夢を食べるための掟

 深夜。ホテル街。おぼつかない足取りで一人歩く女性がいる。

 年齢は二十代だろう。ブラウスのボタンは半分以上だらしなく外れていて黒いレースの下着が見えている。肌は白く手足は細い。しかし髪は乾燥し艶はなく、背中を丸め足を引きずるように歩く。その姿はまるで老婆のようだ。

 異様な雰囲気の女だが、過剰に露出した服装のせいか声をかける男がいた。


「ねぇ、ひま?」


 飲み会帰りの男だろう。酒に酔った勢いのまま、女の前にいく。男の友達らしき数人がその様子を笑いながら見ている。

 数秒後、女に声をかけた男は青い顔をして叫んだ。逃げようとする男の腕を老婆のような女が掴む。そして、女も叫んだ。


「返せ。私の……返せよぉぉおお!!」


 驚いた男に突き飛ばされた女は地面に倒れると、そのままピクリとも動かなくなった。一部始終を傍観していた人達が集まってきて、やがて警察と救急車が到着する騒ぎになる。




 *** 『クラブ 明晰夢』


 ハルキは一人まだ明晰夢の店内にいる。

 夢見に連絡をしようとしたが、すぐ留守番電話になってしまった。携帯電話の電源を切っているか充電が切れたのか。仕方ないのでハルキは伝言だけ残すことにした。


 電話を置くと、店の奥の部屋が明るいことに気付く。その机の上に開きっぱなしになった従業員名簿が置いてある。


「夢見さんだな……」


 ハルキは従業員名簿を手に取ると反射的に開いたページに視線を落とした。そこには金髪の新人ジョシュがいた。


「……ん?」


 ハルキは違和感を感じていた。しかし、すぐにその違和感の正体はわかった。


「このページだけ紙が違う……」


 なんてことはない。最後のそのページだけ色や質感の違う用紙が使われている。


 ──ただそれだけ。


 それだけなのだが……。ハルキはそのページを見つめたままだった。


「わたしの写真、なにかヘン?」


 急に声をかけられたハルキは驚く。声のした方を見れば、写真の男ジョシュがいる。手にはコンビニの袋を提げている。


「お腹空かない? おにぎりあるよ」


 挑発的な写真のイメージとは違う友好的な男がそこにいた。ジョシュは無邪気に微笑むと袋から取り出したおにぎりを机の上に並べる。


「まー、おにぎりなんかじゃ空腹は満たされないけどね」


 ゴメンゴメンと軽い調子で謝りながら、ハルキの方を向く。ハルキは震えた。ジョシュの目は冷えた光を放っているように見えたからだ。


「この店って、いつもこんなに暇なの?」


 ジョシュは最後に袋からコーラのペットボトルを二本取り出す。そのひとつをハルキに差し出した。


「いえ、まぁ忙しさは従業員によります。それに『夢』だったらいくつか冷凍庫に保存してありますよ」

「あー……。わたし社長とは食の好み合わないからね。多分、冷凍庫にあるやつは全部食べれないやつだ」


 ──夢喰ゆめくい。

 クラブ明晰夢の従業員は全員、夢を食べる魔物である。魔物たちにとって、主食は『夢』である。人間が見る『夢』。


「ジョシュくんは夢喰いとしても若いほうだから量は足りないかもしれませんね。冷凍庫の中のものだけでは……」

「違う、違う。だから、量も足りないけど味も好みじゃないやつばかりなんだって」


 ジョシュは大げさに舌を出して吐く真似をした。その仕草に愛嬌は感じられるが嫌味は感じられない。本当に、冷凍庫の中の『夢』は好みではないのだろう。


「慣れたらむしろこの『夢』以外食べれなくなりますよ?」

「いや、まだコーラとか人間の食べ物のほうがマシだね。空腹は満たされないけど、は紛れる」


 だからこれでいい、と言うようにジョシュはコーラを一気に飲み干した。


「ハルキさんはこの店の一番人気でしょ? わたしなんて今日、一人しか指名してもらえなかったよ。しかも店の中で話しただけ」

「それは、ジョシュくんが今日はじめてだからでしょう?」

「そうだね。今日が、はじめて。だから『夢』を手に入れられなかったよ。社長に怒られるかな?」

「夢見さんは怒ったりしませんよ。でも、ルールを破ると怒るかもしれません」

「掟?」

「はい。持ち帰る『夢』や、お客様からいただく『夢』は必ず半分じゃなくてはいけません」

「半分? なんで?」

「夢見さんが言うには『夢』って記憶にとても深く関係しているらしいのです。だから、人間から『夢』を取りすぎるとバランスを崩して最悪の場合、命を奪いかねないのです」

「ふぅん。じゃあ、はどうなるっていうの?」

「精神のバランスを崩して廃人みたいになってしまうそうですよ。生きながらも死んでいるような状態です。だから必ず半分にしてくださいね」


 ジョシュは真剣な顔をした後、にっこりと笑う。


「は~い。わかったよ。でも半分しかもらえないならたくさんお客さんが必要だよね? がんばります」


 素直な返事だった。


「……でも、なぜそうまでして人間を生かそうとするの? 夢なんて奪っちゃえばいいじゃない」


 ジョシュの言葉に悪意は感じられないが、ハルキは背中に冷たいものが通り抜けるような感触を感じた。

 ジョシュは、良くいえば『魔物らしい』魔物である。事実、夢喰いなのだからそれでも問題はない。


「人間と共に生きていくほうがぼくたちも食いはぐれないのです。人間は睡眠の『夢』も必要ですが、目標とか希望という意味の『夢』も生きていくためには必要らしいですよ。全ての『夢』を与え続けるかわりにぼくたちも、『夢』をいただき続けるわけです」


「難しい話だね。でも、わかったよ! わたしもがんばる。オツカレサマ」


ジョシュはガッツポーズをして見せると店を出ていった。

店内で一人になったハルキはまた夢見に電話をかける。


「あ、夢見さん? 明日、十二時にしおり様の自宅に行けそうです。はい、よろしくお願いします」

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