1-4

 それから数日しても、オレはエリスの相手をした。仕事は先日の書類確認だけで、またお話し等につき合わされた。おかげで剣の腕が鈍っていないかと不安になる。

 澪や隊長は「準備は任せろ」と言ってくれる。しかし、他の兵士にはよく思われていないようだ。それもそうだろう、彼女と楽しくしているだけで給料がもらえる。罪悪感が募るばかりだ。

「でも、リオンは悪くないだろ」

 椅子に腰掛ける澪が声をかけてくれた。オレはというとベッドで寝そべっていた。夕飯を少し食べ過ぎて胃が痛い。苦しい。

 まだ消灯時間ではないが、何もすることが無く自室にいる。澪は短剣の刃こぼれを確認していた。

「でもなぁ……」

「そう落ち込むな。人では十分に足りていたし」

「そうじゃなくってさ。明日の祭りだが……オレらは基本エリスの護衛だろ?」

 そういうことか、と澪が悲しげな顔をする。

「黒百合がいる以上、仕方がない。万が一エリスに危険がせまったらオレ達の責任だ。遊んでなんていられない」

「確かに。女王にもしもの事があったら……」

「……一番の心配は、エリスが勝手に行動して行方不明になることなんだよなぁ」

 過去にも経験済みであるが、依然彼女とオレと澪で城下の視察をした。そのときエリスは感極まってどこかへ一人旅。血眼になって探したことはまだ鮮明に覚えている。

 ちなみにエリスは何食わぬ顔でアイスを食べていた。

「自由奔放と言うか、なんというか」

 と、澪が苦笑した時ノック音がした。やや乱雑に扉は開けられ、顔を出したのは隊長であった。私服姿である。随分ラフな格好で、よっ、と手を上げて入ってくる。

「リオン、お勤めごくろーさん!」

 澪の前にあるテーブルにワイン瓶が置かれた。

 立派なものである。しかしオレと澪は飲むことは出来ない。まだ未成年――国で定められている年齢二十歳に達していないのだ。

「いや、あのですね隊長。オレはまだワイン飲めませんから」

「まだまだお子様だな。紅茶ばかり飲んでいては立派な男に慣れないぞ」

「だーかーらー!」

 大きく笑い上げる隊長に、思わずため息が出てしまう。澪は苦笑を浮かべていた。

 もう一つあるテーブルに座って、置かれたワインを見てみる。

「これ、アルコールの度が高すぎやしませんか!?」

「ん? そうか?」

「さすが元山賊ですね、度数が高いのは好むと聞きましたが」

「おいおい澪、これは奪ってきていないからな!」

「本当ですか?」

「本当だ!」

 隊長は折り畳みのイスを引っ張り出してきた。三人でテーブルを囲むこととなる。

 何か飲物でも出そうか。しかし隊長は軽く手をあげて制した。

「なに。たまたま寄っただけだ。ワインは飲まないなら貰うぞ?」

「って言った傍から飲みだして……!」

 本当に寄っただけ、だろうか。隊長の部屋は隣にあるから信じられるけれど、食事と風呂の後はどこに行っていたのか。

「もしかして飲んできた、とか」

 タイミングよく隊長がしゃっくりをした。きっと飲んだのだろう。もしかしたらまだ酔っていて、入る部屋を間違えてきたのだろうか。

「このワインは珍しいヤツでな。十区の外れで売っていた」

「十区ですか? 一区より荒れていて、住民も近寄らないスラム街では……」

「一応そこも調査しなくちゃあならんし、支援もしないといけない」

「で、買ったわけですね」

「おう!」

 否定も無ければ反省もない。清々しい所が隊長らしい。怪しむような目つきでいた澪だが、肩の力を抜いて、口を開いた。

「スラム街か……前よりよくなりました?」

「少しは、な。女王のおかげで綺麗になったし、飢えはもうない」

 少しだけ澪は安堵したようだ。

 スラム、もとい十区の外れは純プルメリア人が全くいない所で、行き場のない異国民のたまり場と呼ばれている。似たような一区とは別の雰囲気がある。

 澪がそこに居たのか、オレは知らない。しかしスラムに居るらしい同じ民族が心配なのだろう。

「だがな、危ないものはまだ出回っている。今日も押収したが、インチキ薬やなんやらあってな。どうにかならねーかな」

「でも、いずれ治まりますよ、きっと」

「……だな。ところで」

 体長はオレのベッドのそばにあるチェストに目を向ける。しまった、と思った時には遅かった。

「絵本?」

 小さい頃、お母さんが買ってくれた絵本だ。数時間前読んで置いたままだった。何度か澪に読ませたこともある。隊長はパラパラと絵本を捲った。

「平和な話だな。好きなのか、こういうの」

「まぁ……平和がイイじゃないですか? 普通は」

 今でも読み聞かせてもらった記憶はある。優しい声で、暖炉の前。お母さんの声と、ページが捲れる音。思い出すと、こう、目頭が熱くなる。

『――魔女の身体の真ん中を、王子様が聖剣で突きました。すると、そこからいなくなったお姫様が出てきました。そう、悪い魔女はお姫様だったのです。でも、お姫様は王子様の正義の心によって元の姿に戻りました。それから二人は――』

「おーいリオン?」

「あ……少し、お母さんの事思い出していて」

「お母さんっ子だなぁ!」

「ほんと、リオンは何かあるとお母さんお母さんって」

「わ、悪かったな!」

 それから隊長はワインを持ち帰って急いで帰って行った。消灯時間が近づいているからだ。

 城内や部屋は蝋燭の火で灯りは保たれている。しかしつけっ放しは良くない。なので夜のある時間になると蝋燭が溶けきるようになっている。ほぼ一斉に消えてしまうから、それまでに部屋へ帰らなければならない。

 一応、見回り用の蝋燭と火具はどこかしらにあるから安心できるが。

「じゃあ寝るか?」

「おう。おやすみ」

 靴を脱ぎ、ベッドに寝転んだ。その頃にはもう薄暗く、眠りにつきそうなときには真っ暗になっていた。



 翌日、日が昇る前から叩き起こされ最終準備にとりかかった。

 城下の事は城下で任せられ、オレたちは城の中を整備する。しかしこっちのことをよく知らないので、どうしていいか分からなかった。寝起きながら右往左往しつつ、周囲からどうすればいいかを聞いて動いた。

