第21話 喫緊の対応

「それは……紫合教授、本日のアハスエルス氏との面談で出た……と云うことなんでしょうか?」


 元々が血色の悪い顔色を更なる蒼白に染め上げた来栖龍人は、指導教授たる紫合鴉蘭へ縋るような視線と共に自身の予想が外れている祈りを込めつつ懇願めいた質問を飛ばす。

 相変わらずの真顔を崩さぬままに、鴉蘭は龍人の目をじっと見つめたまま応える。


「来栖龍人君、君は僕に『そんな筈はない』と回答して欲しいと……その情けなくも恥ずかしい顔と視線で訴えかけているようだけれども、僕の回答は残念ながら『その通り』以外にないよ。

 医学者の道を志していながら……楽観的であり夢想家のような無駄な思考に、その脳髄を活用することは止め給え。

 とは今の君を指して云うべき言葉だと思い、少しは現実的な思考を以って……この発生してしまった事象についての対応策を思索してみてはどうなんだね?

 少しはようになったと見直してあげたと云うのに、全く………君と云う男の評価は僕の中で乱高下し過ぎて、指導教授として僕は君にどう対処して良いのやら悩み苦しんでしまうよ」


 鼻息荒く龍人を扱き下ろす鴉蘭の言葉に、龍人は青白い顔を歪めて頭を下げる。


「は…………申し訳ありません……紫合教授、しかしながら………今は……私の頭は……告げられた現実の……この状況下において………まともに働いていないようなのです」


 やれやれと云った表情で鴉蘭は溜め息を吐き、首を振り振り龍人に告げる。


「来栖龍人君、少し落ち着き給え。

 ヤフシャ・ハマシアハが再臨したとしても、僕と君が共に為さねばならないことに、大きく変化することはないのだよ。

 今から君の脳髄に情報を上書きしてあげるから……心して聞きなさい」


 驚愕冷めやらぬ体の龍人に、穏やかな声で鴉蘭は語りかける。

 指導教授の声にハッとした表情を浮かべた龍人は、大きく息を吸い込み一つ頷いた。


「まず、今回以色列イスラエルに再臨したイエス・キリストだが……彼が本物のヤフシャ・ハマシアハであるか否かは、未だ何の検証もされていない。

 従って彼がアハスエルス氏に対して、害を為そうとする者かどうかなど……誰にも判りはしないのだよ。

 それにだ、真のヤフシャ・ハマシアハの再臨についても、僕らはその局面フェーズを数段階に割り振り……その位階毎に対応が取れるように策は練っているのだからね。

 そう……まず第一に顕現したイエス・キリストの出現場所だ。

 彼は中東の以色列国付近に現れた、これは僕らの想定の範囲内であり……最高の結果とは云い難いが、それでも最低最悪の状況とも云えない程度にはな条件だ。

 そう以色列国は未だ建国すらされていない国であり、国際連合にも未加入の新興国だね。

 と……なれば、国家として敗戦国の日本に圧力をかけられるような立場にはないと云える。

 それに以色列国とは猶太教を国教とする国だ、ヤフシャ・ハマシアハを処刑した者は誰だったかな?

 そう古代羅馬ローマ帝国の、猶太属州を統治していた猶太教の神官達だったろう。

 彼等サドカイ派やパリサイ派の末裔である、現在の以色列を建国しようとする支配者階級の人々にとって、ヤフシャ・ハマシアハことイエス・キリストとはどのような立場に該当するのだろう。

 イエス・キリストの実在が公式に発表されれば、以色列国が今後において同盟を組まざるを得ないであろう、キリスト教国の西欧列強に対しては強力な手札カードとなり得るだろうけれども……1948年の4月時点では表沙汰にも出来ぬ、自分自身の先祖が過去に処刑した人物が再臨したと云う事実は……彼等にとって喉の奥に刺さった魚の小骨が如き存在でしかないのではないかな?

 そもそも猶太教徒にとってイエス・キリストの存在とは何なのだろうね、これは僕の想像でしかないのだが……猶太教徒にとってのキリスト教の始祖たるイエス・キリストとは、神聖な猶太教を裏切り新興宗教を立ち上げた改宗者と云った程度の人物、ぐらいの認識だと思われるのじゃあないかな?

 エッセネ派の反体制主義者テロリストとしての手腕で、もし不死者の軍勢を以色列国に提供したとしても……ヤフシャ・ハマシアハの存在は良くてぐらいにしかなり得ないのでは?と予想出来るがね。

 ま……この辺りは外交筋の役人や、公安警察の担当者も予測していると思うよ」


 鴉蘭の言葉に龍人は少し気持ちを立て直し、自身の言葉で質問を発する。


「では紫合教授、ヤフシャ・ハマシアハが再臨したとして……現時点ではさしたる脅威ではないと仰るのですね?

