第28話 研究の開始
兵庫県立医科大学附属病院の精神科・特異診療部の研究室では、病棟における唯一の患者アハスエルスの病室から戻った紫合鴉蘭特任教授と、研修医の来栖龍人が実験動物の
「さて……来栖龍人君、ようやく我々の許にフルディ嬢から採取した血液が到着した訳だが……この検体の取り扱いについて、君からの提案はあるかね?」
鴉蘭の言葉に龍人は、不審そうに己が指導教授をチラ見して思う。
『またか……あのオッさんは、俺に全部を丸投げしようっちゅう腹か?
そんでから俺が答えたら……また
ホンマにしょうもない
あ〜、面倒臭いわぁ』
内心のボヤきを鴉蘭に気取られぬよう、努めて平静な表情を保ったまま……龍人は自身の提案を述べる。
「えぇ……そうですね、抗凝固剤を混入した採血管の内、一本を遠心分離し、血漿の採取必要があります。
その血漿に含まれる抗体を精査し、それに加えて
そして生化学検査用の採血管も凝固後に遠心分離し、血清の採取を行わなければなりません。
こちらも同様に抗体検査から
三本目の抗凝固剤入りの採血管は、取り敢えず現状では冷凍保管してみると云う方向性でいかがでしょう?」
龍人の声を聞いた鴉蘭は、フムと鼻を鳴らしてつまらなさそうな顔で語る。
「それはまた……教科書に載っている、模範的な回答だねぇ。
来栖龍人君、君は……君ならばまた突拍子もないことを言い出すのではないかと、少し期待していたのだけれども………。
まあ、医学部を出たてで、お尻に卵の殻をくっ付けているようなひよっこ研修医殿には……
君がそう云うならば、今回は君の思うようにやってみ給え。
君が失敗したからと云って、君の責任の取り方は……もう一度フルディ嬢からの採血を決行するだけのことなのだからね。
若者は失敗など恐れぬよう、ドシドシと自分が思った通りの行動を示し給え。
僕は君の背後から、温かい眼差しでもって君の進み行く道を見守っていてあげようじゃあないか」
鴉蘭の言葉に龍人は生真面目な顔で頷きながらも、内心の独白で反抗心を
『おいおい……若者の理解者を装ったような台詞を吐いとるけど、それは
ホンマにこのオッさんだきゃあ……どないもこないも責任感の欠片も持っとらんみたいやなぁ。
ハァ………オッさんの気に入らんみたいな方法論やけど、取り敢えずは教科書通りにやるしかないやないか。
我がの気に入らんのやったら……あれやこれやと指示したらエエんちゃうのん?』
生真面目な顔を装ってはいるものの、龍人から滲み出る怒りの
教え子であり部下である龍人の不機嫌さを感じ取った鴉蘭は、やれやれと呟きながら口を開く。
「来栖龍人君、君は全く以て成長をしない人間だねぇ。
そんな剥き出しの感情を表に出して、僕のことを睨みつけるとは……なんて考えなしの莫迦者なんだ。
どうせ君のことだから『紫合鴉蘭は無責任にも、検体の処理方法を俺に一任し丸投げし……その責任を全て俺に押し付けようとしてやがる』とか何とか思っているのだろう?
だから君は成長しない莫迦者だと、僕から思われてしまうのだよ。
来栖龍人君、もし君が自身の脳髄を駆使して……研究者として独り立ちすることを望むのならば、僕から与えられた指示について、随喜の涙を流して喜ぶべきだろう。
このような貴重な検体……この採血管に収集されたフルディ嬢の血液を取り扱い、世界中のどのような研究者ですら見たことのない
フルディ嬢から見事に採血を行ったことへの報酬として、君にこの検体を託そうと考えた僕の思慮深き優しさを踏み躙るとは……君はそのご面相に似つかわしい、何て歪んだ心根の持ち主なのだ。
ハァ………君のように恩知らずで罪深い不細工な研修医を部下に持って、僕は本当にツイていない指導教授だよ。
どうしても君が検体からの抽出作業を固辞すると云うのであれば、仕方ないから僕がその作業を行おうじゃあないか。
さぁ、さっさとその採血管を僕に差し出し給え」
掌を龍人へ上向きに突き出しながら、ブンブンと上下に振る鴉蘭の姿に……龍人は盛大な溜め息を吐きながら応える。
「いえ……紫合教授の寛大かつ慈悲深いお心を理解せず、自分勝手な被害妄想で紫合教授のお心遣いを踏み躙った私が悪いんです。
どうか当初のお考え通り、私にフルディから採血した検体の処理をお任せ戴けないでしょうか?
