第13話

 レバーを下げると頭上から降り注ぐ熱湯が髪を濡らす。

 これが実家なら給湯器が活動を始めるまでに間隔があったところだ。

 ざあざあと流れるシャワーは頭を、背を、手を脚を洗い流すが濁った思考まではさらってくれない。

 屈辱。屈辱だ。その一言に尽きる。

 負けた事に対して、ではない。

 生涯に黒星が付かないなどと驕っていたわけでもない。常勝無敗なんて言葉の上でのみ存在するものだという現実は知っている。

 …………あの冬薙燕なら例外的にありえるのかもしれないが。

 ただ、こうしてあのクソバカデブカスヤロウのせいでアタシがやきもきしているという事態に業を煮やしている。

 勝負は勝負、学業には関係無いと認識しつつも割り切れず、午後の授業を保健室でサボタージュしたのも腹が立つ。

 責任転嫁せきにんてんかだというのを理解していても、それでも尚だ。

 今現在こうしてあの養豚場のゴミクズの事で頭の中がいっぱいになっている事実が不快に他ならない。

 いったい、なんだというのだ。

 あの見下ろす金の瞳を思い出すと胸の鼓動が速くなる。

「…………ほんと、なんなのよ」

 自然とため息なんかが出る。

 胸にモヤモヤとした感情を抱えながら男の事を考え、ため息一つ。まるで乙女のようではないか。

 …………万が一も考えたくはないが、イフですら可能性を考慮したくないが。

 もし、無意識領域とやらがバグを発生させて、まかり間違った感情を抱いてしまっているのなら。

 この胸の高鳴りの正体は────

「いや動悸でしょうよ」

「きゃああああっ!」

 はしたない悲鳴が浴室に響く。

 だってしょうがない。急に目の前の壁から人間の顔が浮き出てきたら誰だって絶叫するはずだ。

「なん、なに!? どこから出てきたのよっ!?」

「はあ、まったく。ご主人は帰ってこないし、お隣さんからラブコメの波動を感じるな〜と思えば。死の恐怖を恋心と勘違いとか葉っぱでもキメてるんですか?」

 なんだか見覚えがあるのはなぜだろうか。

どこかで見た覚えのある風貌をしている。

「って、わかってるわよ! あんなのにこのあたしが惚れるわけないでしょう!?」

「ハァー!? わたくしのご主人をあんなの呼ばわりしないでくれますぅ!? 世の人間全てが股おっ広げるほどマブイんですけどぉ!?」

「ごしゅっ!? ひ、卑猥よ卑猥! 学生のうちからそんな爛れた関係なんて許されないわよ!」

「十年もの付き合いがあるのに爛れた関係になれてない私への嫌味かコラァー!」

「か・え・り・な・さ・い・よ!」

 あのセルロース薄らバカ、まさかこんな奴とそんな関係を持っているなんて。

 いや待て、それよりもこの女「お隣さん」と言ったか。

 それはつまり隣室にあの表六玉ひょうろくだまが住んでいるという事。

(────ああなんて、なんてことだろう)

 大衆の前で紫芳院の名を貶しただけじゃ物足りず私生活さえも蝕もうなんて。

 絶望的だ。私の規律ある生活はきっともう戻ってはこない。

 被害妄想ではない。絶対と言っていい確信がある。

「いいですかご主人はあんなふくよかな体型をしてらっしゃいますがねぇ!」

「か・え・り・な・さ・い・よ!」

 一文字一文字に怒りを滲ませ壁から生えた顔を蹴りつけるがまるで手応えがなくすり抜けているようだった。

「うるへー! ご主人の良さがわからん奴が眼前にいるってのにおめおめと帰れるかい!」

「帰れ────ッ!!」

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