地下に咲く花に酔いしれる

 クラブ『明晰夢』があるビルの地下にある『リザンテラ』という名前のBAR。

 古めかしい木製の扉。まるで電気の球が切れかかっているかのように不規則に点滅する黄色い看板。

 ランプをひとつかふたつ、灯してある店内は不思議な雰囲気。全体的に薄暗い店内はカウンター席のみ。

 価格設定も高めで、本格的なカクテルが揃っている。ベテランそうな黒髭のマスターが中央でひとり、黙々と仕事をしている。

 カウンターにいるお客はいつも一人か二人。常連のような年配の男性客が多い。初心者には、入りずらい印象のバーみ屋である。


 夜中十二時ちょうど。ハルキはこの店の扉を開けた。地下にあるバーといえばここ『リザンテラ』しかない。カウンターの隅に、女性客が一人だけ座っている。それは、佐藤しおりだった。


 ハルキが声をかけるより先にしおりが振り向く。


『なんで連絡くれなかったの? 待ちくたびれちゃったよ』


 ハルキはその台詞に合わせた答えを用意していた。しかし、しおりは何も言わなかった。彼女はハルキの姿を確認するとすぐに封筒をひとつ鞄から出す。無言のまま、ハルキにそれを渡す。

 中を確認するとそこにはお金が入っている。


 ──『仕事の延長だと思っているのは、あなたのほうではないのか?』


 ハルキはため息をつくと封筒をそのまま返す。


「ぼくは今日はもう仕事ではありません。約束をしたから会いにきました。連絡できなかったのは、連絡先を書いてくれたメモをなくしてしまったからです。すみません。

 マスター、いつものください」


 ハルキはしおりの隣に座る。少しすると、小さな平たいカクテルグラスがコースターに乗せられた。白濁色のお酒。緑色の柑橘がグラス脇にデコレーションされている。カルピスをお洒落にしたような可愛らしいカクテルだった。

 ハルキはそれをしおりに渡す。


「可愛い! これはなぁに?」

「可愛いらしい飲み物ですけど注意してくださいね。小さな可愛いらしいグラスほど中身は強い度数のアルコールなんです。酔い潰れてぼくにお持ち帰りされないようにしないとですね」

「え……」


 ハルキはニコニコと笑う。


「このカクテルはマルガリータです。テキーラベースでカクテル言葉は『無言の愛』です」


 しおりは恥ずかしそうに俯いた。

 クラブ『明晰夢』では、しおりは強気でワガママそうな態度だった。この『リザンテラ』でのしおりはまるで少女のように緊張しているように見える。隣に座っているハルキの顔すら、まともに見れない様子だ。


「あ、美味しい」


 しおりは、一口ずつカクテルを飲む。


「このリザンテラには、大人のラムネもありますよ? 飲んでみます?」

「大人のラムネ? ハルキくんが言うと全部が色っぽく感じてしまうのだけど。ラムネは、明晰夢で飲んだからもういいかな。ハルキくんはビールでも飲むの?」

「ぼくは、ソルティードッグにします。塩分が足りてないので」


 小さなカクテルグラスに粗い塩が一周デコレーションされている。カクテルを一口飲むと、ハルキはしおりに「飲んでみます?」と勧める。しおりは、勧められるままに一口飲み、また一口……そのまま全て飲み干してしまう。


「ハルキくん、しおりちょっと酔ってきたみたい……」


 ハルキはしおりの身体を支えると、店の外へ出る。


「お勘定は?」

「ぼくが済ませたから大丈夫です。それより、少し酔い醒ましに歩きましょう」


 階段を昇り、道路に出る。

 しばらく歩く二人。

 いつも見慣れた信号だらけの雑多な景色も、アルコールが入れば煌めいて楽しい場所に見える。


 どこを歩いているのか、どこへ向かっているのかあてもなく彷徨うような二人。

 歩いているその先にはホテル街がある。「休んでいきますか?」ハルキはしおりの耳元で囁くように言う。


「えっ?」


 しおりは明らかに困惑した表情を浮かべている。ハルキは、その顔を見ると笑い始める。


「しおり様、あまり男をからかわない方が良いですよ。普通なら誘われていると勘違いして変な気を起こしてしまうものです。

 今日は一緒に行きたいところがあるのです。安心してください。いかがわしい場所ではありません。ここから五分くらいなのですが。歩けますか?」

「歩けるけど……」

「歩けなければ、休むところはたくさんありますよ」

「ハルキくんのこと、からかっているわけじゃないんだけど……。恥ずかしくなってきちゃって……」

「女性は気分が変わりやすいですよね」


 ハルキはイタズラっぽく笑いながら、顔が真っ赤になっているしおりを見つめる。


「ハルキくんの行きたいところってどこ?」

「お祭りですよ」

「お祭り? こんな夜中に?」


 遠くから微かに祭囃子が聞こえてくる。笛の音色や和太鼓の鼓動。夏の旋律。夜中なのに盆踊り大会の練習でもしているのか。

 しおりは、お囃子の音を聴くとなぜか胸が踊るような気分になるようだ。

 真新しいはずなのに、懐かしいような雰囲気。


「はい。夜中の祭りもなかなか良いものです。行きましょう」


 ハルキが差し出した手に、しおりも手を伸ばす。

 二人は、手を繋ぎながら子供にでも返ったように祭囃子が聞こえる先に向かって走り出していた。


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