『事実は小説よりも奇なり』とはよく言われるが、事実とは何であろう。
事実とは、『実際に起きた事柄』『現実にある事柄』だと定義されている。
また小説とはフィクションである。
フィクションとは『事実でないことを事実らしく作り上げること』とされている。
では、誰かから話を聞いた時、現実に良くできた話であればあるほど、それが事実であるのかフィクションであるのかを瞬時に判別するのは何処にあるのだろう。
奇を衒った話であれば、フィクションとするのだろうか? 事実は小説よりも奇なりと言っておきながら?
この作品『Vampire J.C. 〜極東吸血鬼異聞〜』を読むとそれらのことが不意に頭を過ぎる。
緻密な世界観、見事な筆致。
紡がれる物語は、もしかしたら『事実なのではないか』と読者を惑わせる。
鍵となる言葉は『彷徨える猶太人の真実』だ。
イエス・キリストから呪われたこの男は、最後の審判の日まで死ぬことも定住することも許されることなく世界を放浪するとされている。
なぜキリストは、そのような呪いをかけることが可能だったのか。
それを解き明かすことから物語は動き出す。
舞台となるのは『兵庫県神戸市に建つ兵庫県立医科大学附属病院』その時代は『昭和23年』時代背景も、登場人物たちもまた魅力的だ。
非常に良く出来たフィクションである。
いや、フィクションなのだろうか?
ぜひ、自身のその眼をもって確かめて欲しい。
ひょっとしたら、これは……。
若き研修医の来栖龍人は、運命の導きにより地下にある奇妙な診療所を取り仕切る紫合鴉蘭教授の許で指示する事となった――秘匿された診療所にて研究されていたのは、医学・生物学・宗教学の常識を根底から覆すような、とんでもない内容だった。
本作は神戸の地下で粛々と吸血鬼の起源を探る活動に、主人公たる来栖青年が巻き込まれる物語となっていますが、登場人物たちがことごとく魅力的に感じました。
「優秀な」精神科医として研修医の考えを読み取り、なおかつ悪魔的吸血鬼的な笑いがチャーミングな我らがマッドドクターの紫合鴉蘭教授。
不運な因果に見舞われて吸血鬼と化したものの、作中で一、二を争うほどの常識人としてたたずむアハスエルス氏。
若き青年として我々読者の側に近く、なおかつ軽妙な神戸弁にて作中の雰囲気を明るく和ませてくれる我らがヒーロー、来栖龍人。
そして、そして紫合教授と来栖青年の前で1900年越しの生命の神秘をわが身を持って見せてくれたキーアニマル、紫合教授を驚愕させることに成功した天竺鼠君。
この3名と1匹の物語は今後どのように展開していくのか。続きが実に楽しみです。