ユメクイの白昼夢 1

 正午。ハルキはマンションのエントランスにいた。両手には食材が入ったビニール袋を持っている。今日のリピーター、佐藤しおりの要望だからだが。


 どうしたものかと二の足を踏んでいる様子のハルキ。上階へのエレベーターのボタンを押すことに躊躇ちゅうちょしていた。昨晩、同僚のヒカルから言われた言葉を気にしているのだ。


『マジか。ハルちゃん。恋しちゃったのか』


『初めてだよ。ハルちゃんがこんなにお客さんのこと話すの』


 魔物にも感情らしきものは存在する。しかし人間同士がする『恋愛』は、どうしても理解できないハルキ。『恋』や『愛』の違いも、『恋愛をする』その意味もわからない。

 ハルキは人間ではないのだから当たり前なのだろう。

 

 ハルキは階段から降りてくるしおりに気付かずにいた。


「ハルキ君! 待ってたんだよ」


 聞き覚えのある声になぜか戸惑うハルキ。声のする方を見上げれば、しおりがいる。しかし、少し違う雰囲気だ。


「あれ? しおり様ですよね?」


 クラブ明晰夢では髪をひとつに結び、まるで葬式にでも出るような黒一色の服装をしていた新規の女性客。『瓶底』と自ら揶揄したように分厚い眼鏡が印象的だった地味な女性『佐藤しおり』


 今、ハルキの目の前にいるのは、そのイメージからは真逆な女性である。

 ふんわりと巻いて下ろした長く艶やかな黒髪に、少女のように鮮やかな白い肌、くっきりとした黒目がちな目元が可愛らしい。薄く化粧をしている。紺の膝下のワンピースが上品な雰囲気だ。


「少しイメージを変えてみたの」

「よくお似合いですよ」


 お世辞ではない素直な気持ちが自然と口から出る。ハルキのその言葉に戸惑いを隠せずに黙るしおり。どのくらいその状態が続いたのだろう。沈黙を破るのは、しおりだ。


「部屋に行こう?」


 しおりは、ハルキの持っているビニール袋を一つ持つと、階段脇にあるエレベーターのボタンを押す。無言の二人。お互い向き合うことを避けるように別方向を見つめている。


 そのまま部屋に到着する。しおりは鍵を差し込み、その重厚そうなドアを開ける。金属が擦れるような鈍い音をたてながらゆっくりとドアは閉まる。

 部屋はバニラのような甘い香りがする。女性らしい香りとは対称的にしおりの部屋はとてもシンプルな部屋という印象。ベッドとテーブルがあるくらい。小さな白い棚にいくつか化粧品が並んでいる。

 女性の部屋を見回すのも失礼と思いつつも、視線は落ち着かないハルキ。


「あ! 飲み物買ってきてもらうの忘れちゃった。……近くにコンビニがあるから一緒に行こう?」


 申し訳なさそうに謝るしおり。

 二人は外に出た。眩しいくらいに晴天でハルキは目が眩む。

 しおりのマンションは中心街に近く、徒歩でも買い物には便利な場所だ。コンビニに向かって歩く二人。

 急にしおりが立ち止まる。


「見て。ユメクイだって。ハルキくんみたい」


 ──夢喰ユメクイ。


「え……」


 その言葉にギクリと反応するハルキ。

 しおりが立ち止まったのは小さなゲームセンターの前にあるクレーンゲーム機だった。中には七十センチくらいのヌイグルミが三体。それぞれに『ユメクイバク抱き枕』とタグが付いている。白黒のマレーバクの形をした抱き枕のようだ。


「ユメクイバク? クレーンゲームの景品ですか」


 ゲーム機を覗き込む。寝そべり眠るマレーバクのヌイグルミが無造作に並べられている。


「『バク』は悪い夢を食べて良い夢に変えてくれるの。ハルキくんに出会うまでは毎日が悪い夢の中にでもいる気分だった。でも今は、あたたかくて明るい光の中にいる気分。未来が希望に満ちているの」


