第18話

 ややあって学生寮玄関前、意外にも鴨脚は日傘なんかを差しながら素直に待ち惚けていた。

「お待たせしやした」

「……まさかそれ自前?」

「イエスウィーキャン。学園に来る前から愛用してるアメリカンバイクでござい。持ち込みアリと聞いたので実家から送ってもらいやした」

 バイクから降りて、傷ひとつないカウルを撫でる。

 橙色をした車体に黒いサイドカーが追従する750ccのアメリカンバイク。

 到底高校生の手が出る代物ではないが、寺の檀家から十六の誕生日の日にプレゼントとして譲り受けたものだ。サイドカーは自腹である。

「大型二輪の免許は十八歳からのはずだけど?」

「アッ! ……ち、違っ……これはアレですよ、ツイナが乗り回してたんですよ?」

「ご、ご主人、私が夜な夜な峠を攻めていたのを知っていたんですか!?」

「マズイ! 新事実が出てきた!」

 過去の事は有耶無耶に、今現在乗り回す分には問題ない。

 衛士学園の歩兵科、そして騎兵科は一年生の内に一般車両の殆どを操縦可能に教育される。衛士学園生徒は年齢に関係なく全ての車両の免許を取得できる。騎兵科はさらにヘリコプターや戦闘機、船の操舵まで単位として課される。

 二年生の一学期から転校してきた京太郎だが、大型二輪免許だけは転居初日に取得しに行っていた。

「ま、まあそれは置いておき、行きませう鴨脚ちゃん」

「置いておかないわよ鴨脚ちゃんと呼ぶな……サイドカーに乗れってことよね」

「そらそうよ、ほいメット」

 眉をひそめた鴨脚は京太郎から渡された車体と同じ色をしたヘルメットをおっかなびっくり受け取って、そっと鼻に近づけた。

「まず匂いを確認されるのわりと傷つく」

「鏡を見てから被害者ぶりなさい」

「しどい! 拙僧も豚さんも本当は綺麗好きなんだぞう! そもそのメットはツイナ用のだからなんかあったとしてもエキノコックスくらいだい!」

「致命的じゃない!」

「んまぁ! 二人とも乙女に対して失礼じゃありません!? しとねを共にして幾星霜、ご主人が存命なのが私に虫なんて付いていないという証左!」

「し、褥を共にって、アンタらやっぱり……っ!」

「オーノーズラ。ベッドで寝てたら股の間に猫が入り込んでくるアレと同じズラ。弥勒菩薩に誓って拙僧は純潔、純潔だよね? 不安になってきた。ツイナなんでこっち見ないの、拙僧と目を合わそう。アイ・トゥ・アイ。ツイナー?」

「ご主人、そろそろ出ないと日が暮れてしまいますよ?」

「話を散らかしたまま散らかそうとするんじゃないわよあんたらはっ!」

「鴨脚ちゃん律儀に全部ツッコんでくれるじゃん、大好き」

「そう、私も好きよ。インフルエンザの次くらいに」

「一周回ってそれ特別な存在では?」

 サイドカーにどさりと乱暴に座った鴨脚がヘルメットの下から鋭い視線を光らせた。

「いい加減に出発しないと殺すぞ」幻聴か実際に言われたのか判断の付かないおどろおどろしい声が聞こえて、京太郎は慌ててバイクに跨った。

「いざ行かん! 目指すは十六万と八◯◯◯光年先!」

「…………」

「ツッコんでくれなくなっちゃった……」

 黄昏た鴨脚の膝に白狐のツイナがひょいと乗ると、意外にもがなり立てる事もせずにどこかを見つめたまま膝の上の白狐を撫で始めた。

 出発。時速は法定速度以下で、ゆっくりと。

 ひとまず向かうは本土と衛士島とを繋ぐ海峡大橋のある北西へ。

 回ったのは、主に外部からの観光客が訪れるショッピングモールとレジャー施設。

 外から覗いた遊園地は、平日だというのに賑わっていた。その殆どが生徒であるのは言わずもがな。

「鴨脚ちゃん、ここでデートしませんこと?」

「取るわよ」

「な、なにを? どこを?」

 本気でなかったとはいえ、鴨脚に明確な拒絶を受けた京太郎は粛々とスロットルを捻り、南東部へと向かった。

 景色は打って変わって、厳格さを感じる白い建物の立ち並ぶ地域へと来た。

「ここは?」

「……私たちには関係の無い場所、言ってしまえば研究施設よ」

 衛士島もとい第九人工島は大きく三つに分かれていて、娯楽施設が並び観光客向けの北部。衛士学園や学生寮のある南西。最先端の魔術や科学の研究施設のある南東に分けられる。

