2-3

 菖蒲につられ、魔物がいただろう場所につく。ツンとした辛い匂いが鼻に来る。甘ったるくなく、仄かに清涼感があるのだが、キツイことには変わらない。そろそろ鼻がぶっ壊れるのではないだろうか。寝間着に上着の菖蒲は涼しい顔をしている。

「お前は平気なのか?」

「……いない」

「は?」

「魔物が、だ」

「なんで分かる」

「魔物が残した足跡は無いし、そもそもこれは魔物避けハーブだ。こんなところに現れるなんておかしい」

 忌々しげに、菖蒲が傍に生えている葉を掴む。刺々しい葉は綺麗な緑色をしている。

「あの青年は何のために……」

 周囲を見渡してみる。柵に囲われたハーブ園が広がっている。どこもかしこも緑で目が眩みそうだ。とはいっても緑だけでなく、空の青だってある。遠くには落ち着いた茶色の建物だって見える。

「視界と嗅覚まで奪う。とんだ場所だな」

 もし、人間より視覚や嗅覚が優れた生き物が此処に来たら卒倒するだろう。

「ところで、お前は色彩における効果を知っているか?」

 急な質問だった。菖蒲は真面目な顔をしている。

「緑に囲まれたまま長時間いると、赤が欲しくなる。つまり、自殺させたくする」

 今度はしゃがみだした。小さな囲いに手を突っ込んでいる。そんなことをしていいのだろうか、そう思ったが彼は何かを探していた。

 菖蒲が引っ張り上げたモノは、血まみれの食人獣。まだ子供だろう。食人獣は昔、人を食べていたと言われる魔物だ。今はそんなことなく、彼らは群れを成して肉食獣を食べていて、滅多な事が無い限り人を襲わない。

 灰色のツヤツヤした体は二頭身ほど。大きな瞼は閉じている。特徴的な長い舌は、噛み千切ったのか中途半端な長さだ。

「コイツはきっと、気が狂って舌を噛んだ。リオン。お前なら分かるだろう。この後どうなるかは」

「……嫌な予感しかしない」

 食人獣は厄介なもので、殺された子供のニオイを嗅ぎつけてくる。そうして殺した奴を復讐しにくる。このニオイは嗅覚とは別のところで感知するので、かき消すことは不可能。そんな食人獣はマドニア付近に住処を作っているというのだ。

 子供の食人獣を寝かせ、菖蒲は両手を合わせた。彼なりに情があるのか、と感心してしまった。

 遠方からした叫び声に体が反応する。もう食人獣が攻めてきたのだろうか。

 踵を返し、ハーブ園を抜ける。少し遅れて菖蒲もついてきた。

 スラム街から人が顔を覗かせている。どうやら食人獣の事は気付いていないようだ。不審げにこちらを見て来るものがいた。が、気にしている暇は無い。すぐさま食人獣を探さなければ、

「魔物が出た! 女子供は家の中に隠れ、男は家を護れ!」

 と思っていたが菖蒲はスラム街へ走る。思わず足を止めかけたら、彼は「早く行きやがれ」と怒鳴る。アイツは何がしたいんだ。考えている暇は無い。食人獣は、きっとあの青年を狙っているかもしれない。どういう事があったのかは知らないけれど、オレにはマドニアを護る権利がある。プルメリアとマドニアは貿易だけでなく、外部から侵害があった時力を出して助け合うことも条例にあるのだ。そうでなくても、オレは守るつもりでいる。

