ラムネの瓶底から見る景色

「お待たせいたしました」


 ハルキが声をかけると、しおりはそれまで見ていたスマホを慌ててテーブルの下に隠す。やましいものでも見ていたかのような行動。ハルキが偶然にも一瞬捉えたその画面。そこには大輪の花火が夜空に咲き誇っている画像のように見えた。


「とてもお待たせしてしまったようで、申し訳ありません」

「相澤くん。しおり本当に待ちくたびれたよ」

「すみません」

「だからお詫びにこの後、しおりに付き合ってよ」

「お名前はしおり様ですか、初めてですよね? 『明晰夢』のシステムの説明は聞きましたか」

「あ、誘ってみたのに。さらっと流された……。聞いたけど、システムなんてわからない。それよりくん、写真よりかっこいいね、隣に座ってくれる?」


 ――急に、呼び方が変わる。


 ハルキはしおりの正面に座る。しおりは隣の空いたままの席を一瞬見た後、明らかに不機嫌な顔をする。


「氷、溶けてますね? 新しい飲み物どうしますか?」


 ハルキはメニュー表を差し出す。


「じゃあ、生」

「うちはアルコール飲料系はないんです」


 ハルキは困った顔でメニュー表を覗きこむ。


「じゃあ、この後、しおりと飲みに行こうよ。だってハルキくん、ビールと枝豆が好きなんでしょう?」


 ――はい、いいですよ。ハルキは答える。


 しおりは驚き、一瞬だけ言葉に詰まる。


「……本当に? 仕事の延長でしょう? でも、しおりはハルキくんとだったら一晩一緒に過ごしてもいいんだよ?」


 ハルキは表情も変えず、メニュー表からしおりに視線を向ける。


「しおり様がよろしければお店が終わってから待ち合わせしましょう。ところで、お酒ではありませんがウチの店のおすすめの飲み物があるんです。夏限定なんですよ」


 ハルキが黒服に合図をすると、すぐにラムネの瓶二本がテーブルに置かれる。


「ビールも良いですけど、夏になると飲みたくなるんですよ、ラムネ。……しおり様?」


 ラムネ瓶を見つめたまま、しおりは固まっているかのように動かない。


「これ……」

「懐かしいですよね? ぼくは子供の頃、お祭り広場で打ち上げ花火を見ながら飲みました。中のビー玉が欲しくて取りたいのに、取れない」

「……」

「でも今は簡単に取れる造りになってるんです。ラムネの中のガラス玉は実は完璧な綺麗な球体なんです。だからエー玉っていうらしいです。A級のガラス玉だからエー玉。

 ぼくらがよく知っているビー玉は少しいびつなB級品らしいですよ。ぼくがガラス玉ならきっとビー玉ですね」


 ハルキの言葉を聞いて、あははっと、しおりが笑う。


「やっと笑ってくれましたね」


 ハルキは優しく微笑む。

 その顔を見てしおりは、悲しそうにうつむく。


「だったら私はシー玉かもしれない……」

「エー玉だろうが、ビー玉だろうが本当はどちらでもいいんです。幼いながらにも、このからこそのを感じているだけで……。シー玉やディー玉だってラムネ瓶に入っていたら、みんな欲しがるものでしょ」


 だから違いなんて本当はそんなにないよ、話しながらハルキは笑う。


「何、ディー玉って。ハルキくん、変なの」


 しおりも声をあげて笑った。そして、分厚い眼鏡を外し目を擦る。

 眼鏡を外したしおりの瞳は潤んでいる。眼鏡のせいで小さく見えただけで、はっきりとした綺麗な二重瞼の丸い目をしている。


「なんだか、笑いすぎて涙が出てきた」


 化粧チークもしていないのに、しおりの頬は上気し薄紅色に染まっている。素顔のしおりは、古風で品のある可愛らしい顔立ちをしている。例えるならば、命を吹き込まれた日本人形のよう。


