の手に平から雷がほとばしり竜の鼻を焦がした。痛みに反応した竜はギャーッと叫んで上半身をもたげる。

「ちょっとおお!」

 その衝撃でアレイが転がって、翼にしがみついた。

 ちらりと竜の首が視界に入る。顎付近に赤色の吹き出物っぽいのがあった。

「あれか……!」

 菖蒲がそれを忌々しげに睨み、大剣を構える。

「向かってくる部位だけを斬れ!」

 言われなくっても分かっている。両手で柄を強く握りしめた。

 竜の手が下りてくる。咄嗟に周りこんで、手が地に着いた時。思いっきり剣を薙いだ。

 さすがにぶった切ることは出来なかったが、傷を付けれた。足と比べたら鱗は柔らかかった。

 血管辺りはやれただろう。剣を引き抜くなり濁った黒色をした血が飛び出す。それを間一髪で避けて、

「澪!」

 声をかけながら彼の元に向かう。竜は澪の方を見ているのだ。オレの付けた傷に気が付いていないらしい。一方の澪は竜と向き合っている。彼は少しも怯まず凛としているが、オレとしては心配でならない。彼はまだ戦闘が苦手であるし、戦い方が少し変わっている。危険が伴う居合術とやらを使うのだ。澪は、竜に居合を試みているのだろう。

 いや、さすがにそれは危険にもほどがある。何もしてこない澪は竜からすれば格好のエサに違いない。

 しかしそんな心配はいらなかった。竜が口を開いて、ねばっこい赤色の舌を突き出した。オレが辿りつく前に、彼は剣(……正しくは刀と言うのだが)を両手で握りしめ、迫りくる竜の舌を叩き斬った。

「わぁ……」

 ほんの一秒での出来事だった。血管が多く通る舌を斬られ、竜が悶え鳴く。澪は血しぶきを避けながら右方に移動した。

 血を吹き出しつつ竜は叫ぶ。聞くだけでも痛々しさが伝わった。早く仕留めてやりたい気持ちが高まる。とにかく、澪の傍に寄る事にした。血の雨を避けつつ、退避する。澪は少しずつ後退していた。

「平気か澪」

「あぁ、なんとか。後は任せよう。巻き込まれたら大変そうだし」

「……巻き込まれるって、何に」

「知らないのか? 竜の弱点」

 荒い息の中、彼は重々しく呟いた。

「逆鱗」

「なんだそれ」

「見ればわかる」

 淡白な返答だった。思わずオレは「澪は竜と戦ったことがるのか?」と聞こうとしていた。もちろん、そんなわけはないだろう。

 急に、竜が吠えた。澪に腕を引かれ近くの茂みに引っ張られた。ぼうぼうと生える草の先端は紫色に染まっていて、ここは変な塔の前と思い知らされる。草独特の青臭さもない。やはり異質だ。

 それはさておき、首を竜に向けた。竜は鱗を逆立て、上半身を持ち上げていた。両腕と下からは絶えなくドス黒い血が流れている。竜の血は黒いのか、なんて考えてしまう自分が憎い。

 龍の首、オレが見た吹き出物っぽいところに菖蒲がいた。大剣で刺したのは良いが抜けないので捕まっている、のだろう。ぶらぶらと揺れている。

「元々、竜って言うのはな」

 おもむろに澪が喋りはじめた。

 まだ竜は雄叫びながら、首にある異物を払おうとしていた。

「ここより遠い国にいた、神聖な生き物なんだ。そこはオレの故郷にも近い国で、そんなことがあって少しは知っている。

 あいつみたいなのじゃない。まぁ、大きなヘビが知性と理性を持ち合わせたようなもの。そいつらはとっても温厚で、人を襲わない。だけど」

 アレイが菖蒲の名を呼ぶ。それに応えて、彼は後方に手をかざす。すると、手の平から突風が発生する。菖蒲は剣の柄を握り締め、おもいっきり武器をねじ込む。嫌な音が響いた。

「今戦っている竜は、人を襲う。でも結局は元が同じで、弱点も変わらない。その弱点が、一枚だけ逆立った鱗なんだ。触ると暴れるけどな。あいつの場合じゃ吹き出物だけどさ。種類によって形は違うかもしれない……」

