2-1
壁の燭台の小さな蝋燭が、申し訳程度の灯で部屋を照らしていた。
エリスは意識を取り戻し、手と足に違和感が無いことを確認する。
(どこも痛くないわ……)
薄桃色の髪をかきあげ、自分が乗っているベッドを見た。シーツに皺と汚れは無い。随分と手入れのされた物であった。
視線を動かし、床に目を向ける。厚そうな敷物には、赤地に色んな模様が描かれている。見るからに高級品だ。
他にある物はテーブルと、イス。暖炉。小さな窓。
それ以外目ぼしいものは無い。
(出入り口の扉はどこかしら)
扉は全方向見渡してもない。じゃあ自分はどうやって連れてこられたのだろう。彼女は顎に手を当てて、少し考える。
(まさか……魔法で?)
少しばかり眉間に皺をよせ、大きくため息をついた。
(にしても変ね。衣服を剥ぎ取られていないし、靴だって履かされたまま。それより、一体ここは……)
ベッドから離れて、彼女は窓を開けた。
窓の向こうからは冷たい風が吹き込む。思わず腕で顔を覆った。そして、窓枠から頭を出して下方を覗き込んでみる。
白。それが、彼女が目にしたものである。すぐにそれを「雲」であると気づいて、身体を引っ込めた。驚きはもちろんあったが、疑問の方が大きく膨らむ。
(どうしてこんなところに……)
窓を閉じて、彼女はその場でうずくまった。けれどすぐに立ち上がる。この場でウジウジしていたって何も変わらない、と思ったのだ。
(リオン……)
彼女は無意識に信頼する彼のことを考える。
きっと、探しに来てくれる。彼ならここに来るわ。必ず。
「ああ。もう起きていたんだ」
不意にした声に彼女は体を強張らせ、背後を見た。
幼い男の子が一人、ニコニコと微笑んでいる。
「久しぶりだね。ええと……エリス」
皮肉をこめた言いかたである。彼がどこから出たのだろうか。いや、どこから湧いたのだろうか。
「……久しいわね」
警戒しつつ、自分をさらった張本人である竜の主を睨み、彼女は唇を噛みしめる。
[newpage]
馬車が使えるのはマドニアという小さな町までだった。
マドニアから先の荒野で馬を使うことは難しい。ある魔物のせいで地面がガタガタで走りにくい。さらに言うと馬が魔物に食われて被害が出そうだし。
「……マドニアって、あの果物くさい町か?」
行先を聞いて澪は嫌そうな顔をする。正直なところ嫌と言えばイヤだが、マドニアは治安が良い方だし、食には絶対困らない。どこの国にも属しないマドニアは、果物が沢山とれる町である。沢山とれるから、果物の値段は安い。それだけでなく美味しい。一回だけ立ち寄ったことがあるのだが、キツイ匂いしか記憶にないのだ。果物以外にも紙を作る技術もあり、プルメリアとはいい貿易相手だ。しかも魔女の災厄を受けなかった町で、復興の際にはお世話になったことを覚えている。
「上手くいくといいが……」
とはいえ、まだ心に不安はある。本当にこっちでいいのか。エリスは無事なのか。
話によると、竜だか馬だか分からない生き物はマドニアの方に飛んで行ったという。
不安もあるがマドニアに着いたら宿を見つけないと。城下町で得た情報だと、街の中心辺りにある宿がイイと聞いた。
「そういえば、道中の宿賃は国が全額負担らしいな」
「どうしてそういう所に金を使うんだか……」
「せめて安い所にしようか?」
「……や、きっと心配されるぞ。どうしてそんな所で泊まったのか、って」
国が全額負担する理由は、オレらが金銭面で気を遣わないようにと思ってらしい。だがその金の元は税金だ。だったらエリス救出のために、例えばもっと早めの移動手段に使うとか、兵士の給料を上げて情報探索とか、そういう方向で使えばいいのに。
「上の連中は何考えてるんだか」
そうこうしていると、甘ったるい香りきつくなってきた。さっきまで気にならなかったが、鼻が痛くなる。
「おう、二人とも。マドニアはもうすぐだから、準備はしておけ」
御者のオジサンはこの匂いになれているようだ。きっと、マドニアの果物を輸入する作業とかしているのだろう。それかマドニア出身。そうに違いない。
それほどまでに匂いはキツイ。鼻がおかしくなる、と言ったら失礼だけどそうに近い。
しばしの我慢だ。匂いがキツイ理由は、魔物避けである。キツイ果物の樹を植えているから魔物は寄ってこないという。それは城壁の代わりにもなっている様である。
