第19話 野望の概要
「さて……アハスエルスさん、私からはもう少しだけ貴方にお伺いしたいことがあるのですが、お時間を頂戴しても宜しいでしょうか?」
来栖龍人の問いに、アハスエルスは苦く笑って応える。
「来栖先生、ある意味で無限にある私の時間など……聞くまでもなくご自由に浪費して戴いても結構ですよ。
さて……来栖先生は私に何をご質問したいのですか?」
あぁ……そうか、と言いながら困った顔で頭をガシガシと掻く龍人は、アハスエルスの苦笑に自分でも苦笑を返しながら、今だからこそ聞ける話を聞こうと画策する。
「アハスエルスさん、まず最初にお伺いしたいのは……ヤフシャ・ハマシアハについてなのです。
ヤフシャ・ハマシアハは……イエス・キリストと呼ばれる男は、
この数日間でアハスエルスさんからは、様々なお話を拝聴出来たのですが……彼の行動原理と申しますか、最終的な目的について私は……私には全く以て想像が出来かねるその事象について、彼の過去を一部であれ知る貴方に、その見解を聞いてみたかったのです」
フルディを膝に抱き、その無毛の背を撫でていたアハスエルスの指がピクリと動き……ほんの少しだけその指先に加わる力が強くなったのであろう、目を閉じて
そんなフルディの変化に気付いたか、アハスエルスは優しい笑顔と優しい手つきを取り戻し……フルディを再び安堵させるように撫で始めた。
「ヤフシャ・ハマシアハの企図するところ、その真意は私の理解の範疇を大幅に超えているのでしょうが……奴が最初の生を享け、
龍人はアハスエルスを見、その目に浮かぶ決意を理解し……深く頷いて彼の言葉を待った。
「古代羅馬帝国の猶太属州では、迫害されるが故に厳しい戒律を遵守させ、猶太教を信仰する猶太人だけが救済されると云う……一神教の中でも特に排他的な猶太教が国教として信仰されていました。
その中でも大きな派閥として、三つの派が存在していました。
古代羅馬帝国に属州として支配下に置かれることで、猶太教を守るための砦として存在していた……多数派且つ穏健派とも云うべきエルサレム神殿における祭祀階級で属州猶太を統治していたサドカイ派。
そして猶太教の律法と戒律を遵守するべく、自らと他者を導く猶太教原理主義とも云えるパリサイ派。
最後にエッセネ派と云う最小派閥は、俗世を離れて荒野で生活をする……歴史上は隠者として認識されていますが、実のところは古代羅馬帝国の支配から分離独立し、猶太教国を設立せしめんとする急先鋒の革命派として……猶太属州の各地に潜伏する
ヤフシャ・ハマシアハは、史実にも聖書にも表記はされていませんが……エッセネ派の武闘派組織の一員……もしくはその組織における首魁であったとの説もあります。
ヤフシャ・ハマシアハが処刑された罪状としては、奴の危険思想と破壊工作に平穏で安寧な猶太属州を覆されるのではないかと危機感を抱いた、サドカイ派やパリサイ派の猶太教司祭による見せしめとしての一面が存在していると……我々エルサレム市街に住む民衆からは見做されていたのです」
アハスエルスの言葉を聞いた龍人は、その恐るべき内容に戦慄していた。
「そ……それでは……ヤフシャ・ハマシアハことイエス・キリストは、古代羅馬帝国の支配下にあった猶太属州において……武力行使も辞さないような集団を組織していた……と、貴方は仰るのですか?」
青褪めた顔で問いかける龍人に、アハスエルスは厳しい表情で応える。
「ええ……その通りです。
ヤフシャ・ハマシアハが所属し、奴が扇動していた組織こそ……古代羅馬帝国から猶太属州を独立させ猶太教国を建立するための秘密結社とも云うべき、所謂……反政府組織のような位置付け……サドカイ派やパリサイ派の重鎮が統治していた猶太属州の機構を根底から覆すような過激派組織だったのだと私は確信しています。
