白薔薇の聖騎士

洞木 蛹

1-1

 今から十年前の事。

 平和なプルメリア城下町は焼け野原になっていた。それが魔女の仕業と知るのは、随分先の事になる。

 オレは、些細な事でお母さんと喧嘩をしふてくされていた。もしオレがいなくなったら……と悪戯半分で地下室に隠れた。そこはワインや長持ちする食べ物、使わなくなった家具が置かれている場所だ。面白い事に、近くの枯れた井戸に繋がっている。よく枯れ井戸から地下室の行き来をしていたっけ。

 夜をそこで過ごしたオレは、翌朝の異変に気が付いた。焦げ臭さが鼻を突く。どうかしたのかと思い、出入り口に寄った。だけど、扉は開かない。何か大きなものに塞がれているようだった。そして、妙に熱かった。服は汗を吸って重たい。どうしたのか気になって、枯れ井戸から出たのだ。

 ロープを伝って上ると、見えたのはぺしゃんこになった我が家。お母さんが手入れした庭は茶色に染まっていた。

 何が起きたか。というよりも先にお母さんはどこだろう。そう思った。

 気持ち悪い臭いに、鼻が曲がりそうだった。オレの家だけでなく、他の家も崩壊している。人は、見当たらない。

 ここにお母さんはいない。本能がそう告げたが、どこかに逃げたのだと言い聞かせる。

「とにかく……歩こう」

 どこかに、誰かいるかもしれない。そんな一心で、縋るようにオレは足を引きながら歩きはじめた。

 青いはずの空は、赤みを帯びた灰色をしている。


 住宅街と公園のある第三区が近いので、そこへ向かう。けれど、オレが見たものは昨日までそこに立ち並んでいた煉瓦造りの家でもなく、大工見習いが競って作り上げた遊具でもない。

 廃墟だ。

 瓦礫と、朽ちた建物に、人の死体が転がっている。焼け焦げていたり、爛れていたり、助けを求めていたり。

 これが現実だと信じられなかった。でも、この臭いは、痛みは、本物だ。これは現実だ。

 幼いオレは、それを受け入れたくなくて、目を瞑った。

 それでも夢を見ている感じがする。

 一体、何があればこうなってしまうんだろう。昨日の第三区は相変わらず人でにぎわっていて、そこで豪華な菓子を買ってもらった。そのとき食べたお菓子の味は忘れられない。柔らかな生地に、食べ終わった後も口の中に残り続けた甘ったるいクリーム。それらを打ち消した甘酸っぱいフルーツたちの歯ごたえ。

 ……あれは夢だっただろうか。全て夢だったのだろうか。

 全身から力が抜ける。持っていた本を抱えながら、オレはその場で座り込んだ。

「そこで、何をしているの?」

 後ろから声がする。振り向くと、黄色の目をした女の子がいた。着ているドレスは高価なものだと思うけど、あちこち焼けて汚れている。肌には煤が付いていて、白い靴には血が付いていた。

 女の子は大時計の破片を避けながら、こっちに来る。

 その足取りに迷いは無い。

「大丈夫? 私はエリス」

 エリス……どこかで聞いたことのある名前だ。でもどこで聞いたんだろう。

「ここは危ないわ。逃げましょう」

 彼女が差し出した手は切傷のある、痛々しいものだった。それなのにエリスは微笑んで、オレに手を伸ばしている。

 その手に触れ、立ち上がると、

「女王カトレアの意思を継ぎ、私はプルメリアを復興させます。あなたのお力、貸してくださいますか?」

 エリスは空いた片手を胸元あてた。

 オレと彼女に身長差は無い。同い年だろうと思ったが、エリスは今、何て言った?

「青髪が綺麗なあなたの名は?」

 とにかく、今の状況がどうにかなればいい。知ってゆくには、時間があるはず。

「……リオン」

 よろしくと口にした彼女は、どこか神々しく、どことなく威厳があった。

 それでいて悲しそうな目をしていた。



 昨晩、オレの十七歳の誕生祝いで騒ぎまくったせいだろう。まだ頭が痛い。眠い。

 しかしオレには仕事がある。昨晩大騒ぎして気分悪いから休みます、なんて言い訳は通じないだろう。

 仕事は見回り……と言っても散歩のようなもの。凄く地味な作業で、女王エリス配下の精鋭部隊――白薔薇聖騎士がやるようなことじゃない、とオレは思う。こんなこと新米兵にやらせればいいのに。

