第12話
「チカレタ……」
戦闘が終わり現実世界に帰ってくると人体の損傷は無かった事になるとはいえ、どちらの世界にも引き継がれる精神ばかりは手の施しようがない。
そのうえ電波ジャックと言われのない罪状で連行されて、どこにいてもヒソヒソと生徒にさえ囁かれる始末。
放課後の
「…………」
「…………」
購買部で買ったバウムクーヘンを頬張っている京太郎と、教室から出る冬薙と視線が交わる。
ほんの少し、静止した冬薙はすぐに教室を出て行ってしまう。
たかが数秒されど数秒。教室でそんなところを目撃されてしまえば、クラスメイトたちの密かな会話への燃料投下にしかならないわけで。
視線が集まり密談に拍車がかかる。
「要件はなんだと思いますリディア氏?」
「ぐう……」
どうにか状況を打開しようと隣席の交換留学生、リディア・シッカートに話を振るが相変わらず机に突っ伏して惰眠を貪っている。
午後の授業もこの調子で寝ずっぱり。
あまりに注意しても効かないので教師も早々に諦めた様子。
(燕氏、あらぬ噂立ってるのわかってんのかなぁ……?)
あの鋼鉄の女が今年入ってきたばかりのデブにやたらと構っている。
純然たる事実ではあるけれど、冬薙燕と都京太郎の関係性が知られていないのでデブ専だなんだと三流ゴシップのような噂が立っている。
関係を隠すつもりはないが、特別言い触らす内容でもないと
それに加えて今しがたの出来事。誹謗中傷には慣れているが、冬薙に悪印象を与えるような事は避けたいところだった。
仄かな憂いを抱えながら教室を出る。
◇
窓からの景色を眺めていると、呼び鈴が鳴ったのでポケットから端末を取り出して応答する。
『燕氏〜? 来ましたけれども〜?』
いざ声を聞くと鍵を開ける気が失せてくるが、そんな気持ちを振り払って端末から玄関扉の鍵を開ける。
部屋に上がったそいつは持参したスリッパを窮屈そうに履き、落ち着かない様子で視線が泳ぐ。
「あの……拙僧なんかしました?」
「いや…………」
会話が終わってしまった。
たしかに理由も告げられずに教員に呼び出されれば快くはないか、と他人事のように考える。
浮き足立っているのか、柄にもない。
嘆息を払ってそいつに向き直る。
「……紫芳院と戦っていたのはお前で、都京太郎でいいんだな?」
「あー……なるへそ、そういう。少々お待ちくださいまし」
そう言った京太郎が踵を返して部屋を出て数分後、再び鳴いた呼び鈴に確認もせず解錠する。
「手間を取らせてすいません、流石に室内でやると火災報知器鳴っちゃうんで……」
たははと笑う少年。間違いなく画面の向こうで紫芳院鴨脚と戦っていた姿だ。
「もう一度訊く。お前は、都京太郎でいいんだな?」
「ええもちろん。僕は貴女の知る都京太郎ですよ」
正直に言って、その姿こそが望んだものだった。
幼さは残るものの精悍になった面影ある顔つき。
贅肉のない鍛えられた体躯。瞼の裏で幾度も夢想した少年の姿がそこにあった。
「その姿はどういう……いや、先程の姿が異常なのか?」
「別にどっちも異常じゃありませんよ。どっちも僕です」
「乖離性同一性障害……」
「多重人格ってわけでもないです。単にこう、元が内気な性格だから明るくいこうとしてああなってるだけですよ」
「ならわざわざ体型を変えなくてもいいだろう」
「いや、まあ
目を伏せて頰を掻く京太郎が、慌てて視線を上げる。
「ああいや、別に見捨てられたとか思ってるんじゃ無いんです。燕さんが身の安全を考えて会わないようにしてたってのはわかってたつもりです。つもり、なんですけど。カケラほどの可能性が拭いきれなくて、もしもが怖くて…………ハハ、女々しいですね」
数刻前に揚々と名乗りを上げていた豪胆はどこへやら。
今目の前にいるのは昔と、八年前と変わらず弱気で内向的で繊細な、それでいて胸に誓った事柄は頑なに突き通す芯の強い子供だ。
