星が見えない夜 3

 夢の中でも良いから会いたいほどに。人恋しくなる時は、誰にでもあるのだろう。

 その時に会いに行くか行かないか。それとも行けないのか。


 輝く街。頭上に存在しているはずの、星は見えない。存在する星でも、目に見えないならば、無いのも同然なのだろう。この街を歩く人々は誰も、空など、気にしていないのだから。


 ――会員制クラブ明晰夢。


 会員制であり予約制のお店。お客さんが突然、店に来ることなどあり得ない。開かれたパソコン画面の中には、予約者はいないのだけど……。


『予約してましたか?』

 その言葉セリフは今宵にはふさわしくない。突発的なお客さまの来店。『佐藤しおり』が入り口にいる。

 ハルキは予想外の出来事に、戸惑いが隠せない。クラブ明晰夢の中では想定マニュアル外のことなんて、起こるはずがない。どうやら今夜は、何かが狂っている模様。


「いらっしゃいませ」


 ハルキはしおりを、一番テーブルに案内する。入口に一番近い席。しおりが初めて来店した夜に、座った席である。


「ここは私達の始まりの席だね」


 しおりは椅子に座りながら、懐かしそうに言う。


「……そうですね」


 始まりの席。お互い初めて会った夜。

 あの時のハルキは、余裕さえ浮かべた笑みで、一番テーブルに向かっていた。不思議な例え話をするしおり。昔話を懐かしく語り合った、あの夜。お互いが純粋に、会話を楽しめていた時間。

 今では会えば会うほど、二人の間に微妙なズレを、感じるようになっている。


 今のハルキの顔に、張り付いているのは事務的な笑顔。テーブル席に向かう足取りも重い。しおりだけは、ご機嫌な様子。


 ハルキはしおりにメニュー表を渡すと、奥の席に戻っていった。店員としては、一人のお客さんにだけ、構うことはできない。当たり前の行動なのだが、しおりの表情は曇る。


 ――素っ気ない態度。


 しおりは不満そうに、メニュー越しにハルキを観察していた。奥の八番テーブル席のハルキを、大きな声で呼ぶと、メニュー表を指差しながら、オレンジジュースを注文する。


 ハルキは、一番テーブルにオレンジジュースを運ぶと、奥の八番テーブルに座る。


 八番テーブルは間違いなく、ヒカルのお客さんだ。ヒカル達が買い物から戻るのも、時間の問題だろう。

 戻ってきたら、新規のお客さんと一緒に、ヒカル達にまかせたら良い。一番テーブルに戻るのは、その後でもいいだろう。


 ――しおりはハルキを、ずっと待っているはずだから。

 

『慣れ』なのか、『信頼』なのか。

 不思議な感覚がハルキにはあった。

 少しくらい離れても、しおりはハルキを待っているだろう、という自信。

 恋人同士でもなく、友達でもない関係。

 そんな関係なのに、ハルキには絶対的な自信があった。


「帰る」


 しおりは急に立ち上がると、一番テーブルから奥の席にいるハルキに、向かって言った。


 近くに買い物に行ったはずなのに、ヒカル達は戻って来ないまま。


「帰るんですか? もう少しだけ待っていてくれませんか? そうすれば……」

「 待っていたけど全然、しおりのところに来てくれなかった」

「ヒカル達が戻ってくれば、しおり様の席にいけます」

「……素直じゃないよね。どうして私に『帰らないで』って言えないの?」


 しおりはうつむいた後は、何も言わなかった。


 会計を済ますと、ハルキはクラブ明晰夢の入口まで見送る。

『ありがとうございました』、と見送るべきなのに、ハルキから言葉は何も出てこなかった。

 沈黙を破るのはしおりの声。


「私は待っているから」


 深く息を吐いた後に、ハルキを見つめるしおり。


「今日ずっと待っているから。仕事が終わったら家に来て。来てくれるまでずっと待っている。もし来てくれなかったら、ちゃんと諦めるから」


 ――ちゃんと諦める――。

 一体何を『ちゃんと』諦めるというのだろうか。


 ハルキは、「待っている」という言葉を、無視出来なかった。


 仕事後、しおりの部屋のインターホンを押す。

 扉が開いた瞬間、ハルキは驚いた。

 ハルキを迎えるしおりは、身体にバスタオルを一枚、巻いただけの姿だった。


「シャワーを浴びていたところなの。すぐ着替えるからハルキくん入って」


 戸惑うハルキの手を握りしめるしおり。

 その手を振り払えず、誘われるまま部屋に入る。

 扉が静かに、閉まる音だけが響きわたった。














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