 溜息交じりに、女王から貰った『チェック表』を見やる。

 ――ゴミ拾い・一人暮らしをする老人の安否・噴水花壇の清掃。

 どれも綺麗な字で書かれている。近隣国マドニアで生産されている安価な紙が、一気に高級感あふれるものに見えてしまう。

 たったこれだけ……三つしか書いていないが、それらを確認する区域は五つほどあるのだ。一つの区域にかかる時間は、大よそ一時間。朝の七時から見回りをし、ようやく三区目にとりかかっている。一・二区は住宅街で、安否チェックに時間がかかったことを思い出す。中にはお茶でも、と薦めてきた人もいた。断ったら悪い気がして、お茶はいただいた。

 比べて三区は市場が多く、時間はかからないと思う。窃盗事件は無いだろう、あっても猫が魚を取って行った、ぐらい。……むしろそういうのしか聞かない。

 ああなんという平和日和。日差しは強くもなく、弱くもない。空は鮮やかな青色だ。

 路上市場は相変わらずだ。買い物に来た婦人に向けて声がかけられていたり、値引き交渉や雑談していたり、賑わっている。食品市が目立つが、奥に行けばアクセサリーショップもある。中にはオレが大好きな菓子屋もあった気がする。もし今日が休みであったら、そのお店に行っていただろう。

「三区に異常は無さそうだぞ、リオン」

 背後から聞きなれた低い声がし、振り向く。

「……隊長、予定では会議に出ているはずですが、どうしてここに」

「いやぁーこっちの方が楽だからな! わっはっは!」

「笑っている場合ですか!」

「大丈夫だ。代理として澪を置き去りにした」

 白薔薇のモルス隊長にはよくあることで、会議など堅苦しい物事から逃げている。いい歳――本人曰く三十路前(見る限り三十は超えていそうだけど)――なのに何をしているのですか、と言いたいところだが仮にも相手は隊長、つまりオレの上司。だから、隊長に大きな口を叩ける度胸は無い。言ったとしても笑いながら「固いこと言うなって」と返される。

 それより、オレは隊長の被害者である澪が気になる。

「澪はまだ異国民として見られているのに、どうして隊長は」

「わーかった、わかった、代わりに仕事はやるから帰れ」

「どうしてそうなるのですか!」

 落ち着け、と言わんばかりに頭を撫でまわされる。隊長に悪意が無いのは十分理解しているし、参加したいと言ったのは澪本人だろう。

 と、急に耳打ちされた。

「エリスの機嫌が悪い」

 それだけ残して隊長は行ってしまう。去り際、オレの手からチェック表を抜き取ったのだが、それに気付く頃、隊長は視界にいない。いつ抜き取られたのか考えるが、仕事を取られた以上オレにやれることは一つ。

「帰れってことですか……」

 城に帰り女王エリスの機嫌を直すことであった。

 ふと大時計に目を向けてみた。日の光を受け、輝くそれは十一時と三十分を示している。

 もうこんな時間だったのか。少しだけ空いた腹を抑え、城のある方へ足を向けた。



 雑談する門兵を一瞥して、駆け足で庭を突っ切る。お疲れ様、と声をかけられる度に手を振って応対し、真っ白な制服を翻していた。

 巨大なシャンデリアがあるホール中央の階段を上り、右に曲がって長い長い廊下を歩き、一番奥の階段を上った先にあるのは、プルメリア王国を治める若い女王エリスのプライベートルーム。

 そこに入ることが許されているのはエリスとオレだけ。他は誰であろうと入れば極刑。ただしエリスの許可があれば入室可能だ。

 荒くなった息を整え、木製の扉を三回叩く。

「エリス。入るよ」

 入った途端、甘い匂いが鼻を刺激した。部屋は薄暗い。更にエリスの姿は見えない。

 脱ぎ捨てたであろうドレスを拾って、窓にかけてある「カーテン」を横に引く。カーテンは遠い異国の産物で、未だにこの布には驚かされる。外部からの光を、ほとんど遮ってしまうからだ。