 走り続けてしばらく、宿の前に着いた。そこには澪がいて、オレを見るなり安心したような素振りをした。菖蒲と違い、身なりはきちんとしている。

「どこに行っていた、朝起きたら二人ともいないし、宿の人も知らないって言うから」

「それに関しては謝るが……食人獣の死体があって、その親が来ていないか見回ってきた」

「そいつらしき声はした。見てはいない。ところで、あの青年、ほら昨日の夜に晩飯の案内してくれた青年はどこに?」

「いや、見ていない」

 青年も心配だが、食人獣にも警戒しなくてはならない。澪と二手に分かれることにし、オレは鐘のある塔に方へ向かった。

 お目当ての食人獣はすぐに見つかった。背は二メートルもあるだろう。身長の倍もあるだろう長い舌を振り回し、充血した目をぎらつかせていた。

 その食人獣のぬめりとした右肩が爆ぜる。

 既に戦っていたヤツはボロを纏っていた。マドニアの人だろうか? すぐ剣を抜いて、食人獣の左へ回り込む。

 その全身ボロを纏っているヤツの足は鎧で、両手には銃が握られている。

「もしかして……!」

 食人獣の舌がボロに飛んだ。ボロは避けきれず、顔面に攻撃をくらう。その衝撃で羽織っていたボロが飛ばされた。

「あだっ!」

 やっぱり。革命団のアレイだった。でも今はそんなことに気遣っている場合ではない。食人獣の舌がブンと音を立て、こちらに向かってくる。

「この……!」

 すまない、と心の中で呟いた。飛んでくる五メートルもありそうな舌を、叩き斬った。正面から、真っ二つに。浅黒い血が飛ぶ。食人獣が悲鳴をあげた。それを聞きつけマドニアの人が、住まいから顔を出したのが見える。

「お返しだヌメッぽいやつ!」

 苦しむ食人獣の腹目がけ、アレイが飛び蹴りをかます。弾力のある腹が、ボコン、とへこんだ。

「白薔薇!」

 着地したアレイが怒鳴る。止めを刺せというのか。

 罪悪感を背負いつつ、地面を蹴る。視界の端にマドニアの人が見えた。ほとんどの人がボロを着ている。

 食人獣との距離、あと一歩の所でヤツは顔をあげた。かかってこい、殺せ。そう言わんばかりだった。上下する腹は苦しげだった。

 本当に殺していいのだろうか。コイツの子供は何者かに殺されただけだ。それに怒って、攻撃してきた。オレに、コイツを、親を殺す権利など無い。

 ためらっていると、アレイが「何してんの!」と怒鳴った

 食人獣の腹に向けて、剣を突き刺す。一瞬、ヤツの身体が震えた。すぐさま後退し、血を避ける。食人獣は低いうなり声をあげ、息を引き取った。成体の食人獣は特殊なニオイを発しないので倒したって平気である。でも、何かが引っ掛かる。本当に殺して良かったのか。

 歓声と拍手が聞こえた。マドニアの人たちだ。

 荒く息をしつつ、彼らに手を振る、のだが、

「ちょっとさ、なんで躊躇したの?」

 目の前にアレイが映る。彼女は不満げに腰に手を当てていた。

「死にたかったわけ?」

 それは。答えかけて喉が詰まった。黙っていると彼女の顔は更に険しくなる。

「リオン!」

 澪の声に呪縛から解放された。振り向くと、こちらに駆け寄ってきていた。彼の数歩後に菖蒲もいた。

「……どういうこと」

 初めから状況を把握していないのか、アレイだけが首を傾げていた。


 あれから大騒ぎとなったが、一件落着でマドニアはお祭り状態となった。食人獣は植物の肥やしとして畑に埋められるらしい。その際には、食人獣の子供も一緒にするよう伝えておいた。二メートルほどある食人獣を埋める。体を切って小さくしてやるのか。そう思ったが、身体を丸まらせ、掘った穴に埋めるようだ。あまりにも大がかりな作業のようだが、一日がかりでやれば出来てしまうらしい。

 本来なら、竜のことについて聞き出し、エリスを助けるはずだった。こんなことになるとは予想外である。菖蒲曰く、鐘のある塔を後ろにして歩けばいい。とのこと。聞くだけでは簡単な道のりである。

 その簡単さに疑問を覚える。本当に彼らを信じていいのだろうか。

 はぁ、とバーのカウンターでため息をついた。バーなんて場所にいる理由は、ここの店主のオジサンが無理やり連れて行ったからである。酒は飲まないオレからすれば、なんともいえないものだ。