「この厚い眼鏡は、本当はラムネの瓶底なの。……『比喩』だよ? ハルキくん」

「わかってますよ、まさか本当に眼鏡をガラス瓶の底から作ったなんて思ってませんてば」

「ハルキくん、私をダサい女だなぁって思っているんでしょう?」


 いいえ、とハルキが否定しようとした瞬間にしおりがそれを遮る。


「でも、いいの。この眼鏡は思い出そのものなの。学生の頃からずっとこんな瓶底の眼鏡をしていた。だって、これは父と兄との思い出だったから。その思い出の日に、いつまでも生きられるように、この眼鏡をしているの」


 しおりは半分飲んだラムネを最後まで飲み干した。空になった瓶を覗きこむ。まるで幼い少女のように。


もこうして私は飲み干したラムネ瓶を覗きこんだ。小さい頃って、大人には理解出来ないような空想をしちゃうでしょう。ラムネ瓶は魔法の望遠鏡で、瓶底を通して見た世界は希望しかない楽しい未来だった。実際は、何も見えはしないのに。見えるのはビー玉だけ。それなのに……」


 それなのに楽しかった、話しながらしおりは穏やかな目をする。


「屋台がたくさん出ていたし、両親と兄と行ったお祭りだったからかもしれない。私も打ち上げ花火を見ながら飲んだよ」


 しおりは上目遣いをしながら口角を上げて微笑む。


「私も欲しかったの、ハルキくん」

 

 テーブルの下で、彼女はタイトスカートからはみ出た雪のように白い脚をハルキの脚に絡ませる。

 ハルキは冷静に笑って言う。


「わかります。ラムネ瓶に入っているビー玉が欲しかったんでしょう? 昔のぼくと同じですね」


 一瞬、しおりは肩を震わせる。


「……そうね、ビー玉。やだなぁ、ハルキくんは他の男の人と何か違う。全て見透かされているみたい。でも、そういうところ、好きになっちゃいそう」

「ぼくは他の男の人と同じですよ。しおり様は言葉の遊びがお上手ですね」


 ハルキは瓶の蓋を回して中のガラス玉を取り出し、しおりに渡す。彼女は手の平に置かれたそれを、高級なダイヤモンドでも見るようにうっとりと見つめる。


「……ハルキくんはビー玉でもエー玉でもないよ」


 一瞬の沈黙。しかしそれは気まずさではない。ただ穏やかに流れる静かな時間そのもの。


「……じゃあ、ディー玉ですかね? 一番最後のゼット玉とかだったらどうしよう」


「そうじゃない。そんな次元じゃないの。

 ハルキくんは、キラキラの希望が詰まった大きな夢の玉って感じ」


 そう言った後、しおりは人差し指を唇に当てて何か考えているような表情をした。


「そうね……。

 例えるなら、ハルキくんは花火の三尺玉ね!」


 しおりはそう言いながら、とびきりの笑顔をハルキに向ける。その顔は明晰夢に入店してから初めて見せる表情だった。


「私の父と兄も三尺玉。記憶に残るくらい、鮮やかな思い出と印象を私に残した。でもハルキくんとは全然違う。『あの日』、家族は盛大に美しく晴れやかな時間を過ごしたかと思ったら、そのまま離ればなれに散って舞って消えてしまったのだからね……」


 しおりがそこまで話すと、黒服のスタッフがハルキに話しかける。


「お楽しみのところ、すみません。残り時間があと三十分なのですが……。『ジョシュ』が出勤してきましたが、交代したほうがよろしいでしょうか?」


 しおりは、それを聞くとしばらく迷っていた。しかし……。


「ハルキくんのままでお願いします」


 しおりは、黒服にそう告げる。


 一番テーブルを夢見が不敵な笑みを浮かべながら、キラッキラに輝いた瞳で見つめている。


 ──しかし、……夢見さん。黒で決めたパンツスーツの裾から桃色の尻尾しっぽが見えていますよ?

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