現実と夢の狭間で

 ※『無理』※

 非常に難しいこと。不可能なこと。



「しおり様は無理です」

「何が無理なんだよ……」


 ヒカルは、呆れた様子だ。


「ハルちゃんが無理だと思っていても、しおりさんは違うかもしれないよ。オレたちは『選ばれる』側だから拒否する権利もないしね」


 間を置いてハルキは話し出す。


「しおり様といると調子が狂うのです。『夢』を取り忘れるなんて今までしたことがありません。最大級の失敗ミステイクです」

「ハルちゃんは完璧主義すぎるんだよ。たまには失敗してもいいじゃないか」


 たまには失敗してもいい。

 でも、本来なら失敗は出来るだけしないほうが良いものである。

 尚更、夢が主食なのだから夢を取り忘れたということは生きていくことに直結する。


「気付きませんでした」

「……何に?」

「『夢の中にいないこと』に気付きませんでした」


 夢を操る魔物が夢を忘れるなんて。しかもそのことに気づかないなど。本当にハルキは頭がボケてしまったのだろうか。

 ヒカルは心配そうに見つめている。


「え、マジなの?」



 夢を喰らう魔物にとっては『夢の中』は快適な環境そのもの。『現実の中』は人間の姿に化けなくてはならない。人間の仕草を真似し続ける。動きづらい上にやることなすことが思い通りにはいかない。快適とはいえない環境。

 その『現実の中』でハルキはしおりと一緒にいた。しかも――夢の中にいないことに気づかなかった、とは。


「……それはいろいろな意味ではうまくいってるってことじゃないの?」


 ヒカルの問いにハルキは静かに首を横に振る。


「しおり様と一緒にいても彼女の為にならない気がするのです」

「……彼女の『為』って?」


「一緒にいるのに泣くし無口になることがある。ぼくは楽しませてあげられません。なぜ、しおり様はぼくを指名するのでしょうか」


 ハルキは『楽しい時間』を提供することが、しおりの為になると考えているのだろう。

 ヒカルは即答する。


「そんなに深く考えなくていいんだよ。『楽しむためだけ』にクラブ明晰夢が存在するわけでもないし」

「どういうことですか?」


「楽しいだけ、じゃなくてマイナスな感情も生きる為には必要なのかもしれないよ。苦しい、けど嬉しい時もある。『嬉しい』のは『苦しみ』が大きいからなんでしょ」


 ヒカルは話し続ける。


「もし今日がイマイチでも次は楽しければいいんだよ。もっとも『夢』を見せていればこんなことにもならなかったと思うけど……。『夢』がなくても一緒にいられるくらいだから相性がいいんだよ。良い『夢』なんて永遠に見れるわけでもないしね」


 夢は簡単に変化し、一瞬で消えていくもの。実体のないもの。

 人間ひとは夢に酔い、夢から覚めて不安になる。それでも夢見ることをやめられない。


「夢はあくまでも夢なんだ。現実とかけ離れているほどいい。怖い夢も辛い夢もたまにはあるよ。だからこそ、良い夢を見たらまた繰り返し見たくなるんだよ」

 

 ヒカルはカウンター上の、ノートパソコンの画面を見つめている。


「噂をすればなんとやら。早速、しおりさんが予約いれたみたいだよ」


 クラブ明晰夢は電話予約も出来るが、会員限定でインターネットから予約も出来るシステム。


「人間の世界も便利だよね。離れた場所から一瞬で予約できるなんて。まるで魔法じゃないの。現実こそ夢の世界みたいだよ。うん」


 納得した様子でヒカルは何回も頷いてみせた。


「だから今回、夢を取り忘れたことはオレたち二人だけの秘密にしておこう。次は忘れちゃダメだよ」

「……はい」

「『彼女の為』ねぇ。オレは誰かの為になるかならないかなんて考えたことなかったな……」



 この後もしおりは何度もハルキを指名した。

 自宅に招くことはなく、カフェで一緒にお茶を飲んだり、映画に行ったり。まるで友達のような関係。二人の関係は安定していた。


 ハルキは何度も夢を作ってみせた。

 あれ以来、夢を忘れることはなかった。


 しおりの夢は甘くて、クラブ明晰夢の従業員もオーナーの夢見も喜んで食べていた。欠片さえも残らないほどに、しおりの夢は人気だった。ハルキが作る夢は最高だった。


 幸福な時間。

 誰もがそんな関係が続くと思っていた。


 














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