星が見えない夜 5

「ハルキくん。お願い、抱いて」


「できません」


 一瞬の迷いもなくこたえるハルキ。

 ハルキは自分の羽織っていたジャケットを、しおりの肩にかける。明らかにしおりは落胆している。


「それがクラブ明晰夢の掟だからです。何度も言ってますが、その姿では風邪をひきますよ」


 まるで、子供を心配する親のような眼差しを向けるハルキ。しおりは視線をそらす。


「ハルキくんは全然わかってない。……私もハルキくんのこと全然わからない」


「ぼくたちはまだ出会ったばかりだから、お互いにわからなくてもおかしくないですよ。しおり様?」


 ハルキは微笑みかけるが、しおりは下を向いたままだ。ハルキが何度か名前を呼ぶが、うつむいたまま。


 どれくらいその状態だったのだろう。


 急にしおりが笑い出した。


「……手強いなぁ。もう。私の負けだよ」


 あははっ、と明るい声で笑うが、一瞬だけ悲しそうな目をする。


「ハルキくん。私ね、花火をしてみたいな。でも部屋の中じゃ無理ね。花火も用意してないし、季節はずれだわ」


「それならお任せください。しおり様が望むことは、何でも叶えられます」


 紫色の煙のようなもやが、部屋の中に広がる。輝く靄が、下から上へ舞い上がるたびに、紫色の光となって部屋を包みこんだ。

 これがハルキの作る夢の世界。


「美しい世界。私はいつも、この心地良さに溺れているのね。溺れて、もがいて、現実を見失ってしまう」


「しおり様、少しだけ目を閉じていてください。……開けていいですよ」


 しおりが目を開けると、二人は夜の砂浜にいた。これも夢の中だから、どこにいても不思議ではない。しおりも驚かなくなっていた。


 寄せてはかえす波の音。二人を囲むように、色とりどりのキャンドルが並び、手持ち花火も置かれている。夜空には星が、眩しいほど煌めいていた。満天の星空に負けないほどの、輝くドレスを身につけたしおり。


「だんだんわかってきたの。これは多分、夢の中ね。でも、夢なら尚更、楽しまなきゃ」


 しおりはハルキの前を通り抜けると、何十本もある手持ち花火の中から、適当に火をつける。

 赤褐色の火の粉が吹き出した後、黄金色の炎になる。次々と移り変わる、虹色のグラデーション。


「綺麗……。でもわたしはこれが一番好き」


 しおりは線香花火に火を灯す。


「線香花火ってね。人の一生を表しているの。点火して火の玉が大きくなっていく『つぼみ』。想いがこんなふうに膨らむばかりで……。ハルキくんに初めて会った時の、わたしの心みたい」


 小さな火の玉が膨らみはじめ、稲妻のような火花が散り始める。


「力強く火花が散り出す『牡丹ぼたん』。情熱的な炎が、恋のはじまりみたいね」


 火花の勢いは強くなっていく。暗闇の中でもお互いの顔を照らし出すほどに。


「より一層、激しく火花を散らす『松葉まつば』。もう、自分で気持ちを抑えることが、出来なくなっていく」


 勢いを増した火花が、少しずつ小さくなっていく。


「……これは『ぎく』。楽しい時間に終わりがあるように、恋にだって賞味期限があるのよ」


 散り菊のように一本、また一本と、終わりに向かって火花が落ちてゆく。静かに終わりの時間は近付いてきていた。


「……もっと私が魅力的だったら、抱いてくれたの?」


 散りゆく花がなくなった瞬間。火の玉が、するりと落ちて、勢いよく砂浜に叩きつけられる。赤い光が散り散りに割れると、暗闇が戻ってくる。


「しおり様に魅力がないわけではなく、そういう夢をみせるのは得意ではないのです」


 夢を作る魔物ハルキにも得意不得意はあるのだろう。魔物の言い訳も、しおりには男の勝手な言い訳にしか聞こえない。


「真面目なんだね。……今日はありがとう。もう、帰ろう?」

「わかりました。部屋に戻りましょう」


 夢の時間は終わる。目がさめたらいつもと同じ風景に戻るだけ。

 しおりはベッドからテーブルを指さした。


「テーブルの上の宝石箱の中に、ハルキくんにあげたいものがあるの」


 豪華な宝石箱の中には、ビー玉が一つ入っている。しおりが以前、クラブ明晰夢で飲んだラムネに入っていたものだ。


「私にはどんな宝石よりも大切な物だった」


「次に会う時は、お返しに宝石をプレゼントします」


「……。もう会えないかも」


「え?」


「ううん。気にしないで。さよなら」


「……おやすみなさい。しおり様」


 ハルキはしおりが眠るのを見届けると、窓から夜空に駆け出した。湿った空気がいやに身体にまとわりつくような、すっきりしない夜である。大きな恐ろしい目に睨まれているようで、ハルキは何度か振り返った。


 絶望という悪夢が近付いている気配がする。








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