 気が付けば祭りは開演していて、エリスの横にいる。

「隈が出来ているわ、酷い顔……」

「…………早朝から起こされてな」

「まぁ。誰なの? リオンを起こした人は」

「仕方がないって、人手が足りなかったっていうし……ふわぁ」

 彼女は心配そうに見て来る。声をかけてやって安心させたいが、欠伸しか出ない。

 他の兵士は平気そうな顔だ。眠たい自分が恥ずかしい。

 中庭はいくつものテーブルが置かれ、そこの周りに色んな人が居る。それは城下の人だったり周辺国の人もいたりする。みんなお茶と菓子を楽しんでいた。

 エリスはおもしろそうにあちこち歩く。オレはその横について、日傘を差している。基本彼女らの会話には加わらず、そこにいるだけ。

 澪たちは城の周りにでもいるだろうか。隊長はきっと一人でどこかに行っただろう。

 一通り歩き、エリスは疲れたのだろう休むと言った。

「椅子を持ってきてくださらない?」

 本来なら「自分で持ってこいよ」と軽く茶化すのだが、

「はい。では、お持ちします」

 そんなことはしない。あくまでオレの立場は「白薔薇」という精鋭部隊。彼女の昔からの友人ではない。

 大人しく日陰にある椅子を探し、状態の良いものを選んだ。

 運ぶ間際、空を見た。眩しいぐらいの晴天。

 その中に、違和感をおぼえた。

 何かが迫ってくる。小さな何かだ。目の錯覚? いや、本当に「何か」が来ている。

 目を凝らしてみる。お伽噺に出てくる竜のようだが、違った。

 オレ以外にも気づいた兵士がいるようだ。空を指しているばかりで、場が騒がしくなる。

「皆下がって。落ち着きなさい!」

 エリスが指揮をとる。落ち着きのある声に動かされ、居合わせた人々が建物内へ引く。

 オレは腰にかけてある剣に触れつつ、ヤツを見やる。もう姿はくっきりと分かっていた。

 馬だ。真っ黒な馬が駈けるようにこちらへ向かっている。しかし、目を凝らせば顔は爬虫類のようである。

「エリス!」

 もしエリスに何かあったら、と思った矢先。

 目の前が何も見えなくなった。光だ。これでもかと言わんばかりの光が目を襲った。慌てて腕で覆い、エリスのいる所へ向かい手を動かす。

「リオ……!」

 一瞬、彼女の手が触れた気がした。掴もうとしても掴めず、瞼をこじ開けようとするも出来ない。眩い光の中、薄らとエリスが見えた気がする。表情は確認できなかった。

 ただ、戸惑ったようにこちらを眺めていたのは確かである。

 視界が戻ったのはすぐ後の事。

 抵抗もなく目は開く。周囲を見渡すとひっくり返った兵士や、顔を覆う者がいる。

 エリスはというと、姿を消していた。

 まさかと空に視線を向けた。北西の方角へあの馬っぽい竜が飛んでいる。その背に、見覚えのある姿があった。

「エリス……!?」

 周囲から悲鳴が飛び交う。その声でハッとなり、周囲の被害を確認する。中庭はなんともない。エリスが連れ去られた事以外のことだが。

「全兵は第二の敵襲に備え、客人を城内へ匿え。オレは外へ行く!」

 指示をするなり兵たちは動き始める。だが、

「女王はどうしたんだ!?」「側近の白薔薇なのに、どうして!」「一体何が起きたんだ」