奴はヤフシャ・ハマシアハは……己が率いる組織の悲願、猶太属州の独立のために不死者の軍勢を作り出したかったのではないでしょうか。
弱き者や不具となった者を救う奇跡すら、ヤフシャ・ハマシアハにとっては軍団創立のための実験であったのだと……私には思えます。
勿論……不死者だけではない人間の兵のための兵糧として、ヤフシャ・ハマシアハが文字通り己が血肉を差し出すと云う奇跡も実証済みですし。
恐らくはヤフシャ・ハマシアハの目論見は、達成目前まで到達していたのかも知れません。
しかし……そこに立ち塞がったのが
ヤフシャ・ハマシアハの側近たる十二使徒の中でも唯一ガリラヤ出身者ではなく、最も遅く使徒となった
アハスエルスの更なる告白に、龍人は自分自身が立っているこの世界が根底から揺らぐような錯覚を感じ……その指先と口唇が恐怖にワナワナと震えることを抑えられず、アハスエルスに問い質す。
「アハスエルスさん……この1900年に渡る長い期間中に、ヤフシャ・ハマシアハはじっと鳴りを潜めています。
もし……ヤフシャ・ハマシアハがこれから何を為そうとしているか、今この瞬間に再臨したとするならば……何を為すつもりなのか……貴方の予想をお聞かせ戴きたいのですが…………」
龍人の恐怖と……彼が何かに思い至っていることを察知しているのだろう、アハスエルスは軽く首を振りながら己が担当医師に自分自身の予測を伝える前に龍人へ尋ねる。
「来栖先生……貴方は医学の知識だけではなく、この世界……第二次世界大戦が終戦したばかりの、混沌とした世界情勢にも明るい方だとお見受けします。
今から私の口より紡ぎ出される言葉は、貴方も恐らくは想定しておられると思いますが……貴方が怯えておられる理由は私の言葉により補完され、そして驚愕すべき現実として貴方の魂に刻み込まれてしまうのでしょう。
来栖先生……それでも貴方は、私の言葉を………私の恐るべき未来予測について、本当に聞きたいと願っておられるのですか?」
顔から血の気を失った龍人は、その姿形も相まって……白く透けた
それでも龍人は歯を食い縛るように全身の震えを抑えて、アハスエルスの顔を真っ直ぐに見つめ……そして頷いた。
「そうですか……了解しました。
私は紫合鴉蘭先生から、この世界がどのように動き何処へ向かっているのかを彼との面談で……戦争中も含めてずっと討議していました。
それはヤフシャ・ハマシアハがいつ何処で再臨し、その活動を再開するのかと云う推測の必要性に基づく所以からです。
そして……今回の戦争が終結し、戦後処理が粛々と進められる最中、私の故郷であり全ての猶太人の故郷でもある……紀元前720年に古代
私は1900年を生きて世界を彷徨っていましたが、私の同胞たる猶太の民人は……世代を繋ぎながら2600年もの間、世界を彷徨っていたと云うことなのでしょうね。
1947年に国際連合が以色列の地に、
それは古代王国が滅んで以来の猶太人の悲願であり、ヤフシャ・ハマシアハがどのような手段を使ってでも果たそうとした宿願であった筈です。
そして……今後の以色列と巴勒斯坦の新興国家は、異なる民族……異なる信仰……これらの対立で非常にキナ臭い地域となるのは火を見るよりも明らかな筈です。
そこで私は予想します、きっとヤフシャ・ハマシアハは……奴は以色列が国家としての独立を守るため歪んだ愛国心を十全に発揮し、不死者の軍勢を再編成して以色列の地に再臨するのではないかと………」
アハスエルスの言葉は、まさしく龍人が予想した通りの内容であり……ヤフシャ・ハマシアハことイエス・キリストの再臨が間近に迫っていることを確信させられる、驚天動地の大事件が今まさに起ころうとしている予感に……龍人は名状し難い恐怖を感じて立ち尽くしていた。
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