第25話 対策の検討

 兵庫県立医科大学附属病院の精神科・特異診療部では、特任教授の紫合鴉蘭、研修医の来栖龍人、そして地下病棟に収容されている『彷徨える猶太人』のアハスエルスによる三者面談が引き続き行われていた。

 三者三様の目的と要望が述べられた後に、今後の方針と行動について……更なる調整と指針を決定づけるための会談であった。


「それでは……アハスエルスさん、そして来栖龍人君、そして僕……紫合鴉蘭の三名は、今後ともに吸血鬼ウィルスヴァンパイア感染症症候群シンドロームの研究と抗ウィルスワクチンの開発を目指して協力体制を敷き、どのような外圧や障害がその道程に発生しようとも……この目的を達成するために尽力することを誓約したと云う認識で構わないのだね?」


 鴉蘭の再確認を求める台詞に、アハスエルスも龍人も……神妙な顔付きで深く頷いた。


「ハッ……お二人とも、そんなに必要はないのじゃあないかな?

 ヤフシャ・ハマシアハの手による妨害が入る可能性は示唆されているものの、僕らが為そうとしている事柄については……以前からの規範ルールと何ら変化・変更がされている訳ではないのだからね。

 特に来栖龍人君、君は経験の浅い若輩者だとは云え……少しばかりビクビクオドオドとし過ぎなのではないかな?」


 突然水を向けられた龍人は、少しばかり憤慨した様子で己が指導教授に返答を寄越した。


「そんなん言われたって……俺は着任から数日しか経っていない一介の研修医に過ぎへん訳ですよ。

 いきなりこんな……国家の大事みたいな話を持ち出されて、ビビるのも仕方しゃあないんとちゃいますのん?

 それこそ故の、経験の浅さも出てしまうっちゅう話ですよ」


 龍人の声に鴉蘭はクツクツと笑い声を立てて、自身の部下による応えに回答する。


「来栖龍人君、その意気だよ。

 僕に煽られて返す刀で言い返す君のその生意気さ、決して豪胆な性根ではないものの……その反射神経のように見え隠れする、それこそが君の特質であり美点とは云えぬまでも特筆すべき点ストロングポイントだ。

 今後の職務遂行に際して、重要となるであろうその土性骨を努努ゆめゆめ忘れることのないよう精進してくれ給え。

 そうは思いませんか、ねぇ……アハスエルスさん?」


 問われたアハスエルスは、鴉蘭の顔を見、そして龍人の顔も窺いながら……苦笑いとも諦観の微笑みともつかぬ笑顔を見せて、申し訳なさそうな口調で応える。


「そうですね、来栖先生の気性は……この数十年の間に私が接して来た新任の医師の方々の中でも、稀有な程に強く激しいをお持ちだと思います。

 大別すると全くもって違う性質だと思いますが、紫合先生と初めてお会いした時のことを思い出すような気持ちになりますね。

 フフッ……あの頃の紫合先生と云えば指導教授たる正垣先生を翻弄し、どうにも手のつけられない若者でしたね……。

 それでも……紫合先生が着任されてからは、この病棟も私自身を対象とした研究についても……飛躍的な進捗を見せていたのですから、良い意味での起爆剤となられたのだと思います。

 そして今、来栖先生が新任の医師として着任されてからは……紫合先生も更なる活気を得られたように見受けられますれば、来栖先生の存在自体も良い科学変化を起こすための触媒となられたのかと想起されます」


 アハスエルスによる、年数を重ねた者にしか発言が叶わぬような感想に……鴉蘭はニヤリと笑い、龍人は照れて少し居心地が悪そうな様子で身じろぎした。


「アハスエルスさん、申し訳ないけれども……こちらの研修医をあまりにも褒めそやすのは、如何なものかと思われますよ。

 僕のように才気煥発であった若者であればいざ知らず、来栖龍人君の如くに見た目は異質に過ぎるが……内容物が凡夫一如ならず凡夫匹夫な若造を増長させるとなことになりはしませんからねぇ」


 チラリと龍人を見ながら、アハスエルスに向かって忠告めいた口調で告げる鴉蘭。

 しかして忠告の対象としてあげつらわれた龍人は、どうにも腹に据えかねた様子で……不機嫌な顔付きで鴉蘭に向かって反論する。


「いや……紫合教授、その云い草は可笑しいんとちゃいます?