そうだ、八年の歳月が経過しようとも、体型がだらしなくなっていても、本質は何も変わってなどいないのだ。
「京太郎」
京太郎の肩がピクリと跳ねる。
目を伏せたまま、唇を噛んで紡がれる言葉に備えようとしている。
「京太郎、私はお前が健やかに育つ事を願って離れた。お前から平穏を奪った私がこれ以上巻き込んではいけないと、そう考えて。だが、その心配もいらなくなったようだ。
改めて言わせてくれ────京太郎、強く、そして大きくなったな」
「っ──……」
目が大きく見開かれたかと思うと、溢れそうな何かを堪えるように天を仰ぐ京太郎。
今の言葉が都京太郎にとってどれだけの意味を持つのか、口にした自分自身理解していない。
しかし研鑽に費やした八年間が無駄ではなかったのだと、それだけが伝わっていればよかった。
「っ〜〜あのっ、一つ、だけ、無茶なお願いしてもいい、で、すか?」
上を向いたまま自らの頬を張った京太郎が声を裏返しながら求める。
昔から自己主張の苦手な子で、他人にお願いをする時は今のように指を組んで折れそうなほど曲げる悪癖があったな、と微笑みが漏れる。
「言ってみろ」
「その、です、ね…………一度、今日っきりの一度だけでいいので、たぶん一度すればそれで、踏ん切りが付くと思うので、ああもちろん嫌なら拒否して貰ってもいいんですけど、」
「なんでもいい、簡潔に言え」
「……………………今晩、一緒に……寝て…………欲しい、です」
────どうしたものか。停止しかけた頭で考える。
(一緒に寝るとはつまり、いや、この様子なら本当に添い寝をねだっているだけか? ああ、これも自業自得か……)
離れたのは京太郎が小学生になって間もない頃、一番他人に甘えたい盛りの時期だった。
昔から利口な子であったし親族とはいえ叔母夫婦に甘える事も遠慮していたのは想像に易い。
(そのままこの歳まで甘えるという行為への飢えを引き摺ってきてしまったのは私の罪になる。それなら、今晩くらいは致し方ない、か…………)
────いや、ダメだろう。落ち着け。
甘えたかったというのはわかる、それは申し訳ないと思う。
しかしそれはそれ、過去は過去。補填できるものではない。
もう軽々しく
たとえ不純異性交遊の事実が無くても、年頃の男女が寝食を共にしたというのは事実で、良い印象は抱かれない。
京太郎は停学か、あるいは退学処分にだってなるだろう。
だからここは、京太郎の事を思えばこそ否を突きつけなければいけない。
「……すいません。バカな事言いましたね、忘れてください」
沈黙が痛かったのか、自ら提案を取り消す京太郎。
呈する落胆を誤魔化すように笑う姿が痛ましい。
ああ、そんな顔をするな。お前が悪怯れる必要などないというに。
「…………………………今日だけだ」
「……! じゃあ夕飯は僕が作りますね、折角だから暁さんも呼びますか? 食材買ってきますね!」
パアッと輝くように笑顔を見せると、矢継ぎ早に言うだけ言って手の舞足を踏む所を知らずと部屋を出てしまった。
現金な態度に呆れながら閉まる扉を見つめる。
呆れるべきは自身か、とかぶりを振って。
どうにもあの姿には甘くなってしまう。
簡単に覆る意思決定なんてらしくない。
しかし、それでもあんなにも無垢な笑顔は久々に見た。
ご機嫌取りの愛想笑いか、あるいは獰猛な破顔大笑ばかり向けられていた身としては、毒気を抜かれたような、自分にも気の許せる存在がいることを思い出すものだった。
ああ、それなら。そんなものを見せてくれたのなら────
「……いい、か」
やはり、どこまでも甘くなっている。らしくないと愁眉を開き自嘲気味に独り、空虚に笑うのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます