1-3

 どうしたものか、オレの予想は嫌なぐらい当たる。

 エリスは思っていた通り不機嫌だった。私室は相変わらず甘い匂いがする。部屋着の状態で、ベッドに座っている。

「本当にごめん」

 彼女はムスッとした顔でいるだろう。必死で頭を下げるオレには、エリスの靴しか見えない。

「……どうして、謝るの?」

 なぜだろう。オレはエリスの笑っている声が聞こえる。

「私、リオンに怒ってなどいないわ」

 顔を上げた時、彼女は笑顔で俺の頭をぶった。とはいえ軽く叩いた……というより撫でた。

「エリス……?」

「いけないのは革命団よ……あなたは悪くない」

 疲れたでしょう? と付け加え彼女は部屋の中央にある椅子に座るよう声をかけてくれた。二つあるうちの一つに腰かける。もう一つはテーブルを挟んで向かい側にある。エリスはそこに座った。彼女は膝をつけ、指を組んでいる。テーブルはティーセットを置くぐらいしか広さは無いので、自然とエリスはオレに近くなる。

「そうね。魔法はあったら便利かもしれない。だけど、まだあの頃を思い出す人はいるわ。リオンもそうですし……だからこそ魔法は使う事にふさわしくないと思いますの。

 そもそも魔法は自然の力を使い、摂理を凌駕するもの。無暗に使えばいいものではありません」

 実際、まだ魔法を恐れる人はいる。それを知ってか知らずか、革命団は好き勝手にしているのが現状だ。それに、聞いた話では魔法を使い過ぎ土地自体を滅ぼしてしまった国もあるという。

「私は、今の平和がいい……」

「オレも同感だよ」

 もっともの原因は一人の魔女。でもそいつを倒したって意味は無い。昔が戻るわけでもない。けれど、心の奥でオレは魔女を恨んでいる。アイツがいなければ母さんも生きていただろう。

 しかし。

 あの災厄が無かったら、エリスに出会えなかった。

 ただの庶民であったオレが、彼女に会えるなんて有りえないこと。

 それに今は頼れる仲間がいる。生活だって、前より楽しい。

 失ったものは多い。だけど、今手にしているものは昔のものより大きい。

 そんな今を壊されたくない。もう昔のようなことは、絶対……

「リオン」

「どうした?」

「あなたは今、幸せですか?」

「急にどうし、」

「答えて」

 真剣な眼差しだ。女王としての目で見てきている。

「もちろん、幸せです」

 答えるなり、エリスは表情を緩めた。だけどその笑みはどこか悲しげにも見える。何故だろうか。

 彼女とは長い付き合いになる。災厄で絶望に陥った時から、今までずっとオレは傍に居る。だから、エリスの些細な反応で機嫌が分かってしまう。ただ分からないことは怒っているのに怒っていない、というところだ。そればかり理解が出来ない。

 女心は複雑、と言ったところだ。

「ところでエリス」

「何かしら」

「そろそろ任務に戻っていいか?」

 するとエリスは目を細ませた。嫌だ、と言いたげな顔だ。しかしオレにはオレなりにやる作業があるだろう。そっちの方に手を貸してやりたい。

「私とお話をすることも、任務に入りますが……イヤですの?」

「え、や、イヤっていうわけじゃない、ほら手伝いとか」

「……私は、何もしなくていい、今日はゆっくりしてくださいと言われました。ですが、そんなのってあんまりではありませんか?」

「まぁ……」

 つまり、エリスは休暇をもらった。彼女は普段、会議に出ているか城下町に出ている店舗・調査表のチェックや日々の出納、政治などやっている。更にお茶会を開いていて、休む暇は夜か会議のすぐ後。よくこんな激務で立っていられるのが不思議に思える。いや、エリスだから難なく激務をこなして笑顔を振りまけるのだろう。それでいて彼女は周囲を気遣っていた。具合が悪そうな兵やメイドに声をかけ、様子を見て最善の処置をする。更にされた者が担っていた仕事を、別の者がやるよう指示をしていた。

 だがそんな生活をしていると「休暇」というものを知らなくて当然かもしれない。

 彼女は席を離れた。茶を淹れるのだろうか。

「リオンは、普段どんな休暇をとっていますの?」

「まぁ……その、部屋でごろごろしたり本を読んだり、食べ歩きもするかな」

「読書、いいですわね」

「書庫あるだろ。たまに行くんだ。でもやっぱり食べ歩きが楽しいぜ」

「まぁ行儀が悪いこと」

「そう、か?」

 でもエリスは怒った様子ではない。単に上流階級の人たちは食べ歩きはしないだけで、身近でないし良くないと思っているだけであろう。

「ううん、菓子がないわ」

 振り向くと、彼女は棚の戸を開けたり閉めたりしている。

「食べたのか?」

「そ、そんなわけございません。リオン、調理室でスコーンを貰ってきなさい、今すぐ!」

 ああ、昨日食べたんだ。顔を赤くして口ごもるエリスは必死な子供のようだ。彼女のプライドを汚さぬよう「菓子は全てオレが食べました」という事にしておこう。

 エリスの機嫌を損なわせないよう急いで料理室に向かったが、思っていた通りケーキ作りに励んでいる。こんなときにスコーンを頼むなんて、と心が痛む。

 だがあっさり作ってもらえた。料理人もケーキに飽き飽きしていたらしい、喜んでいた。

 去り際に「大変だなぁ、頑張れよ」と肩を叩かれる。腕にかけたバスケットから大量のスコーンが落ちそうになって冷や汗が出る。一応スコーンはペーパーで包まれているも心配だ。