 ──『人間は睡眠の『夢』も必要ですが、目標とか希望という意味の『夢』も生きていくためには必要らしいですよ』──

 昨夜、ハルキがジョシュに言った言葉。ハルキもまた、夢見からそう教わっていた。


「人間が想像する『ユメクイ』はマレーバクの姿なんですね……」


 寝そべり眠るマレーバク達を見ながら複雑そうな表情を浮かべるハルキ。


 悪い夢を良い夢に変える。悪と善、黒と白。間の抜けた姿をしているが、確かにマレーバクのほうがユメクイらしい姿なのかもしれない。


「私ね、ハルキくんに出会ってから楽しいの。明日が来るのが本当に楽しみで待ち遠しくて……。今までと正反対の生活になった。ハルキくんは私のユメクイバクだよ」


 ハルキの正体に気付いたわけではない。

 比喩が好きなしおりの例え話だったようだ。ハルキは安堵する。


「これ、欲しい」


 突然、クレーンゲーム機から陽気な音楽が鳴り出す。しおりがお金を入れたのだ。


「あ、全然違うとこにいっちゃった……」


 アームはなかなかヌイグルミを掴み取れない。失敗するたびに次々に百円や五百円を入れるしおり。途中でハルキを待たせて店内に両替に行く。


「いくら使う気ですか」


 もう五千円以上入れたのではなかろうか。心配するハルキの横でしおりは楽しそうだ。


「だって取れないんだもの」

「取れないように設定してあるのでしょう。すぐに取れたらお店が赤字ですよ」

「あははっ! そうだね。でもね、このアーム。何十回かに一度だけ強くなるらしいの。その瞬間に取れるらしいのよ」


 その何十分の一の奇跡を待っているの、しおりは小さな声でそう言う。瞳は儚げな色を浮かべている。


「でも、もう取れないよ。諦める。お金がなくなっちゃった。奇跡なんてそう簡単に起こるわけないよね」


 しおりは手持ち全てをクレーンゲームに使ってしまったようだ。言葉とは反対に名残惜しそうにクレーンゲーム機の中のマレーバクを見つめている。

 一回プレイ二百円。三回プレイで五百円。


「ぼくもしおり様のゲームに付き合います」


 慣れていないからか、お金の投入口さえわからないハルキ。

 自信がなさそうにハルキが操作するアームは『ユメクイバク』のタグ部分に引っ掛かり、難なく大きなヌイグルミを持ち上げる。魔法にでもかけられたようにそのまま取り出し口に運ばれていく。アームが開き、落ちてきたユメクイをしおりに渡した。


「すごい! ハルキくん。一回で取れちゃった」

「ビギナーズラックですよ。実はクレーンゲームやるの初めてなんです」

「え~! じゃあ本当に奇跡だね」


 すごいすごいと大袈裟に何度もハルキを褒める。瞳を輝かせて本当に嬉しそうな表情のしおり。腕には『ユメクイ』のヌイグルミを大事そうに抱きしめている。そのまま、何かを考えているように静かになった。


「実はね……ハルキくん」

「はい」

「私、見ちゃったの。ハルキくんが見たこともない大きな動物になって、私の部屋の窓から空に飛び出していくところ」


 急に張りつめた緊張感が二人を包みこむ。


「このマレーバクみたいな姿じゃなくて神話にでも出てきそうな怪物だったけれど。でもきっとあれは『ユメクイ』よ」


 ──見られた……?


 ハルキは返す言葉がなかなか出てこない。 


「……なんてね。そんな夢を見たの。私が目を覚ましたら枕元にいたハルキくんはいなかった。いつ帰っちゃったの?」

「ああ。しおり様が、あまりに気持ち良さそうに眠っていたので起こさず帰りました。すみません」

「ハルキくん。私ね、白黒の夢しか見たことなかったの。人によっては夢に色が付いてたりするらしいんだけど。私は白黒。ついでに夢だけじゃなくて現実も例えるなら白黒だった」


 しおりはハルキを慕うように見つめる。恋心を浮かべ潤む瞳。その瞳の奥に見え隠れする表情は朝露に濡れた昼顔のよう。対象物に絡み付きもつれながら静かに浸蝕してくる不気味さがある。


「それがね、あの夜から変わったの。今までの日常は単調なモノクロの世界だったの。それがね、カラフルな世界に変わったのよ」


 ゲームを終えてコンビニに向かい始めた頃には、しおりはハルキに腕を絡ませて歩いていた。


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