 そう言い終わり、澪は竜の首を指す。確かにあの部分を攻撃されてから狂い始めた。

 不意に爆音がした。風に乗って火薬のにおいが鼻をかする。

 何かと思えばアレイが逆さまになっていた。竜の頭からジャンプをして逆さに落下し、発砲。銃を構えたまま、彼女は器用に体を捻って着地する。

「……まさか目を撃つなんて」

「目?」

「第二の弱点だ」

 意外なものだ、と思うも、人間だってそこらの魔物だって目をやられたら大体死ぬか重傷を負う。不思議と親近感を持ってしまった。

 どっちにしろ、アレイは敵にしたくない。真っ向勝負で戦えばオレは負けるだろう。ああやって、躊躇なく弱点を潰すところが恐ろしい。

 一方の竜はその巨体を地面に横たわらせた。ずしん、と静かな地響きが足を伝う。もう倒したのだろうか。澪と目を合わせ、黒百合たちの元に向かう。


 平気かどうか聞くと、アレイは足首をくじいたらしい。着地に失敗したようだ。だが彼女は治癒魔法で今は元気である。それで菖蒲はというと、

「……手伝え」

 剣を引き抜こうとしていた。竜は既に死んだらしい。手首からの出血量を見ればうなずけることだ。閉じている瞼からは血が溢れている。死因は出血死だろう。ともかくオレは澪と一緒に菖蒲に手を貸した。血生臭いのは我慢するしかない。

「けっこう大きいな、竜」

「喋ってないで、引っ張れ薔薇野郎!」

「薔薇やろ……そんな言いかたは無いだろ!」

「いいから、真面目にやれ」

 悪いと思いつつ竜の身体を蹴りながら力を入れた結果、ようやく剣が取れた。安堵したが、腕を菖蒲に掴まれて竜の身体に乗っかる。

 腹ばいになりながら見たものは、逆鱗から溢れる真っ黒い液体。まるで噴水のようだった。オレが下にしている竜の身体がドクドクと疼いている。地面が黒く染まってゆく。次いで、血の臭いが酷くなった。少し慣れてはいるものの、やはりキツイ。

「不思議だ……」

 菖蒲がぼうっと呟いた。目線は自身の武器に向けられている。

「刃こぼれが無い。脂身もついていない」

「竜って、そんなもんじゃねーの」

「いや。抜くときに筋肉の筋が切れることは感じ取った」

 左右にいる二人は体を起こしていた。慌てて起き上がり、菖蒲の大きな剣を見る。

 普通、生物を斬ったとき刃物が痛むことがある。一般兵が使う量産型標準の剣はすぐボロボロになるが、オレや澪、隊長の使うものはちょっとやそっとじゃ刃こぼれしない。それほどまでに高性能な素材で作られている。しかし、研いでやらないと切れ味は悪くなるのは変わりない。特に脂肪分の多い魔物と戦った後は絶対にやる。そうでないとすぐ悪くなるし、丹精込めて作ってくれた職人さんに申し訳ない。

 菖蒲の大剣がどんな素材で出来ているか知らないが、パッと見て傷は一つもない。真っ黒な刀身が真っ黒な血を浴びている。実におぞましい。

「ねーなにしてるのー?」

 びしゃびしゃと血の海と化した地面をアレイが蹴って、見上げてきた。普通の人なら、この光景を目にしたらぎゃーっと叫んで逃げ出すだろう。だが彼女は平然としてやがる。それほどまでに戦場に慣れている、というのか。

「いや。なんでも」

 菖蒲が竜の身体から滑り落ちる。水たまりを蹴飛ばすような音がした。正直、血のある方へ行きたくない。彼らは衣服が黒いので血がついても気にならないだろう、いや、彼らなら服が白くっても気にしなさそうだ。

 オレは澪に事情を説明し、別の所、首の後ろから降りる。竜の鱗は固くて滑らかだった。一枚剥がそうか思うも、流石にそんなことはしたくない。いくら死んでいるからって、気が引ける。

 合流するや否や、塔をぶっ壊してはいるか討論が始まった。賛成且つ提案者のアレイは騒いでいて、澪と菖蒲は口を揃えて「駄目だ」の一点張り。オレは傍観していた。どうにかはいれないものか。もしあの竜が生きていたら、運んでもらいたかったけれど、残念である。

 直接ではないけれど、オレは竜を仕留めた。そのことが実感できない。

 今更、手の震えに気が付いた。

[newpage]

