3-5

 意識が飛びかけた。深呼吸をして、ゆっくり顔を上げる。

 エリスは目を閉じている。そっと手に触れてみた。脈はある。生きているようだ。

 安心した束の間、急に魔女の内部が跳ねた。ドクン、ドクン、と蠢くように。

 その時。エリスが目を覚ました。

「エリス……!?」

「……助けに、きて……くれたの?」

 薄らと目を開く彼女は、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「当たり前だろ、オレと澪と、あと……とにかく、ここから出よう。エリス」

 手を出した、のはいいもののオレの手は傷だらけだ。引っ込めようとしたのだが、彼女はオレの手を握る。

「……少し、待ってて」

 ほんの数秒して、エリスは手を離した。

「傷が治ってる……?」

「片手も」

 穏やかな表情でエリスは告げる。言われるがまま差出し、傷を塞いでもらった。それだけかと思っていたが、手の先から肩まで癒される。右肩の痛みは消えうせた。

 これは紛れもなく魔法だ。

「エリス、ここから出よう」

 立ちあがるオレに彼女は俯いてしまう。この間にも澪や菖蒲にアレイは戦っている。せめて彼らの負担を無くしてやりたいし、何よりエリスが無事で安心した。それにあとは帰るだけだ。

「でも、私は……!」

「オレは、エリスが魔女でも敵だったとしても、尊敬していることに変わりは無いし、オレにとって、無くしたくない大切な人なんだ。だから……!?」

 不意に、オレとエリスの間に剣が現れた。真っ黒なそれは魔女の身体を一突きするなり引っ込んだ。傷口から手が現れ、魔女の皮膚が裂かれる。

 酷く焦った顔をする菖蒲が顔を覗かせた。

「感動の再開はいいから、早く出ろ! あの小僧の姿が無いんだ!」

「菖蒲、それはどういう」

「いいから!」

 突然現れた菖蒲に言われ、彼が作った傷穴から這い出る。もう魔女自身は力を無くしたようだ、傷は塞がらない。まずオレが出て、エリスを引っ張り上げる。ヒールを履いていたので足どりはおぼつかないが、無事のようだ。よくよく見ると、彼女は連れ去られた時と同じドレスを身に纏っている。おかしなことにドレスは汚れていない。

「二人とも無事だったのか、良かった……」

 顔に切り傷をつけた澪がやって来る。すると、エリスは泣きそうな顔で頭を下げようとした。それを制止させ、オレは二人にこっそりと話す。

「ともかく、エリスが無事なのは分かった。話はあとからにしよう」

 あっけなく助けることは出来た。振り返ると、本体であったエウカリスはその場で硬直している。これをどうするべきか。そもそもコイツは生きているのか。

 触れてみると、魔女はぼん! と音をたてて花びらとなった。真っ白な花弁が宙を舞う。不覚にも綺麗だと思ってしまった。

「何呑気な事をしている、お前、アイツは、クソガキ見なかったか!?」

 後方から菖蒲がやってきた。食らいつかんとばかりに睨んでくるので物怖じしてしまう。

「クソガキ……?」

「だから、あのシスルとかいうやつだ!」

 菖蒲が叫んだ時、爆音が横からした。アレイの銃が放った音だ。そちらを見やると彼女はこちらに武器を向けている。

「三人とも今すぐ退いて!」

 咄嗟にエリスの手を引いてその場から離れる。その後に澪が続いて、菖蒲は真逆の方へ飛び去る。

 刹那、オレらが居た所が爆発した。しかし、アレイがもう一発撃った弾で相殺できたのかこちらへの被害は少ない。

「はぁ~おみごとおみごと」

 そこから、ニタニタと笑うシスルが現れた。不規則にだらしなく手を叩き、彼は深呼吸をする。嫌な予感がして後退すると、エリスが前に出た。彼女の顔に焦りも恐れも無かった。

