第7話 伝説の実在

 怒りに打ち震えるアハスエルスだったが、やがて訥々と言葉を絞り出す。


「ヤフシャ・ハマシアハの奇跡……ですか……因みに、来栖さんはイエス・キリストが成した奇跡について内容を知っていますか?」


 質問した来栖龍人だったが、回答を求めていた人物から質問を質問で返され、戸惑いながらも言を返した。


「そう……ですね、イエス・キリストの奇跡と云えば、大きく三種類に分類されていると認識しています。

 まず第一に『食料や飲料の供給』です、葡萄酒ワイン麺麭パンそして魚を増やしたり獲ったりして……信徒を養ったとの言い伝えが残っていますね。

 そして第二に『病や怪我、肉体が欠損した者の治療』です、布教の最中に各地を巡り……様々な苦境を訴える患者達を治癒させたと云う伝説があります。

 そして最後に『イエス・キリスト自身の死と復活、そして遂には昇天した奇跡』があると云うことは、私のようにキリスト教徒クリスチャンではない人間でも知っている事柄だと思います」


 龍人の回答にアハスエルスは頷いて、自身の言葉で回答を引き継いだ。


「そうです、ヤフシャ・ハマシアハが起こした奇跡とは、その三点で間違いありません。

 それでは奇跡の内容について、辿私の知る真実を伝えたいと思います。

 そもそも何故ヤフシャ・ハマシアハの歩んだ道筋を、逆に辿らなければならないのか?

 それこそがヤフシャ・ハマシアハの本質に迫る、最も早い手段となるに他ならないからです。

 奴は……ヤフシャ・ハマシアハは己の身に起きたを利して、自分自身を始祖とする宗教の布教に活用しました。

 当初は誰にも知られぬよう、密やかに小さなペテンとも云える奇跡から積み重ね、最後には大掛かりな仕掛けで劇的ドラマティックに盛り上げた……ヤフシャ・ハマシアハは希代の山師だったのです。


 さて……それでは第三の奇跡『ヤフシャ・ハマシアハの死と復活』の謎から、解きほぐして行きましょう。

 ヤフシャ・ハマシアハが磔刑で処刑された様については先刻、私が申し上げた通り…奴は両掌と両足の甲を十字架に釘で打ち付けられ、刑吏の槍で両脇腹を貫かれてなお三日間も生きていました。

 そしてその後、油を撒かれ火を放たれたヤフシャ・ハマシアハは……消し炭のように炭化し、一度は死亡が確認されたにも関わらず復活した……のです。

 来栖さん、その姿に何か既視感や違和感を覚えませんか?」


 アハスエルスの問いに対し、龍人は無言でその右手人差し指をユルユルと上げて、質問者に向けて突き付ける。


「まさしくその通りです、とは云えませんか?」


 この対話が決着する結論について龍人は想定し、その顔を青褪めさせながらも聞かずにはいられなかった。


「アハスエルスさん……それはまさしくその通りかと……それでは貴方の不老不死の呪いとは……ヤフシャ・ハマシアハからさせられた物だと……云うのですか?」


 龍人の眼を真っ直ぐに見据えたアハスエルスは、見る者を引き摺り込むような哀しい微笑みを浮かべて頷いた。


「そう……考えることが普通ですよね。

 それでは次にヤフシャ・ハマシアハが、刑場であるグルゴレト頭蓋骨の丘へと向かう場面へ時を戻しましょう。

 ヤフシャ・ハマシアハは自らが磔られる十字架を背負い、エルサレム市街からグルゴレトの丘へ刑吏の監視の許、引き立てられていました。

 神の御子を騙る不届なペテン師に対する刑の執行に、娯楽に飢えたエルサレムの人々は道中を取り巻き……罵声を浴びせ、子供達は石礫を投げつけました。

 その野次馬の中に私、エルサレム市内で靴屋を営んでいたアハスエルスもおりました。

 皆と同じように私も奴に罵声を浴びせて、日頃の鬱憤から来る溜飲を下げていたのです。

 他の人々と違って私は、ヤフシャ・ハマシアハの故郷ナツラト市に知人がおりましたので……少しは奴の出自を知っていたのです。


売春婦あばずれの息子よっ!

 父親知らずの恥の息子よっ!