 隣にいたはずの澪は綺麗な女の人に囲まれている。何やら話を聞かれているらしい。そんな彼が羨ましい、と少しだけ思った。

「ほらよ」

 目の前にジョッキが置かれる。注がれた飲み物は泡立っていて、甘い香を醸している。

 どう考えても酒だ。

「いや、あのオレは未成年で」

「未成年も何も関係あるか! 今日は無礼講だ! 朝から飲むぞ! 飲ませるぞ!」

 バーのオジサンは上機嫌に笑う。と、奥さんらしき人が出てきて「このバカモンが!」そう言ってオジサンを叩いた。

「白薔薇さんにこんな安いワインを出すんじゃない!」

「んだとぉ?」

「あ、あの。そんな、オレはいいですから」

 不意に、目の前のジョッキが消えた。

「ん。うまいな」

 何かと思えば菖蒲だった。何食わぬ顔で彼は酒を一気飲みしたのだ。確か、コイツも未成年だったはず。

「お前何飲んでいるんだ!」

「何って。酒」

「あああもう!」

「まーいーじゃないのー」

 思いっきり後頭部を叩かれる。犯人はアレイのようだ、顔は赤く染まっている。どうやらコイツも飲んだらしい。そうなると、唯一の助けは澪となるが、

「お前もか!」

 今にも倒れそうな顔で、澪は若いお姉さんと酒を楽しんでいた。周りのお姉さんたちはきゃあきゃあ言いながら、澪に話しかけている。

「空気の読めない奴だな。こういうときは飲むだろう」

「だ、から!」

「おうおうおう、待たせたな!」

 ドスン、と沢山のジョッキが並べられる。色とりどりの飲み物が泡を吹かせていた。

「バー“キサラギ”名物の虹色だ、たんと飲め! ガハハ」

「っわー! きれい! オジサン、飲んでいいの?」

「おおいいぞ! おかわりはいくらでも出してやるから」

「そういうわけだ」

 菖蒲の顔が近くなった。ジョッキがオレの口に当てられる。そのときになって、オレは菖蒲に肩を掴まれていると気づいた。が、遅かった。

 無理やりに酒が注がれる。甘いのか苦いのかよく分らない味がして、口の中に酸味が残る。

 味と味が喧嘩している。そんな印象があった。

「これでお前も同じ穴のムジナだ!」

「ムジナってなんだ、というか近い離せ!」

「リオン、まさか俺の酒が飲めないって言うのか」

「お前のじゃねーだろ! うわ酒臭い……寄るな」

「女王一人守れないくせして、男か!」

 言い返そうとした瞬間、空のジョッキで頭を叩かれた。もっとやれ、とアレイの声がする。

「ははん、酒もろくに飲めないのか、白薔薇は」

 コイツ、完全に酔っている。いつもの上から目線な口調はどこに行ったのだろう。幼さが目立つ。

 酔っているのは彼だけでない。バーにいる人全て酔っていた。身の毛がよだつ。ヤバい、逃げないと。

「そんなわけねぇ!」

 背後から声がした。振り返ると、澪が瓶を片手に立っている。おまけに歓声まで浴びていた。顔は赤く火照っている。目は眠たそうで、なぜか涙が浮かんでいる。

「リオン。言い返したらどうだ」

「そんなこと言われても」

「よし、一発飲め」

 お前もか。ツッコミを入れる前に澪は瓶のふたを開けて、中身をオレにぶっかける。その隙にまたジョッキがきた。頭の中でピリリと火花があがる。

 数回ほど咳をして、顔を拭う。甘酸っぱい酒の匂いがする。目の前で花火が上がったみたいにチカチカした。

「ほう。やるのか?」

 菖蒲はやる気満々、といった感じである。

「好き勝手に言わせておいて……!」

 自然に手が出た。突き出した拳に痛みが走る。目の前で菖蒲が倒れ、後方から口笛が響く。全身に爽快感が沸いてきた。が、視界がおかしい。みんな揺れているように見える。

「実際そうだろう! お前は大事な女王を護れなかった! お人よしめ!」

 今度はオレが倒れた。視界が一転する。頬と、側頭部が痛い。テーブルの足が見えた。だけど寝ている暇なんてない。

「こんの、やろぉ!」

 立ち上がって、菖蒲に蹴りをいれる。菖蒲も負けじと手刀で腕を攻撃してきた。

「オレが、どんな気持ちでいたか知らないで!」

「知ってたまるか!」

「迷惑集団!」

「税金貪り野郎!」

 言葉と言葉を交わすたびに足か手が出る。不思議な事に痛みは無かった。周りからの声とぶっかけられる酒、鼻の奥がツンとするニオイ。オレの方は澪が、菖蒲の方はアレイがサポートをしている。

「何も知らないのはそっちだろう!? 女王の事ばかり考えやがって、貧民層は見捨てると言うのか」

「魔法に嫌な思い出がある人に、魔法を使うお前らは邪魔な存在なんだよ!」

 オレと菖蒲が、お互いを殴りかかろうとしたが、拳と拳が正面衝突した。

 瞬間、酔いが覚めた。それは菖蒲も同じだっただろう。

 手から腕を伝い、肩が痺れる。パキリ、なんていう嫌な音がした、気がする。

 痛みに叫ぶ暇もなく目の前が暗くなる。澪がオレの名を呼ぶのを最後に、意識は遠ざかった。

 そういえば、あの青年はどこに行ったのだろうか……?

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