 パニックに陥った民が一斉に問詰めてきた。中には涙を浮かべている者もいる。オレだって泣きたいぐらいだ。自分でも、気丈でいられることがおかしい。本当なら今すぐエリスを追いたい。でも、でも。

「みなさん落ち着いて! 女王は我々白薔薇が助けます、だから……!」

 だから、何だと言うのだろうか。

 もみくちゃにされつつ、オレは後ろを見やる。

 彼女がいたはずの所には、持っていただろうカップが転がっていた。

[newpage]

 やってきた客人はホールへ集められた。兵たちのおかげで誘導が終わり、中に入れない人たちはいないかと確認がされる。

 その間、オレは慌ててやって来た澪や大臣らに事情を話した。場所は謁見の間。いつもエリスがいるところだ。彼女が座っている煌びやかな玉座は、一段と寂しく見えた。

 隊長は外部の整備をしているそうだ。それが終わり次第、事情説明をするとのこと。

 本当にエリスがいなくなったとは思えない、思いたくない。目頭が熱くなって、どうにかなりそうになる。

「申し訳ございません……オレが、傍に居ながら」

「そう悔やむな、リオン。まずは混乱を落ち着かせるべきだろう」

 澪の目配せが効いたのか、大臣らは一礼しすっ飛んで行った。エリスの専属女官は大泣きしているが、メイドたちに宥められ別室に行く。

「……そうだ澪、革命団の仕業とか」

「いやそれはない」

 彼は即答して首を振るう。

「女王が連れ去られるとき、革命団を見たんだ」

「じゃあソイツが!」

「――やったとでも?」

 首筋に、冷たいものが当てられる。それが剣の先と気づいた時は遅かった。

「残念だが俺は関与していないし、それについて聞きに来た」

 菖蒲がいた。どこから、いつから居たのだろうか。もしかするとついさっきかもしれない。

 首を動かし、澪を見るのだが菖蒲の魔法で身動きが取れずにいた。膝をつく彼の足元、そこには濃い紫色の魔法陣が浮かんでいた。口だけを動かし、彼は何か伝えようとしている。額には汗が浮かんでいた。

「どういうことだ白薔薇」

 怒気のある声に反論が出来ない。彼は眉間に皺をつくり睨んできている。

「近くにいたお前が、何故」

「そうは言うが、どうせお前らの仕業だろう!」

 女官を寝かせ、剣を抜いた。抜きざまに振り上げると、菖蒲は後退する。澪はまだ捕らわれたまま。一対一だ。

「どうしても疑うと言うのか」

「お前ら以外に誰が……!」

 考えてみて、エリスを敵対視する者は革命団ぐらい。いや革命団しかいない。他に誰がいると言うのだ。

 攻撃しようとしない菖蒲に、剣を振りかぶる。そいつは寸前まで避けなかった。動きを見切っていたのか、一歩横に逸れて構えを取った。心の奥から怒りが湧いてくる。

「城内に籠ってばかりだろうから、忠告をしてやろう」

 不意に、菖蒲が足を振り上げた。つま先がオレの手首に当たる。衝撃で手から剣が躍り出る。幸い、人のいない方向へ飛んで行った。しかし丸腰状態。ちらりと澪の方を見やると、彼は術から逃れようと無理して体を動かしている。武器を取り出そうともがいていた。