「シスル。残念だけど、私はあなたの言いなりになんてならな――」

「ここまでは想定内さ」

 どす黒い蒸気が彼から放出される。咄嗟にエリスを引かせると菖蒲が前方に片手をかざした。

 シスルの蒸気は止まらない。困惑する澪の肩を叩いて、一歩ずつ下がる。

「気を付けて、アレは魔法かもしれないわ」

「気を付けるも何も、そうにしか見えないですよ」

「ま、そんなところよ。当たったら……女王サマは無事でもあんたらは即死かもね」

 笑いながらアレイは話すが、目は本気だった。一先ずこの二人に任せる事にしよう。

 本当なら、ここでエリスを連れて逃げてしまいたい。けれどそんなこと出来なかった。エリスを侮辱したシスルが許せないし、彼等を――黒百合の二人を置いていけない。

 ぎゅう、とエリスが服を掴んでくる。彼女も不安だろう、オレはその手を握った。

「はぁ~あ、やっぱりエウカリスはとんだクズ、いやグズだね」

 にこり、とシスルが笑う。同時に霧が止まった。しかも、みるみる内に霧は固形物に姿を変えてゆく。彼は両手を広げて、固まりつつある霧を引き寄せた。

「特にそこに青髪、君だけはこの手で殺す。エウカリスの心をうごかした張本人だしそうすればエウカリスも絶望して扱いやすくなるもんね、だから早く殺さないと八つ裂きにして内臓ぶちかましてやらないと僕の気が済まないんだ!」

 真っ黒い気体だったものの一部がシスルの手に納まる。彼が掴める程度の太さの柄が形を成した。模様が無い、ただただ黒い棒に見えた。その先端から湾曲するように霧がまとわりつく。

 昔、絵本で見た死神が持っている鎌を思わせる物体が現れた。

「……斬られたらひとたまりもないな」

 鎌の先端は日の光を受けてきらりと輝いた。背筋に寒気を感じて、乾いた笑いがこみあげてくる。同時に、怒りが湧いた。

「で。そこのお二人さんは僕と戦うつもりかい?」

 返答の代わりに、菖蒲はボール状の物体を放った。しかし、シスルはいとも簡単に鎌で切り裂いた。そして、その鎌の先端を自身の顔に当てる。血が垂れるも気にせず、挑発をしだした。

「まずいよ菖蒲、無理だって」

 不安げにアレイが彼を引っ張り出す。それでも菖蒲は動じない。ジッとシスルを見ている。

「ま。君たちは僕の本命じゃあない」

 彼が一歩踏み出したが、その一歩はあまりにも大きすぎた。シスルはもう目の前にいて、鎌を振ってこようとする。オレの身長ほどのそれが回転した。咄嗟に剣で応戦するも抑えることは不可能だった。二ィ、と彼が口角を上げた。

 速い。速すぎる。体が追いつかない。こいつは、一体なんなんだ……!?

「っははは! こんなもの?」

「な――ッ!」

 空いていた片手で首を掴まれる。ヤバい、と思ったが、オレは地面に叩きつけられていた。衝撃で気を失いかけてしまったが、首や背中の激痛がそれを許さない。

「が、いっで……ぇ」

 そこで、自分の頭、いや背中が地に付いていない事――落とされかけていると気づいた。

 一度打ち付けられ、塔の端まで引きずられたのだろう。

 シスルはまだそこにいる。ギリギリと首を絞めていた。苦しいを越して、何も感じられない。辛うじて息は出来るが、したくない。目を見開いたシスルから発せられる吐息は、腐敗臭そのものなのだ。そして、恐れていたことが起きる。

「このまま腕、首折っちゃおうかなぁでもそれじゃあ足りないねぇ、君たちが殺した食人獣みたいにされたい? それとも地中鮫みたいにされいたい? でも僕は選択肢なんて与えないけれど」

