腹上の贅肉

第15話

「…………ん……」

 カーテンの隙間から漏れた朝の光で目が覚める。

 ベッドから起き上がり、カーテンを開くために窓際まで歩く。

「────ふう」

 朝日を浴びながら身体に血を巡らせるために伸びをする。

 照らされた身体は女としても兵士としても完成されていた。

 しなやかさを失わない限界まで鍛えられた筋肉、そしてそれを最大限活かす為の女性特有のバネを持った柔らかさ。

「っ……また大きくなったか……」

 胸に巻いたサラシを解くとずし、と肩に重さがのしかかる。

 この胸の駄肉だけはどうしようもない。

 十代の性徴期が終われば肥大化も収まると思っていたがそうもいってくれなかった。

 二十代になろうと未だに肥える調子に、これ以上は大きくならないようにと気休め程度の工夫と願いを込めてサラシを巻いてみてはいるが抑制されている気配はない。

「…………」

 冷蔵庫からガラスのポットを取り出し中身をコップに注ぐ。

(……京太郎?)

 水を一杯口に含んで寝起きの口腔を洗浄していると京太郎の姿がないことに気づく。

 覚めた頭で部屋を一瞥すると、お世辞にも片付いていたとは言えなかった部屋が綺麗に清掃されている。

「まったくあいつは……」

 卓上には食事が用意されていて、傍らには『こまめに掃除してくださいよ』と角張った文字でメモが添えてあった。

 料理ができるようになって一層世話焼きになったようだ。

 蠅帳はいちょうを取り払うと内側に貼り付けてあった札が燃え、一汁三菜から芳しい香りが湯気と共に立ち上る。

 起き抜けの空きっ腹には暴力的な芳香だった。

「……いただきます」

 食欲を抑えられず、髪にくしを通さないままに箸を取る。

 艶やかな白米をすくって咀嚼《そしゃく)する。程よく硬い米を噛むほどに甘い汁が滲み出すが、風味を損なうほどの汁気はない。

 薄く塩の振られた白身の焼き魚に箸を立てれば容易たやすほぐれ、白雪のように白い身はさっぱりとした味わいで後を引かない。

 お椀の底をつついて沈殿した味噌を巻き上げて、具のワカメやを汁と共に啜れば熱が内側から体を温める。

「……ほふ」

 情けない嘆息を一つ。恍惚とした表情をしているのが鏡を見ずともわかる。

 これほどの物を生活の始めと終わりに摂取していれば快活な日々を送れることだろう。

 欲を言えば毎日食べたいくらいだ。が、口にしてしまえば本当に毎日食事を作りに来てしまう。

(家事が得意になるのはいいが、 勉学が疎かにならないだろうか)

 転入試験では九科目合計で九割以上の点数を記録していたので、学ぶという事に対して前向きではあるのだろうが。

 空になった食器を食洗機に置いて洗面所の乾燥機から白いワイシャツを羽織る。

 陽光に包まれたような温かさにまた、眠気が鎌首をもたげる。

 名残惜しいが春眠の抱擁を振り切ってボタンを止め、ジャケットに袖を通す。

 いささか、否、とても胸元が窮屈だ。

(また買い換えないとだな……)