 それでは、更なる局面フェーズの進行で……ヤフシャ・ハマシアハの存在が脅威となり得る状況とは、どのような展開が想定出来るのでしょう?」


 漸く立ち直った教え子の姿に、鴉蘭は満足そうな笑みで回答する。


「そうだね、これから起こり得る最悪の脚本シナリオとは……その説明も君にはしておかなければならないだろう。


 ヤフシャ・ハマシアハの再臨における第一局面フェーズ1とは、先程も説明した通り『ヤフシャ・ハマシアハの再臨……その確定』だ。

 結論はまだ先送りとはなっているが、現時点で第一局面に到達しているものと仮定し、話を進めて行こうじゃあないか。

 先ず事態が第一局面まで進んだからと云って、その影響は医療・外交・安全保障の面から鑑みても……その影響は小さく局地的な物であると云う認識については、君にも説明が済んでいるので詳細説明については不要だろう。


 そして第二局面フェーズ2だが、事態が進行してヤフシャ・ハマシアハが影響力を増大し、その勢力を拡大し始める事態を指す『吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの病態確認……その初期』にあたる。

 活動を再開したヤフシャ・ハマシアハが、直接的に吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの感染者を創出し……屍者化した病態を持つ者が散見されると云う状況だね。

 この場合において、吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの感染者は各国の諜報機関スパイ組織や、限定的な医療機関等で確認が取れる程度で……地域や感染者数についても小さく纏まっているように見受けられる情勢であろうと想定可能だ。

 通常の新型ウィルス感染症であれば、原発地域の医療機関でウィルスの特定や治療法の確立と云ったが重要視される段階に相当する時期だよ。


 更には第三局面フェーズ3の状況として考えられるのが、ヤフシャ・ハマシアハを原発とするウィルスの子株が更に孫株から曽孫株へと感染者が多重に広がりを見せる『吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドローム感染拡大パンデミック期……その蔓延期』とも云うべき状態。

 この状況下について感染状況の拡大は一国一地域に留まらず、広くあまねくその猛威を全世界規模で振るっている筈だ。

 この段階まで進行していると、僕ら医療従事者に出来ることと云えば対処療法的に感染者を治療するだけ……すなわち病根を断つために感染者を減らす努力をすべき局面でしかないね。

 この段階においては、抗ウィルスワクチンおよび患者を寛解にまで持って行く特効薬を完成させていなければ…… 吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームと云う名前の病に立ち向かうには少しばかり心許ない状況であると言わざるを得ないのだよ。


 そして最後の第四局面フェーズ4として、人類と吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの闘争に結末が見出されるであろう『吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの収束期……その終着点』とも呼べる状態へと推移して行くのだね。

 こちらについても、第一局面と同様に未決の状況であると言わなければならないよ。

 堕落した女リリスの系譜に連なるであろうヤフシャ・ハマシアハが、今まさに振るわんとする 疫病ベルフェゴルの厄災、その脅威に打ち勝つには第一局面から第三局面での僕らの働き如何に関わって来るのだから。

 そう……僕らが吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの抗ウィルスワクチンや特効薬を開発し、この呪われた疫病から世界を解放し得るのか、はたまた世界から人類が滅され、吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームに感染した不老不死の吸血鬼共が跳梁跋扈する悪夢のような地上と成り果てるのか……その二択の結論をどちらの解答へと導くのは、でありであるのだよ来栖龍人君。


 そして落ち着いて考え給え、僕らはの最中において吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームの抗ウィルスワクチンの開発に着手出来るかもしれないのだ。

 それは世界人類とヤフシャ・ハマシアハのこれから始まる長い闘争において、大いなる……そして僥倖とも云うべき優位性アドバンテージだとは捉えられないかな?」


 言い終えた鴉蘭は龍人の顔を見つめて、いつもの如く人を喰ったような笑顔でニヤリと笑った。

 その顔を見た龍人は安堵したような表情で、指導教授に対して決意を述べる。


「了解しました、紫合教授!

 我々は我々の為すべきことを為す、すなわちそれはフルディの血液から吸血鬼ウィルス感染症症候群ヴァンパイア・シンドロームのウィルスを検出し、抗ウィルスワクチンの開発に全精力を注ぐことなんですね!

 明日には第一回目の検体採取を行い、なるべく早くに作業に取り掛かりましょう!!」


 熱く語る教え子の顔を見ながら、鴉蘭は不思議そうな顔で問いかける。


「来栖龍人君、やる気を出してくれたのは良いことだとは思うのだけれど……一体全体その『』とは何者なんだね?」


 鴉蘭の問いにハッとした表情を浮かべた龍人は、アハスエルスの名付けた天竺鼠モルモットについての説明を、己が指導教授に一から始めるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る