ここを抜ければ後は楽になる。多分。そう言い聞かせながら、鼻をつまんだ。
「にしても、こんなに匂いはきつくなかった気がするなぁ……」
御者オジサンが何かを言っていたが、キツイきつくないなんてオレと澪が分かるわけがなかった。
町は畑や果樹園が大半をしめていた。立ち並ぶ家はボロボロ。どうやら住まいより農作業が大事らしい。着いてすぐ、御者オジサンは「ついでに取引をして帰る」と言ったので道中にて分れた。店締め前の特売を狙うのだろう。
そうして例の宿を探した。マドニアの街灯は油式であって、火付けがそこらを駆け回っている。プルメリアも同じ方式で街灯をつけているので、妙な親近感があった。
でも雰囲気はプルメリアとは全然違う。
「んで澪。次はどっちだ」
「多分……あっち」
観光気分になってしまった。集中しないと。
同じような家を見て行き、たまに白薔薇の? と問われたりしながら進んだ。土の道を歩いてしばらく、道が開けた。そこは円形の広場のようで、中央にある時計台を囲むよう家が並んでいる。家屋にはそれぞれ「閉店」などの看板がかけられていた。随分と早い戸締りだ。まだ午後の六時なのに。
「町の中心部らしい」
澪はマドニアについて調べたことがあるので、こういうとき助けになる。
「じゃああとは」
「向こうに行くだけだな」
澪が指した方の空には、一番星が輝いていた。しばらく歩くと大きな建物が見える。
「ここが……例の」
赤い色をした煉瓦造りの建物だった。所々窓が設けてられ、その窓からは光が溢れている。見た限りではけっこうな金がかけられていそうだ。
不覚にも、この国が儲けていることを思い出した。金はこういうところにも使っている。実際に入ると、豪華そうな調度品、高級そうな敷物が目に入る。
一先ず宿主に事情を説明するとすんなり通してくれた。荷物は自分たちで持って行き、案内された二階の奥の部屋へ案内される。
連れて行かれた部屋は恐ろしく広かった。従業員は「夜の鐘が鳴りましたら、お夕飯をお持ちします」と残し、笑顔のまま去って行く。
「リオン! このベッドすごいふかふかだ!」
きっとオレと澪の部屋五室分あるのだろう。二人分の部屋にしてはもったいない広さだ。部屋の中央には長机があるのだが、それでも広いと思わされる。珍しくはしゃぐ澪を置いといて、窓の向こうを見てみた。
パッと見た感じ、マドニアはスラム街を思わせる。物置のような建物が段々重ねにされていたり、連なっていたりする。中には木の板をつけただけの屋根や、半壊している家もある。そんな家の背後を囲むように果樹園が広がっていた。おかげでマドニア全体は、迷路のように入り組んでいる。
スラム街の奥、塔のようなものがあった。そこの上あたりは何か吊るされている。しかしよく見えない。例の「鐘」のようだ。
「ん。本当にふかふかだな」
ベッドに腰掛け、履いていた靴を脱ぐ。ついでに靴下を脱いで、試に床へ足を付けようとした。つま先が触れようとした瞬間、大きな音がした。カーン、とも、コーンともいえないものだ。体の奥まで音は響く。
これが「夜の鐘」だろうか。懐中時計を開くと、夜の七時を指している。
間もなくして、ドアが数回たたかれる。慌てて靴下とブーツを履き、返事をすると恰好のいい青年が現れた。焼けた肌に、くすんだ白髪は良く似合っている。
「お待たせいたしました。こちらのテーブルに料理を用意させていただきますが、宜しいでしょうか」
「わざわざいいのですか? 食堂があればそっちに行きますが」
「いえ、お気になさらず。こちらはルームサービスですし。それに、階下には……黒百合革命団らしき人物もいます故に」
くすりと微笑んだ青年は、横に一歩引いた。扉からはコックたちが蓋のされた皿を運んでくる。その間、青年がテーブルにクロスをかける。次にコックたちが料理と食器を置いて行く。
青年は咳払いし、一礼する。
「お食事が終わりましたら、部屋の外にあるベルを鳴らしてください」
呆気にとられたまま、何も言えなかった。
とりあえず蓋を開けてみる。
「……リオン、これらは一体」
「いくら果物の町とはいえ、とんでもないな。……でもおいしそうだし。食べるか」