 早すぎるとは思いつつも部屋を出る。

 どれだけゆったりと校舎へ向かっても始業時間には余裕があって有り余る。

 普段よりも早く出てしまったのは、一刻も早くまた京太郎の顔が見たいからだろうか。



 ◇◇◇



「都」

「なんでっしゃろ?」

「その腹はなんだ」

「艶やかで張りがあっていいでしょう、触りますァ痛い痛い痛ァーーーーイ!!」

 同年代平均体重のおよそ三倍はある京太郎の巨体が冬薙のアイアンクローをする腕一本で持ち上がる。

「昨晩就寝時までは痩せていただろう貴様ァ!」

「ファーwwwwww燕氏ここ教室wwwしかもホームルーム中wwwwww失言ランクティアーワンwww」

「燕と呼ぶなァ!」

「イデデデデ出ない出ないそんな捻られても雑巾みたいに脂肪は出ないけど違う中身は出ちゃう!」

「痩せるまで帰ってくるな────ァ!!」

「アオ────ッ!?」

 投擲された京太郎は強化ガラスの窓をぶち破り、島外の海へと消えた。

「……コホン。今日から例年通り再来週の小隊戦に向けて授業は午前のみとなる」

 そのままホームルーム続けちゃうんだ、と誰もが思えど口にする者は誰一人存在しない。

「しっつもーん、小隊戦ってなんだっちゃ?」

 帰って来ちゃうんだ、とは語られず。

「よって授業内容は全て基本科目となる、鍛練を行いたい者は各々の部隊で行うように」

 無視できちゃうんだ、という言葉は嚥下される。

「コラー無視するなー! いつもの三倍食べちゃうぞー!」

「食用肉になりたいのなら今ここで私が下処理をしてやるが?」

「ごげげげげそんな横からプレスされても縦には伸びまひぇん!」

 転入二日目にして早朝の新たなテンプレートを築きつつある転校生に、クラスメイトは好感度を下げつつもホームルームは進行する。

 一限目の数学が開始されるまで、京太郎が座る座席の先頭では、紫芳院鴨脚は肘をついて不機嫌そうに窓の外の景色を眺めていた。

 そうしてこうして午前の授業が終了、小隊で活動する午後が訪れた。

「いちょーうちゃんwご飯食べに行きまショ!」

 三々五々となった教室で、相も変わらず窓の外を眺め続ける深窓の令嬢にあざとかわいく媚びてみる。

 反応が無くて当然、罵声を浴びて上々だ。

 すると予想に反して素直に視線を向けた鴨脚は立ち上がって、凝り固まった体をほぐすように背筋を伸ばす。

 予想外の反応に挙措を失い、いつもなら機関銃のように垂れ流す言葉が喉元で詰まジャムり、吃音きつおんだけが漏れる。

 そのまま教室を出て行こうとする鴨脚にやっと一つの言葉が出てきた。

「……あ、これ無視されてんのか!」

「気づいてなかったんですか?」

 当然だろうと語るツイナに突っ込まれながら教室を出た鴨脚を呼び止める。

「あ、あの鴨脚ちゃん? どこ行くの?」

「帰る」

 あまりにも簡潔に吐き捨てられた返答に硬直していると、廊下に置いて行かれる。

「え、あの、小隊うんぬんは?」

「所属してない」

 追い縋って質問を投げても視線一つくれずに一蹴される姿は宛ら芸能人に突撃するゴシップ記者。

「え、そう、なんだ。じゃああの拙僧とご飯食べませう?」

「嫌」

「おおう……あの、鴨脚ちゃん」

 ふと足を止めた鴨脚が今日初めて京太郎を直視した。

「軽々しく呼ばないで」

「ハイ……じゃあなんて呼べば……?」

「呼ぶな」

 その言葉を最後に階段を降りて行った鴨脚を追う蛮勇は流石の都京太郎でも持ち得ていない。