[chapter:*** 4]

 塔の上からずっと見ていた。声が出なかったけど、私は何度も彼の名を呼んだ。

「無駄だよ」

 ヤツは、シスルは笑っていた。何百年も少年のままでいる彼が、私に寄って来る。逃げることは出来ない。逃げれば、リオン達に危害が及ぶかもしれない。

「へぇ。面白いじゃないか」

 シスルの髪が揺れる。目はきらきらと輝いていた。

 ……もし、私に彼を蹴飛ばす勇気があれば。

「駄目だよ、エウカリス。君は、僕から逃げられない」

 心を見透かしたようにシスルが笑う。そして、顔を覗き込んできた。ぐにゃりと彼の顔が、顔に描かれてある緑のペイントが歪む。

「出来損ないの魔女のクセにさぁ。何が国を復興させるだよ。バカバカしい! そうだよね、エウカリスは昔っからお馬鹿さんだったもんねぇ。情が沸いて私にはできないって泣きだしたのは、どこのどいつだったかなぁ。ふふ、エウカリス、人間は悪い奴なんだ。知ってるよね? だって、自然を壊しているんだ。魔法の源でもある自然を! ああ憎たらしい! そのせいで僕らの故郷は滅んだ!」

 ついには歯を食いしばる気力もなくなった。その場で崩れ落ちると、シスルはけらけら笑い始めた。

「僕らから居場所と魔法を奪った彼らに、復讐を。そう言ったのは……エウカリス、お前だ」

 側頭部に鈍痛が走り、頬に地が当たる。蹴られたと分かった時にはもう遅かった。視界が揺らぐ、思考が停止する。体中が引き伸ばされるような感覚がして、最後に青すぎる空を見た。

 脳内でシスルの声がする。

「じゃ、とりあえず初めの犠牲者さんたちを呼んでくるよ」

[newpage]

 空から人が降ってきた。竜の次は人である。精神的にも疲れていたせいか、オレはすぐに反応できなかった。

 騒ぐ三人とオレの前に現れたのは、随分と小柄な少年。紫色のふわふわ綿あめのような髪に、同じ色をした大きな瞳、そして不気味なまでに色白い顔面には緑色のペイントが施されていた。格好もおかしかった。マントに袖をくっつけたような上着の下は何も着ていない。素肌のままだ。そこにも何か模様が描かれている。ズボンは腿辺りで千切れかけて、片方は継ぎはぎだらけである。履いているブーツは茶色で、これまた変な模様があった。

 しばし沈黙があり、少年は口を開いた。歯並びはとても悪く、不気味である。

「青髪と、茶髪の二人が白薔薇?」

 囁くような声だった。でもそいつは離れたところに居る。

 呆然としていると、彼は並びの悪い葉をみせて口角を上げる。思わず一歩引いてしまった。

「そうだよね、うん、そうに違いない。で、あとの二人は……まぁいいか。どうせ君たちも白薔薇と同じ目的で来たんでしょう、そうでしょう? お久しぶり(・・・・・・)」

 次から次へと言葉が溢れる。特に少年が早口だからではない。普通の速度で喋っている。それなのに物凄い早口だと錯覚してしまった。それより、彼は最後に何て言った?

「女王をさらったのは僕だよ、正確に言えばアイツだけどさ」

 少年は竜の死骸を指して笑った。

「前々から使えないクズなんだ。ほーんっと使えない。死んで当然だよ、こんなヤツはさぁ」

 薄汚い笑い声をあげて、少年は配下もしくは部下の竜の傍に寄る。

 止めなくては。そう直感が告げるも体は硬直したままで、少年が竜に触れた。途端、死骸が粉々に砕け散る。音は無い。砂の山が崩れるようだ。

「塔の上で待ってるから。早くしないと、女王も同じにしちゃうかも」

「あ、おいお前……!」

 付着した血を飛ばしつつ剣を振るった。けれど少年はいなくなった。

「……アイツ」

 振り向くと、菖蒲が苦々しい顔をしている。どういうことなのだろうか。聞こうとしたけれど、彼は塔を見やる。視線の先には、無かったはずの扉があった。そもそも塔自体が変わっている。禍々しい雰囲気が無く、石造りの古びた建物だ。扉は雨風打たれ朽ちかけの木製のものが取り付けられている。