 腰かけカバンに手を這わせる。護衛用の小さなナイフを一本だけ取った。手は後ろに隠したまま。隙を見て、一撃でやらないと。

「最近、魔物の量が増えてきた。それも雑魚ではなく強い奴だ」

「それがどうした? 駆除願いなら管理職の奴らに言ってくれ」

 魔物のことなど聞いた覚えはない。菖蒲が言っていることは嘘であろう。もし上位格がいたら城下で話題になり澪経由で聞けるはず。それに、被害や目撃情報は見ていない。

「本当に何も知らないようだな」

 呆れたような声色だった。戦うつもりはないのか、彼は剣を背負っている鞘に戻す。今だ、と思い大きく一歩を踏み出して、ナイフを投げようと試みる、が。

「昔の惨劇のとき、関わっていたのは魔女だけと思っているのか?」

 それだけ言うと、彼は指を鳴らしてその場から消え去った。同時に澪にかけられていた術も解ける。ナイフは手からこぼれ、からん、と寂しい音を立てた。菖蒲はどうして災厄の話を持ちかけたんだ。こんなときに。オレは、その場で座り込んでしまった。エリスが連れ去られたショックと、行き場を無くした怒りの反動だろう。

「リオン!」

 不安げに澪が顔を覗き込んできた。彼に何か声をかけようとしたが、上手い言葉が出て来ない。

「二人とも、騒がしかったがどうした」

 きっと騒ぎを聞きつけたのだろう、隊長は息を切らしながらやって来た。

「先ほど革命団の菖蒲が来ました」

オレの代わりに澪は今まであったことを話す。茶々を入れず頷いて、話しが終わると隊長は顎に手を当てた。

「……アイツらがしていないということは、嘘かどうかも分からない。だが引っ掛かるな。魔物の件が。とにかく、俺は説明をしに行く。その間二人は書庫で調べてくれ。魔物に関することを。もしかしたら……何か分かるかもしれない。女王の事は他の兵が調査に行ってくれた。だから、リオン、今は落ち着け」

 どうしてオレが最後に声をかけられたのであろう。

 答えはすぐに浮かんだ。頭を冷やせ、ということだ。今すぐ城を飛び出し、エリスを探しに行きたい。が、その感情をグッと抑える。

「分かりました」

 行こう、と澪に背を叩かれる。彼の目はどことなく優しい。

 放られた剣を拾い、書庫まで向かった。本来ならホールに行き通路を辿るのだが止めておく。使用人らが使う回り道から行く事にした。

 回り道は薄暗く、差し込まれる日の光を反射する鏡がある。その鏡に映るオレの顔は酷く青白かった。まるで、別人のようである。

「……大丈夫か?」

 道は人が一人通れるぐらいしかない。先頭を歩く澪は振り向いた。

「ああ、なんとか」

「そう……ならいいけれど。本当は休むべきだと思うが……」

 しばらく無言が続いて、澪が止まる。彼の前にある扉は古臭く、錆びたプレートには「書庫」と刻まれていた。ここから通じるのは分かったが、どこから出るのだろうか。

 今にも壊れそうな扉を開け、澪が足を踏み入れる。後に続くと、そこは見慣れない所だった。通路より明るいが書棚と書棚の間で分からない。しかし狭くは無い。澪の隣に出ると、ようやく位置が分かった。出入り口から一番遠く、滅多に来ない所だ。

 そんな辺鄙な場所のせいか、置かれているテーブルは埃が積もっていた。他のテーブルを探そうとしても、やはり近くには無いようだ。仕方が無くそこを拠点とし、本をあさる。

「歴史類が置かれているところは……っと」

 澪は適当に一冊を取り出す。ボロボロになった本だ。ここにある本の大半は、復元されたものが多い。一部読めなくなっているページはどうにかして読めるよう細工されている。とはいえ、歴史関連を読まないオレからすれば目新しい。

「もしかしたら、災厄と魔物の関わりについて書いてある本があるかもな」

 本当なら、こんなことはしたくない。今すぐに行動したい。しかし、冷静になれ。考えてみたらエリスがどこに行ったかすら知らない、分からないのだ。情報も無いまま動くのは無謀すぎる。それでも、助けに行きたい。