紫合教授、宜しくお願い致します」
深々と頭を下げて腰を折る龍人の姿に、鴉蘭はニマリと笑顔を浮かべて……満足そうに重々しい声を発した。
「フム……最初からそのような殊勝な態度でいれば、僕から厳しい叱責を受ける必要もなかったのだがねぇ。
君はもう少し上司に対する敬意と、年長者に対する謙譲の気持ちを持たなければならないようだね……ねっ、来栖龍人君?」
鴉蘭の指摘に『はぁ』と『はい』の合間の如き声で呟くように返事をした龍人は、どうにもやり切れないような心持ちで思う。
『ホンマに……ああ言えばこう言うオッさんやなぁ。
そんな後付けの思慮深い優しさとか……絶対に嘘やで。
凡そこの後に飲み会があるから
ボチボチ本命の理由を、俺に向かって言い出すんやないの?
ほれ、ほれ……早く言いなはれや』
その龍人の期待に応えるように、鴉蘭は口を開いた。
「そうだね、それではフルディ嬢の血液に係る検査と作業については……予定通り来栖龍人君に任せようではないか。
それでは……今日は特に予定もないようだから、僕はこれにて失礼させてもらうよ。
いやぁ……今夜は兵庫県立医科大学附属病院の事務職員の女性たちと、新任の娘を迎える歓送迎会に誘われていてねぇ。
精神科・特異診療部も君と云う新任の研修医が着任したものだから、是非にと誘われていたのだけれども……君はこれから多忙な研究に着手しなければならないのだし、仕方がないから僕が出席して、その旨を説明しておいてあげるよ。
いやぁ……本当に残念な話だなぁ、君の分も僕が楽しい時間を過ごして来てあげるから……君は君のやるべき仕事を頑張ってくれ給え」
颯爽と身だしなみを整えて、頭髪の乱れを鏡で確認する鴉蘭の姿に……龍人は着任初日に訪れた事務室に着席していた、事務の女子職員達の花が咲き溢れるような若く溌剌とした艶やかで美しい姿を思い出し、愕然と指導教授の背中を見つめて言った。
「えぇぇ……そんなぁ…………」
そんな龍人の声も聞こえておらぬ様子の鴉蘭は、研究室や病棟ではついぞ見せたことのない爽やかな笑顔と共に……龍人へ手を振りながら退出して行く。
「では……来栖龍人君、今夜の残務についての結果は明日の朝に報告をよろしく頼むよ。
それじゃあ僕はこれにて、退勤とさせて戴こうかな?
それではまた明日、良い結果の報告を楽しみにしているよ。
僕からもちゃあんと結果を報告するから、楽しみに待ってい給え」
後ろ手で研究室の扉をガチャリと閉めて出て行った鴉蘭を見送り、龍人は怒りの感情を詰め込んだ蹴りを遠心分離機の土台に見舞った。
「
生身の足が鉄の塊に勝てる筈もなく、盛大な衝撃音と同時にしゃがみ込んだ龍人の足はジンジンとした痛みに襲われ……龍人自身も声を発することすら叶わず、苦痛が過ぎ去るのを待つことでしか苦痛に対処が出来なかったのであった。
Vampire J.C. 〜極東吸血鬼異聞〜 澤田啓 @Kei_Sawada4247
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