 どうも先程のアハスエルスさんのお話を聞いておったら、若かりし頃はロクでもない研修医やったそうやないですか?

 俺には散々っぱら指導教授と研修医の関係性について、その隷属性だの恭順の意を示すことの必要性なんぞを説いておきながら……アハスエルスさんの言葉を聞く限りは、正垣……教授に対して従ってすらいなかったようやないですか。

 貴方のその言行不一致について、何か申し開きすることはないんですか?

 そして、ご自身の行状を俺を批判し倒しとったことについても……何ぞ申し開きすることはあらへんのです?」


 龍人の告発めいた発言を聞いた鴉蘭は、我が意を得たりと云った表情で……その端正な顔を邪悪な笑みでニタリと歪ませ研修医へ向き直る。


「クックックッ……来栖龍人君、君は何故に僕の思い通りに発言し、行動をしてくれるのだろう。

 アハスエルスさんの仰る通り、僕は先代特任教授の正垣光一朗まさがき・こういちろう教授にとって……傲岸不遜で鼻持ちならない研修医であったろう。

 僕はそのことを否定はしないし、全く以ってその通りの行状で彼を追い込み、その離職に向けて暗躍したことは確固たる事実であり……確定的に発生した史実だと云えようね。

 しかしながらその事実については、正垣光一朗・元教授における世俗に塗れた裏付けバックボーンの存在について告げねばならないだろう。

 彼は……正垣氏は、我が兵庫県立大学医学部附属病院・精神科特異診療部にとって特任教授としての職務に、まるで相応しくない人物であったからこその放逐劇であったのだ。

 そう……彼はアハスエルス氏と云う、現代医学において稀有の秘蹟とも例えられる研究対象に対して、何ら興味を示すこともなく放置して……特任教授と云う地位を汲々として保持するだけの矮小な人物であったのだ。

 それに彼は国家予算から捻出されている当医療科の執行予算についても……その一部を私的に流用しているような小悪党でもあったのだよ。

 僕は能力値の低い年嵩なだけの人間……それも下らない犯罪行為に手を染めるような輩を、虫酸が走る程に嫌悪しているのだよ。

 そうして僕は彼の職務怠慢およびその卑小な犯罪行為について、その詳細を調査し尽くして……兵庫県立大学医学部附属病院の院長と厚生省の当科を所管する部門へと通知し、彼をこの公職より追放するために研修医としての初年度を費やした。

 君はその実情も知らぬままに、僕を糾弾しようとしているようだが……来栖龍人君、君は僕の行為をただと云うだけの理由付けで、僕と君を同じ土俵に上げてしまって良いと考えているのかな?

 もし万が一にも僕が職務怠慢だとか不正な横領行為にでもおよんでいるだとか、そのような証拠でも掴んでいるのかね?


 んん?」


 鴉蘭の追求に際して龍人は、悄然とうなだれ無言で指導教授の顔を見遣るのみ。

 その姿を満足そうに一瞥した鴉蘭は、朗らかな笑顔でアハスエルスと自身の部下である研修医へ告げる。


「さあ!

 来栖龍人君からの異論も封殺されたようだし、我々はこれから為すべきことを整理し……今後の対策案を練って行かなければならないね。

 アハスエルスさんも来栖龍人君も、その方向性については異議がないと思われるのだがどうだろう?」


 鴉蘭の放つ明朗な声音に、アハスエルスも龍人も黙したままで首肯する。

 その姿を確認した鴉蘭はパァンと手を打ち鳴らし、早くも実務的な業務確認を行う。


「さてさて、何の役にも立たない駄弁はこれまでにしよう。

 それでは……アハスエルスさんに来栖龍人君、今後の課題とその対処について検討しようじゃあないか。

 アハスエルスさん、先ずはこちらの課題から片付けましょう。

 取り敢えずは、ヤフシャ・ハマシアハの今後の動向と彼の選択肢における優先順位ですが……貴方はどのように想定されますか?