 それぞれの境界線は明確に定められていて、立ち入る権限の無い者が線を踏み越えると小型ドローンが飛来して警告をするようになっている。

「これ拙僧らが向かって大丈夫な場所?」

「一応、生徒も研究施設の立ち入りは認められているわ。取り扱っている物が物だけに頻繁に訪れていれば無用なトラブルに巻き込まれるでしょうけどね」

 最先端技術の研究施設を訪れる、となると諜報員工作員、謂う所のスパイと疑われる可能性がある。

 留学生でなくても金銭で雇われていたり、身元が偽造されていたり。可能性はいくらでもある。

「なにしてんだこんな所で?」

「シャチョさんこそ」

 遠巻きに施設を眺めていると、偶然にも椎葉が通りかかった。

「俺はまあ、立場が立場なだけによく呼ばれんのよ」

 そう言って親指で研究施設を示す椎葉。

 世界でも有数な大企業である黒木重工業がこの研究施設に関わっているという事は想像に易い。

「拙僧たちはもちろんデー……ンデケデーン。なんでもナイデース。だからその構えた日傘を下ろしてクダサーイ」

 鴨脚の構えた畳まれた日傘の先端は顔というより低い位置にいる事を活かして下顎を狙っていたように見える。

 本当は歩兵科なのではないかと時折疑わしくなる。

「というか丁度よし子さん。鴨脚ちゃん拙僧と一緒にこの人の小隊に入りませう」

「嫌。あんたと一緒なら尚更」

「オマエが入れたがってたのって紫芳院かよ」

 案の定、勧誘を断る鴨脚。しかしその程度のことを予測していない京太郎ではない。

「入ってくれればシャチョさんが戦闘指南してくれますってよ。んねっ!」

「あ、ああ、まあ、そうだな。俺で良ければ」

「……結構です。私の事を一番わかっているのは私。何が足りないのかも、どうすれば向上するのかも自分一人で解決できます」

 思うところはあったのか、僅かな沈黙を見せながらもやはり拒絶する鴨脚。

 もちろんそれも想定済み。引き出したかったのは孤独を良しとする旨の言葉。

「ハハ、ひとり遊びで拙僧との彼我の差は埋まるかな?」

「なんっ…………!」

 反射的に出てきた反駁の言葉を途中で押し殺す鴨脚。

 一人で鍛錬しているだけでは宣言通り、今学期中に京太郎を倒す事ができないと予感している。

 事実であるのなら、できないのならば、たとえ癇に障っても認める。

 感情に流された発言をしない事こそが彼女が凡百に収まらない由縁であり、彼女が自負している長所である。

 それを崩したからこそ、京太郎が恨まれているわけだが。

「あー、紫芳院。たしかオマエの機体ってマヒトツだったよな?」

「……ええそうです。それが何か」

 プライドが邪魔して唇を噛むばかりの鴨脚を見兼ねた椎葉が、かぶりを振って後押しの言葉を出す。

「ウチに入ってくれりゃあオマエに馴染むよう専用にチューンしてやるよ」

「シャチョさん、そんな事できるの?」

「俺が設計した機体だからな」

「……!」

 それがトドメとなったのか、自身へ言い聞かせるように目を瞑った鴨脚の柳眉が次第に降りてくる。

 すっかり怒りが鳴りを潜めた鴨脚は居住まいを正して目を開く。

「……いいでしょう。禿の紫芳院が鴨脚、あなた達の一助となりましょう」

「やったぜシャチョさん!」

「へーへーよかったでござんすな。んじゃ丁度いいからオマエらも来い、施設に測定器があっから」

「拙僧も?」

「オメーもだ。正直言ってウチの小隊は特出したヤツがグラムくらいしかいない、だからオマエの能力をしっかり知っておきたい」

 昼間とは違いえらく真面目な面持ちの椎葉に挙措を失う京太郎だったが、どうしてもぶっ飛ばしたいヤツがいるという椎葉の言葉を思い出す。

 薄く笑った京太郎は了承の意を伝えて研究施設へとバイクを向けた。

 そうして訪れた施設で、いの一番に出迎えたのは冬薙燕その人であった。

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