 どこもかしこもお祭り騒ぎだった。みんなエリスのためにと動いている。

 オレは彼女のために何が出来ているのだろうか。話の相手をするだけなのか?

 

 エリスのプライベートルームにオレだけが入れることには、訳がある。

 単純なもので、エリスの傍にオレは長い期間いた。それだけ、らしい。

 それだけ信頼されていることなのか。迷いながらノックをし、扉を開ける。

「貰って来たよ」

 エリスは席に着いていた。ちょうど茶の準備が出来たのか、いい香りがする。

 テーブルにバスケットを置いた。エリスは「ありがとう」と微笑んでくれる。

 バスケットには二枚の皿と、蓋つきの容器がある。まず皿を出して、スコーンをトングで皿に分ける。フォークとナイフは既にエリスが置いてくれていた。空になったバスケットは足元に捌けておいた。

「それは蜂蜜ですか?」

「多分そうだと思うよ」

 蜂蜜の容器はティーポットに似た形をしている。中の蜜が固まらないよう容器は温かい。

 毒味、ではないけれど先に蜂蜜をいただく。いつもの癖で、指で掬うとエリスが「もう」と口を挟む。この時ばかり、面倒だと思ってしまう。何かとエリスは行儀や作法に厳しいのだ。

 別にいいだろうと蜂蜜を味わう。とくに変な味はしない。大丈夫だ。

「全く。匙を使って舐めた方が良いと言っているのに」

 エリスは少し頬を膨らませる。それからスコーンに蜂蜜をかける。トロリとした黄金色に輝く液体は濁りが無い。一級品だろう。

 オレはもう一つの容器を開けた。中には真っ白なクリームがある。

「そちらは?」

「クリームみたいだよ」

 パァッと彼女の顔が嬉しそうに輝いた。容器を渡すと、蜂蜜がかけてあるスコーンの上に、クリームがこれでもかと乗せられる。

「エリス……クリームの過剰摂取は良くないよ」

「あら、でもいいじゃない」

 そうは言っても喜ぶ彼女の顔が見たい。なのでつい許してしまう。

 甘やかしている。ため息をつきたくなったが、エリスが嬉しいならばそれでいい。自分のスコーンを準備していると、彼女は紅茶をカップに入れてくれた。甘酸っぱい香りがする。

「オレンジティー、というものらしいの」

 オレンジ、と聞くと果物しか浮かばない。よく食べるクレープにも入っている。酸味のきいた味と感触は忘れられない。でも、それを使った茶はどんな味だろう。

「いただきます」

「いただきましょう」

 エリスはナイフで器用にスコーンを二つに割った。ナイフをスコーンの下に滑り込ませ、支えるようになった。口に入れるまで蜂蜜とクリームは垂れていない、綺麗な食べ方だ。

「さすがだな、エリスは」

「ですが、これは私が生み出した作法です。良いかどうかは分かりません」

 エリスは少し悲しげであるが、実際この食べ方は夫人に人気だ。プルメリア作法、とまで呼ばれている。もう立派な作法として認識をされているのだ。

 やはり彼女には大きな力がある。女王として雰囲気もあるし、影響力もだって。つくづく彼女が雲の上の人だと思わされてしまう。

「じゃあオレも」

 見よう見まねでスコーンを食べてみた。意外にも難しく、蜂蜜が垂れそうだ。

 でも、今までの手づかみより、行儀はいい。

「おいしいですね」

 そう言ってエリスはカップに口を付ける。

 穏やかな時間だ。オレも紅茶を一口飲んでみた。控えめな甘酸っぱさがする。パサパサした口は一気に潤う。

 こうしている間にも、みんなは働いている。後ろめたさがするけれど、エリスがオレに頼んだ事。任務、のはずだが任務のようでない。

 不思議な感じだ。


 そうこうして三日が経った。はその間は彼女と散歩をし、読書の付き添いをしていた。

 雑用の兵士たちからは「羨ましい」と言われるし、隊長は「代われ!」なんてせがんでくる。エリスだって休みたいのだろう。昔からの縁もあるし、彼女だって我儘をしたいはずだ。だから、誘いを断ることはできなかった。

 しかし、苦しい所だってある。エリスのお茶目な部分は見ていて可愛らしいが、女王らしくないとこを見ていないと不安になる。しかし気を抜いていると女王の目で見てくる。変にメリハリがついていて困ったものだ。