 日差しが入り込み、部屋は明るくなる。それからバルコニーに通じる掃出し窓を開けた。そこからは城下の光景が一望できる。

 淀んだ空気が新鮮なものへ変わり、暗く陰湿な部屋は明るさを取り戻す。

 恐らく少し前に帰ってきたのだろう。エリスのこの悪い癖――仕事が終わると衣服を脱ぎ捨ててベッドに飛び込んで爆睡――には頭を痛くしている。

「っていうか、ドレスはちゃんと片づけろよ。シワが出来たり痛んだりしたら作った職人さんに悪いだろ」

 小言を口にすると、日の当たらない片隅からうめき声が上がった。

 そこは、一見人形置き場のようだが、一応女王の寝床だ。彼女が集めた可愛らしい動物を模した人形で、ベッドは埋もれている。

「うー……うがぁ」

 エリスは勢いよく起き上がった。

「うがぁ、じゃないだろ」

 エリスは濃い黄色の目をトロンとさせて欠伸をする。薄い桃色の髪はくしゃくしゃで、どこか愛嬌があった。

「……おはよう、リオン」

 幼い見た目に反して大人びた声を発し、エリスはベッドから降りる。フリルをあしらったキャミソールとドロワーズ姿だ。長年連れ添うオレにとっては見慣れたものである。でも、自然と目は足や胸元に行ってしまう。……オレはこんなことをするために来たわけじゃない。しかし、つい目がそっちに行く。特にややふっくらした胸辺りを見てしまう。だがエリスは気にしていないようだ。もしかしたら見られている事すら知らないだろう。

 深呼吸をし、やましい考えを捨てる。

「隊長から機嫌が悪いと聞いたけれど」

 エリスは目を真ん丸にさせ、口元に人差し指を当てる。

「あら? 私、そんなこと言っていないわ。……着替えるからあっち向いてて」

 言われるがままバルコニーの方を向く。ほぼ下着姿は見られてもいいが着替えるところは嫌、という彼女の思考はよく分らない。でもオレは彼女が嫌がることはしたくない。

「ではモルスには言っておきます。今度自身の仕事を投げ出せばリオンが全力で腹パンを」

「待て。オレはそんなことしないぞ」

「そうかしら?」

 足音がする。右隣りを向けば白を基調にしたワンピース姿のエリスがいた。そして、不敵な笑みを浮かべている。嫌な予感しかしない。逃げてしまいたいのだが、彼女の目力に負けた。動けない。

「黒百合の革命団、それもリーダーに『腹パン』をした、ということを聞きました」

「ぶ、武力行使……だ。それより、どこで覚えたんだその言葉」

「私だって、たまに俗世間へ出ます。そこで聞きました。お腹の真ん中より少し下めがけ拳を突き上げる、ことですよね。リオン、さすがに革命団相手でもそのような行為は宜しくありません」

 ピシャリと言い切られ、黙らざるを得なかった。あのときは、と心の中で言い訳をする。

「さて」

 バルコニーに出た彼女は、女王らしい凛とした表情を見せた。すかさずオレは膝をついて視線を合わせる。

 青空を背景にエリスは声を上げた。

「本日の会議で、澪とあなたに指令が出されました。南西にある森で、魔物の討伐です。時刻は夕暮れの六時まで。あまり時間はかからないでしょうが、気を付けて」



「いるか、澪」

 案の定、澪は共同部屋にいた。

「そこオレのベッドだけど……いいや」

 右隣にあるのがオレのベッドで、反対側は澪のベッド。それ以外にある物は小窓と長机に、大きなクローゼット。それと小さな机と椅子。大きな振り子時計。それだけだ。

 澪は、いつも結っている茶髪を下ろして横たわっていた。触れようとしたが手を引っ込める。

「……いたのか?」

 澪が起き上がって制服を整える。オレと違って、澪の服は上着の丈がやけに長く――確か、膝ぐらいまであった気がする。そのせいで腰に長剣を下げると不格好になってしまう。単にエリスが制服を新調する際に、丈を間違えた……訳でない。ワザとこうされたのだ。でも彼はそのことに関して苦言を漏らしていないのだ。

「ん。まぁな」

「見回りお疲れさま。にしては早くないか?」

「ところで澪。隊長は何時からいなくなった?」

「……ん? 会議がもみくちゃになった辺りで……」

「分かった。ありがとう。……隊長は会議を抜けて見回りをやってくれた」

「そう。良かった。隊長、腹を痛めたって叫びながら出てったから」

 にこりと微笑む彼が、どこか健気で心が痛む。

「代わってやりたかったが、」

「いや。いいんだ。会議とか好きだし」

「……でも」

 澪が大臣に言われた事は想像できる。プルメリアの者でないクセに精鋭部隊など有り得ない、卑しい東方の移民、国の財産を貪る愚弄もの。そのあたりだろう。実際、そういった陰口は耳にしたことがある。