「試していたって訳か?」

「……さぁな」

 この戦いが終えたら、きっと何もかも分かるはず。今はエリスを助けることを優先にしよう。血拭きの布で剣を綺麗にして、三人に声をかける。

「行く準備は出来ているか?」

 それぞれの返事が返ってきて、一歩一歩と塔に歩み寄る。そいて、扉を押した。ギィィと鈍い音がして、内装が明らかになる。

 螺旋状の階段が続いていた。壁には木の枝があり、先端は燃えている。小さな松明は階段の傍にある。目を凝らせば、火は付いていないが木の棒だけがあった。

「仕掛けがある。このまま進め」

 何の仕掛けであるか菖蒲は言わなかった。ともかく信用して進むしかない。

 埃っぽくもなく、息苦しさもない。随分と不思議なものだ。数段登ったところで、脇にある木の枝の先端が燃える。そのような光景が何度か続く。

「黒ゆ……菖蒲の言うとおり、あの男の子が魔術師ならば、このぐらいの仕掛け簡単だというのか?」

 背後の澪が呟いた。やはり、まだ魔法に対して抵抗があるようだ。オレは変な話もう慣れてしまった。

「菖蒲も出来るけど、簡単なこと。動くものが近くに寄っただけで発動するトラップを改造したようなものだよ。多分」

 一番後ろにいるアレイが声を張り上げた。彼女の言う事は、考えていたことと大体合っている。間に挟まれている菖蒲は黙ったままでいる。もしかしたら、何か口にしたのだろうけど知る由もない。

 こうして登っているのだが、一向に先が見えない。ふと下を見れば真っ暗闇が広がっている。落ちれば死ぬだろう。手に汗が滲む。もうそろそろで着いていい頃なのに。緊張のせいか口が渇いてきた。

 何度か壁に手を当てて、微かな空気を感じとってみた。なんとなく風の強さが手に通じた。最上階がどこまでか分からないし、終わりは見えない。けれども、もうすぐそこが目指すべき場所のはず。そこに辿りつくまで足が保てられるか不安だが。

「リオン。少し話をしないか?」

「……は?」

くるりと背後に顔を向ける。口を開いた当人、菖蒲は見えない。灯りがそこまで届いていないからだ。澪は気遣って体を逸らしてくれているのだが、彼の姿は暗がりに隠れてしまい顔しか見えない。

「お前は、あの少年にどう感情を抱いた?」

「んと……歯並びの悪くってインチキ臭い」

「歯並びはともかく、インチキ臭い。それが重要だ。魔術師というものは、そんなものだからな。人とは違う、常人を越えた存在。だから、リオンのような一般市民は勝てない。魔法には、魔法を、だ」

「……何を言っているのかさっぱりだ」

「澪、オレも分からないから安心しろ。あと菖蒲、自分の事インチキ臭いって認めるのか」

「要するにさ、剣は魔法に勝てないってわけ。頭ぶち抜かれたくなかったら、さっさと伏せて」

 視界から菖蒲の頭が無くなる。後ろにいるアレイが銃を構えているらしい。発砲する寸前なのか、銃の先っぽに魔法陣がまとわりついていて、緑に煌めいていた。見惚れている場合ではない、すぐ澪の手を握りしめて、一緒に伏せる。仄かに砂の匂いがした。

「吹っ飛べ!」

 一瞬、塔の内部が明るくなった。だがすぐに暗くなり、今度は一直線に光が走った。少しだけ顔をあげると、アレイが視界にうつりこむ。随分と楽しげな顔だった。

 だがその顔なんてどうでもよくなった。建物解体現場で遭遇した時のような、いやそれ以上の爆音が耳をつんざく。それだけではなく頭上から瓦礫が降ってきた。そうだろうとは思っていたけれど、避けようにも避けきれない。しかし、不思議なことが起きた。オレや菖蒲でさえも砂粒一つも浴びていない。もちろんアレイも澪も、だ。見えないベールに包まれているかのようで、ふと菖蒲に声をかけた。

「菖蒲の魔法か?」

「だからなんだ」

「とにかくさ、出ようよ」

 顔をあげれば、すぐそこに穴があった。そこから出られそうである。足場は危険でも、仕方がない。落ちないよう気を付けて、ゆっくり足を動かす。

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