夜霧の中の祭囃子

 徒歩五分圏内で祭りをしているとハルキは言った。

 ハルキに手を引かれ、どこをどう歩いたかも、しおりは理解していないくらい酔った様子だった。

 右へ左へ曲がり、石段を登る。途中から青白く光る霧に包まれながら歩く。濃い霧の中にいるため周りからも二人がどこを歩いているのかよく見えない。


「ハルキくん、今は仕事じゃないって言ってたけど……本当に?」

「もちろん」

「しおり、自分が飲んだカクテル代払うよ」


 しおりは鞄から財布を出す。

 ハルキはそれを断る。


「ぼくにご馳走させてください。その代わりといっては何ですが、今夜しおり様が見ている夢を半分ください」

「夢を半分?」

「明晰夢はお店なので経営するためには確かにお金は必要です。でも、ぼくたち従業員が本当に欲しいものはお金では手に入らないものです。ぼくたちのほうこそ、お客様から『夢』をいただいてます」

「夢? 夢のような時間のこと?」

「夢見さんみたいなことを言いますね。……しおり様と夢を半分コするということは、要するにぼくと一緒に楽しく過ごしていただければいいだけですが。……説明が難しいです」

「そんなこと? もちろん良いよ。半分でも全部でもいくらでもハルキくんにあげるよ」


 しおりは嬉しそうにこたえるが、ハルキは真面目な顔で一礼する。


「ありがとうございます」


 太陽の代わりに月に照らされ陽炎のように立ち込める霧は、足元から空中に向かって波を描くように揺らめく。蒼い宝石を粉々に砕いたようなミクロ微粒子が地上から舞い上がるような魅惑的な輝きを放つ濃霧。

 夢みたい、と呟きながらしおりは実体のないもやの感触でも確かめるように両手を広げる。


化粧品アイシャドウのラメみたいに青く輝いて光ってる。……綺麗。熱帯夜なのに、この霧の中は涼しいね。ところで夜中にお祭りなんて本当にあるの? 太鼓に笛の音色が確かに聴こえてくるけど……」

「夢ではありません。到着しましたよ」

「うそ……」


 二人の目の前には、大勢の人で賑わうお祭り広場がひろがっている。


「うわぁ……、すごい」


 左から、『金魚すくい』『お面』『たこ焼き』『りんご飴』『ヨーヨーすくい』『焼きそば』。色とりどりの横断幕や垂れ幕、のぼり旗を飾り付けた屋台が並ぶ。美味しそうな匂い。お囃子の音楽を背に手慣れた手付きで焼きそばを鉄板で焼いている店員。その奥にも屋台は続いている。どうやら大規模な祭りのようだ。

 その屋台を照らすのは吊るされた黄金色のたくさんの提灯の光の行列。頭上には、色彩豊かな提灯が並んでいる。

 赤、青、黄色、竹色、桃色に水色。紫色。

 暖かみのある橙色の光源。台湾提灯のように花柄の模様が華やかに映る。


 視線を少し下に向ける。蛍光色のマーカーのペンセットのようにカラフルな腕輪がいくつも光って見える。隣には点滅しながら光るカチューシャたち。目の前にいた親子がピンク色のカチューシャを買った。嬉しそうに頭に付ける少女。


「懐かしいな。光るアクセサリーだわ。しおりも昔つけたことある」


 響く甲高い声と無邪気な笑い声。広場には子供がたくさんいる。親に手を引かれ、ぎこちない足どりで頼りなく歩く幼児。元気に走り回る少し大きな子供達。

 歩くたびにフワリとなびく赤い兵児帯へこおびに青いアサガオの水色の浴衣。

 そんな浴衣姿の幼い少女がしおりにぶつかり、ころんだ。


「きゃっ」

「大丈夫? ごめんね!」


 少女は顔を上げ、しおりを一瞬見つめると素早く立ち上がり何も言わず走り去る。


「行ってしまった……。あの浴衣、見覚えあるなぁ。昔、わたしも同じような浴衣持っていたもの」


 しおりは、ただ周りをゆっくりと見渡していた。


「しおり様? 何か食べませんか?」

「あ、うん……。そうだなぁ、綿飴。久しぶりに食べてみたい」

「これで良いですか? 子供のアニメみたいな袋に入ってるものしかなかったのですが」


 ハルキから渡された綿菓子は十年以上も前に流行ったアニメの絵柄の袋に入っている。可愛らしいキャラクターの袋もあるのにわざとそれを選んだハルキ。うけ狙いなのだろうか。しかし、しおりは笑わない。


