第14話

 酔い潰れた秋水を部屋に投げ込んでから自室へと戻り、床に就く。

 時刻は日付が変更される間際だった。が、

(………………寝れるか)

 背中の向こうに何の隔たりもなく異性が同じ寝具で寝ている、たったそれだけのことでこうも落ち着かないとは。

 広めとはいえシングルサイズのベッド、寝返り一つ打てば体に触れてしまう距離。

 昔はなんとも思わなかったがそれはこちらも向こうも子供だったからこその事。

 心も体も子供とは言い難い年齢でとなるとなんだか、意味合いが違って感じる。

「……京太郎、一応言っておくが────」

 うなじに息吹を感じたので釘を刺すために振り返ると、そこには大層健やかな寝顔があった。

 数分前まで言葉を交わしていたというのにノンレムも斯くやという寝つきの良さに一人相撲をしていたようで羞恥が込み上げる。

(……当たり前か)

 血の繋がりがないとはいえ、共に過ごした日々を思えば姉弟あねとのようなものだ。

 親愛の情はあれど、異性として見ることもないだろう。

 普段はあの様子だが、会話からは昔と変わらない純粋さが感じ取れた。

「本当に……よくここまで大きくなってくれた」

 身長はたしか百七十センチほどだったか。

 頰に触れると京太郎の頰がだらしなく緩む。

 子供の頃の丸さは失せて、凹凸がハッキリと目立つ。

 首は太くなり、喉仏の隆起が見てわかる。

 腕はまるで棍棒のように肉付いて、と右腕に触れる。

「まったく……の世界に巻き込みたくなかったからこそ離れたというのに…………ばかもの」

 右腕の傷に触れる。

 幾重にも重なった古い傷痕は硬質化し、腕をデコボコと奇怪なシルエットにしている。

 痛々しい火傷痕は肩から指先まで巻きつくように蝕んで、普段包帯で隠すのを納得できる有様。

 そういえば、と枕元に畳まれている京太郎の包帯を手に取る。

 やはり、これは初めて京に出会った際に渡したマフラーだ。

 もう十年ほど昔に贈った物をこうして形を変えても使われるというのは素直に嬉しい気持ちがある。

 京太郎の右手に指を絡めて揉んでいると、奇妙な痕に気づく。

 手の甲に刻まれた“く”の字をした傷というよりこれは刺青のような────


「眠った少年のカラダをにやけながらまさぐるとかなにうらやまけしからんことしてるんです?」


「────人聞きの悪い事を言うな駄狐」

 二人しか存在しないはずの空間に響いた声に振り向かず言葉を返す。

 京太郎を起こさぬよう気をつけながら上体を起こしてベッドに腰掛ける。

 鼻を鳴らしながら壁をすり抜けてきたツイナを確認して身振りを直す。

 ツイナがなんとも言わないあたり表情には出ていないようだがその実、鼓動は早鐘を打っていた。

「別に咎めようってんじゃあないですよ、むしろ共犯になってくれるならええ、都合が良いくらいですし。見てくださいこのご主人の安らかな寝顔、久方振りに見ましたよ。上も下も垂涎モノですよこれ」

「ただ茶化しに来たわけではないだろう、本題に入れ」

 放っておいたら本当に夜這いを仕掛けそうなツイナに牽制をする。

 コホンと一つ咳払いをしたツイナが声色を変えて真剣な面持ちで口を開いた。

「ご主人の戦う勇姿を見た率直な感想を聞きに来ました」

 昼間に見た京太郎の戦いを反芻する。

 通常、不可能とされる単身での有人搭乗式機動戦術兵器ベイヤードの破壊。

 まさに燎原りょうげんの火とでも言うべき活躍ぶりだった。

「瞬時に地形の構造を把握する空間認識能力、それを活かした策を考えだす思考力とすぐさま行動に移せる大胆さ、一度きりとはいえ後にローリスクハイリターンの爆発力。素直に賞賛に値するものだった、よく八年でここまで鍛えたものだ」

 素直な本心。贔屓目無しの戦闘教官としての評価。

 傍らで寝ている穏やかな表情からは想像もできないくらいに苛烈な戦闘能力をしていた。

「────が、このまま学園を卒業するようなら私はこいつの手足を折ってでも戦いに生きる道を断つ」

 辛口の言葉だというのにツイナは佳しと頷いた。

 たしかに京太郎の戦闘能力はとてつもないものではあるが、それは自らごと焼き尽くす業火であった。

 殲滅であれ虐殺であれ、なんにしたって生物であるならば、行為には己の生存が絶対条件である。

 だのに京太郎の戦い方は何一つ省みていない。

 より多くの戦果の為に保身する。自身と戦果を天秤に掛けて後者がまさったのなら身をなげうつ。

 自爆テロを佳しとする人間の思考回路だ。それを、よりにもよって京太郎自身がするなどと、どれだけの力を得ようとも言祝ことほぐことはできない。

「そう言ってもらえて何よりでございます。仰る通り今のご主人は諸共を焼き尽くす山火、命の使い道を探す不発弾に他なりません」

「貴様がそばに居ながら……何故そうなった、咎めなかった?」

「日々生気を失っていくだけのご主人が活気を取り戻したというのにどうして止められましょうか? 力を求める事を是としたわたくしがどうして道を誤ったなどと指摘できましょうか?」