 オレは無力だ。つくづく痛感してしまう。

 じゃあ澪はどう思っているのだろう。隣で本を手に取っては戻している。

「なぁ」

「どうした?」

 澪が手を止める。心配そうな目だ。

「……いや、なんでもない」

「そんなことはないだろう。お前のことだから、今すぐ助けに行きたいとか……こんなことをして、意味があるのかって」

 ふぅ、とため息をついて、俺の肩を叩いた。

「辛いのはリオンだけじゃない。一刻も早く解決できるよう、まずは調査からだろ?」

「……オレはそういうこと、苦手なんだけどな」

「知ってる」

 苦笑したオレに対して、澪は安心したように笑みを浮かべる。

 焦りを越して絶望が強い。泣きたくなったが、泣いても無駄だ。

 書棚からそれっぽいものを探す。が、特に目ぼしいものは無かった。

 しかし、災厄と関係ありそうな物は一つだけあったのだ。

「澪。これ、何かあるかもしれない」

 表紙には昔使われていた言葉で「魔女と魔物」と書かれている。澪はその言葉を読めないので説明すると、呼んでいた本を閉じて、話しに乗ってくれた。とはいえ、オレは旧プルメリア語なんてあまり詳しくない。しかし王宮育ちのエリスな教養として習っていそうだ。もしかしたら彼女なら読めただろう。けれど、今はいない。

 本は随分と古びている。新装されておらず、中のページは痛みも酷いしかび臭い。

「リオンは読めるのか?」

「少しだけな。けっこう前に、エリスに教わったんだ。旧プルメリア語とか言うらしくって……」

 単語と単語を読んで文章を解読する。それは思った以上に難しい事だった。気を遣ってくれたのか、澪はメモ用紙とペンをくれた。

 オレが作業する合間、彼は他の本を探して手がかりを探している。オレとしては今のあっち……隊長らが見てくれているだろう城下の庶民が気になる。しかし一番はエリスの事。

 無事でいるといいのだが。念のためにと護身術は覚えさせてあるので、最低限の抵抗は出来るはずだ。

「入るぞ、誰かいないか」

 聞きなれた声に顔が上がる。そこで気付いたがメモは文字でぐちゃぐちゃになっていた。あとで別紙にまとめ書きしないと。

 腰を上げかけたオレに澪が手を出した。彼は「白薔薇のリオンと澪ですが、何用ですか」と出入り口に歩いてゆく。

「なんだお前らか。手がかりはつかめたか?」

 やっぱり隊長だった。本と無縁の隊長が、どうしてここに来たのだろうか。

「終わったら食堂に来てくれ。もう昼過ぎで腹が減ってるだろ?」

 扉が閉まる音がし、オレはメモのまとめを始める。

「隊長が心配していた。それで」

「大丈夫。聞こえてたから。あともう少しで終わる。終わったら、行こう」

 見てはいなかったが、澪はいつもより低い声で「うん」と言った気がした。

 無心でメモまとめあげると、タイミングよく澪が伸びをした。それからは言葉を交わさず、目と目で通じ合わせ食堂へ向かう。やや暗い書庫よりも、明るい食堂でもう一度メモの確認を取ればいい。それに、おいしい料理がある筈だ。



 食堂にはだれもいなかった。厨房からはいい匂いがする。菓子でも焼いているのだろうか。

「みんなどこに行ったんだろう」

「隊長に聞いていないのか?」

「言う事だけ言ったら、どっか行ってさ、あの人」

 澪は肩をすくませ席に着く。対面するようにオレは彼の前に腰かける。

「で、これ」

「お疲れ様、リオン」

 書きとめたメモが通じればいいのだが。不覚にもそんなことを思ってしまう。

 仮にも異国民である彼だが、一応この国の言葉は読める。それでもつい心配になる。ほんの稀にだが読み間違いを起こすし、たまに間違える。仕方のない事だが、不安が心に残る。

「……ありがとう。要は、魔物は魔女に作られた手下っていうこと?」

「そうらしい。でもどうしてエリスがさらわれたのかは分からない。そもそも魔物はこの辺りで見ても危害はないもの。大型のヤツは遠くに住んでいると聞いた。もしかしたら……」

 大きく息を吐く。正直、魔物が魔女の手先説は信じがたい。魔物と言うのは生物の突然変異のようで、ずっと昔からいるらしい。でもそれらを魔女が操るなら、そう思われてもおかしくはない。と、澪が怪訝そうに見て来る。