澪は少しばかり引き気味でいる。そりゃそうだろう。肉にあたるメインの食べ物はこんがりと焼かれた大きなマンゴーだし。赤みを帯びたスープはトマトか何かでも使っていると思う。どこもかしこも果物ばかりで、肉や魚は見当たらない。
「食べられないモノじゃないだろうし、こういう機会なんてそうないだろ」
果物料理の中、浮いた存在のパンに手を付けた。多分、どの料理ともパンの愛称は良さそうだ。
パン以外の物を食べてみたのだが、やっぱり甘みが強かった。味が濃く、辛いものが恋しくなる。スープはリンゴの味がして、サラダは甘酸っぱかった。飲み物はさっぱりとした甘みがするのだが、しばらく甘味は取りたくない。
食事を終え、廊下に出て扉に吊るされているベルを鳴らそうか迷った。
食堂に革命団がいるのだろうか。会ってどうするとういうわけではない。どうしてここに居るのかが気になる。もちろん本当に居るかどうかは置いといての話だ。
ともかく、ベルを揺らしてみた。ベルには糸がついていて、それは壁に沿って張られていた。糸電話の原理でも利用したのだろう。
部屋に戻ってみたが、まだ甘ったるい匂いはする。一応換気はしているのだが、意味がなさそう。澪は風呂に行った。ここには風呂そのものが備えつけらている。オレが知っている宿というものは、個室に風呂はなく、宿泊民全員が使う大浴場しかない。
となれば、やはりこの部屋はお高いのだろう。
個室に風呂を付けるなんてよっぽどの金持ちしかやらない。
不意にノックがした。きっと片づけに来たのだろう。声をかけるのだが、誰も入ってこない。扉はピクリともしない。さっきのノックは幻聴だったのだろうか。
この部屋の前に誰かいる……?
念のために剣を腰に下げておいた。奇襲……は、無さそうだが念の為に。
すぅ、と息を吸って、ドアノブに手をかける。そのまま思いっきり押すと、
「誰もいないじゃねーか」
やっぱり幻聴だったかもしれない。落胆しつつ閉めようとするのだが、ドアの陰から手が伸びてきた。澪と似ている象牙色(もしくはアイボリー)の指が、黒い袖から伸びている。
誰かを潰してしまったらしい。その誰かは、オレが知っている黒百合の菖蒲だろう。
何事もなかったかのように引き戻そうとしたが、ぬっと隙間から人が出てくる。艶のある黒髪から覗く額は、赤くなっている。
やっぱり菖蒲だった。
「…………話がある。だが、その前に」
菖蒲が軽く腰を落とした。グッと体を引いて、右腕を突き出してきた。当たる寸前で避けようとするも、彼の拳が額に当たる。結構、痛い。一瞬気を失いそうになった。後方に倒れかけたが、ふんばることができた。
「仕返しだ」
「……これでお互いさまとでも言いたいのか」
腰辺りに手を伸ばす。いつもはあるはずの剣の鞘を握る。
だが、と菖蒲を見る。珍しく敵意は感じられないし武器は持っていない。
「お前が攻撃しなければ何もしない。話は、お前んとこの女王についてだ」
コイツがここにいることなんて、どうでもよくなった。
エリスの事を知っている。追っているだろうお前らに情報をくれてやる。だから部屋に入れろ。要は、そういうことであった。
情報を持っている菖蒲を通したのは良いが、彼はすぐさまクローゼットに隠れた。
「今から片付けをいたします。少々お時間をいただきますが、よろしいですか?」
メイドと思われる少女がやってきた。凛とした顔立ちには目を引かれる。オレが頷くなり、彼女はてきぱきと皿を持って行き、クロスを回収し、机周りをあっという間に掃除した。なんて仕事の早いメイドだろう。彼女は一礼し、去って行った。
「……もういいぞ」
ガタン、とクローゼットから菖蒲が飛び出る。
それと同時に澪も脱衣所から出てきた。ゆったりとした長袖長ズボン姿で、頭にはタオルが乗せてある。
案の定、二人は目を合わせた。が、オレは口を開ける。
「エリスについて話せ」
「そんな言いかたはないだろ」
「説明が早くつく」
と、身構えていた澪に目をやる。どうやら菖蒲がいる理由を理解したのか、力は抜いている。しかし警戒は解いていない。
菖蒲は不可解な顔をしつつ、オレのベッドに勢い付けて腰を降ろした。
「初めから終わりまで。偽りなく話してくれ」
少し面倒臭そうにだが、彼は思いだすように口を開いた。
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