「ハルキくん、これは夢?」

「なぜ、そう思うのですか?」


 しおりの表情は固い。


「だって、ここは……」


 何か言おうとする言葉を邪魔するかのように爆竹の音が広場に轟く。


 ──その瞬間、漆黒の空の闇に優雅に鮮やかな光の花が咲く。


 一斉に人々は夜空を見上げ、歓声をあげる。

 大人だけじゃなく、子供までも夜空に打ち上げる花火に夢中に見入る。


 しおりも花火を見つめている。視線も外さず、隣にいるハルキのことも見ずに夜空を凝視している。


「これは父が好きだった花火……。わたしの父は花火職人なの。日本の花火玉は丸いのね。開いたときにどの角度から見ても丸くて美しい。美しい球体。明晰夢でハルキくんがラムネのガラス玉の話をしてくれたでしょう? あの時、ちょうど思い出したのはこの花火だった」


 しおりは頬を伝う涙を手で隠す。


「ごめんなさい。花火を見るたびに、もしかしたら父が作った物かもしれないとか、打ち上げてるのかもしれないとか思ってしまうの」


 頬を流れ落ちる涙をそのままに、夜空を見つめるしおり。


「小さな頃に両親が離婚してしまったから、父との思い出は花火くらいしかないけどね……」

「辛いことを思い出させてしまったようで、すみません」


 ハルキは謝る。しおりは首を横に振る。


「忘れていた大切な思い出を、思い出した気分だよ」

「帰りましょう。しおり様」


 ハルキの言葉と同時に、深い霧が祭り広場ごと二人を包みこむ。

 広場の光が全て濃霧に飲み込まれていく。


 月も星も広場の灯りも全て飲み込まれて、ただ静かな闇が歩いてくる。

 しおりは、気を失うように倒れる。

 そのまま二人は暗闇に包まれていく。



 しおりが目を覚ますと、一人暮らしのマンションのワンルームの自室にいた。風呂上がりのように寝間着姿でベッドに横たわっている。

 ベッド脇の床の上にハルキがいて、しおりの手を握りしめて心配そうに見ている。


「ハルキくん、家まで送ってくれたの? わたし酔いすぎたみたいで。途中から記憶がないんだけど……。まるで夢を見ていたみたい」

「そうなんですか? 普通に歩いてタクシーに乗ってここまで帰ってきましたよ? お風呂も一人で入ったと思ったら、そのままベッドに入って寝てしまいました。ぼくは、そんなしおり様を見守っていただけです」


 ハルキは笑う。嘘をついているようには見えない。本当に何もせず、ただ側に付き添っていたのだろう。

 しおりは気まずそうに布団をかぶり顔を隠す。


「ハルキくん、泊まっていく?」

「今日は、このまま帰ります」

「帰っちゃうの? ……また会える?」

「はい。ぼくはいつでも明晰夢にいますよ」

「営業上手なんだね、ハルキくん。でも、今日は本当に楽しかった! ありがとう……」


 しおりは安心したように笑うと、すぐに寝息をたてて眠りにつく。


「しおり様のおかげでぼくも良いお土産ができました。約束通り、あなたの夢を半分いただいていきます」


 ハルキは窓から外に飛び出した。三階の窓だというのにも関わらず、躊躇せず出ていく。

 瞬間、獅子のような魔物のような、なんとも言い表しずらい姿の動物が夜空を駆けていく。


 ──そう、ハルキは人間ではない。

 いや、クラブ『明晰夢』の従業員全員、人間ではない。

 彼らの正体は妖魔。

『夢』を操り司る霊獣。

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