「エリスを使って、魔女を復活させようとしているかもしれない」

「なんだそれ、魔物に出来るのかよ、そんなこと」

「分からない。けど、連れ去ったヤツは上級の魔物らしい」

 沈黙が訪れ行き詰った時、

「食べな」

 ぶっきら棒で有名な料理長が紅茶と菓子を出してくれた。礼を言うのだが彼はうんともすんともいわず、背中を向けたまま。

 でも料理長らしかった。態度では出さず、料理で心境を出す人である。

 紅茶はほのかに甘い香を漂わせており、菓子は焼き立てのラスク。しかも蜂蜜がたっぷりかけてあった。

 落ち着いて、糖分をたくさん取れ。

 料理長はそう言いたかったのだろう。きっと彼も、他の兵たちもエリスが気がかりに違いない。一刻も早く、連れ去られた場所を突き止めなければ。しかし、どうやって探せばいい。悩んでいても仕方がない。

「外に出るしか、無さそうだな」

「急にどうしたんだ」

「エリスを探すには、どうしても外に出なければならないだろう」

 ラスクを摘まんで口に放り込む。程よい硬さがし、蜂蜜の上品な甘さが広がる。

 オレの言葉に澪は頷いて、賛同してくれた。

[newpage]

 翌朝食堂に行ったところ、かなりの数の兵士が朝食を摂っていたが、活気がなかった。しかも、いつもは一番最初に食堂に来て、おいしそうに朝食を食べている隊長がいない。どうかしたのか心配していたら、いつもと違って……もの凄く眠たそうに入ってきた。隊長に何があったのかと、ほぼ全員が目を見開いた。隊長の足取りは危なげで、オレはすぐに駆け寄った。

「隊長、一体どうしたんですか」

「ああリオンか。昨晩決定したことだが、お前と澪に任務が下されてな。食事がすんだら謁見の間に行ってくれ」

大きな欠伸をしてカウンターに向かってゆく。大丈夫だろうか。あの様子で料理を受け取って席まで運んで行く無理に決まっている。

「危ないですよ、とにかく歩く事だけを考えてください」

「すまねぇ……」

 案の定、隊長の目は半開きだった。厨房からカウンターは丸見えで、誰もが隊長の様子に驚いていた。

「目覚ましにいい食べ物でお願い」

 オレがそう言うと、料理長の指示が飛んだ。慌てて見習いコックたちが動き回る。モルスさんを待たせるんじゃねぇとか、大至急出してやりなとか。でも彼らだって眠そうである。

 エリスがこの光景を見たら驚きを越して怒るに違いない。

 全員休暇を取りなさい! 今すぐ寝て頂戴! そんな倒れそうなまま働いて体を壊すなどいけませんわ!

 ややヒステリック気味に言うだろう。そうしてすぐさまメイドたちを呼んで彼女らに料理を作らせる。その中にエリスも混ざっていそうだ。

 考え事をする間にも次々に料理が乗せられる。一方隊長は水を飲んでいる。よほど疲れているのであろう。

 料理長に「お疲れさん」と声をかけられる。何か言葉を返したかったけれど、隊長の方をどうにかしろと言われてしまった。つくづくこの人たちはタフであると思わされる。その場を後にして、待っている澪の所に向かった。

 話を聞くと、昨日澪と話していたことと大体同じこと――探索について言われた。

 それなら早い、と口にするなり隊長は猛スピードで料理を平らげる。

「じゃあ俺は帰って寝る」

「ね、寝るって」

「すこーし休暇を貰うんだよ。ま、朝方まで話し合いにつき合わされたんだから、このぐらいイイよな。それに」

「それに?」

「女王なら休めって言うだろう」

 それ以上言うことはなかった。隊長は足早に去って行き、あれなら心配することは無いだろうと、オレは思う。多分、他の兵士たちもそう思っただろう。

 まるで嵐の後のようだ。何事もなかったかのように静かになる。

 

 

 食事を済ませ、澪と共に謁見の間へ向かった……が誰もいなかった。

 大臣たちはまだ寝ているのだろうか。もしくは食事中かもしれない。

 メイドや大臣たちは、兵の使う食堂には来ない。彼らには彼ら専用の食堂がある。聞いた話だとその食堂はあまり広くないらしい。ぎゅうぎゅうに詰められて食べているのだろうか。