 そして今日。珍しく、と言ったら悪いが仕事を貰ったようである。祭事で盛り上がる中でも、財政や報告書は運ばれるのだ。

 エリスはそれを受け、オレは手伝いをする。喧騒から離れた応接間にこもる。

「これが出された書類でございます」

「まぁ……」

「うげぇ」

 メイドが持ってきた積み上げられた書類の高さは大よそ二メートルもあった。それはワゴンに積まれているのだが、運ぶ最中よく倒れなかったと思う。さすが城内一のメイドだ。やることが何かしらずば抜けている。

「それでは失礼いたします。三時間ほどしましたら、休憩のお茶をお持ちいたします」

「分かったわ、ありがとう」

 綺麗にお辞儀をするなり、メイドは去ってゆく。残されたワゴンと書類を見て、エリスは目の色を変える。席に腰かけるなり、彼女はペンをとった。

「リオン。適度な高さで書類を積みなさい」

「あ、はい」

 両手に持てる分だけ抱える。それを彼女が向き合う机の右に置いた。

 エリスは息を吐いて、一枚一枚目に通してペンを走らせる。それも結構な速さで。ちゃんと中身を見ているのだろうか。気になっているとエリスの手が止まった。

「この書類……」

 オレの返事を待たず、彼女はその書類にペンを走らせた。

「突っ立っていないで再提出書類の準備や最終処理をなさい」

「は……はい」

 慌てて持っていた山を積み上げ、用済みの書類を束にする。チラリと見れば、どれも綺麗な字でエリスのサインが書かれていた。それだけでない。もっといい案など書かれてある別紙までくっつけていた。不備のあるものに関しては、こうすればいいのでは、など書かれているし、誤字を修正している。

「これ、第一区の……」

 再提出書類を見て、思わず口が滑った。

「治安が悪いと言われるあの場所、それについての対策案よ」

 内容は、第一区に住む異国民の処分希望だった。出した人は、住民区とも呼ばれる第四区の代表者からだった。

 一区だけでなく異国民への文句がズラーッと書かれている。が、一番下にエリスの再提出を求める印がつけられる。

 と、ペンの走る音が止まった。

「……私は、異国民を受け入れる方針でいます」

 彼女の横顔は、熱意と悔いが混じっていた。

「どうしてかしら……同じ人という事には変わりがないのに」

 エリスは二、三回頭を振って手を動かし始めた。

 他にも再提出の書類はあった。その中には黒百合のアレイが出してきただろう物もある。内容は、もっと祭りをしろというものであった。それを見るなりエリスは少しだけ口角を上げた。適度に開催するよう審議、と書いて渡してきた。

 プルメリアには一区に一個、意見箱がある。その箱に投函された意見は、こうしてエリスの元に着く。裁かれたのち、広場の掲示板に結果が張り出されるのだ。中には審議を入れてから、というものもある。さすがにエリスだけでは判断できない内容もあるからだ。

「リオン。これは個人宛でお願い」

「分かった」

「封筒には入れるだけでいいわ。後はメイドが出してくれる。本当は、私が届けたいのだけれども……」

 もちろん、公に出されたらいやだという人もいる。そういう人のために、手紙として極秘に送ることも可能だ。

 この意見箱全般を考えたのは、エリスだ。復興途中で荒れかけたプルメリアを統制するとき、この方法が使われた。そのおかげか、国民の不満は解消された、という。

「……異国民について、もう少し考えた方がいいかしら」

 ため息交じりに彼女は一つの書類を渡してきた。

 幼い子供が描いたのだろう、よれよれの字だ。お世辞にも上手いとは言えない。読んでみると、それはここから少し離れたエセルタイン共和国出身の子からだった。記憶が正しければ、エセルタインも魔女の影響を受けてしまい一部大損害を負った。やむを得ず国を離れ、途上中のプルメリアに避難し、復興手伝いをしてくれた人がいた。

 おおまかな内容は、どうしたら異国民と呼ばれずに済むのか、というもの。

 それに対して、エリスは勇気付ける温かい言葉を書いた。

「彼らは悪くないのに……一刻も早く、この状況を打開しなくては」

 不覚ながら「女王らしい」と思ってしまう。

 エリスが作業を開始したことに気づいて、ハッとなった。せっせと紙の束をまとめ、再提出の物をまとめる。


 チェックが終わったのは、それからしばらく。

 ちょうどよくメイドがやって来た。トレイにはポットが一つと、カップが一つ。それに甘そうな菓子が乗せてある。

 へこたれるオレを尻目に、エリスはメイドに再提出の書類、確認済みの物を渡してティーセットを受け取る。

「リオン。いつまで寝ているのかしら」

「寝てなどいません……」

 顔を上げると、柔らかな笑みを浮かべるエリスがいた。仕事中の顔と全く違う。

「エリスは二重人格か?」

「それは……どういうことですの?」

「仕事中と雰囲気が違いすぎる……」

 けれど本人は分かっていないらしい。彼女は瞬きをし、首を傾げた。

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