 神殿の穢れで作られた汚らわしい男には、似合いの最期だなっ!!』


 私は周囲の皆と同じように叫んでいましたが、ヤフシャ・ハマシアハは私の声を聞きつけると血相を変えて振り返り私を睨み付けました。


『おまえは……私ではなく、私の母と父を愚弄したな。

 この街道に居並ぶ、無知蒙昧な群衆は……私を侮辱し貶めることのみで充足しているのに、おまえだけは私だけではない者を侮辱したのだ。

 おまえだけは許さぬ……私が再び還り来る時まで生き続けるが良い。

 私が世に再び君臨する日に、おまえを私の手で縊り殺してくれる。

 それまでお前は一人きりで、恐怖に苛まれながら生き続けるのだ』


 ヤフシャ・ハマシアハはそう吐き捨てると、両掌を十字架に固定されたままの姿で私の許へと歩み寄り、突如としてのです。

 突然の狼藉に周囲は騒然となり、ヤフシャ・ハマシアハは刑吏に取り押さえられて殴りつけられましたが……その怒りの焔を宿した眼で、私を睨みながらのです。

 一方の私は噛み付かれた痛みに呆然としながら、周囲の野次馬に助け起こされました。

 しかし私の首筋を押さえる手には、のです」


 ここまで聞いた龍人は、想像していた範囲の言葉ではあったものの……アハスエルスの言葉の内容に衝撃を受けていた。


「ではアハスエルスさんは、ヤフシャ・ハマシアハののではなく、と云うことなのでしょうか?」


 アハスエルスは深く頷くと、龍人に自身の考えを告げた。


「西暦30年頃にはそのような知識もありませんでしたが、私にはその後1900年以上も考える時間がありましたからね……不老不死を疑われ追われては居場所を変えながら、自分のことをそしてヤフシャ・ハマシアハのことを冷静に科学的に捉えると、私と奴はだと認識することが最も平易な解答だと思うのです」


 アハスエルスの言葉を聞いた龍人は、一つだけ疑問に感じたことを尋ねた。


「アハスエルスさん、永きに渡り不老不死であることを継続するために、栄養の補給等はどのようにされているのですか?

 この施設には、水栓設備はおろか厨房もなく……どう見ても風呂や便所すら見当たらないのですが?」


 龍人の声を聞いたアハスエルスは、その視線をチラリと紫合鴉蘭へと向ける。

 物言いたげな視線を受けた鴉蘭は一つ頷くと、己が白衣のポケットから赤黒い輸液が封入されたバッグを取り出すとアハスエルスに放った。

 栄養を輸液に頼っているのかと龍人が考え、点滴用の架台スタンドを探し始めた時、アハスエルスが受け取った輸液バッグに直接口を当て……中の輸液を直接吸い上げ始めた。

 呆気に取られた龍人が見ている前で、アハスエルスは輸液を一気に飲み干した。


「アハスエルスさん……輸液は……直接に飲むモンや……ないですよ」


 口元を赤く染めたアハスエルスが、龍人に歩み寄り自身が飲み干した輸液バッグを手渡す。

 その輸液バッグに貼られたラベルを見た龍人は、大きく細い眼を見開きアハスエルスを二度見した。


『これは………!

 亜米利加製の、輸血バッグやないか!?

 アハスエルスさん……アンタ……一体何を……飲んだんや………」


 問い質す龍人に、アハスエルスは申し訳なさそうな顔をして……輸血バッグを回収する。

 そして口元に付着した血液を手巾ハンカチで拭うと、龍人に告げる。


「来栖さん、私は不老不死の病による主症状として……してしまいました。

 この1900年余り……ずっとずうっとそうやって生き延びて来たのです。

 来栖さん、貴方も耳にしたことがあると思いますが、私は老いと死から遠ざけられ……いわゆる吸血鬼として生き続けているのですよ」


 アハスエルスの台詞に龍人は更なる驚愕に見舞われ、救いを求めるように指導教授である鴉蘭の顔を見た。

 常ならぬ真顔で鴉蘭は、部下である龍人に告げる。


「来栖龍人君、これから君には担当医としてアハスエルスさんの脈を取り、検温をしなければならないよ。

 この面談の締め括りとして最重要かつ、君が知らなければならない当病棟の最高機密としてね」


 鴉蘭の言葉にはいと応え、龍人は恐る恐るアハスエルスのひんやりとした手首を取る。


「脈の………拍動が無い?」


 慌てた龍人がその手をアハスエルスの額に充てがうと、生者からなら当然感じる筈の体温すら読み取れずような感触しか存在していない。

 ましてやペンライトの光に対する、瞳孔の収縮など見られる筈もなかった。

 眼を見開いた龍人が鴉蘭の顔を再度窺うと、やはり真顔のままで鴉蘭は頷いて言った。


「そうだ……彼の、アハスエルスさんの状態は、現代医学の見地からするとのだよ。

 しかしそれは先程、私が質問し君が回答したことへの立証ともなり得る。

 人間は生体活動を保ったまま1900年を過ごすことなど不可能だ、しかしながら細胞分裂を行うことなく1900年の永きに渡って存在することが可能であると、仮定するに足るのではないかね?」


 龍人は驚愕の余り声を発せられずに、指導教授である紫合鴉蘭と担当患者であるアハスエルスの顔を交互に見つめることしか出来なかった。

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