 しかし罵倒をされても澪は弱音を吐きやしない。コイツは、精神面が異常なまで強い。オレだったら途中で折れているだろう。

「もうじき、異国民受け入れ制が可決されるだろう」

「そうだけれど。……いいのか?」

 受け入れ制度は澪がエリスに頼み込んだ事である。正式に異国民(ここから東にある国で、こっちではオリエントと呼んでいる。ただ、正式名称は聞いたことが無い)を国が受け入れ住まわせる、というものだ。ただ異国民は国民の大半から嫌われている。理由はそれぞれあるようだが、それら全てを聞くわけにはいかない。

 彼らは悪い事をしたわけではない。なのに嫌われている。どうしてだろうか。

 オリエントとここの違いは異文化のこと。しかもその異文化は、名前の書き方ぐらいだ。その国の文字を使用していて、こっちではあまり見かけない。浸透はしているが、字は読めても書けないと言う人は多い。

 ただ澪の場合は少し特殊なのだ。彼はプルメリアの人と異国民との間に産まれている。なのでプルメリアの人みたいに明るい髪色をして、異国民のようにやや切れ目がち。そのせいで風当たりは一層強い。

「いいんだ。異国民っていうのは本当の事だし。受け入れるしかない。それで、女王から例の事を聞いたか?」

 オレが頷くと澪は元気よく立ち上がった。

「行くとしようか」

 髪を結って、澪は笑顔をむけてきた。無理をしていない、心からのものだ。

 少しだけ心が痛む。



 指定された場所までは遠くない。そうあって徒歩で移動する。例の場所まではそんなにかからないし、上手くいけば任務は早く終わるだろう。

 街はまだにぎわって、今日の夕食についての話題を耳にする。昼飯を食べていないので、空腹が増してくる、気がした。

「できれば夕食までに帰ろう」

 オレの心境を察したのだろう、澪の言葉に頷きかけた時、

「……朝方はよくもやってくれたな」

 長い髪も、服も真っ黒な見慣れたヤツが、建物の陰から出てきた。彼は何か棒状のものを背負っている。

 そして、目の前に大剣を突き付けているが、斬っては来ないだろう。一応、この国で殺人を犯せば死罪だ。そのぐらいは革命団であろうとも分かっている。

「斬るぞ」

「出来るのか?」

 ギリッと革命団のリーダー、菖蒲(アヤメ)が睨みつけてくる。黙っていれば美しい、とはコイツにふさわしい言葉だろう。……菖蒲は男だが。そんな彼もまた異国民である。

 後方に目を向けると、澪は剣の柄に手をかけて構えていた。もし菖蒲が斬りかかってきたら、すかさず居合に入るのだろう。

「で、何の用だ」

 腕を組みながら言い放つと、彼は一歩踏み出してきた。ただの威嚇だ。剣を振るってきたがオレに傷はない。澪はそのことを分かっていてジッとしている。

 グイ、と襟元が持ち上げられた。

「よくも腹に拳を入れてくれたな、その復讐だ」

 菖蒲とオレに身長差はない。なので俗に言う「カツアゲ」をされても苦しくない。むしろこの行動に何の意味があるのか分からない。オレが動じないでいると、

「……ま、今日のとこは許すが」

 菖蒲は意味がないと覚ったのだろう。離してくれた。

「あっけないな」

「あくまで今日のところ、だ。俺にだってやることがある。お前なんかに構っている暇は無い」

 去り際、オレの脚を思いっきり踏んづけた。痛さのあまり足を抑えつつ悶えてしまう。菖蒲はというと、オレの横を通り過ぎる。そっちには振り向かない。追いかけようとした澪に、行くぞ、と声をかけ進むべき方角へ足を向けた。

「やることねぇ……」

 大体予想は出来ている。正直アイツを止めに行きたいが、指令を優先しよう。

「なぁ澪」

「どうかしたか?」

「移民受け入れ制が可決したなら、騒音防止条例も通ると思うんだ」

 そういって、オレは背後を見やる。菖蒲は何かを叫んでいる。魔法がどうとか、こうとか。

「でも構っている暇は無い、行くぞ」

 オレの言葉に澪は頷いて、後ろに続いた。

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