 責める事はできなかった。

 ツイナが止めなかった事も、京太郎がああなってしまった事も、一因は自分にこそあるのだから。

「ですからこの学園に来る事も止めなかったのです。貴女に、あるいは他の誰かにご主人を正して貰うために」

「なるほど、な…………しかし何故だ、京太郎は祖父曰く『才長けるもの無し』と、都の焔は扱えぬとされていただろう。だからこそ剣の道に往く事を勧められたはずだ」

 最後に見た都京太郎は現在のような溌剌はつらつさはなかった。

 自己主張が苦手な心優しく、運動を苦手とする少年だった。

 護身術に学ばさせようとした、躰道たいどうを骨子にした都の拳は素質なしと京太郎の祖父、一銀に断言されて剣道を師事していたはずだった。

「それがいつの間にかご主人は私の預かり知らぬところでルーンの刻印を用いたゲッシュに手を出しまして……その結果強大な焔を手にしましたが、制御しきれなかった分がご主人の腕を焼いたのです」

 ツイナが目を伏せて心底悔しそうに声を絞り出す。

「ゲッシュ……ケルトの祈祷魔術だったか。しかしそのくらいで、いくらルーンを用いたとはいえ身を焼くほどでは……」

「ご主人がなさったのはただの誓約ではありません。そも巷で行われているゲッシュとは単に自らに枷を課して集中力を高めるだけの自己暗示、神秘など微塵も関係ありません。しかしご主人はルーンを用いるという『正しい』技法で行ったのです、それも身体に刻むという手段で」

 連綿と紡がれていたとはいえ、魔術が確固たるものとして周知されるようになったのはここ数世紀にも満たない内の出来事。

 その間に古からの秘術は殆どが失われ、真髄の残る叡智でさえ秘匿されているのが大多数を占める。

 ツイナの言うように現代に知れ渡るアナログな魔術の過半数はおまじない未満の験担ぎなのが実情だ。

「右手に浮かぶルーンは“ケーン”、炎を意味する文字です。しかも一つではなく、強調を意味する空白のルーン“ウィルド”をも使った二重刻印」

「なにかマズイのか?」

「マズイですとも。ルーンというのは謂わば水門、魔力を流すことによりかんぬきが外れて大気中の魔力が流れ込むものでございます。ですから武器なり鎧なりに刻むか、ルーンストーンを使用するのが通常です。それを身体に直接刻んだとなれば、」

「常に膨大な力が身体に流れ込んでくる、それも二倍、というわけか。しかし誰が京太郎にゲッシュの手順を教えた? 貴様の口ぶりからすると既に失われたものだろう、まさか貴様が享受したわけでもあるまい」

「……問題はそこです。正しいゲッシュの誓い方なんてもう、現地のドルイドが知ってるかどうかという規模。まさかあんな辺境にたまたま本職のドルイドが来るはずもありません」

「私ではなく京太郎本人の抱えた因縁、か……」

 京太郎の暮らしていた霧夜の家へ足を運ばなくなってからの八年間、襲撃なり誰それが訪ねてきたなりの報は受けていない。

 そうなると、都京太郎自身が持った因縁くらいしか考えられない。

「ええ、その可能性が大きいです。現にご主人に貼り付けておいたとっておきの防護結界も初日から破壊されていましたし」

「そう、か……なら私も目を光らせておく必要がありそうだな」

「いいんですか、教師が生徒一人に入れ込むなんて如何を問われますよ?」

「……構わん。こいつのためならな」

 京太郎の人生を歪めてしまって、既に手遅れになってしまっているかもしれない。それでも幸せな人生を送ってほしい、そう思うのが償いであり、この冬薙燕の数少ない願いなのだ。

 であれば、たとえ世界を、生者全てを敵に回す事になろうと、こいつの味方になってやる。

 傍らで健やかな寝顔を晒す京太郎の頭を撫でると、気持ちよさそうに頬を緩ませた。

「あらまあお熱いこと。そういうのは本人の意識があるときに言ってやってくださいな」

「さてな……それで、京太郎が誓ったゲッシュの内容はなんだ?」

「露骨に話を逸らしちゃって大人気ない。ご主人のゲッシュは『相対した相手の最大火力を回避しない』です」

「……昼間のは相手が的外れの方向に放ったから受ける必要がなかった、と。よくもまあ無茶な誓いをしてくれた」

「…………貴女のためですよ。言ったでしょう、ご主人は命の使い道を探していると。『あの冬薙燕が苦戦するような相手が現れたら、きっと誰にも倒すことはできない。そんな相手を一人の命と引き換えにたおせたのなら戦果としては上々』……ご主人が力を求める理念はずっとそれです」

 物憂げに視線を下げたツイナが陰気を振り払うかのようにコホンと咳払いを一つする。

「さて、夜も更けてきましたので私は部屋でご主人の匂いに包まれながら独り寂しく寝るとします。つまみ食いするのならちゃんと私も呼ぶように!」

 無理に明るい声音で言い捨てたツイナは壁の中へと消えていった。

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