 ここは是非とも貴方の予想に基づいて、こちら側の対策を立案したいと思っておりますので」


 鴉蘭の問いに沈思黙考のアハスエルスであったが、フゥと一息を吐くと徐にその重い口を開いた。


「そうですね……1900年前と現在ではヤフシャ・ハマシアハを取り巻く環境が激変してしまっているのですから、奴が過去の妄執のままに行動するのか……それとも現代の情勢に応じて行動を調整アジャストして来るのか、奴の行動様式を二系統に分割して考えないと、我々の方が奴に出し抜かれる可能性があると思います。

 先ず第一に、ヤフシャ・ハマシアハが古代猶太人として……奴の信奉するエッセネ派の流儀に則った行動を起こした場合の想定からですね。

 その場合……ヤフシャ・ハマシアハの行動様式は中東以色列イスラエル国内において、内省的な方向性ベクトルを以って推移して行くことが想定されますね。

 エッセネ派の……ヤフシャ・ハマシアハの宗教的な目的と存在意義は、と云う最終目標を達成することにありました。

 そうです、現在の以色列の状況であれば……ヤフシャ・ハマシアハの目的は達成されていると言っても過言ではありません。

 その中でヤフシャ・ハマシアハの目的を探るとすれば、それは以色列国の安定と外敵の排除が主目的となるでしょう。

 となれば……ヤフシャ・ハマシアハは奴が感染させた軍勢を、不屍者で組織した軍勢を率いて内外の治安維持に当たるのでしょう。

 そして第二に、ヤフシャ・ハマシアハがイエス・キリストとして……基督キリスト教の創始者としての地位を利して、世界人口の三分の一を数える信徒を用いたとすれば……第二次世界大戦の規模を超える戦乱が、この世界を覆い尽くす可能性は少なからずあると見られます。

 ただし現代の基督教が各宗派に細分化されている状況では、イエス・キリストその人が再臨したとしても……その御旗の下に全信徒を集結させられ得るのかは不明です。

 しかしながらヤフシャ・ハマシアハが各宗派の代表者を感染者と化し、古代の十二使徒と同様に己が配下として従えることが可能であれば……ある程度の時間を要するでしょうが、基督教をイエス・キリストの名の下に合一化することは、絵空事として片付けられない程の可能性を秘めているでしょう。

 そしてその際はヤフシャ・ハマシアハの標的として、私の首級を狙う可能性が高まりますね。

 基督教の聖書に記載されているは、互いを補完し合う必要十分条件として成立するのではないでしょうか?」


 アハスエルスの言葉に龍人はワナワナと口唇を震わせ、その発言を質問で遮る。


「ア………アハスエルスさん、貴方が仰ることを真実だと捉えると……イエス・キリストの高弟たる十二使徒、彼らもまた吸血鬼ウィルスヴァンパイア感染症症候群シンドロームの感染者だと云うのですか?」


 アハスエルスは龍人を見、そして鴉蘭へと視線を送り……深く頷く。


「えぇ……少なくともイエス・キリストの死後、世界各地で殉教した使徒は……その不屍者としての真実を隠蔽するための偽装工作のために捕らわれて殉教を受け入れたのだと、私自身は確信していますよ」


 アハスエルスの暴露に、龍人は内心でボヤくように呟いた。


『アハスエルスさん……爆弾発言をぶっ込んでくれるのは良いねんけど、余りにもチマチマと小出しにされてら……俺の心臓がもちそうにないわぁ………。

 まさかにもう隠し事はナシで、ホンマにナシで宜しく頼みます』

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