 思いっきり体重をかけてきた。支えなどないオレは叫び声を上げる間もなく、シスルと落下する。落ちる前に澪が手を伸ばしてきたが、間に合わなかった。

「そうだ、お前さえ殺せばよかったんだ、エウカリスのお気に入りのお前をさぁ! もちろん嬲り殺してあげるよ、その後はエウカリスの大事な人を殺してあげる、だってアイツは僕たちを裏切ったんだ許さない絶対に許さない火あぶりなんて軽い処刑じゃ駄目だもっともっと痛い殺し方をしないといけないんだ!」

 一体誰に言っているのか。そんなこと分からなかった。オレはただシスルの口から吐かれる言葉を聞き流していた。ひゅう、ひゅう、と息をするのが精一杯で、抵抗何て出来やしない。

「お前も、黒いアイツらも憎いエウカリスにかかわったお前らが憎いんだ、そして……お前も、僕が憎いだろう?」

 自嘲するような笑みで彼は言う。一瞬だけ首にかけられていた力が弱まったが、強く絞められる。声を上げることが出来ない。目に涙が浮かぶ。出そうとした空気が喉の中で留まる不快感に飲まれてしまう。

「じゃあね、白薔薇のリオン」

 せめてもの抵抗として、オレは利き手に力を込める。まだ剣が握られているのだ。微かな意識の中、どうにかシスルを刺そうとしたが、視界から消え失せた。耳元で雑音のような断末魔がする。

 それだけでない。急降下が止まった。羽のようにふわりふわりと浮いている。妙な感覚に戸惑っていると、足を引っ張られた。

「リオン無事か!?」

 そこには大剣を片手で持つ菖蒲がいた。もう片方の手でオレを引いていて、そのまま地面に降ろされる。どうやら墜落寸前だったらしい。

「全く、一時はどうなることかと……」

 その隣には澪もいた。呆然としていると、菖蒲の魔法で降りてきたと耳打ちした。おそらく、いや絶対だろうが、墜落を防いでくれたのは菖蒲のおかげに違いない。

 シスルは、と顔を上げる。奴の右肩にはざっくりと大きな傷がある。どす黒い血のような液体が、傷口から溢れている。だが、シスルは傷口を抉っていた。肩の傷から白い何か――骨らしきものが見える。

「あ、あグ……そうか、そうかてめぇだったか、魔女に呪いを受けたって超ど阿呆は……!」

「くせぇ。喋るな。ゴミ屑以下」

 ぬるりとシスルが起き上がる。彼の眼は真っ赤に充血していた。頭から血を流して、身体を上下させ苦しげに息をしている。普通の人間なら死んでいるはずだ。それに様子がおかしい。体の節々から、真っ黒な蒸気を噴出している。

「リオン!」

 振り向くとエリスがいた。両目から大粒の涙をこぼしている。エリスは抱き着こうとしてきたのだが、合間にアレイが割り込んでくる。

「突っ立ってないで。あのクソガキ倒すのが優先!」

 意図的なのか、彼女はオレの手を握る。冷たい手だった。何を思ったのか、エリスは、その場で立ち止まる。祈りを捧げるように手を組みはじめる。

「早く行って。あたしはココにいる」

 と、彼女は菖蒲の頭上に発砲する。飛ばされた青白い球が二つ。孤を描いてシスルの目に命中する。

「今ここで言うのもなんだけどさ。リオン、話したよね。あたしの故郷の事。反乱を起こしたって言うのは……アイツなんだ。でも、あたしが恨むべき相手じゃない。恨んでるのは魔女なんだよね」

 シスルの絶叫の中、アレイは小悪魔のような微笑みを浮かべる。彼女は二、三歩引いて祈り続けるエリスを見つめた。オレらに顔は向けていないので表情は分からない。

「早く倒してきなよ。ちゃんと女王は守っとくから」

 その言葉を信用して、オレは澪と目を合わせる。

 戦う覚悟と決意は、もう出来ている。

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