純粋な夢こそが甘美

「ただいまもどりました」

「あ、ハルちゃんおかえり~」


 人間の姿に戻ったハルキが、クラブ明晰夢の扉を開ける。入ってすぐ見えるカウンターから元気な声がした。

 『ヒカル』という従業員だ。全身黒の細身のセットアップスタイル。その胸元にサンローランのブローチを付けている。

 ふんわりおろした前髪で額と眉毛を隠すような髪型。それにより強調された目元。目尻にさりげなくいれている茶色のアイライン。かっちりしすぎない抜け感をまとった小洒落た雰囲気。優しそうな甘い顔立ちと対照的にくだけた話し方が印象的な男性。


「オレ、髪型も色も変えたんだけど。ハルちゃん気付いた?」

「前よりも色が落ち着いたのなら、見てわかります」

「うん。新人ジョシュと同じだったから美容院行って全部変えてきた。今のほうが女の子ウケ良さそうじゃない?」


 止まらないヒカルの話を流しながら、ハルキは店内を見回す。


「……夢見さんは?」

「マネージャーに呼び出されて、出掛けているよ」

「そうですか……」

 残念そうな顔をするハルキ。

 手に持っていた綿菓子状のものを丸めて冷凍庫に投げ込もうとする。ヒカルが「ラップかけなきゃダメになっちゃうよ」と言いながら横からキャッチする。

 ラップに包みながら、ヒカルがしげしげとその丸められた物体を見つめる。


「これは驚いた。純度が高いだね。例のお客様、佐藤しおりさんの夢?」


 ハルキは頷く。


「またまた~。何を言って、ナニをしてきたんですかぁ?」


 ヒカルは茶化すように笑うが、目は真剣だ。


「別に、なにも。しおり様が見たがっていた夢を見せただけです。多分、しおり様が幼少期の時の思い出の場面がそのまま現れたのでしょう。お祭りの夢でした。綿菓子状の……。夢の中でまで、綿菓子を食べたがってました」


 ヒカルはそれを聞いて笑う。


「『お祭りの夢』だから、綿菓子なの? 綿菓子状の夢なんてそんな簡単には手に入らない希少価値が高い夢なのに。ま、数日間なら冷凍しておけば持つかなぁ。夢見社長は喜ぶだろうね。こういう素朴な甘さの夢に目がないからね」


 代表の夢見心。

 すらりと背筋が伸びて姿勢がよく、ゆったりとした雅やかな身のこなし。黒目がちな瞳の奥に宿る芯の強さ。近づき難い雰囲気が店舗の代表らしさを物語る。

 そのくせ、所々抜けている。さきほども、一番テーブル佐藤しおりの夢の雰囲気を見つめながら「美味しそう」だと瞳を輝かせていた。気を抜くと、魔物の姿に戻ってしまう。尻尾が出ていることが多く、本人も無意識なのだろう。端麗な容姿と天然な性格をもつ妖艶な女性である。


「本当に。クラブ明晰夢の従業員は変わり者ばかりですね。全員、変わってますよね」

「夢見社長は『変わり者じゃなくて天才だ』っていつもオレ達のことを褒めてくれるけど」

「馬鹿と天才は紙一重ってことでしょうか?」


 二人は一瞬の沈黙の後、「確かに」と笑う。


「ところでハルちゃん、佐藤しおりさんにせまられなかった? オレは三ヶ月前に指名してくれたお客さんに『抱いて』って言われたのを断ったら店に来なくなったよ」


 クラブ明晰夢の用語。

 ──極上。注文が多く、ややこしい女性ほど夢見がち。あの手この手で、男性を試すようなことをする。なぜなら心が繊細で傷付きやすいから。まるでガラスみたいな女性。だからこそ『取り扱い要注意』なのだろう。


「ガラス玉……」

「は?」

「佐藤しおり様は店内では積極的に見えましたが、プライベートではそうではありませんでした。まるで、少女みたいにぎこちない女性でしたよ」

「え、まさか。夢の中に誘い込んで最後までしちゃったの?」


「…………」


 ハルキは黙ったまま、ヒカルを睨み付ける。


「ごめん、冗談。知ってるから、ハルちゃんのことは。真面目すぎてつまらないよね」

「ぼくは、そもそも魔物なので人間と交わることは物理的に不可能です。もしかしたら夢の中でなら可能かもしれません。でも……」

「でも?」

「クラブ明晰夢の規則で禁止されています」


 夢見から太鼓判を押されるほどのことはある。ハルキは非常に真面目である。

 ヒカルはハルキの言葉を聞いた後、思いきりため息を吐く。ハルキは、かまわず話し続ける。


「……しおり様は、よく泣く女性だなと思いました。普通は初めて明晰夢に来る女性は楽しそうに笑うものでしょう。彼女は本当にわかりません。掴めないのです。でも、そういうところは気になります」

「マジか。恋しちゃったのか」

「は? 恋なんですか?」

「いや、冗談だよ。からかうと面白いよね。ハルちゃん」

「ぼくは人間じゃないので、恋愛感情というものがわかりません」

「でも初めてだよ。ハルちゃんがお客さんのこと、こんなに話すの」


 人間と同じく、魔物のタイプもいろいろである。

 店の電話が鳴る。会員制クラブ明晰夢の営業時間は深夜二時までである。営業時間はすでに終わっている。


『出張可能時間はスタッフによりますが、基本的には、いつでもご指名可能です』

 クラブ明晰夢の案内には、こう書いてある。しかし、営業時間が終わった店舗にわざわざ電話を入れてくるような非常識なお客さんはいない。会員制であれば、尚更であろう。

 一体、誰から電話なのだろう。


 ヒカルが電話に出る。敬語で話している。どうやら、電話の相手は夢見かマネージャーのようだ。

「本人に確認してみます」と言って電話を切る。


「明日……もう今日だけど。昼間からハルちゃんに会いたいって」

「はい? 夢見さんですか? マネージャーでしょうか」

「会いたがっているのは佐藤しおりさんだよ。場所は自宅。もうしおりさんの家知ってるの? そういうことだから都合良い時間帯を夢見社長に連絡しておいて」


 ハルキは黙って何かを考えている。その姿は困っているように見える。ヒカルはイタズラ心が疼くのか、意地悪な質問を投げかけてくる。


「ハルちゃん、何を考えてるの? さっそく密室系デートなんて、相手が求めてることはひとつしかないでしょ。どーするの」


 ヒカルはハルキの面白い反応リアクションを想像し期待しているのか、笑いを堪えられないようだ。ハルキは真面目な顔でこたえる。


「……しおり様、寝なくて大丈夫なんでしょうか。それを心配していただけです」


 薄すぎる反応にヒカルの笑いが止まる。


「ハルちゃん、本当におもしろくないな。明日、しおりさんに嫌われるなよ。そう思うなら、すぐに時間のこと連絡しとけよな」


 ヒカルは不機嫌そうに「せいぜいがんばれ」と言うと、店を出ていった。


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