 チラリと澪に視線を向けてみた。彼は一点を見つめている。その視線の先には、エリスが座っていた玉座がある。

 本当は彼に大臣を呼びに行ってもらいたいのだが、大臣たちが澪を嫌っていることは分かっている。あまり行かせてやりたくない。かと言ってオレが離れてしまい、入れ違いで大臣と遭遇でもしたら。

 きっと澪は嫌味を言われるに違いない。あの奴らは澪が一人になると言葉の攻撃を始めだす。澪が言い返さないと分かっていての事だ。けど、エリスにそのことが知られてからは落ち着いた。しかし、それでもまだ攻撃はあるようだ。澪はそのことを言わないけれど、盗み聞きしたことあるし、体長の口からも聞いてしまった。

「ややや、お二方、待たせてしまってすまない」

 小太りの外交大臣がやってきた。服は乱れかけているし、息は荒い。大急ぎで来たのだろう。

「いえ。少し前にきたところです。モルス隊長から言われて来ましたが、やはり女王の救出任務、ですか?」

 正直、この小太りは嫌いだ。表面だけヘラヘラして卑しい。気に食わない相手だが、仕事の面では優秀である。誰よりも説得と言いくるめは上手いのだ。

「ええ、ええ。そうでございます。モルス殿もご一緒にと思いましたが、奇襲されたときに兵を統率することは難しいので」

「その通りですね。オレと澪はリーダー役に向いていないし、ましてや奇襲対策なんて慣れていない」

「そそ、それに、モルス殿は二人に行かせろとおっしゃっていました故に」

「隊長が?」

 どういうつもりなのか、と言いたげに澪が顔を顰める。睨まれたと勘違いした大臣は姿勢を正した。

「……オレ達も救出に行こうと話していた。都合がいい、それで出発だが、すぐにでも行きたい」

「それならば馬車を手配いたしましょう」

「分かった」

 大臣は丸い体を九十度に曲げて何度もお辞儀をする。この大臣を蹴っ飛ばしたらよく跳ねるだろうか。

「大体今日の昼時ぐらいが目安だろうな。それまでに支度をしよう。で、連絡は……大臣、頼みますね」

 それだけ言うと澪は背中を向ける。大臣は少し不満そうだが、オレと目が合うなりにっこりと笑って見せた。

 謁見の間から出ようとすると、他の大臣たちが駆けこんで来た。澪は扉にぶつかりかけたが無事のよう。息を切らすその他大臣たちを無視して、澪は階段を降りて行く。オレも彼に続いて急ぎ足で出て行った。

 廊下は物静かで、昨日の出来事なんてなかったかのように思える。

「なぁリオン」

「どうした?」

「女王はどうしてあんなのを大臣に選んだと思う?」

 半ば呆れた声だった。確かにオレも思ったが、彼女なら何か考えがあるのだろう。

「ま、そっちのことを考えている場合じゃないけどな。荷造りしないと」

 ふとそこで、城下町の手作り菓子が恋しくなった。しかし食べに行く暇などない。

「リオン?」

「ああ、なんでもない」



 荷造りと言っても、日用品ぐらいしか持って行く物は無い。移動は白薔薇の制服でいいはず。むしろ近隣の村や町に行った際、制服でないと怪しまれそうだ。

 一応、プルメリア周辺や親交な国は白薔薇を知っている。顔と名前は知らなくとも、真っ白なジャケットにズボン・薔薇のブローチの服を見れば気づくはずだ。もっとも手っ取り早い方法は、白薔薇にだけ与えられる白磁の懐中時計を見せればいい。時計の中蓋には、エリスからの直筆メッセージが書かれており、複製なんてことは出来ない。

 使ったり見たりする機会はそんなに無いけれど、一応持っておこう。

「隊長に全部任せていいのかな……」

「何言いだすんだよ。リオン、お前が一番あの人に信頼されているのに」

「だって、さ。不安なんだ」

 そうは言っても、心の中では隊長を尊敬している。元山賊で人を沢山殺してきたらしいけど、隊長はオレにとって兄のような存在だ。それは、澪も同じだろう。

「ま、そろそろ行くか?」

「ああ」

 衣類、日用品を詰めたカバンは大きく膨らんでいる。これでも量を減らしたつもりなのだが。一方澪の荷物は少ない。オレとは色違いのカバンを使っているが、二回りほどオレのより小さい。

「……重くないのか?」

「いや、全然」

 無理をして首を横に振るうのだが、澪には見破られていた。

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