「…………『その冷えっ冷えな心、拙僧の焔で溶かして進ぜよう』とか言ったら怒られる?」

「怒られるで済めば上等でしょうね」

「仕方なし、さびちいけどまた一人と一匹でごは────お?」

 暗転。自身が麻袋に入れられたからだと気づくのに数分要した。

 それから何処かへ運ばれていると気づくのにさらに数分必要になった。

「で、なんで拉致られたんですか拙僧は?」

「他のヤツらに確保される前に抑えとかないといけなかったもんでな」

 解放された先ではいつだかのダフ屋、もとい黒木椎葉が堂々とした姿勢で構えていた。

「囚われのお姫様になった覚えはないんですけどね、今に配管工が殴り込みに来ますよ」

「囚われのお姫様そのものじゃねーか」

 雑談を交えつつも密かに周りの様子を見てみると、どこかの和風の意匠をした部屋だった。

 学園の見取り図を思い浮かべてみたが、和室は茶道部の部室くらいしか存在していない。

 そして以前に覗いた茶道部の部室は現在の部屋と間取りが一致しない。

 校舎ではない場所という予測しか建てられなかった。

「あんな派手に名乗っちまったからな、詰め放題セール並みに狙われたんだよおまえ」

「誰かさんたちが電波ジャックした挙句にトンズラしましたからね、悪名もうなぎ登りでしょうや」

「悪かったって、教師陣は賭博を黙殺してくれるけど冬薙センセーが来ちまったら話は変わるのよ」

 【調停者バランサー】などと揶揄されているはその容赦の無さが由来する。

 対象が誰であろうと悪事を働けば問答無用で干渉してきて更地にしていく女、冬薙燕。

 学生の小遣い稼ぎであろうと国家規模の企みであろうと、平等に罰せられる。

「ま、既に勧誘は受けてますがね」

「……他が勧誘に来ないように手は打っておいたんだがな、どこだ?」

「生徒会、昨日連行された際に生徒会長直々に誘われましたよ」

「だから悪かったって。それで、なんて答えたんだ?」

「嫌だ」

「ちゃんと話を聞いたうえで?」

「嫌だ」

 それを聞いた椎葉は床を叩いて哄笑こうしょうする。

「イッヒッヒィ────いや悪い、あのお坊ちゃんはどんな反応してた?」

「答えが変わるのを気長に待ってる、みたいな事言うとりましたね」

「そうかい、アイツにしちゃあ毒気のない返答だなぁ。毒突く余裕も無いくらい断られたのが堪えてたんだろうな」

「そんなに何でもかんでも思い通りになっちゃう越権ボーイだったんでぶか?」

「そりゃそうよ。王生の人間つったら、あー……そうだな、国っつー機械を動かすのが市民て歯車なら、王生家はシャフトだからな。そんなロイヤルボーイ直々の勧誘をオマエは?」

「イナズマシュートしましたね」

 声を上げて笑った椎葉が仰向けに畳へ寝転ぶ。

「やっぱ面白いよオマエ、うちの小隊入らねえか?」

「いやどす」

「小隊長の俺が言うのもなんだが美人揃いだぜ」

「興味ないどす」

「三日に一回、深夜アニメの感想会やってんぜ」

「好きなロボは鼻と口が付いてるタイプですこれから末長くよろしくお願いしますシャチョさん」

「社長じゃねーよ変わり身はえーよ」

 三つ指付いて頭を下げる京太郎に思わず、ずっこける椎葉。

「だってこちとら一家に一台パソコンもない限界集落育ちなんですぜ!? 周りにオタクどころか同年代がほとんどいなくて語らいなんてインターネッツを介さないとできなかったんでぶよ!?」

「わかったわかった、わかったから擦り寄るなデブ」

 その後、生徒証で入隊の申請手続きを行い、はれて椎葉の小隊『小隊番号06・ディライトフル』に所属する事になった。

「あえての第06小隊とは傾奇者ですなw」

「いや俺が学園に来る前からずっとこの番号だから」

 手続きを完了した京太郎と椎葉がエレベーターに乗り込み上階へ上がる。

 表示は地下一階から地上一階へ。

 操作盤の表記からまだまだ下方へ階層の存在が確認できる。

 エレベーターから降りた部屋は生徒会室と似た構造で、湾曲した階段の先のロフトからは楽しげな談笑が聞こえる。

「やっと見つけましたよご主人、心配かけないでくださいな」

 声の先に顔を向けると、バーカウンターの上でツイナが少女にブラッシングされていた。

「心配してた態度じゃなくない?」

 あまり自分の体を他人に触らせたがらないツイナがおとなしくブラッシングされているのはなんとも珍しい。

「どやった椎葉?」

「いいお返事を貰えましたとさ」

 バーカウンターの席に座った椎葉は立ち尽くしたままの京太郎にオマエも座れと顎で隣の席を指す。

「そ、なら今後ともよろしゅう、京太郎」

「初手名前呼びは動悸と目眩がするのでおやめください」

 ツイナをブラッシングしままの長身痩躯の少女は疑問符を浮かべて首を傾げる。

「気持ちはわからんでもないがな、コイツは香月八尋。歩兵科で束縛のスペシャリスト。ざっくばらんに言ってレズで痴女」

「併せて聞きたくない情報来ちゃったなコレ」

「ご主人助けて寝取られてしまいますぅ!」

「もしかしてオマエのペットも頭がアレか?」

「コメントを控えさせていただきます」

 ビクビクと痙攣するツイナを放置してショットグラスに注がれた水を一息に呷る。

 八尋の背後の棚に並んでいる瓶は一見するとビールやワインのように見えたが、注意深く観察すると葡萄ジュースや海外のジュースのようだった。

 そうとわかっていてもロックアイスの入ったショットグラスに入れられると勘違いして場酔いしてしまいそうだ。

「というか狐が喋ってるのに驚かないんでぶね」

「こんな学園だからな、使い魔ファミリアなんてよく見るもんさ」

 式神とかな、とグラスに入ったマンゴージュースを呷る椎葉。

 使い魔、確かにツイナの学園における扱いはそうなってしまうのだろうがその実、都京太郎とツイナは儀式的契約の間柄にない。

 そも彼女は土着の三狐神さんこじんもとい御食津神みけつかみであり、京太郎が神主となる予定の神社で祀る土地神である。

 今現在の彼女は本体と意識を切り離した分御霊わけみたまで、一方的に京太郎を気に入って付き纏っているだけ。すなわち狐憑きと称するのが正しい。

「そういやオマエ昼は食ったか?」

「食べに行く道中拉致られたのでまだでござい」

「そうかい、そらよかったな。食堂のメシよりウマイのが食えるぞ」

 椎葉が特に悪びれることもなく言うと、八尋が身を屈めてカウンター裏からどんぶりを取り出してカウンターに置いた。

 中では乳白色をした液体が湯気を纏い、金糸の束が刻み葱と共に顔を見せていた。

「本場の人間が作った豚骨ラーメンだ、食え」

「ウチは生まれも育ちも小倉やけん」

「んなモン誤差だろ、ご────」

 瞬く暇も無いうちに天井へ貼り付けにされた椎葉を見送って、八尋に差し出された箸を手に合掌。食前の挨拶を高らかにまずは蓮華で掬った熱々のスープを一口。

 舌触りは柔らかに、こってりとした豚骨エキスが味覚を侵す。

 しかしどういうことか嚥下すると液体は喉に絡みつかず、するりするりと食道を下っていく。

「これ点滴で打ってもらっていいですか?」

「だーめ、ちゃんと味わっち食いね」

「ごもっとも」

 いよいよと麺をすする。

 細めで固め、されど粉っぽい味はしない。

 適度な歯応え適度な汁感。濃厚なスープに飽きが来そうになるとシャキシャキとした刻み葱が舌を整える。

 厚めに切られたチャーシューと二つに割られた半熟卵にはいつ手をつけようかと悩みが加速する。

 食える。いくらでも食える。

 ずるずると汁を巻き込みながら麺を一息にすすり、天井へとちゅうする湯気を見送る。

「ンマァイ!!」

「おかわりもあるけん」

「このあと毒ガス訓練があったりとかは……?」

「イテテ……しねえよ」

 天井から落下してきた椎葉が尻をさすりながら応える。

 それなら安心と一杯目を平らげると八尋が再びカウンター裏から熱々のラーメンが入った器を取り出した。

「どうなってんのこのカウンター? コント? 魔法? 拙僧も欲しいんだが?」

 いざ二杯目と貪っていると、隣で肘をついていた椎葉が時計を見てそろそろか、と言葉を漏らす。

「やっぱり毒ガス訓練?」

「違えっつの、ウチの連中がメシ済ませて来る頃だって話だよ」

 時刻は一時半を過ぎた頃。通常なら午後の授業が始まる時間だった。

「とりあえず今日はウチの主要メンツとの顔合わせだけでいい、オマエの話はしてあるからな」

「ほーん」

 話半分に聞き流しつつ二杯目を完食。ダメ元で八尋を見ると三杯目が用意されていた。

 ありがたく頂いているとエレベーターから二人組みの男女が降りてきた。

「お、来たな」

 椎葉の様子から会わせたかった二人のようだった。

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